Chapter2

「くそ!まだ追って来る!」

「走れ!」

「あかん!そっちは行き止まりや!」

闇に包まれた校舎の中で迫り来る恐怖からユキ達は必死に逃げ回っていた。

職員室で鍵を探したものの目的の物は見つからず、窓を割る為の道具を探して廊下を歩いていたらまたあの"四つん這いの女"に襲われたのだ。

女は虫のように床を這いずりながら執拗に刻命達の後を追って来る。

逃げ道を失った彼らはやむを得ず、近くにあった保健室の中へ飛び込んだ。

「早く扉を!」

「!」

日吉が素早く扉を閉めて、刻命と忍足が横にあった薬棚を押して扉を封じる。

棚は結構な重さがあるのでこれでしばらくは時間が稼げるだろう。

だがねじれた両足で床を蹴り扉に体当たりを繰り返す女の力と執念は尋常ではない。

このままではいずれ突破されてしまうだろう。

「何なんだ、一体!」

「あかん、扉が壊れそうや……!」

「やっ……お兄ちゃ……っ」

感じた事のない恐怖にユキは過呼吸を起こしていた。

両目からは涙が零れ落ち、呼吸のリズムが乱れている。

「ユキ、大丈夫だ。落ち着いて」

「っ……」

突然の状況に混乱しているのは刻命も同じだったが、震える妹を見ていると自分が弱音を吐く訳にはいかないと不思議と勇気が沸いた。

冷静さを失わないよう、深呼吸をしてから辺りを見回す。

視界に入ったのは壁際に置かれた古い体重計だった。

「これなら……!」

迷っている暇もなく、刻命は両手で体重計を持ち上げるとそれを思い切り窓ガラスに打ちつけた。

教室の椅子などではビクともしなかった窓ガラスが大きな音を立てて割れる。

飛び散った破片が粉雪のようにベッドの上に降り注いだ。

「皆早く外に出ろ!」

散らばった破片を汚れたシーツごと床に投げ出して刻命が叫ぶ。

「ユキ、早く外へ!」

「っ……うん!」

刻命に手を引かれ、ユキはベッドを足場にして窓枠を越えた。

「破片に気をつけろ」

「っ……出られたよ!」

「君達も早く!」

「!」

ユキが外に出たのを確認して忍足と日吉も外に出る。

最後に刻命が窓枠を越えた瞬間、薬棚が倒れて女が保健室の中へ入って来た。

「まだ追って来るのか!」

「走れ!」

外に出ても女は執拗に刻命達を追って来た。

追われるがまま校舎を回り込むと、そこは白檀高校の正門付近だった。

正面には体育館、左手にはA棟とB棟が並び、右手には正門がある。

夜なので少し雰囲気が違って見えるが、毎日見ている風景を間違えるはずがない。

「どういう事だ……ここはやっぱり白檀高校なのか?」

困惑しながら後ろを振り返ると、地面を這いずる女と木造の校舎が見えた。

ここはテニスコートがあった場所だ。

女子テニス部に所属している美月と凍孤がいつもここでボールを打ち合っている。

だが今は見慣れぬ校舎と深い森に覆われている。

「っ……」

理解し難い状況に困惑するも、女に追われて刻命達は正門へと走った。

だが門を抜けた先に広がっていたのは深い闇だった。

氷帝学園にも続いている大通りが今は暗く深い崖に変貌している。

この暗闇に飲まれたらそのままどこまでも落ちていきそうな程、底が見えない。

「嘘だろ?」

「なんでや?なんで外がこないな事になっとるんや」

「お兄ちゃん!」

ユキに手を引かれ振り返ると、そこには四つん這いになった女がいた。

女は獲物を品定めするかのように折れ曲がった首を左右に動かしている。

その首が斜め上を向いた時、ずるりと赤い舌が伸びて地面の上を這った。

「こっちだ!!」

足元から伝わる恐怖心と嫌悪感を振り払うように刻命はユキの手を掴んで走り出した。

正門から外に出られない以上、逃げ道は一つしかない。

忍足と日吉も二人の後に続き、4人はB棟の昇降口へと向かった。

幸いまだ鍵は掛かっておらず、昇降口の扉はすぐに開いた。

全員が中に入ったのを確認して、間髪入れずに刻命が鍵を閉める。

封じられた扉に女がべたりと張りついて赤い舌を伸ばした。

その姿はまるで巨大なトカゲのように見えた。

だが振り乱した髪もねじれた手足も、人間のそれとあまり変わらない。

その事が余計に不快な違和感を感じさせ恐怖心を煽った。

だがさすがに昇降口の扉は分厚く頑丈で、女が体当たりをしても僅かに揺れる程度で突破される心配はなさそうだった。

「はあ……どうにか逃げ切ったみたいやな」

忍足が深く息を吐いて呟くように言った。

日吉もひとまず安堵の表情を浮かべ呼吸を整える。

ユキはまだ震えていたが、呼吸は落ち着いたようだった。

「とりあえずここから移動しよう。向こうに職員室がある。もしかしたらまだ先生がいるかもしれない」

「そうやな……。ここに居っても仕方あらへんし」

忍足達も同意し、4人は昇降口を離れて渡り廊下へ足を踏み入れた。

雨に濡れたせいで髪や制服が体に張りついて気持ちが悪かったが、そんな事を気にしている余裕は誰にもなかった。

あの女は一体何者なのか?

どうして見慣れぬ木造校舎がここにあるのか?

疑問ばかりが浮かんで答えは一向に見つからない。

「お兄ちゃん……健兄は?」

「……ああ」

不安げに自分を見上げるユキの頭を撫でながら刻命は人知れずため息をついた。

教室で目覚めた時からずっと気になっていたのだが、あの時生徒会室へ懐中電灯を取りに戻った黒崎はどうなったのだろうか?

袋井達もまだ生徒会室にいるのだろうか?

そもそも今見ているこの景色は、本当に現実なのだろうか?

「……」

闇に包まれた校舎はまるで見知らぬ場所のように感じられる。

自分達の知らない何かが暗闇の中に隠れているようで酷く心がざわめく。

言い様のない不安を感じながら刻命はぬくもりを求めるようにぎゅっと強く妹の手を握り締めた。


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