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Arabasta Kingdom


黒ずきんとトナカイと雪花

人間の体温の限界は45℃までと言われている。42℃を超えると細胞がダメージを受け始め、死亡の確率が高くなるのだ。

ビビの提言でアラバスタより先に医者を探すことが決まったその日の深夜、ナミの身体が震え始めて恭は微睡んでいた意識を覚醒させた。
傍にいたがる男達を寝室から追い出しては、何度もビビと手分けしてナミの身体を拭き服を替えている。
熱が出るのはナミの身体が病気と戦っている証拠だ。けれど刻々と上がっていく体温に、恭は自分の顔色が反比例して青褪めている気がした。
また着替えが必要かもしれない。自分と同じく傍で船を漕いでいたビビをそっと揺すり起こす。

「ビビ、ビビ」
「…っ、ナミさん!」
「は、ァっ……ベ、ル…メ……さっ…!」

ガタガタと震えながら譫言で漏れたのは、かつてココヤシ村でナミの姉から聞いた二人の育ての親の名前だった。事情を知らず「誰かの名前?」と問うビビに「ナミのお母さん」とだけ返す。
気丈なナミが亡き母を求めるほど弱っているのに、背中を摩ってあげることしかできないのが悔しい。
二人して俯きかけたが、ビビは暗い気持ちを振り払うように首を振って恭の両肩を叩いた。

「額と背中のタオルを取り替えましょう。氷を貰ってくるわ」
「うん…」
「大丈夫。きっと医者は見つかるし、病気も治るわ」
「……絶対助けるから、ビビ」
「ええ、もちろん」

余所者だった自分を助けようとしてくれる一味の力になりたい。ビビは安心させるように笑って寝室を出た。
この時恭が「助ける」と「ビビ」の名を同時に出した意味に、ビビは気付いていない。


   *  *


名前のない国。魔女のいる国。旧ドラム王国。
全てその冬島を指す名前だった。

海賊として警戒され銃弾も受けたが、ビビとルフィが必死に頼み込んだことで上陸を許され、護衛だという男の家に向かう一味。
道中ドルトンと名乗った護衛に聞くと、現在この国の医者は“魔女”と呼ばれる老婆一人しかいないらしい。
さらに驚いたのは、その医者は巨木のようにほぼ直線に聳える山の頂上に居を構えているという。連絡の術はなく、普段村人は医者が下山したタイミングで治療を受けているのだとか。
いつやって来るか分からない医者を待てるわけがない。

「あのな、山登んねェと医者いねェんだ。山登るぞ」
「無茶言うなお前!ナミさんに何さす気だァ!」
「いいよ、おぶってくから」

ナミを抱えて山の頂上へ向かうと決めるのもルフィにとっては当然の思考で、高熱のナミに無理をさせられないと反対する周りの声も当然の反応だった。
恭だってナミに危険な移動をさせたくないが、ことは一刻を争う。ナミが弱々しい声でルフィの案に乗ったのを見て、膝を打って椅子から立ち上がった。

「私も行く」
「恭ちゃんまで!」
「ナミを背負うなら、何か起きてもルフィは戦えへん。私がルフィとナミを守る」
「何時間もかかる道程よ!何か他の手段を――」
「私がナミの立場でも同じ選択した。みんなもそうやろ?」

誰も二の句が告げなくなった。みんな早くナミに良くなってほしいし、早くビビの国を助けに行きたいのだ。
ナミをそっと起こしてコートを着せていると、サンジも同行を名乗り出た。

そして四人で雪道を進む。
ナミを小さくして恭が抱える案も考えたが、病気のナミに余計な負荷をかける可能性がある。
よってルフィの左右をサンジと恭で挟んで山へ走る。

「知ってたか?雪国の人達は寝ねェんだぞ」
「あ?何で」
「だって寝たら死ぬんだもんよ」
「そ、れ遭難した時の話ちゃう?よっと」
「本当だよ。昔人から聞いたんだ」

ウソップか、と恭とサンジが反応すると、村の酒場で聞いたとルフィ。
となると出処はルフィの口からよく聞くシャンクスかもしれない。からかわれたのではと思ったが、拗ねそうなので黙ることにした。

「じゃお前これ知ってるか?雪国の女はみんな肌がスベスベなんだ」
「なんで?」
「そりゃ決まってんだろ。寒いとこう…肌をこすり合わせんじゃねェか。それでみんなスベスベになっちまうんだ」
「よいしょ!それ女性限定なん?」
「ああ!スベスベで透き通るような白い肌…それが雪国の女さ」
「ふーーん。白いのは何でだろうな」
「そりゃ勿論、降りしきる雪の色が肌に染み込んじまうからよ」
「そうはっ、ならんやろ…っと!」
「あーお前結構ばかなんだな」
「てめェにだけは言われたくねェよ!というか…」

「ガルルルルル!」
「鬱陶しんだよさっきから!」

そう言ってサンジが蹴り飛ばしたのは、やたらと獰猛なウサギだった。
人里を抜けた辺りから四人目掛けて飛びかかってきたのだが、急いでいるため無視して躱していたルフィとサンジ。
鋭い牙を見せドッジボールのように突っ込んでくるウサギに恭は最初こそ怖がったが、平然としている男達に倣って気にすることを辞めた。
避けるのに少し力む恭に比べウサギをまるで居ないもののように扱っていた二人だったが、ついに苛立ったサンジの足が出た。

あれがドルトンの言っていたラパーンという獰猛ウサギかな、と思っていた矢先だ。
先程のウサギより何倍も大きい熊のような生き物が、群れをなして四人の前に現れた。
全員が敵意と牙を剥き出しにし、太い腕を振るって襲いかかって来る。

「何とか振り切るんだ!こいつら全員と戦ってたら日が暮れちまう!」
「くそっ…ぬ!」
「あかんルフィ!メタリカ!」
「ガアアッ!」
「馬鹿野郎!俺達に任せりゃいいんだ!」

撹乱のため森へ逃げ込み、つい手や足が出そうになるルフィを制しながら次々ラパーンを蹴散らしていく。先を行くルフィに続いて恭はサンジに手を引かれて崖の上へ飛んだ。
しかしラパーンは自分達を追って来るのかと思いきや、離れた所から上へ登り一斉に飛び跳ね始めた。遠くの方で白いたくさんの球体がぽんぽん飛ぶ姿に意味が解らず動きを止める三人。
しかし暫くすると地響きのような低い音が聞こえ足元が揺れ始める。ずりずりと上の方の雪が滑り始め、木々が薙ぎ倒されていく。
そんなまさか、と恭は背筋が凍り付くのを感じた。ウソだろ、とサンジの泣きそうな声が漏れた。

「はし…走ってルフィ…!」
「走るってどこへ…」
「どこへでもいい…どっか遠くへだ…!」

雪崩が来るぞ!!
サンジの声を皮切りに三人は夢中で走りだす。聞いたことがない轟音と共に雪が大波のように押し寄せ瞬く間に目前に迫ってきた。
ルフィが見つけた倒木に乗ったおかげで雪に埋まらずに済んだがラパーンがしつこく襲い掛かって来る。四方にウサギの群れ、そして前方には大岩。まともにぶつかればナミどころか全員が危ない。
そこへ突然の浮遊感。

「レディーはソフトに扱うもんだぜ」
「サンジ、待っ…!」

ルフィと恭を放り投げ、サンジは一人大岩に衝突した。ルフィが腕を伸ばすも間に合わず、あっという間にサンジの姿は白い激流の中に消えていく。
岩にしがみついて難を逃れたルフィは、一緒に岩をよじ登ってきた恭にナミを抱えさせコートを被せた。

「恭、ナミとこれ頼む!」

返事など待たずルフィは麦わら帽子を恭の頭に押し付けて、雪の中へ飛び込んでしまう。
雪崩に呑み込まれた人間の救出、それも専用機器のない状態での生存は絶望的だ。助けに行った人間すら危ういかもしれない。
最悪の場合、恭は一人でナミをおぶって山へ向かわなければならない。それの意味するところは考えたくなかった。

―…大丈夫…二人は大丈夫…必ず戻ってくる…大丈夫…

まるで呪文のように、己に暗示をかけるように、恭はブツブツと同じ言葉を繰り返す。
小さく出っ張った岩の上で、ナミの頭に額を擦り付けて抱き締め祈るように二人を待つ。
少しでも長く二人を待ちたい。けれどナミの事を考えると少しでも早く出発しなければならない。恭の脳内で長く早くと時間の葛藤が繰り返される。


そうしてどのくらいの時間が経っただろうか。

「――、恭」
「っ!」

小さな声に弾かれたように顔を上げると、サンジを抱えたルフィが目の前に立っていた。
気絶しているらしいサンジはぐったりとしていたが息はしている。知らないうちに浅くなっていた呼吸を深く吐き出した。

「これ…もういい」

そう言うルフィの視線を辿ると、サンジの腕が不自然に引っ張られている。よく見るとサンジの手首から糸が垂れている。その糸の繋がる先は自分。
――恐竜の頭が付いた釣竿が、いつの間にかナミと一緒に抱えられていた。


   *  *


「……ら、か……なのか……」
「ええ」
「ほ…ほ…か…」
「ほん……よ」
「ど、……ロの旗を…てるのか?」
「……ねに付いてるわ」

誰かの話し声が聞こえる。
肌を刺すような寒空から一変してほんのり温かな室内に、恭の意識はゆっくりと浮上した。
確か自分とサンジを小さくしてルフィにしがみついて頂上まで登ったはずだが、そこからの記憶がない。
この高い声は一体誰だろう。一人は知らない子供の声。もう一人は……

「ねェよバカ!ねェよ!バカ!」
「わかったわかった、ごめんごめん」
「……なみ…?」
「あっ恭、気が付いた?」
「…ナミ!よかった!」
「わっ」

目を開けた先にナミが見えて恭は条件反射で飛び付いた。
心配かけてごめん、と息切れせず話しながらナミが抱きしめ返してくる。
まだ身体は風呂上がりのように温かいが、それでも昨日までの恐ろしい熱さではない。無事に治療が済んだのだろう。

「そ、そいつも仲間なのか…?」
「そうよ。うちの一味で一番の古株なの」
「?誰と話して…?」

お互い背中を摩り合っていると、丁度恭の背後から第三者の声が聞こえた。
ナミと同じベッドに並んで寝かされているらしい。恭が振り返ると石造りの床が見え、そこに誰かが立っている。
その姿はヒトには見えなかった。

「………え?」

全身を覆う体毛、手足には蹄、頭部には鹿のような角。
恭の腰くらいの背丈の動物が二本足で立っていた。しかも今この生き物は言葉を話さなかっただろうか。
怯えたような、それでも心配するような目がこちらを向いている。

「……か……」
「あっ!恭、そいつ捕まえろ!」

小さな生き物から目を離さず、わなわなと口を震わせる恭。そこへ部屋の外からルフィの大声が聞こえた。
猛吹雪の中延々とロッククライミングをしたというのに、もう元気に走り回っているらしい。しかしこの時の恭はそこに反応している場合ではなかった。
ルフィの声に逃げ出そうとした生き物を、ベッドから転げ落ちるようにして捕まえる。
しめたとルフィと後ろからサンジが駆け寄って来る。恭の腕の中から小さく短い悲鳴が漏れた。
しかし…

「かっ…かわいい〜〜〜!!」

この時恭の背後に無数のハートが見えたと、後にサンジとナミは語る。
クルーの誰も聞いたことがない甘い声を出し、ぎゅむぎゅむと抱き締めて頬擦りをする恭。
その腕の中の生き物は、何を言われたのか理解が追い付かずされるがままになっている。

「ふっかふか!もっちもち!薬草かなぁっ、爽やかないい匂い〜!」
「なっ、おいやめろ!」
「ああっ、ごめんなさい初対面やのに。余りに可愛くてつい…」
「かわっ…お前、おれが怖くないのか?」
「どこが!?ふわふわのお毛毛、くりくりのお目目、つやつやの蹄、角も立派!あっお鼻が青い…ブルーベリーみたい!帽子もよく似合ってる!あああ全てが可愛い〜!!」
「な……こ、これでも怖くないって言えんのかっ!?」

恭の腕から抜け出した彼は、目の前の女の口から飛び出す賞賛の言葉が信じられない。
それならとモコモコと身体を変化させ、二メートルはあろうかという大男の姿に変わる。
一度見ている他の三人はさておき、この姿を可愛いとは言えないだろう。さあ悲鳴でもあげてみろ。
目を見開いてポカンと口を開けた恭に、どこか怯えを孕んだ表情で反応を待つ。

「んあ"あ"あ"あ"あ"なたトトロって言うのねえええええ!!」

悲鳴は悲鳴でも、黄色い悲鳴だった。
興奮しきった顔で訳の分からない言葉を発し弾丸のように飛んできたため、条件反射で避けてしまった。
ズべシャアアアと顔面から床にスライディングした女に、サンジが慌てて彼女の元へ駆け寄る。
恭は床に伏せたまま暫く動かなかったが、数秒後むくりと起き上がった。

「あっ、申し遅れました。私恭って言います」
「エッ何事も無かったかのように!?」
「お名前をお伺いしても?」
「え、えと…おれはチョッパー」
「チョッパー!名前まで可愛い…ていうか一人称“おれ”…どこまでもツボ…声もきゃわわ…!」
「恭もどっか病気か?」

サンジの戸惑いもルフィの辛辣な発言もスルーして熱い視線をチョッパーに向ける恭。
そんな彼女を少し面白くなさそうに見ていたナミだったが、同時にこれでうちの船医は決まりだなと思う。
このトナカイに今は肉としてだがルフィが強い興味を示していて、普段勧誘に賛成も反対もしない恭がハートを撃ち抜かれている。
彼が医者だと知らなくとも二人が船に乗せたがるのは時間の問題だろう。

―お前達に…あいつの心を癒せるかい?

この後チョッパーの保護者でもあるDr.くれはから聞かされた彼の壮絶な過去に驚きはしたものの、その気持ちは変わらない。
国を蝕みチョッパーの親代わりの仇でもあった元国王の支配も、この一味の障害にはなり得ない。
旧ドラム王国は、海賊に被れていた王が本物の海賊に敗れ、ようやく自由を手に入れた。


   *  *


「うるせェ!!いこう!!」

一見乱暴なその言葉は、チョッパーの迷いを全て吹き飛ばした。
見た目の違いも生い立ちも知ったことかと諸手を挙げる人間の勧誘を受けて、チョッパーはもう一人の育ての親に会いに城へ戻った。
義父の――Dr.ヒルルクから聞いて憧れていた、海への旅立ちを伝えるために。

「俺達は本当にこのまま行くのか?」
「もちろんよ。チョッパーが来たら山を下りてすぐ出航するわ、アラバスタへ!ビビもこれで納得でしょ?」
「ええ、医者がついて来てくれるのなら」
「医者?」
「え、ルフィ…まさか知らんと…?」

城の外で一味は思い思いに時間を潰す。お世話になった人が何人かいるが、海賊なのだから挨拶の時間が取れなくても仕方ないだろう。
一足先にナミからチョッパーのことを聞いていた恭は、ルフィがチョッパーを医者だと知らずに誘っていたことに目を丸くする。猛烈に勧誘する様子を見ててっきり知ってるのだと思っていたがそうではなかったらしい。
まあ船に乗ってからでも説明はできるだろう。とにかく早く出航することが先だと、ロープウェイの準備をするウソップを手伝う。

ちなみに恭とルフィがロープウェイの存在を知ったのはつい先ほどの話だ。村人たちも知らなかったため仕方ないのだが、あの過酷な山登りは何だっかのかと恭はがっくりと肩を落とした。一番大変な思いをしたはずのルフィはケラケラ笑っていたが。

「おい来たぞあいつが!」
「え!どういうこと!?」
「追われてるっ!」

Dr.くれはの荒療治を受けて気絶しているサンジを先にゴンドラに乗せておこうかと、ナミとビビが動いた時だった。
やけに城内が騒がしいと思ったら、チョッパーが四足歩行でソリを引いて走って来る。その後ろからはDr.くれはが目を吊り上げて追って来ている。

「チョッパー?大丈夫――」
「みんなソリに乗って!山を降りるぞォ!」
「待ちなァ!!」

涙の別れどころかナイフを振り回して襲い掛かってくるDr.くれはに、一味は大慌てでソリに飛び乗った。ソリを引いたトナカイがロープをつたって夜の空を駆け降りる。
はらはらと雪が舞う中ジオラマのように小さかった町や森が段々と大きくなっていく様子は、前にいた世界の飛行機の着陸の様子に似ている。
今は視界を遮る窓も翼もない。風と雪が顔を叩き、大きな月が一味を照らす光景は今後もそうそう見られないだろう。

けれど、誰も見たことのない景色はこの後にあった。

「すげェ……」
「…ああ」

大砲の音が何度も続いたかと思うと、照明でもつけたのか城が明るくなる。そして現れた光景に、誰もがまず目を疑った。

夜空に広がる薄ら紅。
降り注ぐ雪も少しずつ色を変えていく。
チョッパーの雄叫びが雪原に響き渡った。

「奇麗…」
「…あれは…」


まばゆい光を浴びて山頂に咲いた、大きな桜。

それは、孤独だったトナカイの門出に向けた、“二人からの”祝福の花だった。

歓喜か、懐古か、悲嘆か、惜別か、
とめどなく溢れる涙を拭うことなく、チョッパーは桜に――山頂に向けて吠え続ける。
その先にはきっと、同じように彼を見つめる人がいるのだろう。


「…泣かねェのか?」

言葉にできない光景に恭は胸がいっぱいになり、思わず深く長い溜息を吐く。
そこへ隣からルフィが顔を覗き込んでくる。ローグタウンでも尋ねられたことだ。

普段鈍感なくせに時折鋭い勘が働く彼は何となく気付いているのだろう、きっとあの時から。
言葉少なに問うルフィの真意を恐らく正しく理解できたが、恭もまた短く言葉を返した。

「…うん…泣かへん」

これはけして強がりではない。目の前の美しい光景に、胸の奥が涙腺の分まで熱く震えたのだ。
恭の表情を見たルフィは「そっか」と満足そうに笑う。そして二人は再び桜に目を向けた。


一味を送り出すように、優しい風が山から降りてくる。
手を振るように舞い散る雪を、
誰かが笑ったように咲き誇る雪景色を、

この先ずっと忘れることはないだろう。