Sweet heart 2



目をつぶったロイは、エドが顔を寄せてくる気配を感じた。
約束を破ることを警戒してか、エドに目元を左手で押さえられているせいで、目を開けようと何も見ることはできないのだが。
目は閉じること。その約束。譲れる所までは譲ってやらなければいけないだろう。
それでも待っていれば、ゆっくりと口づけが落ちてくる。
子どもの唇は柔らかく、わずかに荒れていた。舐めてやりたかったが、自分から手を出してはならない。
掠った思えば、次の瞬間、また離れて浅い口づけに煽られる。

エドにも、ロイが望んでいるのは、こんな軽いものではないとわかっていたが、これ以上どうしていいか判別がつかなかった。
前にした時は、彼にどうされた?
いつの間にか入り込んだ舌で、吸われて食まれて。逆らう術のないまま唾液を飲み込まされて、骨ばった掌で胸元を撫でられて。そこまで思い出せば熱まで上がって、思考がまとまりつかなくなる。思い出したはいいが、できるかどうかとなれば、話は別だった。
だって、自分からそんな真似を。
どうやって舌を入れればよいかと戸惑いをあらわに、エドは何度も掠めるだけの口づけを落とすしかない。

ロイが促すように髪に指を差し込んでくる。
今は優しげな指先。
この男がおとなしく待っている内に、どうにかしなければいけない。早くと、気が急いて余計にぎこちなくなってしまう。唾液が混じりあうような粘着質な音が響いて、ようやっと歯を割り、エドの舌がロイの口に入り込んでくる。

柔らかいそれを歯で軽く噛んでやれば、すぐにも逃げようとした。
逃がすつもりはないというのに。
ここまでだと決め、目元を覆っていたエドの指をどけるべく、手首を握り、引き寄せた。反論の声は合わせた唇の中に閉じ込め、ねじ伏せるようにこじ開けて、深く口づける。
招き入れていた舌を、そのまま絡めてやった。舌の脇を辿ると、エドの肩が跳ねる。
ここは執務室だ、さすがにこれ以上は止めておいた方がいい。わかっていても、後もう少しだけだという欲深な気持ちが湧き上がってきてしまう。

捕らえたままでいた手首をロイは引き寄せ、その指先にも口づけを落とす。
何ををするつもりかとエドは物問いたげな顔をしていたが、すぐに表情が変わった。
ロイは薄く唇を開いて、エドの人差し指を引き込み、強く噛む。疼痛を引き起こした後に舐めてやると耳元に届くのは、子どもの引き攣った息と、甘い声。
「……あっ…や」
エドもそんな声を出したのは、不本意だったんだろう。頬に赤みが増す。

抱けば、嬌声をもっと聞ける。好きなだけ、声を上げさせられる。
そういった欲は、心の内にあるのだ。
しかし現実はそう上手く行かない。言い切れるのは経験があるからだ。
売り言葉に買い言葉というか。要はからかいが過ぎて、怒らせた子どもをどう宥めればいいかと手をこまねいている間に、そういった真似事をする羽目になったのはいつだったか。
その台詞まで、はっきりと覚えている。
見くびられたと、エドは思ったようだ。
だったら抱け、さっさと抱け。やってみせろと言い募ってきた。
そんな状況に陥り、内心弱ったものの、とりあえずはと途中まで試すと泣きそうな顔を向けられ、どうにもできなくなったのは記憶に新しい出来事だ。
部下に知られた日には、目も当てられない。
泣き顔一つで気持ちを揺さぶられるなど、自分は一体幾つなのかと問いたいくらいだ。

あの時、泣きそうな顔を見て止めたというのもあるが、こういったやり取りを楽しめる内は楽しむのもいいだろうと思う気持ちもあったせい。抱いてしまえば、この関係性は変わってしまうだろうから。
「…!指っ…。な、指抜けって」
もうわかったからと必死で告げるエドには、何と答えてやろうか。これこそが構いすぎて苛めになるという、いい見本だと大人は気づかない。
「『指を抜いて、ロイ』とはねだってくれないのかな?」
耐え切れないと言わんばかりの切羽詰まった声にそう返してやると、馬鹿なことを言わせるなとエドは暴れた。
握っていた手首を離してやると、エドは息をつくが、興奮のあまり眦にはうっすら涙がたまっている。
やりすぎたかと少しの後悔を覚えた。泣かれたらどうすればいい。けれどすぐにエドは怒鳴り声を上げてきたので、ロイも内心息をつく。

エドの強い視線を受け止めて、次の言葉を待つ。
「あんたの言うこと!これで聞いたろ、離せよ」
「何故そう離れたがる?私はそんなに嫌われているのか?君に」
最初から離すつもりもなかったのだから、どの道エドの言うことは聞けない。一方的な言い分を律儀に果たした子どもとの約束を、あっけなく反故にするこの汚さ。卑怯さ。いつか罰が下るに違いない。
「今はそれ関係ねぇし。もうごまかされないから、俺は」
大佐なんて口ばっかりだ。
そうむくれる子どもの機嫌を、どう直そうか。軍部で培ってきた弁舌を役に立てるのは、こういう時にこそ。
「再会できた嬉しさゆえだと言っても許してはくれないか」
「……よくそういう胡散臭いこと、平気な顔して言えんな、あんた」
「私が悪かった。他にどう言えばいい?鋼の」
ここまで言われれば、エドも一人拗ねているのが馬鹿らしくなってくる。
つくづく嘘が上手いと知ってはいるが、自分と逢った時の嬉しそうな顔だけは本当だから。
「謝っても足りねぇ、全然」
「本心だというのに?」
「信用して欲しきゃ、そういう態度取れよ」
「それはどういった態度を言う」
教えてくれと、ロイは苦笑を浮かべながら、もう一度腕を伸ばす。エドの頬に触れる前に、掌を握り込まれた。
今度は自分の番か。捕まるのは。

「こういうことして来ない態度に決まってんだろ」
大佐ばっかり好きに触ってきてずるい。寝ていた時は、思いどおりに触れられたのに。
子どもがそんな想いを抱いているとは、さすがに東方司令官も気づかない。
握られた手はそのままに。これ以上何も仕掛けずにいれば、そばにいてくれるというのなら聞くしかないだろう。
「わかった。だったらもう少しそばにいてくれ」
請えばエドは睨みつけてきたものの、結局は承諾の言葉を口にする。

「……今だけだからな」
腕の中に囲うと、大佐なんてどこがいいんだ、皆、と子どもはぶつぶつ文句を呟く。
「そういう君は?私のどこが不満だ」
「たくさんあるぜ。上げてったらきりがないくらいに」
実力も地位もその年にしては充分過ぎるほど、持ち合わせている男に向かってそんなことを言えるのは、鋼の錬金術師くらい。
「至らない所があるなら、努力しよう」
心からの言葉なのか怪しいものだが、せっかく大佐が言ってきたことだし良い機会だ。文句を散々上げてやろうとエドは決める。

「大佐に足りないもんはな」
「ああ、例えば?」
しかしいざあげつらってやろうとすると、上手く言葉が出てこないのが人の常。エドも例に漏れず、一瞬黙り込んだ。その後どうにか告げてくる言葉といえば。
「………誠実さとか」
微妙に間の抜けた言葉に、二人の間にはしばしの沈黙。
ロイはため息をつきそうになったのを、どうにかこらえる。一体どこで仕入れてくるものやら、そんな知識を。
男の誠実さ、不誠実さなど、ろくに知りもしない癖に。他の人間で知っていると言われた日には灼き殺してやることになるだろうが。もちろんその相手をだ。
「一体誰と比べている、私を」
他には、と必死で言い募ろうとする子どもの声を止める為わざと尋ねてやった。すると意味がわからないというようにエドの唇が止まる。
「君こそ私に誠実であってくれるのかね?」
エドに掴まれていた手を自分の側に引き寄せれば、距離は縮まる。子どもは驚きをあらわにし、表情を取り繕うことすら忘れている。

一体、何を疑うのか、この男は。何度も何度も、これが彼の手だと思い知っていても我慢できず、エドは反論の声を上げてしまった。
「誰が!大佐以外に…」
言い惑うように、エドはそこで言葉を切った。
「……大佐くらいだろ。俺に、こんな真似すんの」
だから他には知らないと告白をもらったのは予想外だった。そこで頃合を見計らったように、ノックの音が部屋に響く。

誰か、とは問わずともわかりきっている。
なかなか戻って来ない子どもに行き過ぎたことを仕掛けていやしないかと、お目付け役でもある彼女が確かめに来たのだろう。東方司令部の面々は司令官ではなく、子どもの味方なのだから。
自分にとっては味方が一人もいないに等しい。孤立無援もいい所だ。
エドはこの機会を逃すものかとばかりに、ロイの膝から飛び降りて一気に扉の前まで走っていく。そのまま部屋から逃げ出していくかと思ったが、エドは立ち止り、勢いよくこちらを振り返ってきた。
「さっさと見とけよ、俺の報告書」
乱暴な声は照れ隠しだ。
「もちろん、君が夜付き合ってくれるなら」
そう返してやると、エドは思いきりしかめ面を見せる。
ロイは椅子から立ち上がり、また後でおいでと手を振ってやった。

今日の夜。来るか来ないか、日が落ちてからでなければわからない。それまで必死で働いて、せいぜい書類を片付けておかなければ。たまっていた疲労感は子どもを構っている内に解消されたことだし、後もう少し寝なくてもどうにかなるはず。
そうして時間を測ったようにホークアイが扉を開ける。
猶予の時間はこれで終わった。涼やかな彼女の顔。けれど子どもを見る目は穏やかだ。
「用事は終わった?」
問いかけてくるホークアイにエドも素直に礼を言い、横をすり抜けていく。
二人のやり取りを聞きながら、ロイはデスクに浅く腰掛けて、腕を組んだまま。彼女がこちらに歩んでくるのを待つのみ。
エドが去った後、ホークアイはまっすぐに向き直り、午後からの予定を告げるのだろうと思っていたその声は全く別のことを紡ぎ出す。
「妬かないでくださいね」
「……なっ」
さらりと告げられた副官の言葉に、ロイは珍しく表情を崩しかける。先ほどエドがホークアイに見せた笑顔を指してのことだ。ロイもここは耐えるしかない。
どの道、女性に逆らったところで良いことなど一つもない。敵に回してはいけない相手は、この副官とあの子ども。

「ところで目は覚めましたか?」
問いかけてくる彼女の言葉には、当然と答えてやろうか。何せ夜にはこちらから捕まえなければいけないのだから。
先ほどのように向こうから近づいて来てくれるような幸運は滅多にない。幸運を待ってばかりもいられない。まずは信用を掴み取るのが第一。とりあえずあの子どもの為なら、誠実な男を演じてみるのも悪くない。
大佐の言葉だけは信じないと言い張る子どもの言葉を撤回させるべく、相当な努力が必要だ。



恋はつくづく人を変えるもの。もしかしたら経験豊富な男の言葉も、少しは信じていいかもしれない?


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