One years ago 6



今日もまた曇り空なんだろうか。たまには晴れた空を見せてくれないだろうか。リゼンブールの美しい空までは望まないから。
エドはベッドから体を起こす。もう一度寝直す気分にはなれなかった。眠気はどこかに吹っ飛んでしまった。こうやって時間が空くのが一番困る。自分にはする事がない。
「……何すればいいんだ」
呟いた声は、起きたばかりのせいで掠れていた。水が飲みたいと思ったが、結局何も口にしなかった。面倒くさかったからだ。銃でも磨こうと、裸足のまま机に向かう。床に落ちていたコートの中から、重い鉄の塊を取り出す。

アルの体を取り戻す前、セントラルの廃屋で化け物に襲われた。少しでも助けになるようにと、中尉に銃を渡された時、怖くて受け取りたくなかった。
例え脅しでも相手に向かって撃つ事などできないと思った。
甘くて甘くて、自分の有様には反吐が出る。回りの大人達は相手をするのが嫌にならなかったのだろうか。わからない。彼らは変わらず今も優しいからだ。

机の上に銃を置く。パーツを分解して、再構築する。錬金術と同じ原理だ。この時間が早ければ早い程いい。目を瞑ってでも組み立てられるまでには腕を上げた。それでもまだ足りない。
軍の実技訓練に積極的に参加して体術、射撃精度。そういった技術を手に入れても、まだだと貪欲に思う。
錬金術の研究なんてしていない。無駄だからだ。集めた文献も何もかも、地方の図書館に寄贈してしまった。手元には一冊も残っていない。
アルから送られてきた手紙だけは取っておいてある。手紙は全部で十一通ある。これだけが大切な持ち物だった。何を書いていいかわからなくて、一回しか返事を出さなかったら来なくなってしまった手紙。きっと呆れたんだろう。
いつでもここを始末できるように、なるべく物は持たないようにしている。ベッドや机はここの備品だ。空っぽな部屋は少しだけ休む為のもの。

そうして待ち望んだ夜明けが訪れ、エドは身支度を整え、総統府に出向いていった。罪が知られる日まで、この生活は続いていく。
総統府へ到着した途端、さっそく呼び出しを受けた。午前中は訓練が入っていたから、そういった事に時間を取られるのが惜しかった。
大方、昨日の年寄りかと思ったら、相手は意外にもマスタング少将だった。

自分の今の立場は微妙なものだった。端から見たら彼の錬金術師であるのだが、公的には直属の部下ではない。むしろ、なれないと言ってもいい。
身柄を直轄府で押さえられているからだ。それがブラッドレイの遺言。さすがあの男は滅んだ後でも、ろくでもない事をしてくれる。
昨日の老人はブラッドレイの腰巾着だった。錬金術を操る事はできないが、知識だけは持っている。その二つがあってか、やけに自分に粉をかけてくる。
レポートを見られたのは失敗だったかもしれない。昨日からどうにも引っかかっている。そんな心配事一つ抱えた上でのロイの呼び出し。

内容をまだ何も聞いていないのに、心臓がどくりと鳴った。陽の当たる場所で彼に逢うのは本当に辛い。心の内に潜めた嘘や、気持ちがいつ知れてしまうのかと気が気ではない。
襟元や袖、髪と身なりを整えた後、執務室の扉をノックする。中から入室を許可するロイの声が聞こえた。
エドは目を伏せたまま中に入る。声がかからないのでふと顔を上げると、ロイは窓際に立って外を眺めていた。
その背中を見て思う、ここにいるのは夜中、営倉にやってきてくれた男ではない。
ロイ・マスタング少将だ。己の立場をわきまえた方いい。そうしてロイは振り返って、自分を真っ直ぐに見つめてきた。
視線が合うのは避けたい。エドは再び俯いた。
「まずは復帰おめでとう。昨日の夜は驚かされたよ」
自分がいた事に気づいていたのか。あんな風に見るんじゃなかったと、今更ながらに後悔した。ありがとうございますと一言礼を述べた。

それからどうにか口元を上げて笑ってみせた。笑みに見えたかどうかもわからない。自分がきちんと笑えているかどうか確かめる事などできなかった。
ロイは声を荒げたりはしない。怒っている時はむしろ優しげな声を出してくる。そして目が恐ろしく冷たい。ここまで彼を怒らせるような真似を、自分はしてしまったのだ。
「私が驚いた理由を話そうか」
ぜひとは言いたくなかった。嫌な予感がする。
「何を」
ですかと付け加えるのを忘れた。こういった場にあっては立場を弁え、敬語を使うべきだとわかっているのだが、昔の癖がいまいち抜けない。
自分は口の利き方も知らない生意気な子どもだった。彼がそれを咎めた事は一度としてなかった。旅をしていた、四年間ずっと。
「君を見たからだ」
ロイの声に、俺もだ、俺もあんたをずっと見ていたと、エドは心の中ではそう答えた。
ドレスを着た女たちは皆あんたに夢中だった。若手のエリートにとってあんたは憧れの的だし、老人共にとっては憎い標的。そして俺にとってあんたは誇りであり、星だ。
そんな事でも考えていなければ、ロイの叱責に体が竦みそうだ。

「前に言っただろう。あの老人に近づくなと。聞いていなかったのか」
「俺を営倉から出してくれたって、言うから……。いえ、言ったので、逆らえませんでした」
途中で言い直す。言葉に気をつけろと、エドは己に言い聞かせた。
営倉での夜、そばにいなくて寂しいと言ってくれたロイの声や、頬に触れてくれた硬い掌は、いっそ自分の幻だったのではないかと思った。違う、今はそれとは関係ない。
自分はロイの忠告に従わなかった。だから叱責を受ける。これは当然の成り行きだ。
ただ、あんな男でも媚を売っておけば利用価値があるのではないか。さすがにそこまでは言えなかった。ロイに軽蔑されたくない。彼の中では自分は旅をしていた頃の、幼い子どものままだろうから。
「そんな事でいいなら、幾らでも叶えてやる」
彼の言葉に息の根を止められそうだ。エドはとっさに顔を上げて、彼を見つめた。今のは聞き間違えか、否か。
「叶えて欲しい事があるなら私に言ったらどうだ、昔のように」
二の腕をとられて、引き寄せられた。あまりに近しい距離に動揺した。表情が取り繕えない。素の表情を出すのは怖いのに。何を知られてしまうかわからないから。
「叶えて欲しい事なんて、そんな」
ロイの言う昔の通りなんて叶うわけがない。
自分は直轄府の人間でしかなく、ロイの錬金術師では本当は、ない。しかしそれは言えない。いつか知られてしまうだろうけれど、それは今ではないのだ。

俺の顔色はきっと最悪だ。真っ青に青ざめているに違いない。
「君を閉じ込めてしまいたい」
ロイは最後にそう囁いて、腕を離してきた。彼の中に潜む焔は突如燃え、そして消えた。
エドは呆然とロイを見返すしかできなかった。意味がわからない。頭が混乱する。あの男に助けられた事が、そんなに駄目だったのだろうか。
「閉じ込めてしまいたい」と言われた。一体、何を試されているのかとエドは怯えた。自分の心を知っているのか、それともこの嘘を。
一度不安になると駄目だ。舌が回らない。息が乱れる。
「やめてください」
どうにか敬語を使う事ができた。やめてくれ。後少しだけ、そばにいさせてくれ。
「やめてください、どうか」
この場に崩れ落ちそうになる足を叱咤する。一刻も早くこの場から逃げ出してしまいたい。
それしか正気を保つ手段はないように思えた。


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