BENNU | ナノ


▼ 014 喰禍

「放せ、プルガシオン!」
 イタチから白馬へと姿を変えたプルガシオンがブロウの上着を食み、この場へと止めようとする。何度振り払っても、彼は諦めなかった。袖を引き、または大きな身体で行く手を遮り、ブロウをゴディバの側へ連れて行こうとする。
 手負いの姫の顔色は、今や土気色だった。「大事ない」と気丈に振る舞ってはいるが額には玉の汗が浮かび、どう見ても無理をしているのだと分かる。従者のナディアが自らの外套の裾を破き、ゴディバの傷にあてがって止血をしている。外套の切れ端はすぐに血を吸い、たちまち真っ赤に染まった。
 ブロウ。ブロウ。お願い。彼女を助けて。
 プルガシオンの声が頭に響く。それがあまりにも切実で、ブロウは思わず二の足を踏んでしまった。それはやり場のない苛立ちを生む。
 旅の何もかもが、悉く自分の意図しない方へと進んで行く。思わぬ同伴者、雪山での出来事、旅の荷を全て失う失態。その上、今度は敵国の姫君ときたものだ。それらは最も関わりたくない方向へと導くようだった。嫌気がした。目の前の傷ついた女たちを見捨て、ロイすら置いて、今すぐ遠くへ逃げ出したい衝動に駆られた。
 ブロウ。お願い……!
 目の前に立ち塞がるプルガシオンが、懇願するように柔らかな鼻先を胸に押しつけてくる。足が震えていた。彼が負った傷もまた、決して浅いものではないのだ。白い毛並みに鮮烈な赤が目に痛い。
 拒絶するように押しのけると、黒々とした無垢な瞳で真っ直ぐに見つめられた。その視線はブロウの矮小な心根を容赦なく見抜く。プルガシオンの瞳の奥底に映し出される己の最も弱く醜い部分と、ブロウは向き合うことができなかった。
 お願い。ブロウ。ブロウにしか彼女を助けられない!
「……分かったよ、畜生」
 根負けしたブロウは、溜息を吐きながら返事をした。するとプルガシオンが目を輝かせ、より一層強く鼻先を押しつけてくる。ありがとう。ありがとう。何度もブロウに感謝を述べると、プルガシオンは再びイタチへと姿を変え、傷ついた主の元へと駆けて行き膝の上へ収まった。
 振り返ると、ゴディバとナディアがブロウを見ていた。まだ少し警戒気味のナディアの隣で、ゴディバがにこりと微笑み頭を下げる。
「プルガシオンが無理を言って申し訳ない」
「旅の荷はどうした」
「……ありません。上空でイラに襲われて、ほとんどは落としてしまいました」
 ナディアが答える。言いながら、自らの外套の裾を細く裂き、即席の包帯を作り始めた。それをゴディバの傷に当て、止血を試みている。
「前触れなんて何もありませんでした。私達の周りに突然煤が立ち込めて……湧いたようにイラの群れが現れたのです。人二人を乗せたプルガシオンは本来の俊足揮わず、応戦のために地上へ降りた姫様はその最中、私をお庇いになり……」
 ナディアの声と手が震えていた。その震えは恐怖でなく、守るはずの主に守られたという己への憤りだ。
「状況なんてどうだっていい」
 ブロウは地面に放ってあったナディアの外套を拾い上げ、同じように裾を細く裂いて包帯を作った。ナディアの腕を掴むと、痛みが走ったのか「きゃっ」と悲鳴を上げられる。まだ血が滲む傷に、少々乱暴に巻き始めた。
「お前もさっさと血を止めろ。こんな煤臭い所じゃろくな手当てもできん」
「……助けて下さるのですか?」
「プルガシオンが煩いからな」
「彼の声が、聞こえるの?」
 問いかけるような視線を主に向けると、ゴディバは頷いて見せた。
 プルガシオンの声なき言葉は、彼が気に入った者にしか聞こえないのだ。彼がブロウに助けを懇願した事などつゆとも知らないナディアが、驚いたように目を見開く。
「あなた、本当にいったい何者なの……?」
「その方は法王のご友人だよ、ナディア」
 ゴディバが答えると、ナディアはさらに驚いたようだった。
「こんな所で会い、助けて頂く事になるとは……巡り合わせとはあるものなのかな」
 可憐に微笑みながら言われたが、鼻で笑い飛ばす。そんなありがたくもない運命なんて願い下げだ。
「お前らに手を貸すのは今回だけだ。ダアトから何を聞いているか知らないが、手当てがすんだら二度と俺に関わるな」
 少しだけ裾の短くなった外套をナディアに返し、ゴディバには上着を脱いで渡した。血で汚れた彼女の外套は、町では目を引いてしまう。
「お前のその容姿は目立つ。旅に疲れた巡礼者のふりでもしていろ」
「了解した」
 ぬかるんだ地面から掬い取った泥で、素直に頷くゴディバの白い頬を汚す。ブロウの上着をナディアの助けを借りて羽織りながら、ゴディバはくすくすと微笑を零した。
「法王から聞いていた通りの方だ」
 眉を顰めてゴディバを見ると、彼女は嬉しそうに答えた。
「『意地悪だけど、優しい人』だと。まだお会いしたばかりだが、なんとなく法王の言う事が分かる気がするよ」


 宿場町に入ろうとする巡礼者の一団に上手く紛れ、寝ぼけ眼の僧兵をやりすごした。
 ブロウがプルガシオンの声を追って飛び出して来た時よりも、町はすっかり目を覚ましていた。教会へと向かおうとする人々が白い石畳を歩き、小さな人の流れを作っている。遠くに見える教会前の広場には人集りができて、幾つもの頭が蠢いていた。
 その流れを逆流して走って来るものがいた。ロイである。
「ブロウ!」
「おう、どうした」
「どうした、じゃないですよ!」
 息を切らしながらブロウの前まで来て、ロイは声を荒げた。
「目を覚ましたらいないし、待っていても全然帰って来ないし」
「もう身体はいいのか」
「え? ええ、まあ……本調子とまではいきませんが」
「そうか。なら開いている店を探して、傷の手当てに必要な道具を買って来い。代金は宿屋の親父にツケておけ」
「傷の手当て?」
「怪我人を拾った」
 背後に立つ二人を顎で示すと、ようやくロイはその存在に気がついた。二人とも目深にフードを被っているので顔ははっきりと確認できないだろうが、丁寧に会釈をされ、訝しく思いながらもロイも同じ動作を返す。
「……人間?」
 僅かに窺える口元でそれと気付いたロイが、驚いて言葉を漏らす。それには答えず、ブロウはロイの背を押した。
「頼んだぞ。急げよ」
「は、はい」
 何度か振り返りながら、ロイは店を探しに走りだした。ブロウは大通りを脇道に入り、宿屋に向けて歩き出す。
「あの少年は、まさか……」
 脇道に入る寸前、目深に被ったフードを上げ、ゴディバは人込みに紛れて行くロイの背中を見つめた。湧きあがるような興奮に、大きな群青の瞳が見開かれる。
「ブロウ殿、彼の名は?」
「……ロイだ」
「ロイ……? やはりあのジャハダ族の少年、ロイ・ハイフェッツか!」
 その名に、ナディアもはっと目を見開いた。
「ロイ・ハイフェッツ……ロズベリー代表の御子息? 生きていたのね」
「なんとも……お父上の、イベール殿の生き写しのようだな。涼しげな目元など、とてもよく似ている」
 二人はロイの姿が完全に人込みに紛れるまで、その背中を見送っていた。それは遠い昔を懐かしむような、古い友人に思いを馳せているような、柔らかな熱を帯びた視線であった。
「やはり、巡り合わせはあるのだな」
 ゴディバの確信めいた呟きに振り返る。彼女は人混みに紛れたロイの背中が見えるかのように真っ直ぐ一点を見つめながら、細い指先を宙に伸ばした。
「私はそなたを覚えている。そなたは……私を覚えているだろうか」
 朝日を受けるその美しい立ち姿を、ブロウは路地の暗がりから見ていた。
 あれは光の住人だ。闇を蹴散らしあらゆるものを照らし出す、愚直なまでの強い光だ。その眩しさ故に人々を強く魅了し、また傷つけもする。しかしもたらされる痛みは心の奥底に深々と染み込むような類のもので、相手を挫くものではない。見る者の未知なる領域を呼び覚まし、それを気付かせるものだ。ある種の悟りをもたらすものだ。その不思議な力に人々は惹かれ、希望を見出し、受けたはずの痛みを乗り越える。そうしているうちに、さらに深く惹き込まれてゆく。
「生き写し、か……」
 まだ幾分荒削りな『光』を眩しそうに眺めながら、ブロウはひとりごちた。ゴディバと被る陽炎のような記憶の残像を、頭を振って追い払う。不意に訪れた既視感は心の底をそよ風のように優しく撫で、ほんの少しの痛みを残していった。


「座れ」
 窓際に置かれたスツールを示すと、ゴディバが腰を下ろした。その隣にプルガシオンがちょこんと座り、主を気遣う様に頬をよせる。ブロウに借りた上着を脱ぐのをナディアが手伝うが、傷が痛むのかその動きは遅い。ゆっくりと時間をかけて脱ぎ、それを受け取ったナディアがブロウに返す。
「ありがとう。私の血がついていないといいのだが」
 丁寧に頭を下げ、ゴディバが礼を言う。返事はしなかった。そんな事をするよりも、まず彼女らに聞かねばならない事がある。
「お前ら、マスクをしてなかったな」
「……突然の襲撃で、付ける暇が全くありませんでした」
 答えたナディアが視線を伏せる。彼女の感じている恐怖が、部屋の温度をすっと下げた。同時に太陽が雲に翳ったようで、窓から差す陽光が影に溶けてゆく。その時、しんと冷たく静まる部屋の息苦しさに耐えかねたように、ゴディバが一つの乾いた咳をした。それは蝋燭にふっと息を吹きかけるときのような、小さな咳だった。にもかかわらず、ナディアが真っ青になってゴディバの背を労わる様に何度もさすった。
「ひ、姫様……まさか、」
「まさかもなにもない。『爛化病(らんかびょう)』の兆候だ。マスクも付けずにイラとやりあったら当然だ」
 無感動なブロウの言葉が、ナディアの神経を逆撫でる。
 爛化病――煤を吸い込むと、身体の内側から侵される。五臓六腑は焼け爛れ、苦しみの果てにイラ化し、無差別に暴れ狂う化け物に姿を変える。この地に住む者ならば知らぬ者はいない、感染したら最期の不治の病である。
「そんな言い方しなくても……! 分かっておられるのですか? 爛化病は、罹患したら――!」
「身体の内側から焼かれて悶え苦しみ、しまいにはイラ化する。自我は完全に崩壊。立派な化け物の仲間入りだ。お前もそのうち同じ咳が出始めるだろうよ」
「ブロウ殿、言葉が過ぎます!」
「やめよ、ナディア」
 青ざめる従者を窘めるゴディバの声は、とても落ち着いたものだった。恐怖はない。それどころか、両手を膝の上に置き背筋をぴんと伸ばして座っている彼女は穏やかに微笑んでさえいた。プルガシオンがその手に頬ずりをすると、耳の裏を優しく掻いて答える。それはいかなる驚異にも晒されていない、この上なく平和な日常の風景を切り取ったかのようだ。
 ブロウは顎に手を当て、感心したようににやりとした。
「ずいぶん肝が据わったお姫様だな」
「そうかな」
「自分がこれからどうなるのか、恐ろしくないのか」
「恐ろしくはない。私はプルガシオンに全幅の信頼を置いているから」
 耳の裏を掻かれ気持ちよさそうに目を細めていたプルガシオンが、黒々とした丸い瞳をぱっちりと開く。その中に、目の前に立つブロウを映し込んだ。どこまでも深く、どこまでも透き通った視線に貫かれ、吸い込まれるような感覚に陥る。束の間意識の泉に沈みそうになるのを、ゴディバの朗々とした声に引き上げられた。まるでどぼんと碇を投げ込まれたみたいな衝撃と共に、水面へと導く一本の道を示される。その意識の奥まで届く声質は、彼女の生まれ持った才のひとつなのだろう。
「そしてプルガシオンが信頼しているブロウ殿もまた、私は信頼している。プルガシオンが助けを求め、ブロウ殿はそれを受けた。死に至る咳をしてもプルガシオンは怯え一つ見せない。ならば、私は何らかの方法で貴殿に助けられるのだと思う」
 ゴディバの声は確信に満ちていた。だが彼女の言う「何らかの方法」というものが全く想像つかないナディアは、訝しげに主とブロウを交互に見るばかりだ。
 このときになって初めて、ブロウはゴディバという一人の人間に興味を持った。姫君だとか、『光』だとか、そういった余計なことを切り取ってもなお、彼女は恐ろしく頑丈で揺らぐことのない一本の柱のような人間だった。
「来い。プルガシオン」
 ブロウが呼ぶと、白いイタチは素早く立ち上がりブロウの服をよじ登った。肩まで登ると「心得た」という風に大人しく座り、ブロウの次の動作を待っていた。
 身体の中心の最も深いところに、小さな炎の種がある。感覚を研ぎ澄まし全ての意識をそれに集中させると、炎の種は少しずつ大きくなった。次第に身体を内側から激しく燃やすように力が漲り、身体の中心から胸へ、足へ、腕へ、そうして身体の隅々まで――魔力(マナ)の奔流である。それはブロウからプルガシオンへと流れ、プルガシオンの持つ清らかな水のような魔力と交わった。傷を負って弱々しかった清流が力を取り戻し始める。ブロウの焼けるような魔力に包まれたプルガシオンは、気持ちよさそうに目を細めていた。
 これくらいでいいかと、ブロウは猛る魔力を徐々に抑えた。それに気が付いたプルガシオンが、ゆっくりと目を開ける。二三度ぱちぱちと瞬きすると立ち上がり、ブロウに頬ずりをした。こそばゆくて顔を背けると、プルガシオンが肩から飛び降りた。
 元気よく膝に飛び乗ってきたプルガシオンを抱き上げたゴディバが、驚きに目を見開いた。
「傷がない……完全に治っている?」
 身体をくまなく検めてみたが、傷痕はどこにも見当たらなかった。いつも通りのふくふくとした見事な毛並みに包まれ、少しもその美しさは損なわれていない。傷はブロウの魔力によって跡形もなく癒されたのだ。
「驚いた。ブロウ殿は傷を癒すことができるのか。法王のように魔力を扱うことができるのだな」
 ゴディバが少し興奮気味に言う。その後何度か咳き込んだ。
「だが『世界の嘆き』において、魔力を扱える種族はエトスエトラを除いて滅んだはず。どうやら貴殿はその例外のようだ」
「例外なんてものは世界の至るところに転がってるさ。先に断っておくが、俺に傷を癒す力はない。プルガシオンだからそれが可能なんだ」
「プルガシオンもまた、よくある例外の一つだと?」
「そうだ。主であるお前なら知っているだろうが、プルガシオンはただの獣じゃない。そいつは、大きな魔力の塊から生まれたある種の派生体だ」
「つまり……プルガシオンは純粋な生き物ではなく、魔力の塊だということだろうか?」
 ブロウが頷く。当のプルガシオンはゴディバの膝の上で身体を丸め、うとうとしている。
「プルガシオンの身体を構成するのは魔力そのものだ。損なわれた魔力を補充してやれば、その傷は癒える。だがお前たちはプルガシオンとは成り立ちが違う。傷を治してやることはできない」
「なるほど。だがブロウ殿は我々を『助けることができる』。何か他の方法を用いることによって」
 ブロウが再び頷く。そしておもむろにゴディバの腕を取った。比較的傷ついていない右腕を掴んだのだが、多少なりと痛みが走ったのか身体を強ばらせた。しかしブロウが何かをしようとしていることを察し、動かずに次に起こることを待った。
 ゴディバに触れた手が熱い。ブロウにしか感じることのできない熱だ。煤に侵され、蝕まれてゆく身体の悲鳴そのものだ。それは今、まだ微かで小さい。この段階で速やかに処理する必要がある。煤は驚くべき早さで、感染者の身体を回復不能なまでに食い尽くす。そうなれば、もう手の施しようがなくなってしまう。幸いゴディバたちは発見が早かった。ブロウが彼女らを見つけなかったら、プルガシオンが助けを求めなかったら、いずれはイラと化しただろう。
 掌に感じる熱に、ブロウは意識を集中させた。ゴディバの内側から微かな、それでいて致死的な毒のような呪いの言葉が聞こえてくる。いくつもの呪詛が熱を持ってゴディバの身体を蝕み、害そうとしているのが分かる。
 その中心に、ブロウは言葉を投げかけた。「おい」と一言声をかけるだけでよかった。すると彼女の中で燻る煤たちが、ブロウの存在に気が付いた。途端に、呪詛が救いを求める言葉へと変わる。「助ケテ」「解放シテ」と口々に叫び、ゴディバに触れたブロウの手へと集まってくる。
 アナタニハソレガデキルノダカラ――!
 ゴディバの身体がふるりと震えた。おそらく彼女は今、身体の内側を何かおぞましいものに這われている感覚がしているはずだ。少なからず苦痛を伴う行為であるのに、呻き声一つ漏らさない我慢強さに感心せずにはいられない。
 僅かな呪詛も漏らさぬよう念入りに引き寄せ、搾り取った。最後の煤がブロウの手に飛び付いたとき、ゴディバの身体から力が抜けた。座っているのも困難なようで、ずるずるとスツールから床へと腰を落とす。全力疾走した後のように息が荒かった。スツールにしがみつくような姿勢で、呼吸が落ち着くのを待っている。
「よく耐えた。たいしたもんだ」
 労いの言葉をかけると、僅かに視線を上げて答えた。まだ喋る余裕はないようだ。
 こちら側に移ってきた煤を、ブロウは掌に集めた。握りしめた拳にそれを凝集させ、硬く密な塊に変えるイメージを巡らせる。そうしてから手を開くと、そこには黒真珠のような煤の結晶ができていた。禍つものが圧縮された、常闇の欠片である。それを口に含み、ためらいもなく飲み込んだ。熱いものが喉を滑り落ち、腹の中に溶けてゆく。黒真珠が形を失う最期の瞬間、微かな喜びの波がブロウの内側をふるわせていった。
「何を……姫様に、何をしたの?」
 異様な様を見せられたナディアが呆然としながら言った。
「『喰禍』。身体の中に入り込んだ煤を食った」
「食った? それはつまり――」
「爛化病の原因を取り除いたと言えば分かるか? イラ化はしないということだ」
「そんな事が可能なの……? それじゃあ、誰もが恐れる爛化病を治したというの? 今飲み込んだ黒いものが、姫様の中にあった煤? あなた自身が煤に侵されたりはしないの?」
 理解の及ばない出来事に戸惑うナディアが、いくつも疑問をブロウに投げかける。投げられたものを受け取る気はなかった。ただ無言で肩を竦め、今度はナディアに手を伸ばす。肩を掴むと、ナディアは怯えるようにびくりとした。不安げな視線を主に向けると、ゴディバが頷いた。大丈夫、安心しろと、勇気づけるように力強く顎を引く。
 不安げな目をしていたナディアが、口の中に溜まった唾を飲み込んだ。覚悟を決めたのだ。
「さて、お前もお姫様みたいに気丈でいられるかな?」
 未知なるものへの怯えに懸命に耐える彼女のいじらしさに、思わず嗜虐心を駆られる。意地悪くにやりと笑いながら言った言葉は、ナディアの癇に障ったようだった。ブロウに対抗するように、彼女はできる限り毅然とした声で答えてみせた。
「嫌な笑い方をするのね。女の苦しむ姿を楽しむなんて、最低よ」
 そこに今までの様な敬語も、法王の友人という立場を慮っての敬意もない。強気で反骨的な口調は、本来の彼女の姿なのだ。本来の自分に戻ることで、恐怖と闘おうとしている。
「始めるぞ」
 ナディアの肩を掴んだ手に力を込める。彼女の身体が震えたのが分かった。

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