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とりとめのない小品

溶かす男の話

仲直り中
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 でき得る限りの穏やかな声音でおいでと囁けば、隆之の身体を凍らせていた魔法が溶けていく。ちらりとこちらを見て再び逸らされた瞳に浮かんでいたのは俺に縋る色。そんな目をしてまだ意地を張ろうとするところが、愛しくて、煩わしくて、苛立たしい。
 手のかかる奴。
 ふぅと小さく息を吐けば、隆之の呼吸が微かに乱れた。俺の一挙手一投足に全神経を集中させて緊張しているらしい。いじましいと言うかなんと言うか。そのひたむきさをもうちょっと違うベクトルに傾けたらいいだろうに。妙に器用な癖に、おかしなところが不器用な奴だ。

 逸らされた視界にも映り込むように手のひらを差し出し、もう一度、おいでと囁く。
 さあ、早く。俺だって気が長い方じゃない。そんなに優しい訳じゃない。ただ、お前がそんなだと楽しくないだろ? せっかく恋人と一緒にいるんだから居心地良く過ごしたい。一緒にいるんだから、一緒にいなきゃできないことをしたい。二人して黙り込んでジリジリと時間が過ぎていくなんて馬鹿げている。

 酸欠に喘ぐように隆之がすぅと息を吸い込むと、長い時間をかけて薄く隙間の空いた唇の間からそれを吐き出す。それに合わせて揺れる体と、伏せた瞼の上できゅっと力が入った眉間を見つめながら、ただ待つ。子供や動物にやるのと一緒で根気良く。
 見つめる先の瞼が何度か瞬いて、差し出したままの俺の手のひらに隆之の指先がちょん、と触れた。少しひんやりとした指先の位置が移動して、互いの手のひらが重なる。その瞬間にギュと握りこめば、じわりじわりと力が込められてゆき、同じ強さで握り返された。その手を軽く引いて胡座をかいた俺の膝の上にまたがるように誘導する。
 なんの抵抗もなく従う隆之の顔には安堵の表情が滲んでいて、そんな顔をする位なら初めから意地を張らなきゃ良いのにと呆れてしまう。
 俺の肩口にぐりぐりと顔を擦り付けた隆之が自分の体をそっと密着させてきた。触れた所から移って行く体温でやっと氷が溶け切ったらしい。隆之の額が乗ったその辺りを深く満足げなため息が温めた。

「……言いたいことは?」

「……ない、よ」

 この期に及んで、まだ言うか。
 面倒臭い恋人の背中をさする。

「じゃあ、なんでむくれてたの」

「むくれて、ない」

「俺にはむくれるように見えた」

 完全に機嫌が悪かった。理由は分かってる。言いたい事があるなら言えばいいのに。

「よっちゃんが悪い訳じゃないし」

「じゃあなんで怒ってんの」

怒ってない。と肩の辺りに熱い息がくぐもる。

「仕事だから、仕方ないじゃん。分かってるもん。言ったってしょうがないし。どんなに言ったって状況が変わるわけじゃないから」

「うん」

「……でも、さ」

「うん」

「でも……楽しみに、してた、からっ。さ。……前から、約束、してたのに。……ずっと……ずっとだよ。行きたくて。やっと。」

 と鼻を啜りだした隆之の頭を撫でて、その髪を梳く。
 そう、その程度の文句、言ってしまえば大したことじゃない。止むを得ないとはいえ俺の都合で約束を反故にしたんだから謝る位はする。
 勿論一度は謝っている。それに対して仕方ないねと笑った隆之が馬鹿なのだ。頭では分かっていても、感情までは誤魔化せない。ロジカルになりきれない中途半端なお子様。

 グシュグシュと水っぽい息が部屋着を濡らす。
 甘えベタでその癖人一倍甘えたがりな恋人の涙。

「隆之」

 名前を呼べば気怠げにもたげられた顔にキスを落とす。塩辛い、キス。
 甘やかすのは嫌いじゃない。むしろ普段からもっと素直に甘えたらいいと思う。素直に、だ。自己完結の末こじれさせた感情は隆之を頑なにさせる。かちこちに凝り固まった隆之は憎らしいほど可愛くない。

 今夜はたっぷりと甘やかしてやろうと心に決めた。
 どろどろに溶かしてやる。その身も心も。

 隆之が心の底から望む通り、その望みを口に出来るようになるまで。


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