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この気持ちに名前をつけるなら、(時勇者の影)


「………どうしよう」


だだっ広いハイラルへ平原の丁度南の位置に広がるハイリア湖畔にて。ナマエは目の前に広がった光景にどこから出てきたのかわからないほど情けない声でそう呟いた。


「起こしてあげるべきだろうか…」


真っ黒な衣服と、銀に輝くその髪はゆらゆらと穏やかな風に遊ばれて心地よさそうに揺れている。それに群がるもふもふとした真っ白で柔らかな生き物。

ここに立ち寄る前に、とロンロン牧場に立ち寄っていつの間にか仲良くなったマロンから絞りたてで新鮮な牛乳の入った籠をもらってきたのだが、あまりの光景に手から滑り落ちそうになってしまった。せっかくの牛乳を台無しにするわけにはいかず、ゆるゆると生き物たちが驚いて逃げ出してしまわないようにとその場に置いた。

相変わらずもふもふと触れば気持ちの良さそうな生き物たちは静かに寝息を立てている真っ黒なそれの上に乗ったり、銀の髪を咥えてみたりと実に羨ましい光景だ。

近付いたら驚かせてしまうだろうか。恐る恐る近付いてしゃがむが、彼らは気にも留めずにそれの周りをぴょこぴょこと跳ね回っていた。


「一体どこからやって来たのかな…」


すんすんと鼻を引くつかせてそれに群がるうちの一匹がナマエへと興味を示して近付いてきた。可愛らしくてついついにやけてしまうが、この状況で今まさに気持ち良さそうに眠っているそこの真っ黒い服の彼が目覚めてしまったらどうしようか。

気持ち良さそうに眠っているその顔に、起こさないように出来るだけ息を殺して自分の顔を近付けて見る。端正な顔に思わずごくりと喉が鳴ってしまった。

切れ長の、鋭い真紅の瞳を目蓋が今はしっかりと蓋をしているがそこから伸びる長くふさふさとした睫毛は日の光を浴びて頬に影を落としていた。銀に輝く髪はさらさらとすべらかで、柔らかそうで。思わず手が伸びてしまいそうになる。

大した手入れもしていないだろうに綺麗なその髪と肌に妬けてしまう。寧ろ日々積み重ねている手入れなど本当はしなくてもいいのではないかと錯覚してしまうほどだ。


「…どこから見ても綺麗だもんなぁ…」


起きている間はいつも眉間にそれはそれは深い皺を寄せているが、本人が寝ている間は休憩中のようだ。あどけなさの残るその寝顔に思わずナマエの表情もほころんだ。


「…まだ、わたしとたいして年齢は変わらないもんね」


ぽつりぽつりと薄い唇から吐き出される彼の過酷な今までの記憶。彼自身人間ではないという話を初めて聞いたときは、普段ナマエが彼から若干軽くあしらわれているせいか冗談半分の作り話なのかとも思ったが、見たこともない真紅の瞳に食べ物をあまり受け付けないその体に、その他諸々。辻褄が合ってしまうのだ。

彼がたまに話してくれる話が嘘ではないと確信できて嬉しい反面、無性に泣きたくなってしまいたくなる。

今となっては伝説の存在である時の勇者をただ倒すためだけに魔王ガノンドロフから作られたこと。ここハイリア湖の奥深くに眠るとされている"水の神殿"でひたすらひとりの時間を過ごしたこと。そして、待ちわびた時の勇者に破れ、水中深く眠りについていたこと。

ざっと言葉にすればあっという間。けれど、その時間を生きた彼は一体どれほどの思いを抱えていただろうか。


柔らかく穏やかな風が吹き上げる。

ナマエの髪と同時に、銀色のその髪がふわりふわりと遊ばれる。はっきり見える彼の穏やかな寝顔がダイレクトに視界に飛び込んだ。


「………っ、!」


これは、余計なことを考えてしまったからだ。


「……どうして…、」


幾度となく生暖かい涙が頬から顎へ伝っていく。目の前の彼に落とすまいと必死で拭った服の袖が次第に冷たくなっていく。

彼は未だに起きる気配はない。そういえば、見た目に似合わず寝ぼすけだった気がする。彼の顔を見るために俯いているからだろうか鼻に違和感を感じて起き上がろうと地面についている右腕に力を込めた時だった。


「なんで泣いてんだよ」
「……―――っ!!」


ぐっすりと寝ていたはずの彼は薄目を開けてまっすぐナマエを見つめていた。真紅の瞳と目が合って、思わず息を呑んだ。


「ご、…ごめんなさい。ち、違うの。これはその、ごみ、が…」
「…んなわけあるかよ。そんなくらいで落ちるくらい涙が流れるか」
「キ、キミは普通の人よりちょっとだけ…あ、あちこち強いから…そう言えるだけなんだよ!」
「なんだよそれ」


普段より柔らかい優しい彼の声が引き金になったように、ぎゅうぎゅうとナマエの胸を締め付ける。次々と溢れてくる涙を何とかごまかす為にぐいぐいと袖で目元を拭っていると、ゆっくりと上半身を起こした彼がその手を掴んだ。

さわさわと心地良い風が二人の間を駆け抜けていく。濡れた頬が冷えて少しばかり気持ち良く感じる。少々強引に腕を掴まれたせいか大きく見開いたナマエのくりくりとした丸い瞳がやっと彼をしっかりとその瞳に映した。


「あんまり擦ってると赤くなるぞ」


もうだいぶ赤くなってるけどな、と付け足した彼は少々バツの悪そうな表情でナマエから視線を逸らした。気付けば、傍を飛び跳ねていた白くてふわふわした生き物たちの姿はなくなっていた。


「…ほら、もう泣くなよ」
「な、泣いてない、もん」
「はいはいわかったから」
「信じてない!これはゴミなの!ゴミ!キミが急に起き上がったりするからゴミが入ったの!」
「…俺が起き上がる前から泣いてたじゃねーか」
「……―――っ!」


ずびずびと鼻を鳴らして出来るだけ擦らないように、零れた涙を拭き取っては抗議していたナマエががばりと顔を上げてまるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべていると、たまらず彼が盛大に噴出した。


「ははっ!お前、何だそのカオ!」
「う、煩い!ちょっと間違えただけじゃない!」


いまだにくつくつと肩を震わせて笑っている彼に恨めしそうにナマエが目を細めて睨み付ける。当然だが、そんなことなど気にも留めていない彼はすっかりツボにはまったらしい。

ざぷん、とハイリア湖の水が跳ねた音がする。日の光を反射してキラキラと輝いている水面はまるで宝石のようでとても綺麗だ。…それと同じように光に当たって光る彼の銀の髪もまたとても綺麗だと睨みながらナマエは密かにそう思った。

そこまで笑うことないじゃない。ひとしきり笑い終えたらしい彼のタイミングを見計らってそう言ってやったが、彼からの反応はなく、代わりに少しごつごつとした指がナマエの目の前を横切った。

使い古した見慣れたグローブが見えて、それが彼の指なんだと気付くのに数秒かかった。


「涙、止まったな」
「……そう言えば、」


僅かにナマエの涙で濡れた彼の指先が遠ざかっていく。ありがとう、そう言おうとして視線を彼の指先から持ち上げると先程寝顔を覗き込んでいたくらいに彼の顔が近くなっていた。

慌てて体を離そうとしたナマエだったが、そうはさせまいとすぐさま首を掴まれてしまった。


「ちょっ…………!?何して……!」
「笑ってる方が、お前はカワイイよ」
「…………!?」


見たことも無いほどの優しい笑顔。こんな顔もできるのかと一瞬思ったが、今の自分の状況を飲み込んで一気に全身の体温が上昇し始めた。

開いたままの口は塞がる様子もなく、ぱくぱくと金魚のように口を動かすだけで声すら出てこない。

そうこうしている間にゆるゆると数回ナマエの頭を撫でた彼は何も言わずに立ち上がると、くるりと身を翻してみずうみ博士の家に向かって歩き出した。



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