One years after 1



嘘をついた。懺悔など許されない、償う事などできやしない嘘をついた。決して騙してはいけない大切な相手を欺いた。この罪は消えない。
全てを忘れたのだとしても罪の証は、この額に刻まれている。




アザミ、白つめ草。咲き乱れる花を編んで冠をつくろう。幼なじみへ渡すのだ。薄金の長い髪に花冠はさぞかし映えるだろう。
そしてもう一人の大切な女性へ捧げよう。丘に眠る自分の母親へ。
彼女はずっと前に病気で亡くなったのだそうだ。何も覚えていない、笑みも声も。写真で見る彼女は優しそうだった。せめて安息の眠りを守りたい。誰もその眠りを妨げる事のないように、毎日天に祈っている。
朝の光と共に目覚め、羊を離し、その合間に花を摘み墓に捧げ、また羊を追って、一日の終わりに夕餉を弟と幼なじみと囲む。星を見て、明日も晴れる事を願って眠る。
それが自分にとっての日常だった。
明日も明後日も、一年後もそんな日々が続いていくものだと信じていた。陽が昇り月が沈むように。不変のものであると信じていられた。
あの男に再会するまでは。




リゼンブールは丘に囲まれた中にある小さな村だった。おかげで羊を飼育するには、すばらしい環境だ。
ここで取れた羊毛は評判がいい。それに高い値がつく。夏が終わる頃、羊毛の刈り取りが始まる。金が入ったら、弟と幼なじみ二人に何かプレゼントしようと考えている。
エドは丘の中腹に座り込んでいた。ここを上っていけば、死者の眠る墓がいくつかある。その中のひとつに母親が眠っている。
下を見ると、羊の群れがあった。それを追う黒い点は牧羊犬だろうか。ここからの景色は小さくて、ままごと遊びのようだった。
穏やかな景色を目にしてエドは我知らず、口元に笑みを浮かべた。

今日は雲が多い。さっきから太陽が出たり入ったりの繰り返しだ。吹く風は、花や草の匂いを含んでいる。
初夏になろうとしている今、草は豊かに生い茂り、緑の絨毯が広がっていた。座って寝転んでも痛くなくて、気持ちがいい。
今日は少し早く帰ってきて欲しいとアルが朝に言っていた。
何かあるんだろうか。夕食は弟の当番だから、手伝ってくれという事なんだろうか。そんな事でいいならいくらでも手伝ってやる。
まだ太陽が沈む気配はない。あの陽が傾いてきた頃に、家に帰るとしよう。これから丘を上って墓に行かなければいけないから。
さっきから座り込んで、花を摘んでいる。本当はウインリィに花冠をつくってやりたかった、しかし編もうとしてもやり方がわからなかった。

何日か前に教えてもらったというのに、もう覚えていない。それを悲しむ事もなかった。自分は記憶を長い間、留めておけない。二人はそれを気にする事はないと言ってくれた。
何故そうなったか聞いた事はない。昔からその兆候があったのか、それとも何か事故でもあったのか。
でも俺にはアルとウインリィがいる。だから平気だ。不安に思う事も、怖れる事はない。そろそろいいだろう、両手いっぱいに花を摘む事ができた。エドは満足して手を休める。
少しここで涼んだ後、丘を上って墓に行こう。それから、羊の様子を見て。

太陽がまた雲に隠れたのだろうか。ふと視界が暗くなった気がした。何気なく顔を上げる。風が吹いて、エドの髪を揺らした。こめかみがあらわになる。そこには引き連れた傷跡が残っていた。草原に落ちるのは雲の影。そればかりではない、男の影が落ちている。
エドは目を細めて、相手を見つめた。影になっているせいか、男の顔がよく見えなかった。
長身に、黒い髪、暗い色をした服を身に着けている。喪服、ではない。黒ではなく、濃紺だった。
姿勢がいい。こんな田舎にいるような男ではないと感じた。

あの服、そうだ。軍服のようだ。だったらあれは軍人か。自分にはそんな知識がない、だが胸を貫くように予感が走った。彼が軍人である事は間違いないと思った。
エドは目を見開いて、手の中の花を取りこぼす。彼が軍人であるとわかった途端、恐怖感が心に湧いた。何故だか自分を裁きに来たのだと思い、狼狽する。
ちょうどその時、太陽が雲から抜けた。はっきりと男の顔が見える。
目が合った。
射抜くような強さで見つめてくる。鋭い視線。あの男は何者だ。こんなところに座り込んでいられない。エドは勢いよく立ち上がる。
恐怖感と罪悪感がない交ぜになって、心が乱された。男の視線からエドは背をそむける。
逃げなければ。彼は裁きに来たのだからと強く思った。逃げるといってもどこへ。逃げる場所なんてないのに。だいたい逃げてすむような問題ではないだろうと、もう一つの声が心に囁きかけてくる。それでも、ここにはいられない。
慌てて立ち上がったせいで、膝にあった野花が辺りへ散らばった。また後で摘めばいい。今は構うな。

エドは足をもつれさせながら、丘を下っていく。男を見ないように顔を伏せて。彼に捕まる前に家へ帰らなければ。安心できる場所は一つしかなかった。
丘を下ると、舗装されていない砂利道が一本あった。ぽつりぽつりと、家が立ち並んでいる。自分達の家はあの先だ。
丘からここまで大した距離ではないのに、息が切れた。編んだ髪が乱れて解けてしまいそうだ。走って家に行くまで、誰にも会わなかった。皆仕事へ出かけているのか。
ここには自分とあの男しか存在しないようだ。世界から全て人が消えてしまったような錯覚に陥った。
家の扉を開けて、大声で弟を呼ぶ。出かける時でも、鍵をかけた事はなかった。
「アル、アルッ!」
返ってくる声はなかった。誰かに修理でも頼まれたのか、どこかに行ってしまったようだ。それにデンもいない。アルが一緒に連れて行ったのだろうか。
アルがいないなら、ウインリィの家に行けばいい。彼女なら工房にいるはずだ。慌てて外に出れば、先ほどの男がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。

自分を追いかけてきた。心臓を掴まれたような感覚を覚える。体温が下がっていく。涙が出そうになった。
怖ろしくて、懐かしくて?
感情がかき乱されて、自分が彼をどう思っているのか、よくわからなかった。
エドは恐る恐る、視線を向ける。

端整な、その姿は幻のようでもあった。蜃気楼でも見ているのではないかと思ったが、男の足元には影が落ちている。死人ではない、生きている人間だ。
扉の端にぎゅっと掴まる。そうしなければ、指が震えてしまいそうだ。それどころか崩れ落ちそうだ。家へ入って鍵をかけようと思っても、足が動かず、影が縫いとめられてしまったかのようだった。


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