Beauty and Beast 4



ロイと約束を交わし、エドは執務室を出ていく。振り返ると、彼は手を振り、見送ってくれて、ますます子ども扱いされている気分になった。
睨みつけると、あまり怖い顔をするなと笑いかけられ、夜に逢った時は覚えてろよと思う。
廊下に一人きり。この辺りは幹部クラスの人間の部屋が並んでいるので、しんと静まり返っている。
窓から入り込む陽射しのおかげで、室温は高い。
コートを着ていると暑いくらいだったけれど、後少しで外に出るのだから着たままでいよう。
大人びた格好をしたくて選んだのだから。

初夏の陽は長い。約束の時間の頃も、まだ夜の暗さを迎えていないはず。
そんな明るい時間に、ロイが司令部を出ることは可能なのか。しかし彼の方から提案して来たので、それについてはどうにかなるんだろう。
別棟に渡ると、ざわめきが戻って来て、文官たちの声が耳に入る。その中、顔見知りの人間がいて、「大きくなったなあ、もうすっかり大人じゃないか」と冗談混じりの声を掛けてくる。
全部とは言わないから、三割くらい、本当だったらいい。
だって大佐は俺のこと十二か、十三の子どもみたいに扱う。実際、彼の目にはそう見えているのかもしれない。

大佐って俺くらいの年はどんな感じだったのかな。
リゼンブールに来た時、今より年若かったけれど、彼は完成された大人だった。濃紺の正装、黒いコート、黒い髪、鋭い両眼に射竦められ、心を落とした。
俺のものだって言ってくれる大佐。特別に想ってくれていると伝わるけれど、いつまで続くんだろう。
そんなことを考えながら、エドは灰色の司令部を抜けて、門衛に挨拶して、坂を下っていく。大通りには店が並び、窓硝子に自分自身の姿が映っていた。
イーストシティに着いた時は早く彼の元へ向かいたかったので、余所見している余裕もなかった。
くすんだ色のトレンチコート、三つ編みをやめて、一つに纏めて。この格好なら、大人の店に連れていってもらえるのではないか。
三か月前までは赤いコートを着て子どもくさかったから、大佐も俺と一緒に歩くの、恥ずかしかったかもしれない。
でも今日は別だ。
背だって少しは伸びたし、顔つきも多分、大人びたはず。外見だけでも、ロイと釣り合うようになりたい。
出逢った時から、特別で上等な大人。聞き届けてくれないだろうと思いながら、好きだと告げれば、応えてくれた。
私も君が大切だと。

こんな幸運は他にない。
それじゃ俺たち両想いだよなと確かめると、少し驚いた顔をして、頷いてくれた。
付き合うとはいっても、十四上の大人からすれば、ままごと遊びのようなものだったはず。だから一年前、そういうことをしたいとせがんだのだ。
大人のペースに合わせようと思いつつ、ロイが見たこともなかったような顔をするから怖くなった。
髪を撫でる手の平の硬さ、首にキスされただけで、ぞくぞくしてもう駄目だった。怖いことなんてそうないのに、耐えられる自信がなかった。

嫌だと繰り返し言って悪いことをした。これでも反省している、ロイにはあまり伝わっていないだろうけれど。
いくらせがんでも、「あの時やめると言ったのは誰だ」と返されれば、黙るしかない。
どうすれば芯から彼を自分のものに出来るんだろう。俺の大佐でいて欲しい。
いっそ家の中に閉じ込めて、大佐のこと体も心もぐちゃぐちゃにして、本当の本当に俺のものになるかと問い詰めてやろうか。頷くまで外に出さないように、がんじがらめにしてさ。
出来るはずがないと、あの男は笑うだろう。皮肉気な笑みまで頭に浮かんだ。
幼なじみの言った通り、自分の頭で必死に考えなければ、いつかロイを誰かに取られてしまうかもしれない。


エドとの面会の時間を取ったおかげで、次の予定が押していた。ホークアイがノックの音と共に姿を見せる。軍議の為のレジュメにざっと目を通し、ロイは執務室を出た。
司令部内の軍議なら、有能な副官がそばについてくれている、どうとでも乗り切れるだろう。総統府ではこうもいかないが。
机に積み重なった書類の山には、一切手をつけられなかった。早急に決済が必要なものだけ明日の朝、片付けよう。今夜だけは残業するつもりはない。

廊下を歩きながら、ホークアイが話しかけてくる。
「エドワード君、元気そうでしたね。たった三か月で成長して」
子どもの成長は早くて驚きますと、涼やかな声が言う。その点では彼女と同意見だ。
幼いばかりだったが、顔立ちは大人びて来ていた。しかし純金の両眼で見つめられれば、これからも自分の庇護を必要として欲しいと脳裏をよぎる。出来るなら一生、とまで。
「ああ、右腕はまだ細かったがな」
ここでホークアイに告げておくかと思い、今日は七時前に司令部を出ると宣言すれば、「どうぞ、お好きに」とホークアイは頬を傾け、頷いた。
清冽な笑みの底で何を考えているのか。子どもにかまける様を愚かだと思っているのかもしれない。実際、愚かだ。
心を十四も下の子どもに捕らわれているのだから。

……そういえば、おかしなことを言っていたな。
自分の家へ泊まると、しかもその理由が浮気をしていないか確かめる為だそうだ。
来るのは構わないが、泊まらせるわけにはいかない。
二人きりになれば、一年前の続きをしようとねだってくるはずだ。出来もしないことを口にするなと返しても、なかなか諦めてくれない。
まず浮気というものが、エドにとってどんな定義なのか聞いてみたい。
三十の男に独り寝で耐えろというのか。それこそ無茶を言わないでくれ。
エドが司令部へ来たと聞いた時、無理難題を吹っかけてくる可能性があると思いはしたが、泊まるという言葉は予想外だった。

国が認めるほどの優秀な頭脳を持っている癖に、突拍子もないことを言い出す。
そこが可愛いが、年よりも純粋に出来ている子どもが浮気と口にするとは。
誰かに何か言われたか。エドの幼なじみの少女の顔がふっと浮かんだが、余所事はここまでだ。軍議に意識を切り替えなければいけない。
人が多く集まっているせいか、部屋の温度は高まり、暑いような気がした。
椅子に腰掛ければ、今日もイシュヴァールの議題から始まる。

暑さは錯覚ではない気がする。何気なく額に触れると、ふいに髪を崩したくなった。軍議の最中だ。我慢しろとロイは指先に力を篭める。
三十で准将など、国軍の中で自分一人だ。せめて外見くらい装わなければ、
いや、エドと夜に逢った時、更なる忍耐が必要になる。
最後の最後ではこちらが引くと思っているから、無茶を言うんだろう。

大切な子どもが相手だから、短気を抑え、理性ある大人の顔をつくっている。ただそれだけのことだ。
耐えることが段々面倒になって、本当に手を出したら、一体どうなるのか。
宝物のように扱いたいと思う反面、苛めてみたくなる。自分こそ幾つの子どもかと言いたい。いや、三十の男など子どものようなものだ。この年になってよくわかった。


夜の刻限となっても、太陽は名残惜しげに空に滲んでいた。ゆっくりと西の山際へ落ちていき、東から薄墨が広ががる。
月は昇ったばかりで、剥離したような薄い色合いだった。
日中はそれなりに暑かったが、夜は風が涼しい。
通りには濃紺の制服姿が目立った。司令部が置かれている街は、大抵こうだ。軍人が金を落とすことで街は潤う。それでも専制政治の賜物で、軍部は相変わらず国民の嫌われ者だ。なかなかやりきれない部分がある。

エドのリクエストは、自分が行くようなところだった。
未成年を連れて行っても不自然ではない場所、なおかつ大人が飲んでもいい店。
条件をクリアするのは難しいが、どうにかなるだろう。
待ち合わせた場所にエドの姿があった。トレンチコートに、左手に革のトランクと、司令部で逢った時と同じだ。
荷物を持っている、つまり泊まる場所を確保していないということだ。ホテルの部屋を取っておいたのは正解だった。
自分を認めて、エドは何かを確かめるようにうんうんと頷く。
食事が済んだ後は大佐の家へ行く、そして泊まるとねだって来るだろうから、それをどう躱すか、考えておかなければいけない。
「五時間ぶりだな、一日に二度も逢えて嬉しい」
ロイは子どもに向かって笑いかける、そうして大通りから路地を入り、一軒の店を選んだ。

エドはアルコールの類を絶対に口にしない、背が伸びなくなるからだそうだ。
「感心だ。その内、私も君に追い越されてしまうかもしれない」
褒めると、途端に睨みつけてくる。
「思ってもないこと言うなよ、ついでにいつまでも俺のこと子ども扱いするな」
大佐より大きくなるかもしれないだろとエドに腕を叩かれた。
今日はやけに大人と子どもという部分にこだわる。
ああ、そうか、自分の家へ泊まるつもりだからか。
家へ連れて行き、三十分程度、見物させ、ホテルへ送り届けるだけで済ませたいが、そう上手くいかないだろう。どう説得しようか、考えると頭が痛い。

支払いを済ませて、店の扉を開けると、さすがに陽も完全に沈んでいた。夜の帳に覆われ、街灯と月明かりが光源だ。
リゼンブールはイーストシティより、もっと日暮れが遅いとエドは食事の最中に言っていた。錬金術が使えなくなったけど、日常のことをこの手で行うのは面白いとも。屋根の修理だって出来たんだぜと自慢げだった。

外に出て、エドは振り返り、店の扉を見つめる。果たして本当に大人向けの店だったのだろうかというように首を傾げた。
少しずつ大人びて来ても、仕草は子どもっぽい。そこが可愛いと腑抜けたことが浮かんだ。司令部でも似たようなことを考えていたと気づく。
エドは何か言いたいことでもあるらしい、純金の眼がじっと見つめてくる。鋼の、と呼びかけそうになり、その言葉をロイは喉奥に閉じ込めた。
国家錬金術師の登録は抹消されたというのに、気を抜けば口にしまいそうだ。だからといって名を呼ぶことも出来ない。

「どうした、満足してもらえなかったか」
背をかがめて尋ねると、エドは首を横に振る。
「違う、何でもねぇよ」
文句をつけて来ないところを見るに、不満を抱いたわけではないらしい。
大佐と小声で呼んでくる。三か月前までは、その階級だった。今は違う。しかし子どもの声で呼んでくれるなら、何だろうと構わなかった。
「なあ、今更だけど、こんな時間に俺と逢って平気だったのか」
本当は忙しかったんだろ、俺だってそれくらいわかってるんだとエドはボソボソ呟く。
思ってもみなかった言葉に、ロイはわずかに目を見張った。

心配してくれる気持ちが何よりも嬉しい。逢っただけで気持ちが浮き立つのは、この子どもに対してだけ。
倫理も薄く、我慢も足りない。可愛い子どもを苛めたくもなるが、ここは紳士の皮を被ってやなければ。


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