第二章 再来

「赤也……」

目の前に立つクラスメートの切原赤也を見て、ユキは茫然と立ち尽くした。

立海大附属中の渡り廊下で赤也は不思議そうにユキを振り返る。

「どうしたんだよ、急に立ち止まって」

「え?ここ……」

辺りを見回してユキは困惑した。

確かにそこは見慣れた学校の渡り廊下で、窓の外には曇り空が広がっている。

「っ……赤也、なの?本当に?」

「?」

赤也は訳がわからないと言った様子で首を傾げる。

「早く行かねえとまた真田副部長にどやされるぜ」

「え?」

歩き出す赤也の背中を慌てて追う。

いつもと変わらない風景に、いつもと同じ赤也とのやり取り。

あの日失ってしまった日常が目の前にある事に、ユキは戸惑いを隠せなかった。

「けど話って何だろうな。海原祭も終わったし、もしかして次の部長の発表とかだったりして」

「海原祭……?」

どこでようやくユキは現状を理解した。

この光景を自分は覚えている。

赤也と交わした会話の内容も、あの時と全く同じだ。

海原祭最終日の放課後、片付けを終えてミーティングルームへ向かう途中の出来事。

あの惨劇の……プロローグだ。

「赤也!」

ユキは居ても立っても居られずに赤也の腕を掴んで引き止めた。

「真田君って……もしかして皆っ……幸村君達もミーティングルームにいるの?」

「さあ、もう集まってんじゃねえの。俺達も早く行こうぜ」

「っ……」

間違いない……これはあの日の出来事だ。

幸村の呼び出しに応じてテニス部のレギュラー達がミーティングルームに集まり、そこで"幸せのサチコさん"を行う。

そして彼らは惨劇の舞台となる天神小学校へ飛ばされるのだ。

「戻って来たんだ……」

ぽつりと呟いてユキは手を握り締めた。

失ったものを取り戻す為に、自分達はここに戻って来た。

同じ過ちを繰り返さないように、何としても阻止しなくては。

ミーティングルームの扉を開けるとそこには既に男子テニス部のレギュラー達が顔を揃えていた。

「全員揃ったな」

「あれ、丸井先輩はどうしたんスか?」

「トイレに行っている。すぐに戻って来るだろう」

柳と赤也が話している横で、ユキは全員の顔を見回しながら茫然と立ち尽くしていた。

天神小学校で命を落とし現実世界から消失してしまった仲間達がそこにいる。

手を伸ばせば触れる事も抱きしめる事もできる距離に皆がいる。

どんなに願っても取り戻す事のできなかった日常がそこにある。

「ユキ」

「!」

入り口で立ち尽くしていたユキは真田と目が合いびくりと肩を震わせた。

戸惑いながらも頷くと真田も頷いて、二人は幸村達に気づかれないようにそっと廊下に出た。

「真田君、これって……」

「ああ。戻って来たんだ。俺もまだ信じられないが……」

いつもと変わらない幸村達を見て真田も戸惑っている様子だった。

「……覚えてるよね?夢じゃないんだよね?あの……小学校で起きた事……」

「お前も覚えているのなら間違いないだろう。今日は海原祭の最終日。俺達が天神小学校へ飛ばされる直前だ」

「……」

ユキは幸村達の身に起きた惨劇を思い出して震えた。

未来を変える為に自分達は過去に巻き戻った。

けれど本当に未来を変える事などできるのだろうか。

また同じ未来が待っているのではないかと不安と恐怖に押し潰されそうになる。

「でも、待って。あの"幸せのサチコさん"のおまじないを言い出したのは私だった。私さえあの事を皆に持ち掛けたりしなければ、皆が天神小学校へ飛ばされる事はないんじゃ……」

「そうだな……。このまま何事もなく過ぎれば、問題なく明日を迎えられるはずだ」

「皆の為に何かしたいって海原祭の前日に幸村君に相談してたけど、詳しい事は何も話してなかったはずだし……私が黙ってさえいれば未来を変えられるはず……!」

希望を見出してユキが身を乗り出した時、後ろから誰かに肩を叩かれて二人は驚いて廊下を振り返った。

「お前ら、こんな所に突っ立って何してんだ?」

「ブンちゃん……」

そこにいたのはトイレから戻って来た丸井ブン太だった。

ブン太は廊下に立ち尽くすユキと真田を見て不思議そうに首を傾げている。

「気にしないで、何でもないの。本当に……何でもないから」

慌ててそう言い、ユキは真田と共にミーティングルームの中に戻った。

訝しげな顔をしながらブン太もその後に続く。

全員が揃った所で、部長の幸村が口を開いた。

「皆、お疲れ様。今年はアクシデントもなく無事に終わって良かった」

幸村の言葉に柳達が頷いて穏やかな表情を浮かべる。

「さっそくだけど、ブン太」

「おう!ちょっと待ってくれい」

ブン太が席を立ち棚の上に置いてあった自分の鞄の中を漁り出す。

「あった、あった。ほい、これ」

そう言ってブン太がテーブルの上に差し出したのは、あの……"幸せのサチコさん"の人形だった。

「!」

全員が不思議そうに人形を見つめる中、ユキと真田だけが真っ青な顔で愕然としていた。

あの時一番乗り気でなかったはずのブン太が何故、"幸せのサチコさん"の人形を持っているのか……。

「人形……いや、形代か?」

「さっすが柳。これは"幸せのサチコさん"っつーおまじないで使う人形らしいぜ」

「おまじない?」

「この人形を皆で掴んで、サチコさんお願いしますって心の中で人数分唱えるんだ。唱え終わったら皆で人形を引っ張って、その切れ端を財布とかに入れてずっと持って置くと一生友達でいられるんだってさ!」

「珍しいのう。お前さんが占いやまじないに興味を持つとは」

「そうですね。こういうおまじない等はどちらかと言うと女性が興味を持つという印象が強いのですが」

「俺らもうすぐ卒業だろ?その前に皆で何か記念になりそうな物やりたくてさ」

「へえ、いいんじゃないっスか」

「けど見た感じ普通の紙切れだよな。本当に効果あるのか?」

「いや、あまり馬鹿にはできないぞ。昔、陰陽道で使われていた式神なども形代を用いたと言うからな」

「占いやおまじないもルーツを辿ると意外と古く伝統的な行事が元だったりしますから」

「物知りじゃのう」

ざわつく室内を制して幸村がもう一度口を開いた。

「それじゃあ皆、どこでもいいから人形をしっかり掴んで唱え終わるまで離さないようにしてくれ」

仁王達が席を立ち白い人形の端を掴む。

「ん?どうした、弦一郎」

「おい、ユキ。早く掴めよ」

柳と赤也が声を掛けるが、真田もユキも茫然と立ち尽くしたままだった。

「っ……ダメ!!」

我に返ったユキが慌てて人形を掴む赤也の腕を引っ張る。

「幸村、よせ!それは決してやってはならん!!」

「真田?」

必死の形相で止める二人を見て幸村達は訝しげな顔をする。

「どうしたんだよ、お前ら」

「つーか真田はともかくユキはこういうの好きだろ。占いとか、よく楽しそうに見てんじゃねえか」

「ダメなの、これは!お願い、皆やめて!」

「そうだ、これは危険な物なんだ!全員その人形から手を離せ!」

必死に懇願する二人だったが、幸村達は不思議そうな顔をするだけで手を離す気配はない。

「おいおい、よくわかんねーけど、別に普通の紙だぜ?これ」

「いいじゃないっスか、真田副部長。せっかく丸井先輩が用意してくれたんだし。今日の海原祭の記念って事で!」

「そうだぞ、弦一郎。全国大会は終わったが、俺達の後を継ぐ赤也の為にも仲間の結束を高めるのは悪い事ではない」

「ユキも早くこっち来いよ」

「っ……」

ユキと真田は必死で幸村達を説得した。

このおまじないが危険な物である事、実行すれば二度と元には戻れない事。

しかしあの天神小学校を知らない彼らにそれを理解させる事は難しかった。

話し合いは平行線のまま収束しない。

やがて幸村が大きなため息をついて言った。

「わかった。理由はよくわからないけどそんなに嫌なら、二人は参加しなくてもいい。俺達だけでやろう。いいね?ブン太」

「ああ。ったく、何ビビッてんだが」

ユキと真田を残して幸村達はもう一度人形を掴む。

「嫌……ダメ、みんな!!」

「くそ、止むを得ん!」

真田が柳と仁王の間に割り込んで人形を掴む。

「っ……」

ユキも赤也の隣に飛び込んで人形を掴んだ。

変えられない運命へと導かれる幸村達。

歯車は回り、彼らを惨劇の舞台へと誘う。

彼らはまだ知らない。

繰り返される恐怖と絶望を……。


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