Beauty and Beast 5



「君が来てくれたんだ、今日くらいはいいだろう」
この分では、おそらく夏の休暇も取れずに終わる。すべきことは山積みだった。
司令官たる自分は、休暇であっても有事に備えて、司令部に数時間以内で戻って来られる場所にいなければいけない。そんな中、エドが逢いに来てくれた。傷つけないよう、リゼンブールに帰す義務がある。
「だったらいいけど。あの書類すごかったよな」
「まあ、それもどうにかなる」
自身の印章を使うのだから、人の手を借りるわけにはいかない。
無理をしなければいけない時期というものがある。今がそれだった。

後、数時間で日付も変わる。月は皓々と輝き、中天を目指し、昇っていく。大通りには家路を急ぐ者や、酔客程度で、人が少なくなって来ていた。
食事を終えたのだから、次にすべきことははっきりしている。家へ連れていけとねだられる前に、エドをホテルに送り届ける。

「さあ、行こう。ホテルの部屋を取ったんだ。明日また逢うか、司令部に来てくれ。時間を取る」
こっちだとエドの肩を押した。数ブロック先の路肩に車を止めてある。
イーストシティにはいつまで滞在するのか尋ねると、エドは驚きを露わにした。
「ホテルなんて行かねぇよ。俺はあんたの家に行くんだ」
「私の家ではゆっくり眠れないだろう」
「はぐらかすな、同じ街にいるのに別々なんて意味ねぇ……っやっぱり浮気してたんだろ。それとも俺に飽きたのか」
浮気の次は、飽きると来たか。本当にその意味をわかっているのか。子どもの口から浮気という言葉が出ると、菓子か何かの名前のような気がしてしまう。
「……あまりはしたない言葉を口にするものじゃない。どこで覚えて来たんだ」
車までわずかな距離だ。
あれに乗せて、ホテルまで連れていく。住まいへ招けば、ここに泊まる、一緒に眠ると言い張るに決まっている。拷問は勘弁して欲しい。
「俺のこと子ども扱いするなって言ったろ。俺、十六だぜ。もう大人だ」
エドは目元を赤く染めながら、了承するまで一歩も動かないというように足を止めた。
岩のような頑なさとはこのことか。
ため息をつきたくなる。疲れのせいか、紳士たれと思ったそばから理性を揺さぶられる。望みを聞いてはならないと思う反面、面倒だと心に浮かんだ。
エドの相手をするのが面倒なのではない。説得という手段を取っていることがだ。
コートの襟口から覗く子どもの首は細く、白かった。女のような柔らかさはなくとも、その体温と声が与えられるなら満足出来る。

喉を動かしかけ、ロイは我に返った。
次いで、エドは制服の袖を握り締めてくる。
「……大佐のところに行く」
あんたが嫌がっても俺は行くんだとエドは言う。
「嫌がっているわけではない、恥ずかしい話だが散らかっているんだ」
とりあえずどんな理由でもいいから告げなければ。
数日、帰っていないので散らかっていたかも覚えていない。
「汚ないくらい何だってんだ、理由にもならねぇよ」
嫌だ、絶対に行くと、エドは言い募り、もはや自分に許されたのは承諾だけだ。

住まいに連れていく、それ以上は何もないと、ロイは自身に言い聞かせる。
大人とは言いがたいが、十二、十三の幼い子どもではない。もう十六だ。一年前とは違うと、おかしな声がどこからか聞こえ、背筋がざわめく。
「連れていけば満足するのか、私を疑うことをやめるか?」
「やめる、あんたのこと信じる」
抵抗しても端から無駄だった。結局、折れるしかない。十四下の子どもが誰よりも特別で、自分の弱みだ。 身を滅ぼしかねないほど想っている。





「大佐の車に乗るの、すげぇ久しぶり」
久しぶりとエドは言うが、まだ一年経っていない。前に乗せたのは、冬のセントラルだった。ずっと借りを返していくと、愛しい約束をくれたのだ。その前は――――もっと進んだことをしたいとせがまれて、家へ連れて行った時だ。今夜はどうなる……。
ロイはキーを差し込み、エンジンをかけて、車をゆっくりと走らせる。

エドは窓の方を向いていて、幼さの残る頬のラインだけが見えた。
胸の内で何を想っているのか。願わくば物騒なことでなければいい。
家に行くだけだぞと確かめると、大佐しつこいとすげない答えが返って来た。これではどちらが喰う側で、喰われる側かわからない。

街中から外れると、街灯もなくなり、夜の暗さが増す。頼りは月明かりだけだ。
エドに何か話しかけようと思いつつ、適当な言葉が浮かばなかった。
住まいは郊外にり、辺りに人家がない。連れ込んでしまえば、二人きりだ。しかも相手は錬金術も使えない、体術に優れているとはいえ、ただの子どもだ。思い通りにするのは簡単だろう。
誘惑を抑えようとするそばから、どこからか欲が湧いてきりがない。
一年前は怯える有様に、これ以上無理強い出来ないと理性で己を押しとどめられた。司令部へ逢いに来てもらえなくなる、それは嫌だと。

目的地まではそうかからなかった。ロイは庭先へ車を止めて、エドに降りるよう促す。
「なあ、新しいところに引っ越さないのか、司令部から離れてるし不便だって言ってただろ」
「そうしたいのは山々なんだが。まあ、我慢出来ないこともない」
「あんた面倒くさがりだもんな、直す気ねぇのかよ」
残念ながらと告げると、ダメ大佐だとエドは笑う。
住まいは、現在は大総統となった目付役の老人から譲られたものだ。こぢんまりとした邸の態を取っており、独り身の自分には不要な代物だった。
古いせいで、維持費がやけにかかる。だからといって捨てるわけにはいかない。
イーストシティにも隠れ家を持っていたが、暮らすだけの準備をしている暇はなかった。
どうせ越したところで、大して帰れないはずだ。
扉に鍵を差し込んでいると、エドがそれをじっと見つめて来るので、もらってくれるかと尋ねると、大佐がどうしてもって言うならと、可愛い声を聞く。
合い鍵を渡しても使う機会はないだろうが、持っていてくれるだけで嬉しい。

エドは検分するように廊下を見回し、居間を覗き込む。纏めた金の髪が揺れている。触れたいとロイは腕を伸ばしかけ、指を折って、それをとどめた。
「見るだけでなく、中へ入ってくれ」
「……ここって何か、埃くさくねぇ?」
散らかってはないけどと、こちらを振り返ってくる。
「司令部に泊まることの方が多くてな。君の言うような浮気をしている暇もない、これで納得してくれたか」
エドは頷きかけ、慌てて首を横に振った。
「来たばっかだろ。まだだ」
まだ駄目だ。俺に飽きてないか確かめるんだと言う。
「駄目か、それは困った」
飽きる日など来るわけがない、どうか分かって欲しいと願いを篭めてエドに告げると、袖を引かれた。

「あんたは口が上手いから、そう簡単に信じるわけにいかねぇんだ。そこに座れよ、大佐」
先にあるのは、ソファ。命じられれば従うだけだ。おとなしく腰掛けると、エドが目の前に立つ。
「君の言う通りに。これでいいかね」
司令部でも同じような立ち位置だった。目線が上になるところを気に入っているらしい、この程度で優位になったと感じる幼さが可愛らしかった。
腰を囲い、引寄せても文句は来ない。夜だから特別だと言うので、光栄だと笑いかけた。
エドの手で、髪を崩されていく。
「くすぐったい……」
「我がまま言うな、我慢しろよ」
諭す様に、つい笑みが深まる。しかし袖から覗く白さを目にして、心臓の脈動が速まった。
首も細ければ、右腕も細い。機械鎧と肌の継ぎ目にあった傷は残っただろう。他にもあるはずだ、唇と舌で全て辿って、癒やしてやりたい。
一体何を考えていると戒めようにも、欲求を完全に消すことが、どうしても出来なかった。
「……俺気づいたんだ」
エドは意を決したように口火を切る。ついに来たと、ロイは心の内で呟いた。
「どんなことを。教えてくれ」
有りもしない浮気を疑われ、次は何だ。自分にとって、良き結果をもたらしてくれるものとは思えなかった。今夜の望みにだけは、頷いてはならない。
エドは唇を開いては閉ざしと、迷う素振りを見せる。
これが例えば、宝飾品――――この際、土地や邸でもいい、高いものをねだりたくて言いづらいということなら、どんなにいいか。一も二もなく頷いてやるが、そうではないんだろう。
「あんたはさ。俺と、してないんだから、その……っ誰か他の人間としてるってことだろ」
俺気づいたんだからなと睨みつけられ、ロイは首を傾げるにとどまった。
頷いても否定しても、エドが怒ることは目に見えている。

口を閉ざし、真っ直ぐに見上げると、エドは頬だけでなく、目元まで赤く染めていった。直裁な言葉を口にしたことが恥ずかしいようだ。
「俺いやなんだ。だから。一年前はちょっと失敗したけど、今日は大丈夫だから」
あれをわずかな失敗だというのか。つい問いかけたくなったが、ロイはぐっと奥歯を噛み締めた。余計なことを言えば、藪蛇になる。
「俺も大人になったんだ、大佐が誰かにちょっかいかけてることくらいわかってるんだ」と腕を揺さぶられるがまま。

あの時、泣き止んでもらうまで、相当な時間が必要だった。
大切な相手に、もう嫌だとまで言われて自分が傷つかないと思っているのか。挙げ句に泣いていないと言い張るものだから、それにも従ってやっただろう。
幾らねだられようと、聞いては駄目だ。ここに連れて来るまで、何十度も心に繰り返したはず。
エドの望みに応えずにいると、腕だけでなく、肩まで揺さぶられた。
「早く頷けよ、大佐。黙ってるなんて卑怯者のすることだろ」


我がままで困る。そこが可愛いと思う自分にも困る。
ここまで振り回されても尚、嫌気は差さない。しかし我慢の限度というものがある。欲は未だ消えず、背筋の辺りでざわめいている。
あまり自分を都合の良い男として扱うな。
我がままを許しているのは、それだけ大切に想っているからだ。少しはこの心情を汲み取って欲しい。

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