Say that you are here 3乗り上げた膝の上からずり落ちないように、ロイの両腕へ囲われた体勢のままでいた。 『やっぱり今のなし』と翻すわけにもいかず、そうなれば覚悟を決めるしかない。とりあえずロイの額に散った髪を、エドは左手で掻き上げた。 髪を上げると、彼も年相応の顔つきになるのに、普段は乱暴に散らしたままだ。 上げた髪はそのままに、額に唇を落とした。耳の縁にも、一度。次は、どこにしようか。そう考えながら、顔を上げると、ロイと視線が合う。 涼しい顔しやがって。 八つ当たりにも近い感情を抱きつつ、視線を外せない。迷っていると、ロイが顔を傾けて、唇を深く合わせてくる。 浅い呼吸になるのを止められない。 「…っ……ちが」 俺から、と言いかけ、薄く唇を開くと、遠慮なく押し入ってきた舌に蹂躙される。舌の横をねぶるようにされて、咄嗟に目を瞑ってしまった。 引こうとしても、いつのまにか後頭部に回った彼の手が、それを許してくれない。 息を継ぐ間もなく、心拍数が跳ね上がっていく。唾液を流し込まれれば、飲み込むしかない。こんな風にこの男の味を覚えさせられていくのか。 匂いも、体温も。何もかも。 奪われるように口づけられたことが嘘みたいに、最後は名残惜しげに離れていく唇。 ロイの掌で少しばかり乱暴に、唇をぬぐわれた。 「それで?この先はどんなことをしてくれる」 これで懲りただろうと言わんばかりの態度を向けられ、彼の意図がわかった、自分が降参するのを待っているんだ。 頬に添えられた掌。伝わってくる体温は冷たくて心地いい。からかい混じりの問いかけを投げられ、悔しくてたまらない。 「突然、どうした。君らしくないぞ」 骨ばったその手を振り払うように、エドは顔をそむけた。 「どうもしねぇよ、ここで終わりのつもりねぇし。俺」 どうやって先に進めばいいのかわからなかったが、ここでは絶対に引けない。最後の最後まで意地を張る子どもに、ロイは飽きることなく問いかける。 「何があったのか、私にもわかるように説明してくれないか」 頬の次には、髪に指を絡めてくる。 ――――言えるはずないだろう。 だいたい自分だってよくわからない。どうしたいのか。いや、それは嘘だ。胸の奥には確かな想いがある。 俺で満足すればいいのにという我が侭な想いが。 「何でもねぇ……」 「嘘をつくならもっと上手く言ったらどうだ」 「もうっうるせぇっての。いやらしく追求してんじゃねぇよ」 「……いやらしい」 さすがにロイも一瞬絶句せざるを得ない。一体この子どもは何を思って、こんな真似をして来た。 ろくでもないことを誰かに吹き込まれでもしたのか。ならば誰だ。思いつく限りの顔をロイは脳裏に浮かべたが、今回は見当がつかない。 まさか自分の噂が原因とは露知らずの大人、一名。 「とにかく。あんたの。す、好きにすればいいだろ?」 売り言葉に買い言葉というわけではないが、もはや後戻り出来ない状況だとエドは覚悟を決め、そんな言葉を吐いてしまう。 何だかおかしいところも多々ある気がする。こんなはずではなかったとも思ってしまう。心の中で後悔しても、言った言葉は戻らない。 ロイはため息をついて、髪に絡めていた指を、頬から顎へゆっくりと伝わせていく、そうしてエドの首に掌を回して来た。 何を、されるんだろう。 エドは上がりかける肩を必死でこらえる。弱みは見せたくない。背を強ばらせたまま、ロイの次の行動を待っていると、彼は眼を眇め、計るような眼差しを向けてくる。 この顔つき、自分がいつ逃げ出すのか疑っているんだ。 ……何故こんな顔をされなければいけない。人の決死の覚悟を何だと思っているのか、この男は。身を引こうと、ロイの肩を押し返す。ついでに腰に回っていた片腕も引き剥がそうとしたが無理だった。 これはまずい。 大佐はきっと良くないことを言ってくるはずだ。エドは嫌な予感に襲われた。 どんな皮肉を落としてくるか。覚悟していたエドにとって、ロイの唇からこぼれた言葉は、予想外のものだった。 「泣かないか?」 いや、無理だなと独り言めいたロイの言葉を聞く。どこからそんな発想が出てくるのか。 「何で俺が。泣くわけねぇだろ」 馬鹿じゃねぇのと喚いても、目の前の大人は引いてきやしない。 「子どもの言葉は信用ならん」 「なっ……何だ。それ。俺の言うことだろうが!」 それこそ自分の台詞だ。どこまで彼の言葉を、行動を、信用すればいいのか、図りかねているのに。 貸し借りなどなくても叶えてくれるのは、一体どうして――――本当はわかっている、その理由を。 「私のどこが?信用出来ないというんだ」 「全部だ、全部!」 膝の上に乗り上げたような状態で、どれだけ喚こうが、説得力の欠片もない。 第三者が見れば、何をじゃれついているのかと呆れただろう。 たわいない会話を続けていると、気が抜けた。正直な所、ほっとした。ロイに何をされるのかわからなくて。けれど言った手前引っ込みがつかなくて。 一気に緊張感が崩れて、そうなってしまえば、いつものペースだ。 ロイはもう一度、頬に落ちていた金の髪を梳いてやる。エドはむずがゆそうな顔をするだけで、拒むことはない。 今はこの程度の触れ合いで十分だ。 もしも手を出して泣かれた上、避けられるようになったら、どうすればいい。それくらいなら待った方がましだ。後少しくらいなら、どうにかなる。 「君に嫌われたらどうしていいか、わからんよ」 芯から想いだったが、エドがどれだけ信用してくれるかあやしかった。それでも尚、信じて欲しいと願った。 わずかでも隙を見せたら、喉元を食いつかれるような軍部の政争を生き抜く男の言葉とは、到底思えない。 散々、醜聞を流してきたくせに。上等だと、そう言われるくらいには、整った顔をしているくせに。 どこまでが本心で、どこまでが嘘なのか。 軍服の襟元を掴んで、エドは下からロイの顔を覗き込む。 「嫌われたらって……あんた、俺に好かれてるみたいな言い方すんな」 「そう来たか」 「自惚れじゃないって心ん中では思ってんだろ、大佐」 「私がそこまで図々しい男なものか」 「じゃあさっさとこの腕外せ」 腰に回った腕を指して、試しにそう告げる。 「聞けないことを。他のことだったら幾らでも叶えてやる気はあるがね」 さあ、我が侭を言って私を困らせてくれなど、いちいち言う言葉が余裕に溢れていて癪に障る。このまま防戦一方で終わらせるつもりはない。 反撃は素早く、迅速に。それが軍略のセオリーだ。 「ていうか何で俺が泣くのが前提なんだよ。まず、そこはっきりさせようぜ」 ロイとしても、はっきりと答えれば怒りを買うことになるだろうと予想はつく。これは何と言ってはぐらかそうか。卑怯な大人は心の内で策を練る。 けれど次に、エドはふてぶてしい笑みを見せて来た。 だって。と一度そこで区切った先、どんな言葉をくれるのか。 「俺があんたのこと泣かせるかもしれねぇだろ」 言い切った後、黒髪をもう一度、両手で掻き上げてやる。指先から崩れ落ちる感触が気に入っていることは、ずっと秘密。 訝しそうな顔を見せる大人を、これからどうしてやろうか。ただで済ませてはやらない。 今に見ていろとばかり、晒された額、目元の横に口づけを落とし、顔を覗き込んで視線を合わせる。 「すごいことして、泣かせてやるんだからな……っその内」 頬を赤く染めながら、そう付け足してくる辺り、一体いつになることやら、まだまだ先の話だろう。 一瞬だけ眼を見開いて驚きの表情を作った後、ロイはゆっくりと笑いかけてくる。 「それはそれは楽しみだ。気長に待つとしよう」 そんな余裕なんてすぐに打ち崩してやる。エドは反論の言葉を口にせず、男の首筋にしがみついた。口元が緩むのを抑えられなかった。 上等すぎると形容された男は、自分のものらしい。 絶対口には出来ないけれど、あと少しだけ、こうしていたいと思っていると知ったら、卑怯な大人はどうするだろう? |