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Arabasta Kingdom


黒ずきんとハヤブサと雨祝

恭は勉強が得意な方ではない。
学生時代は部活三昧で、試験前に教科書を丸暗記する事だけは得意だった。
当然試験が終われば殆ど頭から抜け落ちたし、それは勉強した内に入らねェと前の仲間たちにも笑われた。
英語とイタリア語を教育係の仲間に扱かれて半泣きになったのはまだ記憶に新しい。

だからアラバスタが元の世界のどこかの国に似てると気付いても、国名までは思い浮かばない。
確かアラビアンナイトの舞台がこんな国やったかな、と踊り子の服を身に付けた時にぼんやり感じた程度だ。



「……ルフィさん…恭さん…ペル…!」

宮殿から落ちてきたビビを受け止めたルフィ。
ビビとルフィと恭を乗せた大きなハヤブサが、砂の舞う風の中を放物線を描いて上昇した。ルフィの肩越しに見たビビの涙に、恭は眼下にいる宮殿に立つ男を見遣った。

―男でよかったなクロコダイル……お前が女やったら“卵”を植え付けてたわ。

クロコダイルの位置を示したノートパソコンは役割を果たし、恭の手から霞のように消える。
赤い服の少年と、淡い色の服に血がべったり付いた少女の姿は、さぞあの男の目にはっきり見えるだろう。

「広場の爆破まで時間がないの!もうみんな…やられちゃったし……私の声はもう…誰にも届かない!」

顔を横断する傷跡に鉤爪の左手。海賊らしい出で立ちなのに陸を支配しようとする男に、ふとその物語の王様を思い出した。
クロコダイルは直接百の女の首を刎ねたわけではない。けれどこの国から幾百の雨を奪い、どれだけの民を犠牲にしたのだろう。どれだけの人に涙の雨を降らせたのだろう。

「心配すんな――お前の声なら俺達に聞こえてる!」
「ビビの叫びを無駄にはしやん。必ず止めるよ」

ただ物語と違ってこの国の悪王を止めるのは、千の物語を紡ぐシェヘラザードではない。
千の拳を繰り出す未来の海の王だ。



「ああああああ〜〜〜っ!ルフィと恭が生きてるぞ〜〜!」
「な"!な"!だから言っただろっ!俺にはわがっでだ!」
「ウソップ〜!誰が宴会の小道具作ってって頼んだのよっ!」
「立ってんじゃねェかてめェ!」
「恭ちゅわ〜〜ん!大丈夫…」

『ギャアアアア!?血まみれええええ!!』
「みんな打ち合わせでもしたん?」

宮殿の下へ降り立つと仲間が全員揃っていた。
ゾロを除く全員からの綺麗に揃った悲鳴に恭はデジャブを感じた。ゾロの服も同じくらい真っ赤に染まっているのにそっちには反応なしなんだろうか。
時間がないし面倒なので返り血だと適当に訂正する。今優先すべきは上空でビビから聞いた砲撃の阻止だ。

「悪ィみんな、俺あいつにいっぺん負けちまったんだ。だからもう負けねェ!あとよろしく!」
「さっさと行って来い」
「お前で勝てなきゃ誰が勝てるってんだ!」
「終わりにするぞ!!全部!!」

船長の力強い言葉に鼓舞されて、クルーは拳を上げて彼を見送った。
宮殿に向かって瞬く間に飛んでいくルフィに恭は着いて行きたかったが、今はアラバスタ国民を守ることが先だ。もしクロコダイルを追いかけたくなっても、位置情報はべったり恭にくっ付いている。

「先行くわ!」
「散り散りになれ!とにかくまず塵旋風の外へ出るんだ!」
「恭ちゃん!ビビちゃんを頼む!」
「わかってる!」

今まさに国民の数が集中している宮殿前の広場を噴き飛ばす砲弾が、何処からか撃ち込まれようとしている。
あのクロコダイルのことだ。道連れになるはずの砲撃手を上手く言いくるめて、近場から確実に撃ってくるだろう。
こちらとしては探す範囲が狭くて好都合だ。集まって来た敵をゾロとサンジに任せ、再び一味は散り散りになって砲撃手を探しに走る。
残り時間はあと十分。

「死ねェ!王女ォ!」
「メタリカ!」

上空から探しに行くペルとも別れ、狙われるだろうビビは恭が護衛に回った。
海軍から盗った刀は砂漠で落としてしまったため、今度は敵の持っていた剣を頂戴する。
バロックワークスの幹部クラスは全員倒したため、敵一人一人は大して強くないが数が多い。
瓦礫で足場の悪い中何度か転びそうになるのをビビと支え合いながら、恭は襲ってくる敵を片っ端から喀血させていった。

「恭さん無茶しないで!ずっと能力を使い続けてるわ…」
「無茶くらいさせてよ、泣いても笑っても残り数分なんやから……絶対助けるって、あの時言うたやろ?」
「えっ?」
「船で。国より先に仲間を助けてくれたビビの優しさと勇気、無駄にしてたまるか」

―……絶対助けるから、ビビ。
―ええ、もちろん。


いつかの夜に言われた台詞。てっきりナミのことかと思っていたが、それは自分に向けられていた言葉だった。
立ち止まって泣いてしまいそうになる足を叱咤し、ビビは鼻を啜って顔を上げる。今考えるべきは砲弾の在り処だ。
クロコダイルの立場になって考えてみる。爆破を絶対に成功させるには、砲弾を何処に隠すだろう。
確実に着弾できるよう広場がよく見えて、滅多に人が近寄らず、大きな砲弾を安全に保管できる広い場所……

「……あそこだ…」

それはまるで砂を被った机に息をフッと吹きかけたような、僅かに見えた可能性。
確証はなくても、思い付いてしまえばもうそこしか考えられない。ビビは恭の手を掴んだ。

「わかった……あそこしかないわ!」
「そこに賭ける!みんなを集めよう!」


   *  *


砲撃手は時計台の中にいる。
ウソップを捕まえて一味を集めたはいいが、地上から塔の内部までは高さがある。何故か上の階にサンジとゾロがいたが、それでも残り一分足らずで間に合う距離ではない。
飛んで行けるペルを頼りたいが、合図が見えなかったのか来る気配がない。ビビが空を探していると、時計の文字盤が開いて中から巨大な砲門と人影が見えた。もう迷っている時間はない。

「大人しくそこに立ってて!今計算中なの!」
「大人しくって、この体勢も意味わかんねェぞ!何する気なんだ一体!?」
「やればわかるから!いくわよ!」

ナミの策によってビビがチョッパーに跨り、その二人をウソップが背負い、さらにその足元にナミがロッドを投げ入れた。
ウソップが発明したロッドは強風を巻き起こしてその場にいた全員を上へと運んでいく。
ウソップ・サンジ・ゾロが足場となってチョッパーは砲門と同じ高さまで飛んでいき、ビビを更に上へ投げ飛ばした。
途中で動きに気付いた砲撃手が近くのゾロやチョッパーに気を取られている間に、ビビは落下しながら武器を構える。

「上か!」

ビビを見付けた砲撃手二人が銃を構えた瞬間に、ビビは砲門目掛けて何かを投げた。武器だと思った男の砲撃手が横へ躱す。
しかし横切ったそれは、人の形をしていた。

「リトル・フィート解除」

慌てて二人が振り返ったと同時に、小さな人影は一人の女になる。
黒い頭巾を被った女は空中で剣を一振りし、床に食いこんだ剣を軸にして着地した。
見れば導火線が切れていて、行き場をなくした火は音を立てて消えた。

「おのれ黒ずきんッ!」
「おっとぉ、こっち向いててええんか?」

砲撃の失敗に怒りを滲ませて恭に銃口を向ける、全身カエルの衣装の女と全身に七の字をあしらう男。
なんとも滑稽な姿の二人組に噴き出すのを堪えて遅すぎる助言をくれてやる。
向き直る暇もなく、二人の視界を孔雀の羽根が横切った。

「孔雀一連スラッシャー・逆流!」

渾身のビビの攻撃が命中し、二人組は時計台から落ちていく。
途中の階から横中になっている建物だから、運が良ければ地面に叩き付けられずに済むだろう。
入れ替わりで塔に入ってきたビビは、肩で息をしながら切れた導火線と恭を見た。

「…と…止められた……?」
「……待って、何か……」

―カチ…カチ…カチ…

謎の機械音が静かな塔の中に響く。
一定のリズムで聞こえる小さな音に、二人は無言になった。
まるで時計の秒針のようだ。けれど時計台のものとは音が違う。
何をカウントしているのか……大砲を覗き込んだビビが血相を変えて叫んだ。

「大変みんな!砲弾が時限式なの!このままだと爆発しちゃう!!」
「なっ!」
「何だとォ〜〜!!?」

一味の驚愕の声が塔まで届いた。
どうして今まで思い付かなかったのだろう。
あのクロコダイルが、絶対に成功しなければならない爆破を他人に任せるはずがなかった。砲撃手が狙いを外したり、途中で躊躇されては困るのだから。
万が一撃ち込まれなかったとしても、広場を狙わなくても、この時計台で自動で爆発すれば結果は同じだ。

「くそっ、マン・イン……うッ!」
「恭さん…!」

一か八かウエストポーチから鏡を取り出そうとした恭だったが、突如がくんと膝から崩れ落ちた。
身体が鉛のように重い。思えば今日何度能力を切り替えただろう。
元の持ち主が別々の、性質の違う複数の能力を一人で使っているのだ。体に負荷が来るのは当然である。
ビビにはもう駆け寄る気力がない。脳裏にクロコダイルの高笑いが響くようだった。

「…ここまで探させておいて…砲撃予告をしておいて……一体どこまで人を馬鹿にすれば気がすむのよ…どこまで人を嘲笑えば気がすむのよ!クロコダイル!!」

またしても目の前に死が迫っている。けれど今はそんな事より、拳を打ち付けるビビの悲痛な声を聞く事の方が苦しかった。
たくさんの能力を持っていて何かしらできるかもしれないのに、身体がいうことをきかない。
這うようにしてビビの元に行こうとしたその時だった。

「懐かしい場所ですね…砂砂団の秘密基地」
「ペル…」
「…まったく貴女の破天荒な行動には、毎度手を焼かされっぱなしで…!」
「ペル聞いて!」

優しい声。顔を上げると時計台の縁に、傷だらけのペルが立っていた。
あまりに場違いな、朗らかな口調でビビとの思い出を語るペルに、恭は言いようのない不安を感じた。

けれどそれと同時に、ある種の納得も覚えた。
自分が彼の立場でも、同じ決断をしただろう。

「ビビ様、私は…貴女方ネフェルタリ家に仕えられた事を――心より誇らしく思います」

ペルは一度もビビから目を離さずそう言い残した。
ハヤブサの姿になった彼は筒から砲弾を取り出して時計台を飛び立つ。
背中に人を三人乗せて飛べるのも、大きな砲弾を難なく足で運べるのも、これまで有事に備えて鍛錬を詰んだ証だろう。
力強く、空高く、上へ上へと飛んで行く翼が見えなくなった頃――閃光と轟音が空に広がった。

恭のいる場所からビビの顔は見えない。呆然と上を見て立ち尽くす後ろ姿に、かける言葉が見当たらなかった。
彼のお陰で国民全滅の危機は回避できた。あとはルフィがクロコダイルを倒すのを待つだけだ。
ビビの気持ちが治まるのをうつ伏せのまま待っていた恭は、暫くすると違和感に気付く――外の狂騒が消えていない。

「…いを…めて、くださ…」

ビビの声が震えている。
まだ国民の暴動が収まっていないのか。
大きな爆発があったのに、もう国を脅かすものはないのに、元凶の打倒ももうすぐなのに。
まだ国民の手で国を壊し続けているというのか。

「戦いを!!やめて下さい!!」
「!」

時計台に響いたビビの声が、恭の鼓膜に刺さった。

「…戦いを!!やめて下さい!!」
「戦いを!!やめて下さい!!ゲホッ」
「戦いを…!!やめて下さい!!」

それは命を削るような叫び。
何度も何度も何度も繰り返される悲鳴に似た嘆願に、いつの間にか恭は床を殴り付けていた。

「…どいつもこいつも……」

足元に現れたジッパーの中へ潜り込むと、転がるようにして広場に降り立った。
本来の距離の限界を無視しているのは火事場の馬鹿力か。今の恭に己の体力を顧みる余裕はない。
勢いのまま能力を切り替え、目の前で荒れ狂う国民に向かって煙を吐き出した。

「そこを動くなあぁぁああ!!」

限界を超えて放出された老化ガスは、皮肉にも砂の混じった乾いた風に運ばれて広範囲に広がった。一瞬の出来事だったが、急激に身体の力が抜けた国民の動きが鈍る。
巻き添え覚悟で武器を奪いに飛び出す仲間の後ろ姿を最後に、恭の視界はぐらりと傾いた。ナミの声が遠くに聞こえる。

意識が遠のく中、ふわりと湿った水の匂いが漂った気がした。


   *  *


一日に二度気絶したのはこれが初めてかもしれない。
一度目は蒸されるような暑さだったが、今度はほんのり涼しくて心地いい。
近くで聞こえる仲間たちの鼾に、煩さより安心感の方が勝った。まだ瞼が重い。
このままもうひと眠りしてしまおうと意識を手放しかけた恭の脇腹に、突如何か塊が叩き付けられた。

「ぐふッ」
「恭さん…?気が付いた?」
「う……ビビ…?」

腹を抱えて呻くと上から聞こえてきた声。のろのろと瞼を開くと、上からビビが顔を覗き込んでいた。その頭には包帯が巻かれている。
ゆっくり辺りを見渡すと、横一列に並んだベッドで仲間たちが眠っていた。隣のナミの頭に何もないことから、さっきの衝撃の正体は枕らしい。
切迫した戦闘から一変してゆったりと流れる時間に、恭は事態の収束を悟った。

「……終わったん?」
「ええ。クロコダイルはルフィさんが倒して海軍が連れて行ったわ。みんな戦いを止めたし、パパ…国王も無事よ」

雨も降ったのよ。
嬉しそうに語るビビにつられ、恭は横になったまま目線を上げる。
逆さに見える窓の外で、雨がしとしとと優しく降っている。何年もの干ばつに苦しんでいたアラバスタにとっては正しく恵みの雨だろう。

「…雨なんて、じめじめするし物がカビるから嫌いやったけど……ちょっと好きになれそう」
「これもみんなのおかげだわ。本当にありがとう」
「それはみんなが起きたら言ったって。私は結局大して…」
「恭さんも“みんな”の一人よ」

目尻に涙を滲ませるビビを見て恭はそれ以上言葉を重ねるのは止めた。
ビビにとっては戦ってくれた一味全員が感謝に値するのかもしれないが、恭はどうにも自分がこの戦いで役に立ったとは思えなかった。
クロコダイルとの戦闘はもちろん、ワニの駆除も、砲撃の阻止も、国民の阻止も、自分がいなくてもどうにかなった気がするのだ。もっと自分に力があれば、もっといい結果になっていたかもしれない。
けれど今喜んでいるビビに水を差すようなことを言う気になれなくて、曖昧に笑って目を閉じた。

「もう寝よ…明日もやる事いっぱいやで」
「そうね。みんなにも美味しいものたくさん食べてもらわないと」
「ルフィは肉で、ゾロはお酒で…チョッパーは、あまいもの…」
「恭さんは何がいい?」
「…わたし…びびの、好きなやつ…」

目を閉じて優しい雨音と少女の声に耳を傾けていると眠気がゆっくりと戻って来る。
美味しい食事も、強くなることも、ビビのこれからのことも、また明日考えればいい。
眠気に逆らわず、恭はまた眠りの海に沈んでいった。



「子供を産ませる能力は確かに怖ェけど…血で居場所を特定できるの?」
「それってつまり恭にゾロの血とか渡しておけば、こいつが迷子になっても追跡できるってこと?」
「恭〜〜!お前って奴ァなんつー便利な能力に目覚めるんだよ!」
「恭!これゾロに付けてた包帯だ!定期的に新しいの用意するから言ってくれ!」
「おいチョッパー何する気だテメェ!?」

翌日目覚めた一味に戦いでの成果を自分以上に喜ばれるのだが、この時の恭はまだ知らない。