山際に落日が見えた。
村で一番高い丘には母の眠る墓がある。いつもは午後に訪れるのだが、今日は少し遅くなってしまった。丘を昇っている内に陽が暮れ始める。
エドが花を捧げ立ち上がった時、背後を振り返るといつの間にか東の端は菫色に塗り変えられて、西には落ちゆく太陽があった。
見下ろせば駅がある。マッチ箱程度の大きさの駅舎からは線路が伸びていて、目で追っていくと、トンネルの中に吸い込まれていった。そこから先は山に遮られ、視界に映るのは沈む太陽だけだった。
何度も列車に乗ったことがある。先がどうなっているのか思い描くことができた。

あの山を越えれば大きな陸橋があり、イーストシティに行ける。乗り継いで数時間後にはロイのいる中央へ。
今頃、彼は何をしているだろうか。
仕事さぼってないかといたずらに心の中で問いかけて、さぼってるわけねぇよな、あんた本当は仕事好きだもんなと呟く。直轄府の件はどうなっただろう。万が一にもしくじるようなことになってはいないだろうか。
陽が沈むのが早くなったと感じた。夏の終わりが近づいているせいだ。リゼンブールに戻ってきた時はまだ始まったばかりだと思っていたのに。
東部の夏は短い。
その間にも陽は更に西へと傾き、端の方はとうとう山の向こうに姿を隠している。
丘の上に並ぶ十字架、風になびく草原。自分の服を真っ赤に染めていた。服ばかりでなく、肌の色も、髪さえも。
それが不思議に思えて、エドは両手に視線を落とした。祈るように手を合わせれば、全てを叶えることができる。ここしばらく錬金術は使っていない。
時折、顔見知りの住人に修理を頼まれるが、村にはアルがいる。弟はここで暮らすと言っていたから、任せておいた方がいい。頼りにされた方が暮らしやすい。
弟の躰を取り戻してからは、ロイの為に使おうと思った。彼の役に立ちたかった。その彼はいない。

今日、ロイは現れなかった。
あの陽が沈んで、夜が落ちて、また朝が訪れる。明日こそロイが逢いに来てくれるかもしれない。逢ったら何を話そう。どう呼びかけよう。
彼の地位はもう大佐ではないのに、この分では大佐と呼んでしまいそうだ。ロイと名を呼ばなければ。一度だけ、声にしたことがあるが、それは彼に届かなかった。
俺が名前呼んだら、あんたはどんな顔をするんだろう。
喜んでくれるだろうか。

彼の姿が脳裏に浮かぶ。
黒髪も、濃藍の両眼。鋭くきつい視線が、この姿を認めて、滲むように緩む。
あの瞬間を目にするのが幸福と言うのだと知っていた。

明日も明後日も一年後も、ロイを待っている。ロイが来るまで、ここで待つと約束したからだ。
必ず君に逢いに来ると。中央に戻ったら私と家族になろうと言ってくれた。叶わないなんて思っていない。
ロイは約束を守ってくれる。だから俺もここで待つ。
ずっとだ。
明日も明後日も、一年後も。その先もだ。


Fight 1



葉巻の煙で、室内はけぶっていた。
吸い込む空気は苦い味がする。あからさまに体に悪いものを、よく吸う気になるものだ。老人方の肺は汚れ、黒く染まっていることだろう。
ロイがこういったものを嗜んでいるのを見たことがなかった。あの男はむしろ苦い酒を好む。初めて知ったのは、いつだったか。ああ、彼の邸に招かれた時だとエドは思い出した。
招待するのは君だけだとロイは言い、喜びながらも上手いこと言うなと返したのではなかったか。素直に笑えたこともきっと数えるほどしかない。その後は床に転がる酒壜を見て、何だこれと驚きの声を上げた。

大佐、絶対体に悪いぜ。こんなの止めろよ。呑み過ぎたら駄目だと言うと、鋼のがなかなか東部に戻って来てくれないから寂しいんだ、一緒に暮らすようになったら止めてくれ。私と家族になってくれるんだろう、鋼の。
本当に叶ったらいいのにと何度も思った。それはこの世で一番、大切な約束だった。


愛しい過去の記憶を思い出していなければ、到底、眼前の男達の話に付き合っていられない。
北部の情勢、騒乱の鎮圧に関して、直に報告を聞かせてくれたまえ。この円卓の下でなら、他所に漏れることはない。存分に囀るといいなど、あまりに人を馬鹿にしている。
鳥か何かだと思っているのか。どうせこいつら俺のこと信用してない。
ロイの間諜だと疑われている。それでも少しは使える奴だと思っているから、直轄府で飼ってくれているんだろう。彼に疎まれていることを知れば、どうなるのか。

直轄府の一室は、豪奢な細工が至る所に施されていた。自分でもわかる、調度がそこらで見かけるようなものではないと。ここで直轄府のトップを占める人間達は密談を楽しみ、自分の報告を鳥の鳴き声と例えるのだ。
今日ここで召還を受けたということが、すぐにロイの耳に伝わる。明日は呼び出されるかもしれない。
勝手な真似をし続ける俺を、あの男は許さない。現在の立場は、直轄府直属の錬金術師。
後見であるロイを裏切ったとも、間諜だとも。この耳に入る噂は様々だ。
直轄府は総統府からの独立機関だ。上の人間は皆、錬金術師と言われているが、力の真偽は怪しい。
遺伝ではない、この能力。必要なのは錬成式を読み解く才能。努力は何の意味も持たないと言われる残酷さがある。

軍閥の家系のように子どもに地位を継がせるわけにいかない。よって彼らは必死だ。
錬金術師という駒を用い、国内での影響力を広げようと狙っている。疎ましく思う総統府とは互いに威嚇しあっているような状態だった。
隻眼の男はもういない。それどころかホムンクルスも一人残らず。
彼らに父と呼ばれたフラスコの中で生まれた男も。自分の父親も、弟の躰を真理から取り戻すのと引き換えに行ってしまった。
残ったのは国を覆う血の錬成陣と、ブラッドレイが作り上げた軍部という名の城。民主化を狙う動きもあるが、一度作り上げられた組織が、簡単に崩れることはない。
人を兵器として扱う直轄府も、こうして健在だ。イシュヴァールにおいて錬金術師の殲滅戦という功績があるゆえに、取り潰しは叶わない。
直轄府は、今は亡き大総統の遺志を継ぎ、独立行政を貫くという建前を持って動いている。総統府は従属を狙っているが、思う通りにはそうそういかない。
遠くない未来、英雄の名を持つ男が、纏めて滅ぼしてくれるだろう。その為に彼は咆哮を上げる獅子を取らなければいけない。
俺はその瞬間を待ち望んでいる。こうやって出来る形で力になっていきたい。

同じ獅子を頭上に抱く者がいがみ合う、現実。
権力争いというのは、いつの時代にも起こり得るもので、一歩離れた位置から見れば、これほど馬鹿らしいものはないと知った。
北のドラクマとは犬猿の仲。
東の大国とは通商を結んでいるが、どこまで有効かは知れない。他国がアメストリスの領土を狙っているのはこうもあからさまだというのに、国内で陣地を争っているとは誰が思おう。
そういう自分も、所詮は狗だ。首には見えない銀の鎖がついている。
ため息をつきたいのも、嗤い出したいのもこらえ、彼らの与太話に付き合わなければいけない。

俺は中央に帰ったばっかりだってのに、いつまで立ちっぱなしで報告しなきゃいけないんだ。お前らの望むような未来は起こりえない。
銀時計の図案が、彼らの望みを物語っていた。獅子を六芳星の中に閉じ込めてしまいたいらしい。
直轄府の紋がこの国を牛耳るなど在ってはならないことだ。


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