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East Blue


雷になった少年達

それは、バラティエでウェイターをしている時のことだ。

「ねえ、試しに私のこと口説いてみてよ」

店内で食事をしている仲間に軽口を叩きながら料理を出し、キッチンに戻ろうとした時だった。

オーナー達の指示で男装することになった恭は、掃除係兼ウェイター兼ルフィの尻拭いを任されていた。
主に三つ目の業務に奮闘していて気付いていないが、ガタイのいいコック達に怒鳴られても物怖じせず、くるくる店内を回って働く小柄な少年(正しくは少女)は、この店では新種の生き物らしい。
気性の荒そうな海賊の何人かが恭に気さくに話しかけ、ちらほらと女性客も増え始めている。
その女性客の中には時々店の外から恭を眺めては、麦わらの雑用や剣士の客や副料理長と談笑している様子に悶える者もいたが、これは完全に余談である。

「ええ…今勤務中なんですけど」
「今そんなにお客いないでしょ?一回だけ、ね?」

そんな密かに人気のある恭が、ナミは何だか面白くないと思った。
未だに敬語付きで余所余所しくされる自分と、あくまで客としてにこやかに応対される女性客と、扱いの差があまり変わらないからだ。
もう何日も同じ船で生活してるのに――原因が自分にあることは解っているが、それでも気に入らないと思ってしまった。
だからつい困らせてみたくて、副料理長の真似事をしてみろとリクエストしてみたのだ。
ちなみにルフィはゴミ出しを任されていて、この場にはいない。

「…一回だけですよ?」

小首を傾げておねだりすれば、押しに弱い恭は溜息を吐いて折れてくれた。
如何にも奥手そうなこの少女に、あんな甘い言葉が思い付くとは思えない。さて何と言うつもりだろうか。
コホンと小さく咳払いをして、恭はナミの足元に跪いた。

「…天国は今頃、大騒ぎですネ。てん…天使、が地上に逃げてきてるンデスカラ」
「ブフッ」

予想外に情熱的な台詞だったが、明らかに誰かの入れ知恵だ。
余りのカタコトっぷりにウソップは噴き出して机に突っ伏し、目を逸らして湯呑に口をつけるゾロの肩も震えている。
恥ずかしそうに下唇を噛む恭に、ナミも思惑通りだとニヤニヤと笑った。

「…そんな風に笑う君も、可愛いです。きっと満面の笑顔はもっと素敵なんでしょうね」
「んフッ」
「だからこそ忌々しい…君の笑顔を覆っている雲が」
「え?」
「君の周りだけいつだって、どこか翳っているんです。心から笑うことを阻み、心の叫びを吸い込んで封じてしまう…その雲は一体誰が君に差し向けたんです?」

あ、とナミが思った時には、もう恭の顔付きは変わっていた。
赤らんでいた顔も元に戻り、口角こそ上がっているが声色は冗談を言うそれではない。
まずいと思った。彼女はこの“茶番”にかこつけて、何か余計なことを言おうとしている。
ナミの心境に気付いたのかただの偶然か、恭はそっとナミの手を取った。


「願わくば私は、その雲を切り裂く雷になりたい」

「雨が降るかもしれない、嵐を呼ぶかもしれない。でも全て降り止んだその先には、きっと晴れやかな笑顔(大空)があると信じてる」

「どうかこの身に稲妻を纏う機会をください、angela」

なんちゃってと笑った恭は、直後に飛んできた副料理長に頭を叩かれてキッチンへ連れ戻された。彼が恭の性別を知るのはもう少し後のことである。
恭がいなくなってもナミは暫く呆然としていたが、やがて沸々と怒りが湧いてきた。

―ついにあいつまで勧誘してきた。
―どうせあいつも私を利用しようとしてるに決まってる。
―海賊のくせに、私のこと何も知らないくせに、
―軽々しく踏み込んでこようとしないで…

全く軽い気持ちではなかったのだと、数日後ナミは思い知ることになる。


   *  *


まるでスローモーションで見ているようだった。
小さな身体が、赤く長い腕に捕らわれプールに引き摺りこまれていく。
仲間たちもそれぞれ応戦していて、彼女の元に辿り着けない。

「恭!!」

ナミは初めて彼女の名前を呼んだ。
そう、初めてだった。手を組むだけ、決して仲間じゃないと言ってルフィの船に乗ってから、何となく呼べなかった彼女の名前。
無遠慮な男達と違って、海賊は嫌いだという自分と一歩距離を置いて遠慮がちに接していた彼女とは、名前を呼び合うことを敬遠していた。どちらからともなく引いたボーダーラインだったのだ。

けれどこれまでの努力を踏み躙られ裏切られ、耐えきれなくなってルフィに縋り、彼らに希望を託した今となっては、そのラインは無くなったも同然だった。
海中に飲み込まれた恭に、自然とその名を叫んでいた。

「あっ…出て来たぞ!恭の姉貴だ!」

そう叫んだのはジョニーだったかヨサクだったか。見ればプールサイドに小さな身体が蹲っている。
水を飲んだのか盛大に噎せていて、その腕は片方が不自然に浮いていた。まるで見えない誰かに掴まれているように…
しかしそこに疑問を持つ前に、赤い脚がプールからゆっくりと上がって来る。

「ギシャシャ、よくオレ様の腕から抜け出せたなァ。そんな余裕があるようには見えなかったが…」

自分の身長の半分にも満たない小さな人間をタカアシガニの魚人は嘲笑う。
海中に落ちたはずの人間が突然引っ張られるようにして陸に上がったことに首を傾げるも、それはさしたる問題ではない。
始末しようとしていた場所が陸に変わっただけで結果は同じだと、そう思い込んでいた。

「まァいいさ。お前もナミも島のゴミ共もまとめて首ちょっきんだ。そうすりゃオレ様も幹部の仲間入り、ギシャシャシャ!」

下卑た笑い声と共に鋏の音が響く。下っ端の魚人と一緒に転がっていた槍を掴み、恭は立ち上がった。
水浸しの足場では透明になっても位置を見破られ、身体の構造が違う魚人相手には体内からの攻撃も効かない。
体格も体力も劣る自分に圧倒的に不利な状況だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。

「デカいから何や、固いから何や、この先の海にはお前以上に強い奴なんかゴロゴロおるんやろ」
「あァン?」
「お前程度倒せんかったら…私にあの船に乗る資格はない」

きっと仲間達は、無力なままでも一緒に居ていいと言ってくれるだろう。
けれど、あの日ルフィの手を取ったからには、この海賊船の一員だと胸を張って言える自分でありたかった。
見送るだけで何もできないのは、もうたくさんだ。

「お前らにはもう、この島の人達に指一本触れさせへんぞ…もちろん、ナミにもや!」
「なぁーに言ってんだクソチビぃぃ!お前がオレ様の脚のリーチにかなうわけねぇだろ!死ねえええ!!」

ぎょろぎょろ動くカニの眼を睨みつけ、初めてナミの名前を口にした。
言うが早いか、四対の脚が檻のようになって恭に迫る。
さっきまでは逃げるしかできなかった技だが今は違う――たった今使えるようになった、能力がある。

「スティッキィ・フィンガーズ!!」

突然、カニの脚が胴体から切り離された。

「なにィイイッ!?」

鋏どころか立つために残していた脚すら人形の手足のように取られ、魚人の身体はパーツごとに地面に転がっていく。
恭の目線より高い位置から落ちてきた胴体は、大ぶりのスイカくらいだろうか。
無防備に晒された腹がフルスイングされた槍をまともに喰らい、アーロンパークの壁にめり込んで動かなくなった。

「…タカハシが…あんなチビに…!?」

離れた位置にいるがアーロンの怒りの視線がはっきり感じ取れる。じきに攻撃の手が自分にも来るだろう。
初めて人間以外の敵を倒した手応えを感じる間もなく、恭は再び槍を構えた。
その腕には誰にも見えないが、かつて仇だった男の分身の青い手が添えられている。


   *  *


「そこまでだ貴様らぁ!!」

奮闘の末、ルフィはアーロンを打ち倒した。
自分の仲間だと吼えるルフィにナミは堪えることなく泣いて、村人が一斉に歓声を上げた時だった。場を白けさせるような海軍一行の登場に、その場にいた全員が顔を顰める。
気付いていないのかどうでもいいのか、鼠のような見た目の海兵がこの場にある金品は自分のものだとキーキー捲し立てる。

「全員武器を捨てろ!貴様らの手柄、この海軍第16支部大佐ネズミがもらったァァ!!」
「あ、ゾロおかえり」
「ああああああっ!?」
「人が大いに喜んでる所に水差すんじゃねェよ」

喚くネズミの後頭部を鷲掴みにしたゾロに恭は呑気に声をかけた。いきなり頭を掴まれたネズミとその部下達は情けない悲鳴を上げて仰け反っている。
今にも戦闘を再開しそうな男子勢を見て、恭はそっとゾロの元に寄った。

「まあまあ、みんなもう重症やろ?私比較的軽傷やから、鼠駆除くらい任しといて」
「は、ハア!?お前みたいなチビに何がで」
「メタリカ」


「おばえら…おでに手ェ出してびろ…ただじゃすばないがらなァ」
「まだ言ってんのか」
「もう一回いっとこか?」
「やめてくれ。見てるこっちまで痛えから」

磁石で引き寄せられたように一箇所に固められ鼻から血と釘を噴き出すという怪奇現象の餌食になった海兵達は、痛みと恐怖でみっともなく震えて泣いている。
次いでナミにこてんぱんにされたネズミは、安い捨て台詞を吐いて部下諸共逃げ帰っていった。

その後はアーロン一味の敗北を知って、島をあげて宴が開催された。
解放の喜びで誰もが涙し笑い、歌って踊って、楽しい声が満ちている。ナミも顔馴染みだろう村人と笑って何かを話していた。
魚人との戦いで傷だらけの麦わらの一味(特にゾロ)は安静にするよう町医者に言われており、結果あてがわれたベンチに並んで座り次々運ばれてくる食事を消費することとなった。
ちなみにルフィは肉を求めて走り回っていて、この場にはいない。

「お前ってあんなこともできたんだな。透明になったり血ィ吐かせたり、前から訳わかんねーって思ってたけどよ」
「結局お前、何ができるんだ?」
「えっと…鉄分を操る力と、鏡を使う力と、ついさっきチャックを出す力が増えたな」
「ますます訳わかんねーな」
「種類があるの?恭ちゃんの能力って一体…」
「サンジにはまだ話してへんかったな。ここは人多いし、詳しいことは出航したら教えるわ」
「俺にももう一回説明頼むわ。っつかルフィも絶対忘れてるぞ。聞いたかよ、あの時の台詞」

―俺は剣術を使えねェんだコノヤロー!
―航海術も持ってねェし!
―魔法も使えねェし!
―料理も作れねェし!

―ウソもつけねェ!
―おい

ああ、と思い出した恭は自分の能力が魔法扱いされていることに笑いを漏らした。
ウソップの言う通り、以前簡潔に話した過去のことや能力の説明など忘却の彼方なのだろう。けれどどうでもよかった。
お前に勝てる。誰にも負けない、何にも屈しない、誰も失わせない、あの言葉そのままのルフィであってくれればそれでいいと思えた。

「まあ、一味以外には秘密ってことだけ念押ししとくわ」

あの時の光景を思い出し、恭はまた笑った。


   *  *


数日宴を楽しんで、ついに出航の日が来た。
せめてものお礼にと食糧を始め諸々の物資をたくさん分けてくれる村人達に、恭とウソップで揃って頭を下げまくった。某船長の所為で一味は常に食糧難なのだ。
船に乗り込み、ジョニーとヨサクとも別れを済ませ、残すはあと一人。

「船を出して!」

大きな声と共に、村の奥からナミが走って来る。
八年かけて貯めた金も全額島に残し、お礼と別れの時間も作らず出て行こうとしているらしい。別れ方はナミの自由だと、ルフィ達は船を出した。
引き留める声も聞かず村人の間をすり抜けて、ナミはメリー号へ飛び乗った。
しかし、

「やりやがったあのガキャーーーッ!!!」

ナミが少し服の裾を持ち上げると、ぼとぼとと落ちてくるたくさんの財布。慌てて村人が確認するも、自分達の財布がない。
したり顔で笑っているナミに村人全員の怒号が響いた。

「おい、変わってねェぞコイツ」
「またいつ裏切ることか」
「海賊らしくてええやん」
「ナミさんグー!」
「だっはっはっは!」

それぞれ反応を示して船尾を離れる一味。背後から聞こえる声は怒りの声から激励と感謝の言葉に変わっていく。
小さくなっていく島に向かって、ナミは笑って別れの言葉を告げた。


「恭!」
「ん?」

遅れて階段を下りて来たナミが恭を呼ぶ。
振り返るが何も言わない。ただにこにこと笑っているだけ。
意図がわからず頭に?と浮かべたが、その何かを待つような視線にあることに思い至る。
身体をナミの方に向け、恭は両腕を広げた。きっと飛び込んで来ると信じて。

「“ナミ”、おかえり」
「ただいま!」