早朝の肌寒さの残った風がダンテの頬をかすめては消えていく。
スラム街の荒んだ空気の中一人歩くダンテを横目に何やらぼそぼそと話している見るからに胡散臭そうな人間たちを無視して進んでいくとすぐ人気がなくなって、その代りにそこだけ荒んだ空気は一切しなくなる。
朝日の差し込むその場に静かに佇んでいる教会は何処かいつもよりも静かだった。
なんの躊躇いもなく教会に足を踏み入れたダンテは背負っていたリベリオンを出入り口で下すと壁に備え付けられた専用の場所にそっと乗せた。
リビングに続く長い廊下を歩くが、いつもどこからか足音を聞きつけて飛び込んでくる子供たちの姿もなく静まり返った教会内にダンテは首を傾げた。
リビングへ続く扉を開けてようやく聞こえてきた子供たちの声に安堵のため息を零したダンテは胸を撫で下ろしながら「よ」と短く声をかけた。
「あ!ダンテ!ナマエ、ダンテだよ!」
誰よりも素早くダンテに気付いたノアが他の子供たちの隙間からひょっこりと顔を覗かせると一目散に走ってきた。
「仕事終わったの?ダンテ!」
「ああ、ついさっきな」
両肩を持ち上げて悪戯っ子のようにニカっと笑ったダンテはノアと視線を合わせるようにしてしゃがむと、ノアもつられて同じように笑った。
そんな彼らを気にも留めずにわらわらと子供たちは何かをぐるっと囲んで熱心に手を動かしている。
「ノア、さっきまでお前ら何してたんだ?」
「あのねー」
「あ、あ!だ、ダンテ!いらっしゃいダンテ!ごめんなさい。朝食の準備がまだ出来ていなくて…」
「いや、それよりナマエ、お前どこにいんだ…?」
子供たちに埋もれるようにして真ん中に座っているのは分かるが肝心の姿が見えない。ハニーブラウンの髪がちらちらと見えるが、本当にそれくらいで彼女自身を確認することはできない。
「だんてー、ナマエならほら、ここここ!」
「お、さんきゅー」
丁度ダンテの正面に居たノアと同じくらいの年頃の少女が身体を横に移動して微笑むとそこから申し訳なさそうにはにかんで床にぺたんと座り込んでいるナマエの姿が見えた。
右手には愛用のブラシを持って一体何をしているのだろうか。とりあえず子供たちの間を縫ってナマエの傍まで近付くと子供たちのぬくもりだろうか、そこはほのかに暖かかった。
「…で、何してんだ?」
ナマエの傍に行ってみてわかる。彼女のハニーブラウンの髪を彼女を囲んでいた子供たちが少しずつ束にしてそれぞれのブラシでそろそろと梳かしていた。
「その…髪が絡んでしまいまして…」
「髪?」
ハニーブラウンに輝く髪はきらきらと朝日を反射しているせいでよく分からないが、彼女担当の場所を見せてもらったダンテは思わず「なるほど」と呟いた。
一体どうしたらこうなるのか、と言うほどに絡んでしまっている。まさに"鳥の巣"だ。
「いつもはこんなことないんですけど、昨日お風呂上りに本を読んでいる間に寝てしまっていたみたいで…」
「朝起きたらこうなってた、と…」
「うう、恥ずかしい所を…」
しゅん、と小さくなっていくナマエの姿に思わず笑みが零れる。―――しかし、それにしてもこんな大勢でナマエを囲む必要はないだろうに。
彼女から視線を上げたダンテはぐるりと自分たちを取り囲んでいる子供たちの様子を見てみると、彼等はそれはそれは楽しそうにこにこと明るい笑顔を浮かばせていた。
「みんな率先してやりたいって…順番で髪を梳くって言うことで落ち着いたはずなんですがいつの間にかこんなことに…」
「はは…」
くいくいと頭を引かれながらも気持ちよさそうに微笑んでいるナマエにダンテも思わず子供たちの手から逃れたナマエのハニーブラウンの髪に触れたくなって手を伸ばした。
するするとダンテの手から滑り落ちるハニーブラウンがきらきらと輝いている。ふと、何かを思い立ったように立ち上がったダンテはパン!と大きく手を叩いた。
「よしお前ら!動けないナマエの代わりに朝食作ってやろうぜ。ちなみに俺は仕事帰りで疲れたからナマエの隣にいる」
「えー!だんて手伝ってくれないの!」
あちらこちらから上がる不満の声に自分の両耳に突っこんで「あー、聞こえないー」と返したダンテはその場にどっかりと座り込んだ。
「お前らが作った朝メシくいてーなー。…なぁ、ナマエ?」
「…ふふっ、そうですね。わたしも皆が作ってくれるごはん、食べたいです」
ダンテの言わんとしている事をすぐに理解したナマエは若干頬を桃色に染めながら胸の前で両手を合わせるとにこりと微笑んで見せた。
子供たちの作るご飯に興味が沸いたのも事実で、「ね?」と彼女が首を傾げた瞬間子供たちはやる気のスイッチが入ったのか一斉にキッチンへと駆け出した。
ばたばたとリビングの上を駆ける子供たちの足音の中に、いつの間にか起きてきていた教会内で一番年上の少女の叫び声が聞こえてきた気がする。
これなら少しの間キッチンへ向かわなくても大丈夫そうだ、とナマエに体ごと向き直ったダンテが悪戯に笑いかけた。
「なー、ナマエ?」
「ふふっ、はい。ダンテ?」
「俺ナマエの髪やりたい」
ナマエの手に握られていた櫛をやんわりと奪うと表情は崩さずにハニーブラウンの髪を指さしたダンテに、ナマエも少し首を傾げるとにっこり微笑んで「じゃあお願いします」と頷いた。
きらきらと陽の光を反射しているナマエの髪は腰を通り越してお尻のあたりまで伸びている。いつだっただろうか、ベッドで一緒に寝転がった時に一束掴んだダンテをそういえば彼女は「じっと見たらすごく痛んでるから…」と言って止めたような気がする。
櫛がするするとすり抜けるそれに思わずダンテはため息を零した。心地良い程度に香る石鹸の香りは洗濯の香りだろうか。
「…うーん、でもやっぱり切っちゃおうかなぁ…」
「え、なんで!」
「さすがに長すぎますし」
ぽそりと吐き出したナマエの言葉に思わず反応したダンテが手に持っていたブラシで彼女の髪を梳かしながら眉間に皺を寄せる。
いつものダンテの事だから「いいんじゃねーか?」と返ってくると思いきや、思いがけない反応に思わずナマエの瞳が見開かれた。
「…なあ、切るの毛先だけにしないか?」
「…………ふふ、どうしよっかなぁ」
「あっ、こら!ナマエ!」
「ふふっ!…じゃあ、なんでそんなにこの長さがいいんですか?」
ダンテが自分の今の髪の長さにこだわるのが珍しくて悪戯っぽく笑って聞くと照れくさいのか頬を染めながらガシガシと後頭部を掻いたダンテは変わらずナマエの髪を梳いている。
「お前の髪が目の前で揺れてるのなんかすげー好きなんだよ」
恥ずかしそうに、けれどまっすぐ自分を見つめるアイスブルーのダンテの瞳に思わずナマエが真っ赤になった顔を隠すように俯いた。
「………やだもう」
「な、なんだよ!」
「ダンテそういうこと、ほかの女の人にも言うんですか?」
「言わない。ナマエだけだ」
「…もう、…ばかダンテ…」
ゆっくり真っ赤な顔のまま顔上げたナマエの頬に触れたダンテがにんまりと笑みを浮かべると顔を近付ける。すぐ隣のキッチンからは子供たちの楽しそうな笑い声が響いている。それから少女の叫び声も。
窓から差し込んだ陽の光に目を細めたナマエの瞼に唇を落としたダンテに照れくさそうにはにかんだナマエがゆっくりと瞳を閉じた。
両手いっぱいの愛を君に
(これからもこんなことお前以外に言わねーよ)
(ふふ、なら安心です)