まものの心
二寸の恋心B
01

 王城の居住区にあるその部屋の扉がやや乱暴にノックされたのは夜更け過ぎの事であった。物は少ないが趣味の良い内装のその部屋は元は数ある貴賓室の一つなのだが、魔界の重鎮でありながら領土を持たない変わり者が長年にわたり占拠している。
 来訪には向かない刻限であるにも関わらず、応えも待たず不躾に自ら扉を開けた北方将軍ハイルはその緑色の瞳で、ソファから中途半端に腰を浮かせた間抜けな状態の部屋の主を睨め付けた。

「偉くなったものだな、宰相殿」

 怒れる獅子の咆哮に、勿体ぶって姿勢を改めた宰相キノは丁寧に頭を下げる。改めて言うまでもなく、宰相は偉い、だろう。しかし、いくらキノだとてここでそれを口にしない程度の弁えはあった。
 気難しいこの魔物を不躾に呼び出したのはキノである。ここ魔王城、上るものに優しくない作りをしている。どういう仕組みなのか、手練れであっても城への移転魔法が使えないのだ。つまりハイルははるか北の大地から一度城下町まで移転し、ここまでは文字通り足を運んでくれたということ。この暴言は当然あって然るべきで、七割以上の確率で招待に応じてすら貰えないと思っていたのだ。そのキノの思いの他、急ぎ駆けつけたハイルの対応はキノを歓喜で打ち震えさせこそすれ、皮肉ですら腹をたてるどころか耳を甘くくすぐるばかり。キノに近付こうともせず依然部屋の入り口で仁王立ちに佇むハイルは、腕を組んで隆々と波打つ筋肉を惜しげも無く見せつけてくる。何という絶景であろうか。にへらとキノの口元はだらしなく緩みきっていたのだが、彼の代名詞でもある頭から深くかぶった真っ暗なフードがそれを覆い隠してくれたのは、双方にとって幸いであったに違いない。

「突然お呼びたてして申し訳ありません」
「詰まらぬ要件ではあるまいな」
「……さて」

 それはどうであろうか、とキノは言い淀む。すわ一大事と、慌てて書簡をしたためハイルの元に送り出したは良いのだが、はたと我に返ってキノも思ったのだ。これは誰にとっての一大事であっただろうか、と。
 キノの身に降りかかったことではあるが、さて、それで日常生活にどのような不便があるか言えば、特に困ることはない。仕事に支障をきたす事もない。つまり瑣末な事柄なのである。
 だがしかし、一大事、には違いないとキノは思うのだ。
 大股にキノに歩み寄ったハイルは華美な誂えの便箋をテーブルに叩きつける。香が練りこんであるのか、焚き染められてあるのか、仄かに香りが立ち昇った。なめらかで厚みのあるその一揃えは魔王に押し付けられた一品で、キノの好みではないがありがたく使わせて貰っている。とはいえ、親しくする魔物もいないキノは今回初めて活用したのだけれど。

「火急の相談事があると、乱れた筆致で寄越してきたのは貴様だろう。勿体ぶってないで言え」
「すみません。──実は」

 ひときわ低い唸り声は抑えられたものであったけれど、その剣幕がキノの頭を包むフードを震わせた。その下で、便箋を縁取る金の複雑な模様を、微笑みを浮かべた視線でなぞる。キノは焦らしているつもりはない。ただ、決心がつかなかっただけなのである。ハイルを不快にさせるのはキノの本意ではないのだから。

「……!!!?」

 頭を覆っていた真っ黒なフードを貧弱な青白い手が落とすと、そこに現れたある意味馴染み深い顔がランプの光に怪しく照らし出された。ハイルなどはすっかり記憶から消し去っているのではないかとキノは疑っているのだが、紛れもない、在りし日の、己の、姿である。不気味で醜悪と自他共に認めるあの姿。色の悪い肌。飢えた子供のような見すぼらしい体躯。その上に乗った頭は大きく歪に膨らみ今にも中身が弾け飛びそうで見る者に危うい不安感を抱かせる。
 
「……大丈夫ですか?」

 呼吸すら忘れた様子でキノを凝視するハイルを気遣う。


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