デスゲーム

いつもの放課後、部活が終わった後に一緒に帰ろうと声を掛けられて……いつもよりちょっとだけ回り道をして家に帰った。

でも緊張して上手く顔が見られなくて、ずっと足元ばかり見つめていた気がする。

胸が苦しくて、どうすればいいのかわからなくて……。

本当はもっとたくさん話したい事があったはずなのに、声が喉に張りついて何も言えなかった。

そんな自分が許せなくて、別れた後で激しい自己嫌悪に陥る。

楽しいはずの毎日が、苦悩の日々に変わっていく。

嬉しいはずの出会いが、恐怖の一瞬へ変わっていく。

いっそ全てが元通りになったら、前と同じように楽しく一緒に笑い合えるのかな。

……誰かを好きになるってこんなにも苦しい事なのかな。

「ん……」

跡部ユキが目覚めた時、そこは真の暗闇だった。

壁も天井も自分の体さえも見えなくて、目を開けているのかどうかさえわからなくなる。

「え?……あれ、何これ……っ」

身をよじろうとして何かに行動を阻まれる。

しばらくもがいて両手を後ろで縛られている事に気づいた。

太ももに伝わる冷たい床の感触から、ここがどこかの部屋である事はわかるが何も見えない。

目隠しをされている感覚はないので、部屋自体が真っ暗なのだろう。

「どうなってるの……まさか誘拐?」

眠る前の記憶を辿ってみるが何も思い出せなかった。

いつものように学校へ行って部活を終えて家に帰ったはずなのに、どうしてこんな事態になっているのだろうか。

「どこかに閉じ込められてるのかな……誰かいませんかー?」

身動きが取れないまま声を張り上げるが返事はない。

微かに雨の音が聞こえるくらいだ。

「どうしよう……」

途方に暮れて暗闇を見つめる。

これが誘拐だとしたら、今頃実家に身代金を要求する電話でも掛かっているのだろうか。

もしそうだとしたら大変な事になる。

多忙な両親はともかく、心配性の兄が激昂して大騒ぎになるだろう。

なんせ兄・跡部景吾は氷帝学園では誰もが知るシスコンキングで有名なのだ。

妹が誘拐されたと知れば、世界をひっくり返す勢いでどこまでも犯人を追い詰めるだろう。

「はあ……困ったな。なんとか自力で逃げられないかな」

ため息をついて必死に体を揺らしてみるが、上半身も何かに固定されているのか身動き一つ取れなかった。

仕方なくぼうっと暗闇を見つめながら考え事をしていると、突然大きな音が鳴り響いた。

聞き覚えのあるその音に思わず顔を上げてじっと耳を澄ませる。

「……これ学校のチャイムの音だ。もしかしてここ学校なの?」

聞き慣れた立海大附属中のチャイム音ではないので、少なくともここは立海ではないのだろう。

だが妙に懐かしさを感じる音だ。

『……オハヨウ!プレイヤーのみんな!よく眠れたかな?さァ、ゲームの時間だ。準備はいいかい?』

微かなノイズ音の後に聞こえて来たのは奇妙な声だった。

機械か何かで声を変えているのか面白い声をしている。

『ルールは一つ。最後まで生き残ったプレイヤーが優勝者だ!生き残る為なら何をしてもОK。お友達をノックアウトしちゃっても誰も怒らないゾ。さァ、生き残るのは誰かな?』

まるで遊園地のアトラクションみたいに"ピエロ"は話し続ける。

だが言っている事は意味不明で全く理解できない。

『ステージには"お宝"が用意されてるから自由に使ってネ。何が入ってるかはお楽しみサ。でもミッションをクリアしないとゲットできないゾ』

「ミッション……?」

『おっと、言い忘れるところだった。この学校のどこかに"反乱軍"がいるんだ。そいつらを倒せば"名札"が手に入る。それを全て集めてある場所へ持って来ると素敵なご褒美が待ってるヨ』

そこでまたノイズ音が響き、そして『さァ、"デスゲーム"の始まりだ!』という言葉を残して放送は終わった。

「……何、今の……デスゲーム?」

暗闇の中で困惑していると、不意に部屋の奥からカウントダウンのタイマーが鳴り始めた。

「え?何?」

7、6、5……暗闇の中に数字を告げる声だけが響き渡る。

そして遂に0をカウントした時、突然体が前に押されて息が止まった。

「!?」

顔に触れたのは生温い液体。

水の中に顔を突っ込んでる事はすぐにわかった。

だが顔を上げようとしても何かに頭が引っ掛かって身動きが取れない。

「!!!」

水が口の中に入り呼吸ができなくなる。

両手を縛られているので手をつく事もできず、顔を左右に振っても水が揺れるだけで量は減らない。

耳元で水の流れる音がするので、おそらくすぐ側に蛇口があってそこからどんどん水が流れ出しているのだろう。

呼吸困難に陥りもがき苦しんでいる内に意識がだんだんと遠くなっていく。

もう死んでしまうとそう思った次の瞬間、勢い良く体が後ろに引っ張られて呼吸ができるようになった。

「がはっ、うっ……ごほっごほっ」

不足した酸素を取り込もうとしても吸い込んでしまった水のせいで余計に苦しくなるばかりだった。

だが誰かに背中をさすられる内に少しずつ呼吸が落ち着いて息苦しさが治まっていった。

「ごほっ……はあっ……」

「ユキ、大丈夫か!」

「はあ、はあ……う、うん……」

なんとか頷いて顔を上げると、そこには心配そうにこちらを見つめる赤也の姿があった。

「赤也……どうしてここに……?」

「んなの俺が聞きたいくらいだ。それより本当に大丈夫か?」

「うん……もう平気」

深く深呼吸を繰り返してから、ユキは改めて赤也に向き直り礼を言った。

「いったい何が起きたの?」

「覚えてねえのか?」

「起きたら真っ暗で何も見えなくて……手も縛られてるみたいで動けなくて。それであの変な放送が流れて……そしたら急に背中を押されて水の中に……」

赤也が懐中電灯を向けると、そこには水の張った水槽があった。

水槽のすぐ近くに蛇口があり、水面では二つに割れた板が浮き沈みを繰り返している。

「焦ったぜ。変な音がすると思って覗いてみたら、お前が水槽に頭突っ込んでもがいててさ。あと少し遅かったら絶対間に合わなかったぜ」

赤也の言葉に今更ながら溺れる恐怖心がよみがえって背筋が凍った。

あの時背中を押したのが何だったのかはわからないが、折れた板を見る限り、これが頭に引っ掛かって顔を上げる事ができなかったのだろう。

板自体はとても薄く、女性の力でも思いきり殴れば割れそうだが……両手を後ろで縛られた状態ではどうしようもない。

しかも板は水槽の左右にある粘着テープにくっついて固定されている。

「見ろよ、この糸。お前の指に縛ってある糸があの板の端と繋がってる」

「本当だ……じゃあもしかして私が動いたから板が倒れてあの粘着テープにくっついたの?」

「そうみたいだな。ったく、誰がやったのか知らねえけど冗談じゃねえ!こんなのもう殺人だろ!」

赤也の言う通り、これは悪戯で済まされるレベルの話ではない。

赤也の救出があと一歩遅れていたら、ユキは間違いなく溺死していた。

立派な殺人未遂だろう。

「もしかしてこれが"デスゲーム"なの?」

「わかんねえけど、とにかくヤバイって事はわかる。とっととここから出るぞ」

「うん、そうだね……」

「とりあえず縄解いてやるから後ろ向けよ」

「ありがとう」

ユキの両手を縛っていた縄を解き指に絡まっていた糸も取ると、赤也はほっと一息ついてそれからギョッとして目を見開いた。

「赤也?どうしたの?」

不思議そうにユキが顔を見上げると、赤也は慌てて背中を向けて叫んだ。

「おおお、お前、なんで服着てねえんだよ!!」

「え?」

言われて半ば反射的に自分の体を見下ろすと、ブラジャーとショーツしか身に着けていなかった。

辺りを見回しても着ていたはずの服は見当たらない。

「う、嘘っ……なんで?」

「とりあえず何か着る物ないのか?」

「そんなの暗くてよく見えないよ」

赤也から懐中電灯を借りて部屋の中を見回すと、そこは学校の保健室だった。

着替えの服は見当たらないが、ベッドにはシーツが掛かっている。

緊急事態なので仕方ないと自分に言い訳をしつつシーツを体に巻きつけると、ユキはようやく少し落ち着いた。

「これってやっぱり誘拐なのかな?」

「誘拐ってフツー身代金目当てだろ?誘拐した本人殺したら意味ねえじゃん」

「でもほら顔を見られたから殺すとか、そういうの聞いた事あるし……」

「まあそうだけど……でも誘拐だったらお前一人で十分だろ。俺なんか別に金持ちでも何でもねえぞ」

赤也の言う通り、これが金目当ての誘拐だとしたらユキ一人で十分だろう。

跡部家の娘を誘拐するのだから、身代金も相当な額になるはずだ。

なおも危険を冒して赤也まで誘拐する必要はない。

だとしたら犯人の狙いは何なのだろうか?

誘拐した子供を手に掛けて快感を得る快楽殺人鬼なのだろうか?

「とにかく早くここから逃げようぜ。今度は何されるかわかったもんじゃねえ」

「うん。私もそう思う」

二人は保健室を出ると薄暗い廊下を歩き始めた。

ぽつぽつと電気は点いているものの酷く頼りない。

保健室の時計は12時を示していたが、真っ暗なので今は深夜の0時なのだろう。

「そう言えば赤也はどこにいたの?」

「俺は二階の教室だよ。目が覚めたら学校にいて、外に出ようと思って階段下りたら物音がしてさ。そんで保健室に寄ったんだ」

「その懐中電灯はどうしたの?」

「教室の出口に非常用って書いてあるの見つけて持って来た」

話しながら階段を下り昇降口へ向かうと、ユキはまた妙な懐かしさを感じた。

「くそ、ダメだ。開かねえ」

「ロックが掛かってるみたい。静かだけど、他に誰かいないのかな……」

赤也の後ろに続きながら辺りを見回していたユキは、ふと立ち止まってガラス戸に目を止めた。

外は広場になっているようで明かりのついた外灯も立っている。

その光景を見ていると不意に1年前の光景が頭に浮かび上がった。

「ここ……もしかして"氷帝学園"!?」

「え?マジかよ」

「暗くて最初は気づかなかったけど間違いないよ。ここ氷帝学園のメインエントランスだもん。なんで私達こんな所にいるんだろう」

去年まで氷帝学園に通っていたユキには馴染み深い場所だが、立海に転校してからはほとんど来た事がない。

赤也に至っては練習試合でテニスコートに入った事がある程度で校舎内など見た事もない。

「練習試合で来てうっかり寝てた……なんて事ないよな?」

「幾ら何でも赤也だけ置いて帰ったりしないよ。それに赤也は教室にいたんでしょう?」

「やっぱ訳わかんねえ。先輩達もいねえし、どうすんだよ……」

「とりあえず……くしゅんっ」

寒気を感じてくしゃみをしたユキは、濡れたシーツを手繰り寄せてぶるっと身震いした。

「お前、それで大丈夫か?風邪引くんじゃねえの?」

「でも服見当たらないし……」

「じゃあ俺のシャツでも着てろよ。それよりはマシだろ?」

「それじゃ赤也が風邪引いちゃうよ」

「こんくらい平気だって。つーかお前の方が風邪引いたらマズいだろ」

「ダメ。部員の体調管理をするのもマネージャーの役目だもん。だから……くしゅんっ」

濡れた下着とシーツだけでは寒い上に歩きにくい。

どうすべきか考えて、ユキはふとある事を思いついた。

「あ、生徒会室に行けば着替えがあるかも」

「生徒会室?なんでそんな所に?」

「それは……くしゅんっ」

くしゃみをして震えるユキを見て、赤也はとにかく言う通りにしようと足を進めた。

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