さわやかな朝の風が少し開けておいた窓の隙間からカーテンを揺らして入り込んではナマエの少し長い前髪をふわふわと揺らしていく。
それにじゃれるようにナマエの頬に寄り添って眠っていた猫のレオがたしたしと朝ご飯を推測するように肉球を押し付けてくるのを寝返りで回避したが、今度は後ろから必死の抗議と言わんばかりににゃうにゃうと何やら文句を言っているようだ。
いつもなら寝ぼけながらもベッドから起き上がってレオの餌と仕事の準備をしている時間だというのに。どうにも体がだるくて動かない。いつまでも鳴り続けている目覚まし時計を止めるのすら面倒で寝返りを打つと、隣の部屋で寝ていたマグナスが起きたらしい。ドアの開閉音が聞こえた気がした。
「…ナマエ?」
ドア越しに聞こえるくぐもったマグナスの声に、ナマエが弾けるように上半身を起こすと隣にいたレオはそれを避けるようにフローリングに綺麗に着地した。
「もうすぐ時間だけど…大丈夫か?」
「うー、マグナスー…入ってきてぇ…」
思いのほか全身が気怠くて絞り出すようにナマエはそれだけ言うとぎりぎりと痛む下腹部を撫でながらぱたりとベッドに倒れこんだ。
ナマエの声色に心配になったマグナスは「じゃあ入るよ」と一言言ってから遠慮がちにナマエの部屋のドアを開けるとベッドの中で小さく背中を丸めた彼女の姿があった。
「ナマエ!?どうしたんだ!?」
一体彼女にの身に何が起きたのか。開けたままのドアをそのままにマグナスが急ぎ足でナマエが横たわるベッドに近付く。辛そうに眉間に皺を寄せたまま強く瞳を閉じている彼女の顔色はすっかり悪くなっている気がする。昨日までにこにこと笑っていた彼女が嘘のようで彼女と同じくマグナスは眉間に皺を寄せた。
「…う…まぐなす、……お、…な、か…」
「おなか…?」
ぐったりとしているナマエの次の言葉を待って、傍に置かれていた彼女の手を強く握る。
「おなか…いたい…トイレつれてって…」
「……は!?」
「ごめん」と申し訳なさそうにシーツの顔を埋めるナマエを拍子抜けした様子で頷いたマグナスは軽くため息をつくとお腹のあたりまでかかっていた布団をめくってパジャマのままの彼女の背中と膝の裏に自分の手を通し、軽々と持ち上げた。
いつもなら抵抗するナマエも、今回ばかりはそれすらできない様子で大人しく落ちないようにとマグナスの首にゆるゆると腕を巻き付けた。トイレに向かう途中マグナスの足にじゃれるレオと、ぶつぶつとナマエの口からはうわごとのように「会社に連絡…」と何度も呟かれた。
* * *
「ナマエ、けいたい」
「あ、ありが、と…」
無事トイレに到着したナマエは顔色の悪いままふらふらと出てくるとリビングで充電の完了された携帯を握りしめているマグナスに弱々しい笑顔で近寄るとぽすんと傍に置かれていたソファーに腰掛けた。
「今日はお休みしますって、れ、れんら……あう…」
「大丈夫か?…俺が連絡入れようか」
マグナスから携帯を受け取って操作している間に不快感がナマエを襲う。彼女の手から離れた携帯は会社の連絡先を表示したままぽとりとナマエの膝の上に落ちた。マグナスの申し出に申し訳なさそうに表情を歪めながら頷くナマエは下腹部を優しくさすりながら何やらうめき声を上げている。
ナマエに操作してもらい、このままでいいからと携帯を耳元に宛がわれ何度目かのコール音の後すぐに女性の声がそこから聞こえてきた。
「…すみません、ナマエの身内のものですが」
『はい。………あ!もしかして外国人のナマエの彼氏!?」
「は、…え?かれし?」
『えっと、彼氏かれし…ぼーいふれんど?』
「ぼーい…?」
初めの緊張感はどこへやら。一気にテンションの上がったらしい電話の向こうの女性にたじたじになってしまったマグナスと、携帯電話から漏れる聞き覚えのある女性の声にナマエは深くため息をついてなんとか体を起こすとマグナスの手からそっと携帯を取り上げスピーカーと表示された画面を指で軽く押した。
「…もしもし、その他?」
『あ、ナマエ?なんだー、どうしたの?外国人の彼氏はどうしたんだー!』
「もう、やめてよ…彼氏じゃないってば。ごめん、今日来たからちょっと休んでもいいかな」
『あー、ナマエきついって言ってたもんね。いいよ上にはうまいこと言っとく。そのかわりちゃんと彼氏紹介してよね』
「彼氏じゃないって!」
何度言ったらわかるんだ、と言おうとしてその他に笑い声と共にぶつりと電話は切られてしまった。抗議のメールでも送りつけてやろうかとも思ったが、とてもそんなことが出来る気力もなく携帯を閉じたナマエは再びソファーに倒れた。
「電話終わった?…ごめん、俺がちゃんと話せれば良かったな」
「ううん、いいの。こっちこそごめんね。…レオのごはんありがとう」
レオの餌袋を持ってやってきたマグナスにナマエが言うと、にこりと微笑んだあとマグナスは視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「ところでナマエ。来たって何が来たんだ?」
その他と呼ばれた女性とナマエはそれだけで通じ合っていたが自分には全く理解できない。お腹を冷やしたのだろうと思っていたのだがトイレに籠る様子もないナマエに、マグナスは何か他の理由があるんだ、とだけは感じていた。言葉にしにくいのか、ナマエがマグナスにただ苦笑いを返すだけだった。
しばらくしてレオが満足したのかソファーに横たわっていたナマエに心配しているかのように寄り添って丸くなった。幸せそうに微笑むナマエは未だに顔色が悪い。
「……ナマエ、何温かいもの入れてこようか」
「あ、…マグナス…」
お腹が痛いのなら暖かいものがいいだろう。言って立ち上がるマグナスを少し寂しそうに見上げるナマエに、今度はマグナスが苦笑いを送ると、傍に置いてあったブルークロスを彼女が擦っている下腹部辺りにそっとかけた。
「すぐ戻るから。…他に何か欲しいものはある?」
「う…えと…じゃあ……飲み物はいいから、腰、擦って…?」
遠慮がちに上目使いで自分を見上げるナマエに、腹痛なのになぜ腰なんだという質問を飲み込んで少し照れたようなしぐさを見せたマグナスはそっと微笑むと軽く頷いた。
寝転んだままでも大丈夫だと言ったマグナスを余所に、座った方が楽なのだと微笑むナマエの腰にそっと触れる。お気に入りだと以前彼女が言っていた桃色のパイル地のパジャマの感触が気持ちいい。俯いているせいかうなじを避けて彼女の甘栗色の髪がするすると落ちていく。心配そうに寄り添っていたレオは今はマグナスとナマエの間で何やら遊んでいるようだった。
時折ナマエのパジャマ越しに爪を立てるレオに若干の苛立ちを覚えたナマエだったが、そのたびに可愛らしい声を上げてしっぽで腕に触れるしぐさにやられてしまう。
「…うー…ごめんね、マグナス。…こんなこと、させちゃって…」
「これぐらい気にしないでくれ。少しは楽?」
「ものすごく楽です…。うーー…でも今だけ腰取ってしまいたい…」
どうにも辛そうなナマエの様子は変わらない。楽だと感じてくれているのならよかったのだろうと思いながら、それでももっと何かないのかとマグナスはもう片方の手でゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「………マグナス…」
「…いたくない、いたくない…」
体操すわりで腕に顔を埋めた状態のナマエが少しだけ顔を上げると、彼女の視線に気付かず真面目な表情でそう呟きながらマグナスは自分の腰を擦っていた。
思わず吹き出しそうになるのを堪えながら、パジャマ越しに感じる大きなマグナスの手とその温もりに目を細めながらナマエは静かに「ありがとう」と呟いた。聞こえないだろうと思っていたそれは、どうやらマグナスにしっかり聞こえていたようでさっきまで真面目な表情だった彼は「いたくない」と呟くことはやめなかったが、表情を緩めてそっとナマエの腰を擦り続けた。
意識しちゃってください
(いたくない、いたくない…)
(…どうしよう、笑っちゃいそう。かわいい…)
お題提供:確かに恋だった