「鋼の、見上げるのが辛いのはわかるが、私から目をそらすな。俯いているのは良くない」
私は君の上官なのだからとロイは言う。
嫌になるくらい皮肉の上手い男だ。
自分達の身長差を指しているんだろう。辛くはないと返せば、だったら顔をそらすのはやめろと命じられるだろうから、下手なことは言わない方がいい。
エドは奥歯をぐっと噛み締めた。俯いているせいで両眼には執務室の床、自分のブーツの先が映るだけ。何とも心細さを誘うものがあった。謝るのも癪だったので、眼前の上官を胸の内で罵った。
大佐の馬鹿、馬鹿、アホ、間抜けというように。
ボキャブラリーが少ないわけではない。天才と評されるくらいなのだから。欠点が簡単に思いつかないような相手が悪い。

地位は国軍大佐、自分のような子どもを国家錬金術師に推薦できるくらい中央に発言力を持っているらしい。端整な姿形をした男だったので、不細工とかそういう悪口も使えなかった。
黒い髪に、昏い色の目。濃紺の軍服には立派な肩章がついている。年は二十七なのだそうだ。
世間では若いと言われる年だったが、自分達は十四も離れている。
途方もないほどの年の差のような気がして、相手が何を考えているのか少しも読めなかった。だから怖い。怖いとは認めたくなかったので、信用できないという気持ちをすり替えた。信用できない男の言うことは聞けない。

ああしろ、こうしろと大佐の言うことを一切聞かなかったので、ついに旅先から読み出しを喰らったのだ。
数日前、泊まっている宿に憲兵がやって来て、連れていかれたのは軍の小さな支部。態度は丁寧だったが、威圧的なものがあった。軍という枠組みで生きる限り、逆らうことは出来ず、東方司令部に電話を掛けさせられた。
この街で銀時計を使い、金を引き出したところから居場所が知られたらしい。
『運が良かった、君にとっては不運と言えるかもしれないが』
真鍮の受話器から聞こえる男の声が憎らしかった。国家錬金術師には首輪がついている。それを忘れるなとも告げられた。
忘れてなどいない。銀時計を渡される時、同じ言葉を落としてきたじゃないか。


出逢ったのは一年前、再会したのは秋だった。銀時計という印を落とされて、あっという間に冬になり、十三になった。
自分は酷く子どもで、相手は幾つも年上の大人だった。
逢ってまだ三度かそこらだったが、この男に心を許せる日なんて来るわけがないと信じていた。



上官の躾 1



彼からの呼び出しを受け、東方司令部へ向かう途中、鉛のように胸が重かった。
逢いになんて行きたくない。ロイの顔を見ても何を話していいのか思いつかない。
俺、怒られるのかな。どんな風に怒られるんだろうかと考えていると、ますます気持ちが沈んだ。
列車に揺られながら、そう悪い人じゃないんじゃないかなとアルが言って来たけれど、どこがだよと返したい。
大佐のこと庇って、アルは俺と大佐のどっちが大切なんだと突っかかりたいくらいだった。あまりに子どもじみた物言いだったので喉元に追いやったが。兄としての沽券に関わることだ。


泊まっていた宿を引き払い朝に旅立って、イーストシティに着いたのは午後も過ぎた頃。
わずか半日の旅だった。
平日であっても駅は人が多い。広場の大時計は正確な時間を刻み、露天では花や菓子が売っている。それを横目に眺めながら自分は司令部へ、弟は宿へと向かった。
この前、泊まったところが安くて清潔で主人も親切だったので、定宿にしようと決めたのだ。

緩やかな坂を登り切ると、鉄条網に囲まれた灰色の建物が見えてくる。
エドはこくんと喉を慣らし、トランクを持つ手に力を篭めた。
とうとうここまで来てしまった。
あの中に大佐がいる。大佐は何をしてるだろう。俺と逢ってる時間なんてあるんだろうか。
ここで迷っていても何も解決しない。足を進め、門衛に銀時計を示して、中に入ると軍服の人間が忙しそうに行き交っている。
大佐への面会を希望すると、応接室で少しの間待つことになった。
三十分も経った頃、彼の副官であるホークアイが現われて、待たせてごめんなさいねと気遣う声をもらい、慌てて首を振った。大佐の部下である大人達は優しい。子ども扱いされても腹は立たない。
でも大佐は別だ。素直になんてなれない。信用できないから言うことだって聞けない。


案内された執務室は広く、重厚なつくりをしていて、男の地位の高さを暗に示していた。
大佐って偉い地位なんだなと、ふとした時に感じる。この先も何度だって思うのかもしれない。
久しぶりだと笑いかける声は冴えた響き。姿も整っていたが、声も耳に聞こえが良かった。
世間で言うところの、これが格好いい大人なのだろう。
だから余計に苦手なのかもしれない。大佐がもっと普通の顔をしていたらいいのにと浮かんだが、そんな大佐は想像がつかなかった。
後でお茶をお持ちしましょうとホークアイはロイに告げて去っていき、彼と二人きり。ますますどうしていいかわからない。
大きな窓から陽が差し込んで眩しい。椅子に腰掛けたままの男とは距離がある。部屋の真ん中に所在なく立ち尽くして、そこから動けなかった。
そばに来てくれと腕を差し伸べられたが、応えてもいいものかどうか。迷っている内にロイの方から声をかけてきた。


「二週間に一度連絡するように言っただろう。忘れたか」
始まった。ここにはご機嫌伺いに訪れたわけではない。執務室という密室で叱責を受ける為だ。
前に逢った時、他にも多くのことを言われた。
国家錬金術師は定期連絡の義務があるということで二週間に一度の電話、一か月に一度、書簡を出すようにと命じられた、司令部を訪れた際、報告書の提出をしなければいけないとのことだ。
あまりたくさん言われても困る。
電話でロイと何を話せばいい。軍属になったとはいえ、士官学校でものを教えられたわけではない。どう報告すればいいのか見当もつかない。旅先の天気の話をするのはまずいだろう。
書簡とは手紙のことか。この男相手に何を書けというのか。無理を言うなと反論したい。行った街の様子でも書いて出した場合、子どもの書くことだと馬鹿にされるに決まっている。そんなの絶対嫌だ。

「……忘れてねぇよ」
「忘れていないなら何故従わない。最初から命令無視では困る」
司令官という地位に就いているせいか、男の物言いはきつかった。
返す言葉がなかったので黙るしかない。床に立ち尽くし、ロイの元に歩み寄ることもできない。すると彼は机に手をかけ、椅子から腰を上げた。
ロイの方から歩み寄って来られるが、身長差があるせいで見上げなければいけないのが癪だった。鋭い視線から逃げる為に俯くと、そのことまで追求される。

「鋼の、見上げるのが辛いのはわかるが、私から目をそらすな。俯いているのは良くない」
私は君の上官なのだからとロイは言う。
別に辛くはない。それにまだ十三なんだから身長差があったって仕方ないじゃないか。
後五年も経ったら、十八になる。その頃にはロイを見下ろせるくらいになっているはずだ。弟の体を取り戻す為に五年もかけているつもりはなかったので、その頃には軍とも離れ、彼との縁も切れているのかもしれないのだけれど。
電話とか書簡とか嫌になる。大佐の馬鹿、馬鹿、アホ、間抜けと心の中で繰り返すのが、今は精一杯だった。

黙り込んでいてもこのままでは埒が明かない。
「っ次から大佐の言った通りにすればいいんだろ」
渋々ながら口を開くと、頭の上から声が返ってきた。低い深みのある声で、それがまた卑怯だと感じた。彼は心臓を騒がせる悪い声を持っている。
「当然だ。君の勝手を許すつもりはない。それに私の言うことを破った、罰を受けてもらおうか」
――――――罰?
相手は軍人なのだから、殴られるか蹴られるか、体罰が妥当ではないか。
ただで済むとは思っていなかったが何をされるのだろう。顔はやめて欲しいと咄嗟に思った。見えるところに傷がつくとアルが心配する。

「何だよ!やるのか!」
腕で顔の辺りを庇ったのは失敗だった。ロイの動きがよく見えない。
頬を撫でられただけで肩が震えた。手を上げられるのではないかと目を瞑って、ますます隙をつくってしまう。両脇に腕を差し込まれ、そのまま抱き上げられる。足が床から離れ、宙に浮く。ばたばた振り回しても無駄だ。
殴られるだけでは済まないのかもしれない。抱き上げられ、窓から投げ捨てられるのではないかと思った。

執務室は二階だ。
落とされた場合、上手く受け身を取らなければ骨が折れてしまう。ここは軍部で、彼は信用ならない男。酷い真似をされたと余所に訴えても握り潰されるだけだ。
「は、離せ。卑怯だっ!……大佐は」
上擦る声に、男は面白いことを聞いたとばかりに笑う。腕の中に抱えられているせいで体温が伝わってきて、動揺は増していく。
頬に唇が触れる。これはロイの唇だ。しかし口づけるといったものではない。正真正銘、舐められた。動物が味見をするように舌で肌を確かめられた。
もはや許容範囲を超え、ひいっとか、ふぎゃっとか不名誉な悲鳴を聞かせる結果に陥る。

幼い頃、母親に読んでもらった絵本を思い出した。親からはぐれた子猫が屋根裏の鼠に掴まって塩や胡椒を振られて、パイ生地に巻かれるのだ。
彼は鼠などではない。狼だ。黒い髪や、暗色の眼は狼の毛皮そっくりだ。
怖い。こんなの嫌だ。もう嫌だ。怖すぎる。
舐められた後、口づけられて、もう一度、ひっと悲鳴を上げてしまった。背からは血の気が引いているのに、頬はやけに熱い。自分が赤くなっているのか、青いのかも判別がつかない。
他の大人にされたことなら、親愛のキスだと思えるだろう。こんな真似するなよと照れ隠しの文句を言って終わるが、ロイはそうではない。
この男は自分をパイ生地に巻いてオーブンで焼き上げ、食べるつもりなのだ。
非現実的なことだったが、その時ばかりは信じた。

頭から爪の先まで食べられると怯えていると、床に降ろされた。腰が抜け、立っていられず、座り込んでしまった。
ロイは立ったまま。先ほどよりもっと高い場所から声が降ってくる。


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