「花嫁になってよ」

「また来たの久々知!無理だって言ってるだろ!」

「兵助だってば」

「人の話を聞けよ!!」



西国一の大妖怪、老化け狸のものであった、とある山奥にある屋敷。今となっては勘右衛門の物であるそこで、今日も盛大な、鬼事が始まっていた。

木の葉を取り出して頭に乗せて、くるりと回って姿を消す。ぽんと音をたて、勘右衛門は見えなくなった。兵助はきょろり、と部屋の中を見渡す。ぴこぴこと、頭上の黒い猫の耳が動く。

すぐに、部屋の一点を指差した。



「勘ちゃん、そこ」

「きゃん!」



今度は、ぱんっと音がなり、勘右衛門は尻餅をつくようにして姿を現した。ころりと床に転がる。

今のところ、勘右衛門の化ける力より、兵助の見破る力の方が大分上にある。



「ね、俺の、花嫁さんになって?」

「うー…」



勘右衛門の両の頬に手を当てて、一寸あるかないかの距離で囁く兵助。目力凄いだろうってことは想像できる。

勘右衛門は顔を真っ赤にして、目を合わさないようにしている。しかし顔が赤いのは、多分、恥ずかしいではなく、悔しいからくるものだろうと思う。



「毎日飽きずによくやるね、兵助も」

「まあ諦めはしないだろうけれどな」

「勘右衛門がいつ折れるかだよなー」



その様子を縁側から見ていた、私と、雷蔵と、八左ヱ門。世にはこれを出歯亀というらしいが、知らん。いつまでたっても、何も始まらないし終わらないあいつらを見守るのは私達の役目、という考えで一致している。











「兵助、そろそろだよ」

「分かってる」



雷蔵に呼ばれ、見ていた庭の風景から目線を移した。そのまま立ち上がり、渡り廊下に出る。

四季を望んだ通りにできるこの屋敷は、俺達のようなものにとっては、とても過ごし良い場所である。



「ありがとう雷蔵、わざわざ」

「ほらみろ、兵助は言わなくても来ると言っただろう?」

「いや、一昨日の晩から寝てないみたいだから。うたた寝でもしていたら、大事だと思ったんだけど」



節介だったみたいだね。と笑う雷蔵に、俺も笑い返した。三郎に行くぞと言われ、二人の後に着いて廊下を進む。今、外は一面、雪景色である。





一度彼岸を渡った筈の俺達が、こちらに還ってきたあの時。あれから、千六百年が経っていた。

暗い森の中で目を覚ました俺達は、まず、なぜ生きているのかに驚愕し。そして、四人しか居ないことに絶望した。間違いなく生きている筈の、勘右衛門だけが居なかった。

(余談ではあるが、他の三人曰く、この語り人の動揺が、最も酷かったということである。どうして居ない、何処に居ると狂ったように呟いていたと。)

そして、勘右衛門を探そうとした俺達の前に、いつの間にか現れた誰か。その人から、俺達は全てを聞かされた。



「勘右衛門も、とんだ無茶してくれたよねえ」

「かえってきたら、説教くれてやらないと気が済まないな」

「三郎にはされたくないと思うのだ」

「兵助酷い、私だってたまには」

「僕もそう思う」

「雷蔵まで!!」



おいおいと泣きまねを始めた三郎を、雷蔵が至極どうでもいいとばかりに一瞥した。

目覚めて、ヒトでなくなっていた俺達。三郎は化ける狐。雷蔵は迷わせる狐になっていた。

自分達の住み処に入り込んだ、悪人のみを惑わせる。善人には案内をし、道標となり、人助けをした結果、今では二人とも、名のある社で奉られていた。



「よう八左ヱ門、どうだ?様子は」

「お、来たか!もう開くと思うぞ、さっきから動き通しだよ」



真白の祠に辿り着き、番だった八左ヱ門に、三郎が問うた。山犬になった八左ヱ門も、人々から信仰される山の神の一角である。

祠の扉が、かたかたと揺れている。鍵も無いのに、いくら力を込めても、この千六百年間、開くことはなかった白木の祠。



「永かったなあ…」

「最初何て言おう…うーん」



話している三人の前に立つ。祠を正面から見据える。

何が起こるかは知れない、もしかしたら危ないかも知れないこの役を、譲らなかったのは俺だった。



―――――開けるぞ。



言って、扉に手を伸ばし、金色の持ち手をゆっくり引いた。

途端、どろりと、真っ黒な何かが、中から溢れ出た。咄嗟に俺は飛び退いた。三郎達も同様に、距離を取る。到底祠に入り切るはずの無い量の何かが、どろどろと流れて来た。



「うっわ、何だこれ!」

「祟り神とか、そんなのに似てるけど…」



ひらり、と木の上に乗った八左ヱ門が、驚きの声を上げた。それに雷蔵が答える。

古今東西の知識を知る、かつての先輩の下にある雷蔵は、知恵の面でその恩恵を受けている。この五人の中では、よくものを知っていた。



「いや、これは……特に悪いものを感じない」



およそ、彼を閉じ込めていた何かの名残だろう、と三郎が言った。その言葉は正しかったらしく、触れても何も無い。

しばらく溢れ続けていたが、やがて黒いものが、ぼこり、と一部迫り上がった。

そこから、肘から先の腕が見えている。それに、見覚えがあった。



「!」



跳躍して、その元へ近付く。

ほぼ同時に、黒いものがぱくりと口を開ける。そこから、倒れるように出てきたものがあった。



「―――――勘右衛門!」



両の腕を伸ばして受け止めれば、黒い何かは全て消えた。

勘右衛門は、最期に見た姿と、全く変わっていなかった。ただ、ヒトで無くなってしまったので、その証に、狸の耳と尾はあったけれど。



「起きてくれ、勘右衛門」

「―――――…」



少し揺り動かせば、瞼がふるりと揺れた。そして、ゆっくりと開く。綺麗な茶色の、まあるい瞳が、俺の姿を映した。



「あ………」

「勘右衛門、」

「へ、すけ」



よかった。

言って、ふにゃりと笑った勘右衛門に、俺は思い切り抱き着いた。こっちの台詞だ。

やっと逢えた、俺達の寿命は、ヒトより何倍も長いから。だから、千六百年なんて、ほんの一部だけれど。それでも、とても永くて。



「勘右衛門」

「…?」



目線だけで、なあに、と問い掛けてくる勘右衛門。

何百年も待っていたことを、やっと言える。



「俺の、花嫁になって」



にこりと笑って、俺は勘右衛門を抱きしめた。










「―――――まさか、兵助と恋仲だった記憶だけすっぽ抜けるとは」

「お釈迦様でも思うめぇ…」

「いくら一部トぶかもしれないといっても」

「寄りによってそれを選ぶ、なんて」

「もう思い出しそうだからね?勘ちゃんは」



哀れな…世の中も無情…私と八左ヱ門が泣きまねをしていれば、雷蔵から容赦のない鉄拳が飛んできた。

四人も彼岸から還らせるのだから、対価に何処か、欠落が起こるかもしれないと、言い残して往った老化け狸。勘右衛門は最も大きな対価を渡したらしかった。

兵助のことは覚えていたし、それ以外は何も欠けていなかったけれど、只一つ。兵助と、恋仲だったことだけを、忘れていた。少しずつ、取り戻してはいるけれど。

ちなみに雷蔵の拳、私は避けたが八左ヱ門は喰らったので二人でごめんなさいをすることにした。ごめんなさい雷蔵。あ、痛いから痛いから顔はやめて!顔は!



「まだやっとるのか、久々知は」

「!」

「木下鉄丸先生!」



雷蔵に頭を鷲掴みにされ、二人でどうにか逃れようとしていたら、後ろから聞こえてきた声。ばっ、と顔を上げれば、千六百年前と変わらない、かつての師の姿があった。頭の上の耳は見なかったことにした。



「尾浜が目を醒ますまでにというから、イロハもそれ以上も全て叩き込んでやったのに、未だに手子摺っとるのか、あいつは」

「いやそれが、事情もありまして」



東国一の大妖怪となったこの人の、すぐ下にいる兵助は、次の頭になる地位にいる。西国一の大妖怪の、養子とはいえ倅となった勘右衛門は、花嫁として申し分ないし、何より兵助本人が望んでいる。余談だが、別段男でも花嫁、つまりは眷属になることに、問題はないらしい。



「花嫁になってったら」

「だめ!」



嫌だ、じゃないだけ、勘右衛門も思い出しかけているんだろう、と私達皆が思っている。

早く思い出してくれよ勘右衛門。あと一息なのは疾うにばれているし、お前に断られる度、しぬほど辛そうにしているその馬鹿を慰めるのも、もうそろそろ限界だ。







あいみての のちのこころに くらふれは
むかしはものを おもはさりけり












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