Kiss this 2「さっきの、匂いする。あんた以外の」 先ほどまでの甘い雰囲気とは正反対、金の瞳が睨みつけてくる。 こういった部分が、今までと勝手が違う。子どもなものだから、流されてくれないのだ。耐えられる限りは、成長を待ってやろうという気はあるが、頬への口付けくらいは許して欲しいというのが本音だった。 どこに置こうかと迷うように、肩に触れてくる子どもの右手。 左の手の平といえば、額に落ちた黒い髪をかきあげるように、たわむれに触れてくる。 顕わになるロイの整った顔立ちを、エドは見つめる。切れ長の鋭い両眼は、藍色を滲ませたような深い色合い。 黒髪はどこまでも濃青の軍服に映えていた。 計算されたような隙のなさ、文句のつけようのないというのは、こういうことを言うんだろうと思う。 それが子どもにとっては悔しくてたまらない。 「大佐なんて女の人にだらしなくて、それで足元掬われても知らねぇからな」 「君以外に誰が私を誑し込めると言うんだ」 「…っ俺がいつあんたをたらし込んだって」 「私が我が侭を聞かなかったことがあったか?鋼の」 「…っわがままじゃねぇだろ。取引だって大佐が言ったろうが!」 そんな憎まれ口を叩きながらも、本当はわかっているのだ。 見返りを求めるでもなく、研究機関の紹介状を書いてくれたり、通常ならば貸し出し許可が下りない中央書架への、認可を求める為の書類を作成してくれるのも、好意からだということは。 等価交換だとか貸しを返せだとか彼にはそう言って要求して来た。けれどそんなことを言わずとも聞いてくれるとわかっている。 だからといって『自分が彼を誑し込んだ』と言われるのは納得いかない。 口では今一歩敵わず、エドは歯噛みするしかなかったが、このまま負けるつもりもなかった。引いてばかりはいられない。 「そんなん言ってられるのも今の内だって胸に刻んだ方がいいぜ」 「それはどういう意味だ?」 「……すごいこと言って、あんたヒイヒイ言わせてやる」 そう告げた瞬間、ロイは左目を眇め、図るような眼差しを向けてくる。 「例えば?」 この時点で、ロイは子どもを相当に見縊っていた。 両腕を首筋絡められて、至近距離の中でエドからどんな言葉を聞かせてくれるというのか。 それは。 「本当は逢いたかった、ロイ。好きだし、一応愛してもいる。あんたのこと」 「……っ」 その瞬間、ロイは言葉を失い、あまつさえ動揺のあまり、エドを囲っていた腕を放し、落としてしまう所だった。 あまり感情が表に現れない顔が幸いしたか、災いだったかはともかく、ロイの動揺は表面上に限っては見て取れなかった。 内心どれだけ驚いたか。 とりあえず落としかけた子どもの体を、腕を組み、強く抱きしめる。 離さなくて良かった、まずは息をついた。 決して子どもの方からは好きだと言ってこないだろう。そう思っていた大人にとって爆弾を投下されたようなもの。 奇襲攻撃はどうやら大成功、大失敗? この男にとって自分は一番になりえないだろうけど、それでもやっぱり好きだったから。 今更でも何でも、言っておくべきだと、今回の旅の最中考えていたのだ。 良すぎる頭に叩き込んだマニュアルを、エドは繰り返す。 『シチュエーションは二人きり。声音は真剣に』 情緒の欠片もない十五歳。告白などする必要も、する暇もなかったので。実戦は今回が初めてだ。結果は推して知るべしといった所だろう。微妙に失敗。むしろ大失敗かもしれない。 参考にした本は、こんな展開にはならなかったのだが……。 どうせこの男のことだからいつもの調子で、それは光栄だとか何とか合わせてくると思っていたのに。 彼は視線をはずし、考え込むような態度。その頬に生身の左手を当てる、こちらを見てくれと促す為に。 「大佐黙ってねぇで、何かねぇの?」 なあ、ともう一度呼びかける。 「大佐」 先ほどまで薄い笑みを浮かべていたくせに、不機嫌な顔になるのは一体どうして。 対するエドにはさっぱりわからない。自分としてはそれなりに研究したつもりだったのだが。 「そんな心の篭らない告白などはいらんよ」 ようやっと口を開いたかと思えば、声には拗ねたような響きを宿っている。 何故、心が篭もっていないと言われるのか、こちらとしてはさっぱりわからない。 ロイは子どもの体を抱きかかえたまま、ソファまで歩み寄っていった。背をかがめ、エドを下ろそうとする。 不機嫌な顔を見せつつも、どこまでも丁寧に扱ってくる。ソファに降ろされて、離れようとする腕。 それを掴んで引き止めた。 「っ…ロイ」 今日は本当に珍しいことばかりが続く。 告白の次は、ファーストネームを口にすると来たものだ。 さすがにロイも一瞬眼を見開く。 だってわからない。 何が悪いというのか。その原因が掴めない。初めての告白だったというのに。彼が不機嫌になった原因が掴めたら、次はもっと喜ばせられるように言えるはず。 他に手段を知らない、子どもの切実さにあっけなく落ちるのは、目の前の男だ。 諦めたようにロイはため息をついてきた。髪を乱すように、かき上げながら、エドに視線をくれる。 「私をもてあそんで楽しいか?」 問いかけてくる言葉こそが、意外だった。それこそ自分のような子どもに対して言う言葉じゃないだろう。 相手は年の差を感じるばかりの大人、もてあそぶも何もないだろうに。もてあそばれているのは、きっと自分の方だ。 敵わないと思い知るのは、あんたじゃないのに。 俺なのに。 「何だ、そりゃ。大佐、ヘラヘラ笑ってただろうが、さっき。お、女の人に迫られて」 「私が?」 「嬉しそうにしてただろ。俺見てたんだからな」 そこでロイはようやっと納得がいった。 子どもが機嫌を損ねた理由は、やはりそれだったか。 そんな態度が見ることが出来たのも、初めてのこと。いっそ調子に乗ってしまいそうになる。 本音には、やはり本音で返すのが正しいだろう。 これこそが等価交換だ。 わかった、とロイは一言告げて。 「降参だ」 何を、と問いかけるべく、エドは口を開きかけるが、それを待たずしてロイの言葉をもらう。 「私も逢いたかった」 子どもを待ち望んでいたのは確かな事実だ。一番に願っていた。 目を見開くエドの隙をつくように、背をかがめ、先ほどは阻まれた頬への口付けを落とす。 「好きだという言葉では足りないくらいに愛しているよ。君のことを」 数分後に子どもが暴れだすのを見越した上で、ここぞとばかりに、甘い言葉を注ぎ込んでやる。 普段は告げることさえ出来ないのだから、たまには許して欲しい。 答えはまだ期待していないから、せめて言葉にするくらいは構わないだろう。 どうか、この気持ちが伝わればいい。 ロイの両腕に左右は囲われ、背後はソファの背が当たり、エドの逃げ場はどこにもない。 どうしようかと焦り出す子どもの表情が、カウントダウンの始まり。頬の辺りに落ちた金の髪を一房掬い取り、そこにも口付けを。 心の内で、九、八、七と数え出す。額にも掠るように口付けて。耳元でその名を何度でも甘く囁く。 そうしてゼロを迎えた次の瞬間。 案の定、この恥知らずだの、インチキ大佐だの、大暴れしてくる子どもの機嫌をどう直そうか。 それすらも楽しみなのだから、重症だという自覚は十二分にある。治る見込みのない恋に落ちたことも。 手離せるわけがないという想いの強さを早くわかってほしい。 「ところで何を聞けば、許してもらえるのかな」 「もういいっ。もう何も言ってくんな。あんたは!俺の前で」 「口を開くことを許してもらえないとは。私の心がどれだけ傷ついているかわかるか?鋼の」 「絶っ対!わざとやってるだろ!傷ついた顔なんて作んな。何でそう性格悪いんだ」 「やめてほしければ、君からのキスを」 第三者がいれば、見ていられないと声を上げただろう。つくづく他人の恋路には関わらない方がいい。 ありえない偶然も、たまにはある。信じられないような不運が襲うことも、たまにはある。 しかし災い転じて福と為すと言った格言も、世の中にはあるのだ。 今日はまさにそんな日。 差し引けばきっと幸運な日。 告白も、名を呼んだ声も、大切に覚えているから。 |