Phantom ship 7



「嬉しいな。思った程、私は嫌われていないと自惚れてもいいか」
「駄目だ、自惚れるのはなし!むしろ自粛しろよ」
罵倒するような勢いだというのに、それでも嫌いと口にしない理由を知りたい。
「それは聞けん」
喉奥からの笑い声をエドに聞かせて、腕を伸ばしその肩を囲う。細い背、小さい肩。女とはまた違った脆さのある体。痛いと声を上げてくるが、そこまでの力を篭めたつもりはない。
回した腕を緩めれば、どうやら剣帯の留め具が当たって痛かったらしい。
そうだ、まだ渡すものがあった。留め具は銀でできている。名を聞き、年を尋ねた。他にも知りたいことはある。次はこれを渡すとしよう。
至近距離。エドの顔を覗き込み、再び問いかけた。
「さあ、私に仇を討つ理由を教えてくれ」
「理由……」
エドが理由を話す為にねだってきたのは、金貨でもなければ宝石でもなかった。

あんたの仇を討つ理由を聞かせてくれたら、俺も話すと。
それが等価になるだろうと、挑戦するような目つきで返してくる。
二人の間に落ちる、少しの沈黙。
そうしてロイは左目を覆った黒布を剥いで、露わにした。
濃藍の両眼で、子どもを見つめればわずかに怯む気配。口元、薄く笑みを浮かべて、望む答えを紡ぐ。
「言ったとおりだ。あの男を殺さなければ、私は命を絶たなければいけない」
顔を隠す理由は、二つ。海軍時代の自分を見知っている相手もいるだろう、配慮。
そしてもう一つは――――――。
左目のその傷はどうなっているのと問うた女に告げた言葉は嘘ではない。見たら呪われてしまうかもしれないと、答えたのだ。

何故ならこの目につけられたのは人柱の印。呪いの証。表面上は何も変わりないが、時折痛みを与えてくる。
誰にも晒さなかった目を子どもに見せる気になったのは、きっと自分が両の目で相手を見たかったからだ。
見開く子どもの眼差しは混ざり物なしの金。本物を溶かし込んだような色は、他に見たことがない。くり抜いて飾りにしてもいいと思った程に美しい、今はその眼に口吻けてみたい。
一体どんな味がするのだろう。まだ夜は始まったばかり。

月が沈み海から陽が昇るまで時間はある。理由を話して、それから試してみるのも悪くない。男に言った通り案外いいかもしれない。
愉しい時を過ごせそうだ。





呪われたのは、嵐の夜だった。
腕を伸ばして己の手の平を見ようとしても見えない。空と海の境目などつかない。そんな昏い夜だった。
昼に穏やかな顔を見せていた海は、夜になると表情を変えた。気まぐれにも程があるだろうと軽口を叩く気にもならなかった。
飛礫のような雨に、人さえも吹き飛ばす強い風。船が沈まぬように指令を下している中で、最初に聞いたのは切り掛かってくる剣の音。自分も反射で腰の剣を抜いた。
立ち向かうには気づくのが遅かった。それが自分達にとっては命取り。夜に嵐。それらを味方につけて海賊は、自分達の船に急襲を仕掛けてきた。
この波の中どうやって船を転覆させず、横につけたのか。先も見えない暗闇も、海賊にとっては何の障害にもならないらしい。
夜目が利くにも限度があるだろう。
いぶかしく思う間もなかった。大粒の雨に当てられ灯火は消え失せて、敵か味方かもわからない。轟々と吹く雨と風に紛れ、聞こえるのは部下達の悲鳴。それに混じる敵の嗤い声だった。
高らかに己の勝利を確信している海の狼。
雨のせいで、眼もろくに開けていられなかった。
柄を持つ手が滑る。落とせば最後だ。見えないまま、気配だけを頼りに相手の剣を防ぐ。これで何人殺したのか、しかし相手の数が減った気がしない。
荒れ狂う波を受け、甲板は水に浸かっていた。マストのきしむ音が聞こえる。このままでは船も沈み、全滅するしかない。

司令官として部下の命を預かった責任があるというのに。最優先に護るべきは彼らの命だった。
しかし血に飢えた海賊にとって皆殺しが掟。命乞いも効かない。捕虜など作るような面倒を彼らは持たない。
疑問は幾つもあった。闇の中にあって、何故こうも敵と味方を的確に見分けてくる。
一体どんな魔術を使っているのか。それとも海の亡霊でも相手にしているのか。そんな愚かなことを考える程、体は疲弊していた。
息が切れる、乱れる呼吸が耳障りだった。本当に化け物を相手にしているのかもしれない。幾らかは討ち取っているはずなのに、その手ごたえが感じられない。
そうして自分達の限界を見計ったかのように、唐突に攻撃が止んだ。

相手方の船にランタンの火が灯り、幾つも揺れる。闇の中、突然の光に眼が眩んだ。
敵である海賊達は下卑た嗤いを浮かべていた。
彼らの様相はおかしかった。纏う衣服だけがずたずたに破けて、何年も時が経ったかのよう。幽霊船という言葉が一瞬頭に浮かんだ。
「この艦の司令官は誰かね」
嵐の中であっても、朗々と響き渡る男の声。どこにいると眼で探す。せめて顔でも見てやらなければ気が済まない。自分達を死に追いやろうとしている男の顔だ。
ロイが一歩足を踏み出そうとしたその時、部下である男が横から突然腕を掴んできた。
「……っ行かないでください!司令官を差し出して助かったなんて、国に帰って言えるわけないじゃないっすか」
誰かと思えばハボックが必死で留めてくる。お互い酷い顔つきだ。軍服も風雨と相手の血を吸い、汚れてしまっている。死に損ないの有様に苦笑が湧いた。
――――――まだ生きていたかと、つかの間の安堵を覚える。
「そういうわけにはいかん」
どの道行かなければ全滅は免れない。わずかな機会にもすがって交渉に持ち込んでやる。諦めるつもりはなかった、生き延びる方法を最後まで考えなければいけない。死が訪れるその瞬間までだ。それが人としての義務だった。
波と血で汚れた甲板を行く。転がっている死体は、どれもこれも軍服を身に着けていた。心の内、部下達の為に十字を切る。

自分を呼び寄せる狙いは何だ。
皆の前で首でも刎ねるつもりか。もしくは司令官を楯にして、国と何がしかの交渉をするつもりか。しかし自分は血筋がよくない。
あいつらは私の為には動かんだろう。
心を落ち着ける為に、議会の男達の顔などを思い出してみた。
剣は置いていきなと海賊達に野次を喰らい、鞘ごとその場に投げ捨てると固い音が立つ。まだ懐にナイフがある。
ここで死ぬわけにはいかないとただ強く念じた。
傍で見た男は年は五十半ばと言ったところか、隻眼だった。風格と威厳がある。何故海賊の首領などやっているのかと、いぶかしく思うような容貌だった。
男が持つサーベル、その刃も血で濡れていた。自分の部下の命を幾つ奪ったのか。
一つだけ残った眼が、闇の中爛々と輝いている。気圧されず、ロイは真っ向から見据えた。
相手のどこにも隙はない。この嵐は自分の味方になってはくれない。全てを攫うような波か。マストを焼く雷光が来ればいいものを。それは叶わぬ望みか。
他の者の命を救う手立てをどうにかして見出さなければといけない。
その為にも言われるまま、相手の前に膝を折った。跪くことを屈辱とは思わない。跪いて助かるというならいくらでも頭を垂れてやる。
首元に鋭い剣を当てられた。
雨よりも冷たい刃の感触。次の瞬間、振り下ろされるのを覚悟した。



「……命って、どういう意味だよ。相手を殺さなきゃ死ぬって」
子どもの声にロイは我に帰った。
ここは港の売春宿の一室で、相手にしているのは年の離れた子どもだ。今年で十六になるというなら自分とは十四、差があるわけだ。
同じ夜であろうとも大違いだった。あれは過去の思い出でしかない。
けれど欠片たりとて忘れず覚えている。嵐の激しさを。失った多くの部下の顔を。そしてこの目に刻まれた呪いを。
結局はあの時、刃を当てられておしまいだった。いくらかは皮膚が切れたが、呪うにはこの剣で触れればいいと、それだけ。
隻眼の男を仇に持つという子どもに、自分の理由を話してやる。もちろん全てではなく断片をだ。自分が提督であったことまでは関係ないのだから。


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