Walk along 1



銃身を迷いもなくエドは己のこめかみに押し付けた。鉄の錆びくささが鼻につく。
肌に伝わる銃身の冷たさが、これが夢でも幻でもなく、確かな現実であるのだと思い知らせてきた。ボディチェックが甘くて、助かった。この地位も幸いした。ここまで連れてきた下士官は、少佐相当官に当たる自分の地位を慮って、拘束という形を取る事ができなかった。

表向きは茶会に誘うかのように丁重だった。馬車でも用意されているのではないかと思う程。官舎の扉をノックする音。誰なのかわかっていて、エドは扉を開けた。
「鋼の錬金術師にお越しに頂くようにと受けて参りました」
下士官は五人、訓練はそう受けていないように見えた。足がつかないようにステイラーは、こんな新兵をよこしたんだろう。
逃げる事も可能だった。しかしその場限りの手段など用いて何になる。逃げれば彼の立場が悪化する。
だからここまでおとなしく招かれた。総統府の奥である、この部屋で己の命を絶つ為にだ。そして今こめかみに銃をつきつけている。



総統府は増築を重ねて、中は相当入り組んだ作りになっていた。地位が上がる程に奥の部屋をもらえる。理由は暗殺を防ぐ為に。
その一室。緋色の絨毯が敷かれ、飴色の円卓が置かれていた。美しい花瓶には、朱鷺色の薔薇が生けられていた。鑑賞している余裕はない。
老人が寄り集まって、三人。内一人が自分の秘密を握っていた。まさか仲間にばらすなんてルール違反じゃないかと、心の内で毒づく。脅迫にルールもクソもないとわかっている。

どちらが相手の息の根を早く止めるか。それだけがゲームのルールだろう。自分は相手に心中なんて、イカサマを仕掛けようとしていた。それが叶わなかった今、こちらの負けは決定だ。
脅しをネタに呼び出され、居心地の悪い部屋に立たされている。その地位を保っていたいのであれば、陣営を乗り換えて、マスタング少将を告発しろだと。「冗談か?」と聞き返したくなるのを、エドはあえて堪えた。
キング・ブラッドレイの腰巾着たち、隻眼の男は滅んだというのに、過去の栄光が忘れられないらしい。

不老不死にいまだ憧れている間抜けな男に、弱みを知られた。俺こそ間抜けで馬鹿だ。鋼の錬金術師の名が聞いて呆れる。
銃を目にすれば、さすがに老人達もおちおちと座ってはいられない。エドが胸元から鉄の塊を抜いた途端、椅子が倒れる音が床に響いた。肉塊がよくぞ、すぐに立つ事ができた。感心する。

「気でも狂ったか、エルリック少佐」
まさか。この場にいる誰よりも冷静なつもりだ。何せ、これから儚げにでも見える演技をして、死ななければいけないのだから。そうそう取り乱している暇はない。
もしこのまま尋問されれば、いつかは全てを喋らざるを負えない。直轄腑を欺いてきた罪は、後見人である彼に降りかかる。
それだけは避けなければ。
尋問に耐える覚悟ならばある。しかし覚悟だけでは続かないのが人間の体。いつかは限界が来るだろう。薬物訓練も受けていない、自白剤でも使われたら、一発でおしまいだ。
老人たちは醜悪な顔に似合わず、甲高い悲鳴を上げてきた。

さっきからうるせぇな。自分達が撃たれるとでも思っているのか。よく見ろ、銃なんて向けていないだろう。銃口は自分の額に押し付けているだろう。女みたいに騒ぐなよと、エドは心の中で毒づいた。
どうせこれが最後だ。声に出して言ってもやっていいくらいだった。
ロイの邪魔をする事だけは避けなければ。彼は何も悪くない、本当だ。それくらいなら、この命を捨てた方がましだ。銃を奪われないよう、早く引き金を引いてしまえ。

エドは迷いなく安全弁を下ろす。硬い音が耳元に響いた。
指にかけたトリガーを引けば、銀の銃弾が自分を打ち抜き、一瞬で終わらせられる。毒薬なんて、まだるっこしい手段を取ってはいられない。
大切な者が、自分の死を見取るわけではない。銃弾で打ち抜いてしまえ。顔なんてわからなくなった方がいい。無残に終わるのが相応しい死に様だ。

祈りの言葉など唱える必要もなかった。だいたい、そんなものは一つとして覚えていない。昔、母の眠る棺の前で唱えたきりだ。涙に暮れる幼なじみと、その祖母がいた。
そして弟が隣に。
二人手を繋いで、雨に濡れそぼった。老婆が家で暖かいココアを入れてくれた。泣かないでと励ます幼なじみの頬にこそ涙があった。
泣くつもりなどなかった。自分を支配していたのは悲しみよりも、必ず母を甦らせるという決意だったからだ。百年も前のように感じられるが、あれからまだ数年しか経っていない。

そうだ、自分はまだ少しの時を生きただけだ。それも今終わりを告げようとしている。
目の前の男達は、口々に囃し立てる。まるで小鳥のようだ。
警護の人間が駆けつけるまで、後もう少し。自分達が傷つかないように、時を稼いでいるつもりなのか。扉の前にその向きの下士官を置かなかったのは、自分たちの密談を知られたくなかったから。
「馬鹿な真似はやめたまえ、頼む。少佐」
心臓は痛い程に脈打っている。体温は凍りついたように冷えている。
ただし手は震えてはいなかった。だから平気だ。醜態を晒しはしない。彼の名誉と、自分の誇りに賭けて、ここで死ななければいけない。
「さあ、銃を。こちらに渡したまえ」
手を差し出してくる。それを見ながらエドは静かに首を横に振った。せいぜい殊勝な顔を作って、それを印象づけてやれ。

泣きそうな顔と震える声で、エドは切々と訴える。
「マスタング少将は、何もご存知ありません。そして自分は彼の錬金術師である事に誇りを持っています」
この命で、それを証明してみせる。
「銀時計を持つ資格があるのかと疑われては、もう。生きてはいけません。身の潔白は命に代えて」
これくらいでいいだろう。他にもう言う事はなかった。エドはきつく目を瞑る。暗闇が落ちてくる。指先に力を篭めた。次の瞬間、自分は終わるはずだった。

扉が開けられる激しい音、自分を取り押さえる為に、警備の人間が駆けつけてきたのか。違う、その中にロイがいた。どこで聞いてきたのだろう。
撃つ事を数瞬ためらったのは、彼の声を聞いてしまったから。
「鋼の!」
自分の銘を必死で叫ぶ男の声。そんな声を出すなんてあんたらしくないと言おうと思ったが声にならなかった。
これは幻聴に過ぎない。例え本物であっても振り返る事は許されない。振り返って、不用意な一言でも漏らしたらどうなる。撃て。早く。

撃てっ。
その瞬間、エドは指にかけたトリガーを一気に引いた。ロイの声を聞き、動揺したせいで、目測が外れた。
一撃で終わらせるはずだったのに。遠のいていく意識の中、床に零れるおびただしい赤い血を見た。こだまする老人たちの叫び声を聞いた。
それから一人、闇へと落ちていった。


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