BENNU | ナノ


▼ 012 宿代

「……町だ」
 雪原の彼方に見え始めた建物に、ロイが期待を込めて呟く。今にも倒れそうだった足に再び力を込め、雪を踏みしめ歩き出す。気力を振り絞るロイの背を見ながら、ブロウも歩調を合わせた。
 ウガン砦を出て以降初めて辿り着いた人里は、エラルーシャ教の第八巡礼地、ベルナーゼ教会を中心にして栄えた小さな宿場町だ。巡礼地らしくどこも落ちついた店構えで、閑静な町並みをしている。
 その町並みに厳かさすら感じるのは、町の入り口から教会へと真っ直ぐに敷かれた白い石畳の道のせいだ。歩きやすいよう綺麗に雪避けされた石畳の両端には、旧暦の昔に忘れ去られた古代文字が刻まれ、薄紫色に淡く輝いている。その文字に秘められた魔力(マナ)のせいか、『世界の嘆き』より三百年の時を経てもなお、石畳は昨日作られたばかりの様に白く、また石が欠ける事もなくその壮麗さを保っていた。
 しかしその美しさも、今のロイの目には入らない。特に何の感慨も示さず、ただ入り口を守る僧兵に律義に会釈をすると、まろぶようにして町に足を踏み入れた。
 寒さから互いを守る様にして寄り添う人々の姿や、家の煙突から上がる暖炉の煙などの何気ない風景を見るのが、何年も昔のように感じられる。疲労が溜まっているとはいえ、ブロウでさえほっと息を付けるものがあった。
「あ、……れ?」
 町に足を踏み入れてすぐ、ロイが足を止めた。何事かと振り返ると、ロイの身体がぐらりと傾ぐ。ブロウが咄嗟に腕を掴んだおかげで倒れはしなかったが、そのまま座り込んでしまった。
「どうした、気が抜けたか?」
 からかうように軽く声をかけるが、返事はなかった。訝しく思いロイを掴んだ手の力を抜いてみると、支えを失った手はくたりと落ちる。意識を失うまいと必死に開いていた瞼が閉じた時、ロイはついに地面に倒れた。
「お、おい!」
 慌てて助け起こし体を揺すってみるが、目を覚ます気配はない。前髪に隠れる顔の陰影は濃く、深い疲労が見て取れる。
「少し、無理をさせすぎたか……」
 ひとりごち、ブロウは気を失ったロイを背負った。
 ロイは道中どんなに疲れていようとも、一度も弱音を吐かなかった。「大丈夫」。そう強がっては、ブロウの後を懸命について来た。その無理が祟ったに違いない。
 だが――その呆れるほどの頑迷さを持たせたのは、おそらく俺だ。
 この旅が始まってからというもの、ロイとの衝突が多くなった。口論のきっかけは、いつもブロウの事についてだった。問いかけに返すものは、沈黙のみ。だというのに、ロイはブロウと離れる気が一切無いらしい。
――そうやって、分かってない所が馬鹿だって言ってるんですよ。
――面倒くさい人ですね。聞かれたくないなら沈黙を通せばいいでしょうに。
 嫌味めいた言葉の端々に、ロイの意地のようなものを感じる。距離を置こうとするブロウへの、彼なりの食い下がり方なのだろう。
 そのぎりぎりの距離が、おそらく三歩なのだ。突き放すのはいつだってブロウなのに、しかしロイは手の届く距離にとどまる。
 だが――ラルガラ雪山の地下道で、ブロウは確かにその距離を以前よりも『遠い』と感じてしまった。
「何やってんだろうな、俺は……」
 とんだ矛盾を抱えたものだ。深い溜息を吐きながら、ブロウは宿を探して歩く。
 気付いてしまった矛盾には、今は目を閉じよう。まずはロイを休ませる事が先決だ。
 意識のないロイの体は、歩く振動で何度背負い直してもずり落ちそうになる。それを何度か繰り返した後、ブロウはふと思う。
 ロイを背負うなど、何年ぶりだろうか。
「重い……」
 十一年。それはロイにしたら、長い時間なのだろう。自分の意志を持ち、選択する力を持つ事ができるほどに。
 ならば、俺は? 気が遠くなる程の長い間、俺は何をしてきた?
 何を思い、何を選択してきた?


「いらっしゃい」
 ドアベルの音に、カウンターで本を読んでいた宿屋の主人が顔を上げた。反射的に客を迎える言葉を口にしたが、ブロウの出で立ちを見た途端、どこか胡散臭そうな視線を向けてくる。
 それもそのはず、ここは貴族などの身分の高い者が利用するような、この宿場町で最も高級な宿だ。巡礼に訪れる高貴な身分の者の為に作られた内装は、聖なる土地に配慮して控えめにはしてあるものの、柱のレリーフしかり、燭台の銀細工しかり、細部に至るまで趣向が凝らしてある。
 靴に着いた泥も落とさず、綺麗に磨かれた床を汚しながら入ってくる無礼な客などいないに違いない。長旅で薄汚れた身なりのブロウを見る宿屋の主人の目は、明らかに客を迎えるそれではなかった。
「連れの具合が悪い。部屋は空いているか」
 ブロウが声をかけると、宿屋の主人はあからさまに面倒くさそうな溜息を吐いた。
 彫りの深い顔は人間とそっくりだが、耳が尖っており、年の頃は壮年だというのに背中は老人の様に湾曲している。指や腕は節くれ立ち、人間のものと比べるとはるかに細くて長い。人の顔をしたカマキリの様な印象を受けるこの男は、ムルンバ族といわれる種族だ。
 ほとんどの者が商いを生業とするその種族の最大の特徴は、金への飽くなき執着心だ。
 宿屋の主人は品定めするようにじろじろと無遠慮に観察してくるが、金のにおいなど微塵もないブロウを、すぐに厄介者だと判断したようだ。
 蠅でも追い払うかのように手を振りながら、再び持っていた本へと視線を落としてしまう。
「空いちゃあいるが……巡礼者には見えないし、冒険者か傭兵か何かかい? うちはお貴族様をもてなすような高尚な宿でね。あんたみたいなお客は受け付けていないんだ」
「いかにも金にがめついムルンバ族らしいお返事だ」
「分かってるならさっさとよそを当たりな。ジェノ直営の宿屋なら、お優しい僧兵様が病人でも浮浪者でも泊めてくれるだろうよ」
「つれねえなぁ」
「何を言ってもお前さんみたいな胡散臭いやつはお断りだよ。さあ、さっさと出て行って……おい、人の話を聞け!」
 主人を馬鹿にするようにくつくつと笑いながら、ブロウは背負っていたロイを床に下ろし楽な姿勢をとらせる。そうしてカウンターに肘をかけると、相手を挑発するようににやりとする。
「おい親父よ、人を見る目がねえな。『ラマン商会』加盟店の名が泣くぜ」
 受付のカウンターに飾ってある認定書の額を顎で示しながら、ブロウは言う。
 ラマン商会――ヘレ同盟国、フランベルグ王国、聖都ジェノの物流を牛耳る、大陸最大の商業組織だ。「ラマン会長の息のかかっていない物は流通しない」というまことしやかな噂が流れるほど、その名は大陸に知れ渡っている。商いの公正さには三国からの定評もあり、そのラマン商会に加盟しているという事は名誉であると同時に、消費者から絶大な信頼を得る事ができるという。
「話も聞かずに追い返すなんて、それでも商人の端くれか? ああ、商才のない小物だからこんな田舎の宿場町に配属されたのか。会長の人選もなかなかのもんじゃないか」
 鼻で笑いながらずけずけと言うブロウに、宿屋の主人の顔に怒りで赤みが差し始める。
「なんだと。じゃあ聞くが、あんたにうちに泊まれるだけの金があるのか」
「悪いが、金はねぇな。訳あって荷を無くして、生憎とそちらさんが大嫌いな文無しだ」
「文無し! 話にならないな! それで人を見る目がないなんてよく言ったもんだ!」
 勝ち誇ったように鼻息を荒げながら、カウンターを叩いた。
「出てってくれ! 慈善事業はしてないんでな」
「ただの文無しがこんな大層な宿屋にわざわざ来ると思うか? それだから小物だってんだ。話は最後まで聞け」
 苛つく主人を尻目に、ブロウは襟元に手を入れると服の下からあるものを取り出した。
 赤い石に皮紐を通してあるだけの、簡素な作りの首飾りだ。首から外して宿屋の主人の目の前に突き付けると、途端に相手の目の色が変わった。厄介者を見る目から、商人の目へと早変わる。
「あんた、これは……!」
 差し出された首飾りを恐る恐る受け取ると、注意深く観察し始めた。「まさか、よもや」などと独り言を言いながらひとしきり眺めた後、赤い石を両手で包み、指の隙間から中をのぞき見る。すると指の隙間に近づけた主人の目の周りが、ほんのり赤い色に照らされた。――暗闇の中で、僅かに発光しているのだ。
「それを換金して、宿代にあてて欲しい。こんな田舎の宿場町じゃ、この宿屋くらいしか換金できそうな所がないんでな。何か不都合あるか?」
 ブロウがにやりとしながら問うと、宿屋の主人は慌てて首を振った。
「不都合なんてあるわけ無い! こりゃあ……錬蝶石じゃないか! しかも、なんだこの色は。混じりっけのない鮮やかな緋色に、金糸雀色の見事な編み目模様……編み目が出るのは長い間蝶の腹で育てられた証拠だ。クリスタルバレーでも、ジェノのディアナ洞穴でも滅多にお目にかかれんぞ。なんと珍しい……」
 うっとりしながら石を眺める宿屋の主人だったが、ふとあることに気が付き表情を曇らせる。
「素晴らしい色合いの錬蝶石だが……欠けているな」
「ああ。だがそれでも一般に出回っている錬蝶石より良い値で売れるはずだ。細工師に頼めば、いい装飾品に生まれ変わるだろうよ」
 ブロウの持ちかけた取引に、宿屋の主人はううむと唸る。
「よもや、あんたのようなやつが錬蝶石を持っているとは……」
「見抜けなかったのがあんたの矜持を傷つけたかい」
「嫌味な男だな。もったいつけやがって」
 眉を顰めながら、宿屋の主人は高い鼻にちょこんと乗った丸眼鏡を押し上げた。腰掛けていた椅子から立ち上がると、カウンターから出てブロウの前に立つ。そうして今更ながら、深々とお辞儀をしてみせた。
「当方自慢の宿へ、ようこそおいで下さいました。ラマン商会の名に恥じぬよう、最高級のおもてなしをさせて頂きます。差し支えなければ、失った旅の荷などもこちらで整えさせて頂きましょう」
 予想通りの掌を返したような態度に、思わずにやりとする。
「ああ、よろしく頼むぜ。まずはベッド。それに風呂と食事だ」


 通された部屋のベッドにロイを寝かせ、脇に置かれていたスツールに腰を下ろす。
 窓からは宿場町が一望でき、立ち並ぶ宿屋の向こうには教会が見えた。教会の一番高い尖塔に光が射し、金の帯を二分する。それは後光の中に教会が溶けゆく様で、浮き世離れしたような雰囲気を醸し出す。
 そんな外の風景をただぼんやりと眺めてから、ブロウは目を閉じた。
 疲れた――
 約一週間飲まず食わずで、睡眠もろくに取らなかった。煤を使役し、その上喰らった。まだ腹のあたりには、鈍く淀んだものが渦巻いている。消化仕切れていないようだ。
 無理もない。『眼』は、もう一つしか無いのだから。
「……意外です。ブロウが、首飾りをつけていたなんて」
 ロイの掠れた声に、ブロウは閉じていた隻眼を開いた。
「なんだ、聞いてたのか。起きてるなら自分で歩けよ」
「そこまでの、元気は……ありませんよ」
 力なく笑いながら、ロイは途切れ途切れに言葉を発する。そうしてふと息を吐き、ブロウから顔を背けた。
「すみ……ません」
「何が?」
「大切なもの……だったんじゃ、ないですか? 俺のせいで……」
「馬鹿が。自惚れるな。くだらない事考える暇があるならさっさと寝ろ」
「でも……」
 上体を起こそうとしたロイの肩を掴み、ベッドへと押し戻す。
「いいから。それに……物に縋るような性分でもない」
「誰かからの、贈り物ですか?」
――綺麗な石でしょ? あなたの目と同じ色よ。
「……まあな」
 素直な返事があるとは思っていなかったのか、ロイが驚いて目を見開く。
「めずらしい……ブロウが、答えてくれるなんて」
「うるさい。……早く寝ろ」
 どことなく嬉しそうなロイに腹が立ち、毛布を引っ張り上げて顔を埋めさせた。まだうまく体が動かないロイが、毛布の下から非難の言葉を吐く。
 それに聞こえないふりをして、ブロウも隣のベッドに倒れ込む。長旅に疲れた体を柔らかい清潔なシーツに埋め、目を閉じた。
――失くしたら、ただじゃおかないから。
 そう言って、悪戯っぽく笑いながら手渡された。ほんの少しだけ、棘の様な罪悪感が喉に刺さる。
 悪いな。売っちまった。でも――
 ほどなくして眠りについたロイの穏やかな寝息を聞きながら、言い訳じみた苦い笑みを浮かべる。
 お前でも、きっと同じ事をするだろうさ。

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