▼ 005 再会
地下道は空気が淀んでいた。ごつごつとした岩肌が延々と続き、四人の足音を反響させる。大型の獣が掘った道のおかげで背を丸めて進む必要もなく、ブロウが楽に歩ける程の高さがあった。ときどき感じる獣臭は、先住の雪土竜(ゆきもぐら)の名残だろう。フィロメラの持つ角灯(ランタン)の光に照らされた暗い道の端には、駆逐の残骸と思わしき骨の欠片が転がっていた。
『迷宮』の名に相応しく、地下道はとても入り組んでいた。分かれ道や三叉路をいくつも通り、下へ下へと進んでいく。方向感覚は既にない。道が竪穴のようになっている所には縄梯子がかけられており、それを使って渓谷の底を目指した。
岩肌のところどころに、角灯の光を受けてきらりと光るものがあった。近づいてみると、透明な自身に角灯の焔色を吸い込んだ、美しい水晶(クリスタル)が埋まっていた。
フィロメラは地図を覗きこみながら、慎重に道を選んでいた。後ろから盗み見ると、それは非常に詳細なものだった。いくつも枝分かれした道が、蜘蛛の巣のように地下に張り巡らされている。一度でも自分がいる場所を見失えば、二度と地下から出る事が出来なさそうだ。
「なあ、ロイ。どうやって戦火のロズベリーで生き残ったんだ? 確かあの時、お前まだ六歳だったんだろ」
スヴェンがロイの肩に手をかけながら、親しげに問いかけた。しかしかけられた手を叩き落として、ロイは冷たい視線を向ける。
「馴れ馴れしくしないで下さい。俺はまだあなた達の言葉を完全に信じたわけじゃない」
「なんだよ、冷てぇなあ。でも、」
言葉とは反対に、スヴェンはどこか嬉しそうだ。
「その冷めた目! オリヴそっくりだ。なあ、もしかしてさ、このオッサンに助けられたとか?」
「……声が地下道に響いて耳障りです。少し黙ってもらえますか」
「言うねえ」
「絡んでるんじゃないよ、馬鹿が」
前を歩くフィロメラから、ぴしゃりとした叱責が飛んでくる。「はいはい」と適当な返事を返し、スヴェンはロイから離れた。
「さあ、もうすぐよ」
そう言うフィロメラの後について次の分かれ道を左に進むと、そこからはまっすぐの一本道となった。道の突き当たりらしき場所には、暗闇にぼんやりと浮かび上がる松明の炎が見える。歩を進めるごとに、その明るさが目に滲みた。暗闇に慣れた目には眩しすぎる。
炎を直視できるようになると、光りに白んで見えなかったものが見えた。木で作られた門と、驚いた顔をした門番だ。
「フィロメラ、スヴェン! なんだ、その二人は」
手に持った槍をブロウへ向け、ジャハダ族の門番は声を荒げた。
「偵察任務中に、ちょっとあってね。込み入った事情があるの。理由を話したいから、とりあえず槍を収めてくれないかしら、フェイ」
「俺達の掟を忘れたか」
「愚問ね。誰に向かって言ってるの?」
推し量るような短い沈黙の後、フェイと呼ばれた門番は渋々ながらも槍を下げた。それでもまだ警戒は解いていない。ブロウとロイへ、厳しい視線を向けたままだ。
フィロメラがブロウ達の側を離れ、フェイの側へと行く。後に続こうとしたロイを遮る様に、スヴェンが間に立ちふさがった。
「フィロメラが事情を説明してくれるから、ちょっと待ってくれな」
二人は門を通って少し歩いた所にある、岩肌を穿って作られたくぼみの様な部屋に通された。通路と部屋の境には臙脂色の垂れ幕が掛けられ、床には毛皮で作った敷物が敷かれている。水の入った甕と戸棚があり、棚の中には湯を沸かすための薬缶や茶葉の入った瓶などが並べられている。甕の隣には、今は熾き火となっている火鉢が置かれていた。
部屋の隅には椅子代わりの平らな長石が据えられ、その上に生成り色の座布団が乗っていた。腰を下ろすと柔らかく、微かに乾いた藁の匂いがした。
おそらく、ここはあの門番が使う休憩室の様なものだろう。スヴェンを見張りに残し、「お頭とオリヴに報告してくる」と言って出て行ったフィロメラが帰ってくるまで、ここで待たされるようだ。
不思議なことに、蝋燭や松明などの明かりは一切置いていなかった。この部屋だけでなく、通路にもなかった。にもかかわらず、この地下アジトの内部は明るい。差し込むはずのない日の光があるかのように、全ての物がはっきりと見えた。
ふと天井を仰いで目に入った物に、ブロウは眉を顰めた。門をくぐってからずっと感じていた懐かしい魔力(マナ)の気配の源が、そこにあった。
「不思議な紋章だろ? あれのおかげで、このアジトは地下でも明るいし、寒くない」
天井を指さしながら、スヴェンが言った。
天井には、薄紫色に発光する紋章陣が描かれていた。旧暦の昔に忘れ去られた古代文字を使い、円や線を描いて複雑な模様を施している。脈打つように点滅する薄紫の文字を見上げながら、ブロウは溜息をついた。あれを使えるのは、知っている限りでは一人しかいない。
――何に首を突っ込んでやがるんだ、あいつは。
「あれを施してくれた方のおかげで、俺達はこの地下で生きていける。あれがなかった頃は、それはひでぇ状態だったらしい。暗さと寒さを打開するために大量の火を焚けば、煙と煤でたちまち空気が淀んだ。息が出来なくなっちまうくらいにな」
熾き火になっていた火鉢に再び火をおこし、水を入れた薬缶をかけながらスヴェンは言った。戸棚を漁り、三人分の湯呑みと冷えた饅頭を取り出す。においをかいで痛んでいない事を確かめると、それをブロウとロイに手渡した。
「カラキヨ草の饅頭だ。食えよ、腹減ってるだろ?」
そう言いながら、がぶりと饅頭にかぶりついた。香油で炒ったカラキヨ草を生地で包んで蒸した饅頭は、冷えていても旨い。ブロウは食べたが、緊張が解けないロイは手に握ったまま口をつけなかった。
それからしばらく、誰もしゃべらなかった。火鉢の中で沸き始めた薬缶の湯が、シュワシュワと微かな音を立てている。
「あのさぁ」
そう切り出したのは、沈黙に耐えきれなくなったスヴェンだ。
「おたくら、辛気臭えよ。生き分かれの兄弟の再会なんだぜ? もっと喜んじゃどうだ」
「……さっきも言ったでしょう。俺はあなた達の言葉を、まだ信じていない。実際に兄に会うまで……信じられない」
俯いたロイが、低い声で答えた。
「そうかい。全く、疑り深いな。普通なら存在を知られたら即処分。アジトの中に部外者を招き入れるなんてないんだぜ」
「それはそっちの都合でしょう」
「そりゃそうだけどよ。もうちっと信じてくれてもいいと思うんだけどなぁ」
信用が得られない事が不満そうなスヴェンは、がっくりと肩を落とした。顔を上げないロイに話しかけるのを諦め、ブロイへと向き直る。
「オッサンはさ、なんでそんなに黙ってんだ? このアジトについて、何にも疑問に思わない訳? 何の組織なんだとか、この天井の文字はなんだ、とか。一個も質問して来ないなんてさ! あんまりにも部外者らしくなくて、調子狂うじゃねぇか」
「俺はお前ほどおしゃべりじゃないんでな」
「かーっ、嫌だねスカしちゃって」
沸いたお湯を急須に注ぎ入れながら、スヴェンは忌々しげに言い放った。蓋をして少し蒸らすと、三つの湯呑みに注ぎ入れる。琥珀色のお茶が注がれた湯呑みを受け取ると、冷えた指先に温かさが滲みる。手を確かめても、凍傷はどこにもない。人差し指の腹に出来たしもやけが、すこしだけ痒かった。
「なあ、オッサン。あんた人間じゃないだろ」
ふと呟いたスヴェンの言葉に、ロイがようやく顔を上げた。
「人間にラルガラ雪山の吹雪はとても耐えられない。亜人なんだろうけど、オッサンは一見するとただの人間みたいだ。なあ、あんた何族だ?」
顔を上げたロイと視線が合う。思わず逸らしてしまった。そういえば、自分が何族だなんて話はしてこなかった。……否。聞かれたかもしれないが、答えなかった様な気がする。
「別に、何族でもいいだろう」
「よくねぇよ。ラルガラ雪山に入って凍傷はなし、こさえたのはしもやけだけ? 気になるじゃねぇか。絶対人間じゃないね。何、もしかして混血とか?」
「……お前、それだけ一気にしゃべってよく舌噛まねぇな」
「そりゃどうも。でも結構気になるから、話し逸らして欲しくないんだけどなぁ」
しつこい奴だ――呆れて盛大な溜息をつこうとした矢先、慌ただしい足音が聞えてきた。一つではない。複数の人物が走ってくる音に、ブロウは咄嗟に剣を握った。
その足音が、部屋の前で止まる。勢いよく垂れ幕を捲って現れた隻腕のジャハダ族に、ブロウは目を見開いた。
――似てる。
灰色の体毛に、深緑の髪。髪と同じ深緑の瞳は鋭く切れ長で、精悍な印象がある。しなやかな体躯、大きな上背――ロイが大人になったら、きっとこうなる。そう思えるものを、彼は全て持っていた。
「……兄さん?」
後ろから、ロイの掠れる声がした。
「……ロイ、だよな?」
ブロウを避け、ジャハダ族の青年がロイに歩み寄る。片方しかない右手をロイの肩に置き、茫然としたままの顔をよく確かめた。瞳の深緑が潤む。それが零れる前に、ロイの兄――オリヴは、弟を強く抱きしめた。
「ロイ、よく……よく無事で……! 俺はてっきり、お前が死んだものだと――」
兄に強く抱きしめられても、ロイはまだぼんやりとしていた。おずおずと兄の腰に手を回すと、左腕がない事にようやく気が付く。
「兄さん、腕が……」
眦を拭いながら、オリヴは苦笑して見せた。
「これか? 洪水に飲まれたときに使い物にならないほど痛んでしまって、医者が切り落とした。……もう、十一年も前の話だ」
その説明を、目を瞬かせながら聞いていた。兄の腰に回した手に、力が入る。今自分が抱きしめているこの体温は、生きている証。触れる事が出来ない左の腕は、その生の犠牲となったもの――
喉が震えた。遅れて一気に込み上げてきた熱いものを、兄のシャツに埋めて隠す。年を重ね大人になっても、その柔らかなぬくもりは少しも変わらない。懐かしい、兄のにおいがする。
「兄さん、本当に……本当に生きていたんだ……」
ロイの呟きに答えるように、オリヴは弟を抱きしめる右手に力を込めた。
その光景を見ながら、ブロウは再び己の中の違和感を覚えていた。再び澱(おり)が浮かび上がり、喉に張り付く。
気分が悪い。それを振り払いたくて、自然と手が懐に伸びた。煙草の箱を取り出そうとする。しかし、突き付けられた刃に動きを止めた。
武装した三人の亜人に囲まれていた。抜き身の剣を向けられ、大人しく手を上げる。
「弟を連れて来て下さった方を傷つけたくはない。動かないで頂きたい。――捕えろ」
事務的な口調で部下に命令するオリヴの言葉に、ロイがはっとして顔を上げた。
「兄さん、一体何を……!」
「ロイ、ごめんな。どんな理由があろうと、部外者は拘束させてもらう」
幾分申し訳なさそうなオリヴだが、指示を出す声に迷いはなかった。
武装した三人のうち一人がブロウの武器を奪い、後の二人に両脇から拘束される。ブロウに取り上げられていた剣が返ってきたスヴェンだけが、一人上機嫌だった。
「兄さん止めさせてくれ! ブロウは俺の命の恩人だ!」
兄の服に縋り、必死に訴えた。しかしオリヴは首を立てには振らない。愕然としたロイに、ブロウはぶっきらぼうに言葉を投げた。
「いいロイ、引け」
「でも!」
「オッサンの言う事聞いた方がいいぜ」
にやりと笑いながら、スヴェンが剣を抜く。それを拘束されたブロウの首元まで持っていき、ロイに見せつけるように剣の腹で頬を叩いた。
「動くなよ。命の恩人の首が飛んじまうからな」
怒りで歯の根を軋ませながら、ロイはスヴェンを睨んだ。ブロウから武器を奪った亜人が、ロイの方にも近づいて来る。
「……武器を渡しなさい」
静かに言われたオリヴの言葉に、ロイが弾かれたように振り返る。
「兄さん、本気で言ってるのか……?」
オリヴは眉を顰め、極力ロイの目を見ないようにしながら細く呟いた。
「お前も例外じゃない。――部外者は拘束させてもらう」
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