Bird in a cage 4



「……っどうして、言ってくれなかったんだ。大佐だって。偽者じゃないって。俺の事騙して。わかんねぇよ……」
嗤うつもりがないと言うなら。どうして、とエドは繰り返す。他の言葉が思いつかなかった。
幼い子どもに戻ってしまったような態度。それが恥ずかしかったが、うまく取り取り繕えない。
どうして、とエドはもう一度呟く。
これじゃまるで大佐を困らせる為に言っているようなものだ。やめた方がいい。
思うそばから、大佐はずっと俺を騙していたんだ。大佐を取り戻せなかったらどうすればいいって、一年も怯えて暮らしていたのに。なのに俺の事騙して、あんな真似をして。悪いのは大佐だ。
「大佐が、悪いんだ。嘘ついてっ……俺に、あんな真似して」
「ああそうだ。君は何も悪くない」
優しい、慰めるような声。もう騙されるものか。けれど今度こそ本当なのかもしれない。
幾度裏切られても、この声を聞いただけで信じてしまいそうになる。彼との間に築き上げた数年間は、それ程に重かった。
感情が相反して、胸が苦しい。これからどうしていいかもわからなかった。

故郷の弟や幼なじみに逢う事もできず切り離されて、ロイしかそばに残っていない。その彼を憎めるのか。無理だ、それだけはできないという声がどこからか聞こえる。けれど、このままそばにいるわけにもいかない。
せめて離れなければ。離れてどこに行けばいい。リゼンブールに帰るのか。あれだけ帰らないと思っていた癖に、都合が悪くなれば逃げ帰るのか。
自分こそ卑怯だ。
故郷に暮らす大切な人達。自分は弟の顔を真っ直ぐに見られるのか?
きっと見られないだろう。それだけは、はっきりとわかった。彼を憎めない、そして恋情は未だ心にある。
涙は出ないと思ったが、また目に水滴が浮かんで、それがこぼれていきそうになる。彼の前で泣きたくはない。

ロイは泣かないでくれと甘い言葉で慰めてくれるだろうから。声に惑わされる、疑う事もできなくなって、結局信じてしまうに違いない。
水滴は頬を伝って、床に落ちていった。ぬぐう気力もなく、顔を上げたくなかった。ロイの顔を見たら、もう駄目だと思った。
「君の望む私は、違うんだろう」
慰めの言葉の代わりに。ロイから下されるのは、自分の今までの行いを思い知らされるものだった。
「……あっ」
そうだ。何度もロイを傷つけてきた。彼ならそんな事をしない。
偽者だと罵ってきた。ロイはどんな思いで聞いていたんだろう。それでも真実を明かさなかったのは。
自分を欺いた理由は?
「私はそういう真似がしたかったんだ。だから君を騙した、許せないのはわかっている」
今も触れたいと、その目が物語っていた。

ロイが腕を伸ばしてくる事はなかった。口づけてくる事もまた。二人の距離は依然開いたままだった。
今度こそ自分に選択権がある。
近づく事も、離れる事も。どちらでもいいと、ロイが委ねてくる。
自分はどうしたいんだ。頭が混乱する。わからない。答えられずにいれば、ロイがもう一つ道を示して来た。この男らしい冷徹な方法だった。
「憎いなら殺してもいい」
自分の前に、ロイが跪いてくる。
受け取れと言う言葉と共に、銃を差し出される。
自分を撃つつもりではなかったのか。再び促され、エドは拒む事ができず銃を左手に取った。慣れ親しんだ鉄の匂い、グリップの形。
弾丸は六発、官舎で篭めて来たんだ。こんなものを使って脅したところで、ロイには何の意味もない。

そして自分は引き金を引く事はできないと予感があった。結局は当たったのか。
今も引けない。エドは顔を伏せ、強く目を瞑る。手に取った銃を、床に置く。このまま指を離せば、それは彼を許すという意味になる。
激しい雨の音、轟然と吹き荒ぶ風の音が聞こえていた。
嵐はいつ止むのか。このまま止まずに永遠に続くような錯覚を覚えた。ならば夜が明ける事もないのかもしれない。そしてここに閉じ込められ囚われる。
初めての夜にも、そう感じた。この男に囚われたと。
銃は、まだ手の中にある。
俺が撃てるわけがないってわかっていて、言っているのか、それともあんたは本気なのかな。色んな事がわからなかったけれど、一つだけわかる。
ロイは、本気なんだ。
指の震えを抑えようとするが、上手くいかなかった。好きだと思うな、許すなと気持ちを抑えようとするが、駄目だった。
この男は何もわかっていないんだ。自分がどれだけ好きだったかなんて。

出逢った時に見せてきた強い視線、幼なじみやその祖母は慰めてくれたが、本当はわかっていた。どれだけの罪を犯したかを。
容赦もなく断罪してきたのは、眼前の男一人だ。そして手を伸ばし、助けてくれた。
司令部を訪ねる度に出迎えてくれて、無茶をしないようにと気にかけてくれるのが嬉しくて。彼は大人で、自分は子どもだから優しくしてくれるだけなんだと言い聞かせてきた。
ずっと好きだった。声も眼差しも、体温も。
全部。
憎む事もできなければ、離れる事もできなかった。殺すくらいなら、殺された方がましだった。

「あんたはいつだって酷い事を言う」
エドは諦めたように呟く。
「君が撃てないなら、私が代わりに撃とう」
貸すといいと、ロイは手を差し出してくる。銃を渡せと。その言葉にエドは目を見開いた。駄目だ。渡したら、彼は躊躇いなく頭を撃ち抜く。
「やっ……駄目だ、そんなの絶対嫌だ、駄目だっ!」
あんたが死ぬなんてと。考える間もなく、言葉がこぼれる。口にした自分も驚いたが、それが答えだった。何をされてもこの男を憎めるわけがないと、わかってしまった。
最低だと呟けば、ああと、ロイは答えてくる。そんな男を好きな自分も最低だ。
俺の事騙して。もう一度エドは呟く。君がどうしても欲しかったんだと、ロイが告げてきた。そして離したくなかったと。
だから刻印で欺いたのか。ウロボロスの印がある限り、自分は彼を取り戻す為に、そばにいようとするから。
全て彼の思うとおりだったのか。
「そんだけ最低だから、付け込まれて印つけられたんだ」
「彼も生き残ろうとしたんだろう」
「……っ大佐が死ぬなんて、絶対嫌だ。それにっ大佐じゃなきゃ駄目なんだ。他のヤツのふりなんて二度とすんなよ」
すまないと謝ってくるロイの声が、身の内に浸透していく。まだ言い足りない。こんなものでは足りなかった。
けれど思いつかない。思いつく言葉は、好きだというそれだけ。

大佐がそういう事したいって言うなら、俺は良かったのに。何だってしたのに。言えるわけがなかった。
ただひたすらロイを見つめる。黒とも濃藍に見える眼差しが、自分にだけ注がれていた。
「あんたを、ずっと取り戻したかった。……だからいいんだ」
大佐なら俺はそれだけでいいんだと、ロイに向かって告げる。
今度こそロイが腕を伸ばしてきた、触れてもいいかと尋ねてくる。もっと強引に触れてきた癖に。許しなんて請わなかった癖に。
今更だろとエドは照れ隠しのように笑う。どうにか笑えたと思う。ロイに左の手首を取られ、その内側に口づけを落とされる。
初めてキスされるみたいに、緊張した。
ゆっくりと離れていく唇、いっその事もっと触れて欲しかった。
もう彼に触れられる事に罪悪感を持たずにすむ。だって本当のロイなのだから。
俺の、大佐なんだから。

触ってくれなど言葉にしてねだれるはずもなく、エドは軍服の袖を引く。それに気づいたロイは、口元わずかに笑みを浮かべた。
「君を傷つけた罰は受ける」
「……罰?何だよ、それ」
ロイの腕で肩を囲われ、引き寄せられる。耳元すぐそばで、地獄に落ちるんだと囁かれた。
どんな顔をしているんだろう。怯えるように視線をやれば、ロイはどうしたと尋ねてくる。それはいつもの彼だった。
この言い方はロイの癖。自分を安心させたいと思った時に、そう口にしてくるんだ。頼み事かな、鋼のと続けてくる彼に、意地を張って、素直にねだれなかったけれど、ロイは全てを叶えてくれた。

「そんな罰嫌だ、二度と言うなよ」
嫌だと言ってばかりだと気づいた。つたない物言いが恥ずかしい。ロイは自分の言葉の全てに頷いてくれる。まるで昔に戻ったようだ。
「君がそう言うのなら。私は君のものだ」
何だろうと聞こうと囁く、低い声。
大佐が俺のだなんて嘘みたいだ。旅をしていた頃に、俺の全部をやるからくれよと告げたら、どうなるんだろうと思った事がある。

あの時はそんな言葉を口にすれば、おしまいだと諦めた。築き上げてきた信頼関係は、一瞬で壊れて軽蔑を受ける。そばにいたかったら、好きだなんて絶対に言ったら駄目だ。口にしてはいけない言葉だと思っていた。
抱き締められる腕に促されるよう、エドは心に閉じ込めておいた想いを初めて打ち明ける。
「俺は大佐好きだから……いいんだ。罰だとか、いらねぇから。」
好きだなんて幼い子どもの頃、母に言ったきりだった。そして数年、自分を護ってくれた男に伝える。もう他の人間には言わない。
彼だけの為の言葉。
まだ足りない、もっと言ってくれとロイは請うてくる。鋭い眼差しが笑んで緩む。それに目を奪われて、慌てて我に返った。昔からこの笑みに弱かった。
大佐は欲張りすぎだ。足りないってそればっかりだなと、笑ってやった。君に飢えているんだと言うものだから、冗談ばかりよせよと答えた。


そうしてロイは、告白をエドの耳に流し込んでくる。
「私も君が好きだ。ずっと想っていたんだ」
最初に言うべきだったと。
俺も、と頷いて、エドはロイの頬や額、それに唇にキスをした。彼が今までしてくれたように。
好きだという言葉は、贖罪ではない。これからを約束する為のものになるはずだ。すまなかったなんて懺悔の言葉を聞かせてくれるなら、いつものように抱いて欲しいと思った。
そこで違和感を覚える。抱いて、欲しいなんて何を考えてるんだ。俺は男なのに。
もしかして、自分の体は引き返せない程に、慣らされてしまったのだろうか。
彼がいなくなってしまったら、どうすればいいんだろう。次の瞬間、不安が湧き上がってくる。これは夢でない、現実のはずなのに。
そうだ。いつかの夜に、本当の彼の言葉なら、自分はいくらでも従って、一週間でも、一年でもここにいるだろうと思えた。そうなるのかもしれないとまた予感を覚えて、エドは目を瞑った。

不吉な事を考えてはいけない。現実は喜んで、不幸を叶えてようとしてくるものだから。
そして本当に怖れるべき事は、閉じ込められる事ではなくて、そばにいられなくなる事だった。不安や怖れは消えてくれず、ロイの首筋にしがみつく。
安心させるように背を撫でてくれる大きな手。その指の感触を思い出せば、もう何をされてもいいと感じて、声が上がりそうになる。
ロイの手にそんな意図はないのに、体の奥に熱が生まれてしまいそうだ。
息を吐き、熱を抑えてエドは唇を開く。
聞かなければ。大佐まだそばにいてくれるんだろって。


腕の中に子どもを囲い、ロイは頼りないその背に視線を落とす。
何を思っているのか、エドは怯えたようにしがみついてくる。背を撫でてやれば、小さく息を漏らしてくる。
どうしたと問えば。まだそばにいてくれるんだろ。でもそれいつまでだ。大佐はいつまで一緒にいてくれるんだと可愛い事を尋ねて来た。
いなくなるわけがない。離すわけがないだろう。
君は何もわかっていないと笑えば、睨みつけてくる眼差し、それに水の膜が張り、潤んでいく。
その顔に、ロイは焦ったふりをする。泣かないでくれと請い、ずっと一緒にいて欲しい、私の錬金術師は君だけだからと、望む答えをくれてやる。

本当か?と呟くエドの唇を見つめる。
声を塞いで、早く口づけたい。その口内を思う様、犯したい。舌を吸って、泣かせたい。
自分を求めてねだる声を聞きたかった。
まだだと疼く欲を抑えて、本当だと真情を篭めて囁いた。
蜜のように、甘い言葉を注いでやる。君の望みを叶えてやらなかった事は、一度だってないだろう?これからもそうだと告げて、また抱き寄せる。
エドはロイの言葉に頷きかけて、それから眉を寄せた。
大佐は嘘つきだ。俺が嫌だって言ったのにやめてくれなかったと反論しながらも、距離を縮めてくる。
自分の首に絡む子どもの両腕に、歓喜で心臓が震えた。手に入れたと、確信する。


逃す心配はしなくていい、力を篭めて痛みを与えるような真似をしてはいけない。柔らかく抱きしめてやる。
すまなかったと謝りの言葉を告げて。慈しむように金の髪を梳いてやれば、エドは目を見張り、それから困ったような笑みを見せて、頬を寄せてくる、
仕草が愛おしい。
陵辱した男など殺してもまだ足りないだろうに、許す君は優しく、甘い。けれど自分にとってはそんな甘さまでも愛おしいものだった。
大切な君を、軍になど置いておけるはずもない。硝煙の匂いにさらすのはおしまいだ。


男は口元に笑みを浮かべる。欲ともいえる望みは叶った。痣の役目はこれで終わった。堕落の刻印は皮膚から消え失せるだろう。
そうしていつの日か、七つの罪を抱えて煉獄に落ちる。怖ろしい事などあるものか。何を犠牲にしても、この子どもを手に入れたかった。
自分以外の者に奪われ、腕から失う事こそ怖れるべきものであり、煉獄の焔に灼かれようとも、構う程ではなかった。
愛おしくてたまらない。

ロイは我知らず、腕に力を篭める。どれだけ抱き締めても、まだ足りなかった。
飢えていた、君でなければ駄目なんだ。
告げた言葉は、全て本心からのものであり、嘘は一片たりとて混じっていない。
そばにいてくれ、最後に囁く。そして誰の前にも晒さない。触れさせない。数年も前に言っただろう。誰にも見せないよう大切に隠しておくのが一番だと。



この恋が罪だという事は十分にわかっている、だからもう離さない。犯した罪を悔い改めようなどとは思わない。
絶対に離さない。
君の言葉を借りるなら、それが私の誓いだ。


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