BENNU | ナノ


▼ 029 贄

「今日この時から、こいつらは僕の『親友』になるんだ」
 満足そうにそう言うスクァールの言葉は、全く理解が追いつかなかった。
「馬鹿を言うな。二人がお前なんかに心を開くとでも思っているのか?」
「開くさ。こいつらは自ら進んで、亜人に虐げられた哀れな子供に手を差し伸べるだろう」
「そのために散々猫被ってきたのか? でも、そんな事にはならないよ。ウッツは僕を信頼してくれた。レニだって……お前さえいなければ必ず思い直してくれる!」
「僕がいなくなる事は、もうないよ」
 スクァールは面倒くさそうに返事をする。
「もしそうだとしても……ウッツは騙せない。ウッツなら必ずお前の本性に気付く!」
「この際、騙されるとか騙されないとか問題じゃないんだよね。彼はもう、僕の思い描く物語の歯車なんだから」
「歯車?」
「そう。お前から大切な物を全部奪う物語の、歯車の一つだ。その物語を完成させるために、僕はレニに狙いを定めてお前を裏切る様に仕向けた」
「よくも、いけしゃあしゃあと……!」
「なんとでも言えば? でもね、なんとも素晴らしい事に、ウッツにはお前を憎む理由がない。だから彼に関してはどうしたものかと思ってたんだけど……」
「だったら、ウッツがお前の友達になるなんてありえない事だって分かるだろ。歯車だって? 馬鹿馬鹿しい」
 アークの言葉を、スクァールは鼻で笑う。
「お前を憎む理由がないのならば、作ればいいじゃない」
「なんだって?」
「さて、問題です。僕らを繋げる絆は何でしょうか?」
 指先から滴る赤いものを舐めながら、スクァールは言った。
「答えは、亜人への憎悪。即ちお前への憎しみだ。この二人がお前を憎めば憎むほど、哀れな少年スクァールとの絆は硬くなる。まあ……ちょっとだけ憎しみを増強させるスパイスを混ぜてやるけどね」
 スクァールを取り巻く煤が、彼の言葉に反応して少しだけ色を濃くした様な気がした。
「でもさぁ」と、スクァールは倒れたテーブルの側に歩み寄った。
「先に言ったように、レニはともかく、ウッツはたいして亜人を憎んでいないんだ。だから理由を作る為には、とても残念な事に、贄が必要なんだよね」
 その言葉とは裏腹に、残念がる様子は全く見られなかった。むしろ、楽しんでいるようにさえ見えた。嫌な予感に、心臓が鐘の様に体の内側で鳴り響いた。
「贄だって……?」
「そう、ニエ。無力で、幼い、『理由』を作るための哀れな贄だよ。もう準備はしてあるんだ。ほら――ここに」
 倒れたテーブルをスクァールが蹴りあげる。その下には、彼の言う『贄』が二人、無残な姿で折り重なるようにして横たわっていた。
「ダ、ダニエーレ……コリーナ……!」
 詰所で倒れていた騎士達と、全く同じ姿をしていた。四本筋の鋭い爪痕が、その小さな体に刻まれている。とめどなく溢れる真っ赤な血が、よれたキッチンマットに染み込んでいた。
 何も聞こえなくなった。ウッツの側を離れ、ダニエーレとコリーナの側へと駆け寄る。
 視界の隅でスクァールが壊れた玩具みたいに笑い転げている姿が見えたが、それすら聞こえなかった。
 すべての音が、己の悲鳴に掻き消されている。血の海からダニエーレの幼い体を持ち上げると、固まり始めた血がぬるりと粘った。
 何度も名を呼んだ。揺すり、頬を張っても、反応はなかった。生を確認するために彼に触れる手が、瞬く間に死の象徴に染まってゆく。
「ダ、ん……お、兄ちゃ……」
 悲鳴が続かなくなったころ、ようやく聴力を取り戻した耳が弱々しい声を聞き拾った。
 咄嗟に動かぬダニエーレを脇に横たえ、コリーナを抱え起こす。
「コリーナ! コリーナ、しっかりして!」
 焦点の定まらないコリーナの目が、次第にアークを捉える。よかった、生きている!
 しかしコリーナの焦点が定まり視線が合った瞬間、彼女は発狂した。
「嫌あぁ! 化け物!」
 叫び、手をばたつかせてアークから逃れようとする。傷からは更なる血が溢れ、「うぐっ」と呻くと、大量の血を口から吐きだした。
「コリーナ僕だ、アークだ! お願いだからじっとしていて、動いたら、傷が……!」
「嫌! 放して!」
 体を捻り、アークの手を必死で逃れたコリーナは床に転がった。
「痛い、よ……おに、いちゃ……パパ、ま……マ……!」
 アークから逃げるように、コリーナは必死に床を這う。その後には、不気味な赤い線が尾を引いた。
「おね、が……また、助けに、来てよ……おにい、ちゃ……レニ、く……アーク、く……」
「コリーナ、いるよ。 僕はここにいる……!」
 いくら手を差し伸べでも、ダニエーレの血に染まる鱗に覆われた手を受け入れてはくれなかった。「ばけもの、ばけもの」とうわ言の様に繰り返しながら、アークから必死に遠ざかろうとする。
「こいつらと中央広場で会ったのは、まさしく神の思し召しだと思ったね。そして獄舎でウッツの手紙を見た時には鳥肌が立った。硬い信頼が崩れた時、人がどうやって絶望し堕ちていくのかを、お前を使って再現する事が出来る……そうやってもう一人の親友を奪い取られたら、お前はどんな顔をするのかな――アーク」
 神へ祈りをささげる聖職者のように、胸の前で手を合わせる。
 コリーナが必死で這って行った先は、そんなスクァールの足元だった。
「素敵な演出ありがとう。でももういいよ、お前は用済みだ」
 まるでゴミを捨てるかのような口調でそう言うと、スクァールはぱっくりと傷の開いたコリーナの腹を蹴り上げた。「ぎゃっ」という短い悲鳴のあと、手足が痙攣し始める。しばらくの後、それすらも止まった。コリーナは、全く動かなくなった。
「……リー、ナ? コリーナ?」
 側に行き、抱き上げる。反応はなかった。その代わり、初めて浴びる様に触れた大量の血液の、生温かさを感じていた。腕に、体に、ぼろぼろになった団服にそれが滲み込み、塗れてゆく。
 アークはゆっくり、コリーナを床に横たえた。開いたままだった目を、そっと閉じる。
 柔和で、優しくて、いつも穏やかに微笑んでいて。
 良い子だった。こんな無残な死に方をしなければならない理由なんて、どこにもなかった――
「……さない」
「え、なぁに?」
 とぼけたように聞き返すスクァールは、次はよく聞こえるようにと、わざとらしく耳に手を当てて見せた。
「聞こえないからもっと大きな声で言ってくれないかなぁ」
「絶対に許さない!」
 弾かれたように立ち上がったアークは、スクァールに向かって拳を振り上げた。にやついている忌々しい顔を本気で殴るつもりだったが、しかしそれは空を切る。
「残念、はずれ! もっとちゃんと狙いなよ」
「煩い! よくも……よくも! なんでだ! どうして二人を殺した!」
「だから、ウッツをお前から奪うためだって言っただろ。贄だよ、ニエ。同じ事何度も言わせないでよ」
 再び殴ろうとするが、やはりスクァールには当たらない。涼しい顔で、アークの攻撃を避けている。
「ほら、ちゃんと僕を狙いなってば。僕が憎いでしょ? 殺してやりたいでしょ?」
 そうだ。憎くてたまらない。許せない。ダニエーレとコリーナの仇を取ってやりたい――
 不意に、酷く甘ったるい匂いがした。抱いている憎しみとそれが混ざり合い、体の芯まで毒されていく。
 許せない。絶対に許せない。
 ならばスクァールなんて――殺シテシマエ。
 湧きあがる殺意の中に、身体が裂けそうなほどの憎悪と、奇妙な高揚感を覚えていた。ともすれば、それに身を任せる事は快楽的だとさえ感じた。
 攻撃を避け続けるスクァールと捕らえようと、がむしゃらに拳を振った。途中、空振りした拳が何かの家具にあたり木片が散ったが、さして意識には入って来なかった。
 駄目だ。これじゃあ、殺せないじゃないか。
 焦れたアークは、殴るのではなく、爪で相手を仕留めようと拳を開いた。硬化した爪を振るたびに、空振りし、壁やカーテンに四本筋の鋭い爪痕を刻んだ。
 アークには、スクァールしか見えていなかった。それ以外は、黒い靄に視界を遮られている。「目標物はここだ」と導かれているようだが、それを自覚することは出来なかった。
「さて、そろそろお仕舞いにしようかな。いない事がばれても面倒だ。そろそろ病室に戻らなくっちゃ」
 場違いにのんきな声でスクァールが呟くと、視界からさあっと黒い靄が引いて行った。同時に、甘い香りの奥から焦げた腐敗臭が顔を出す。
 煤だ。
――通常、煤を吸い込むとイラ化するけれど、僕には違った使い方が出来る。
――煤はそもそも、高密度の負の感情の塊だ。それに共鳴させて、その人の中にある憎悪を大きく膨らませる事が出来るんだよ。
 はっとして正気を取り戻した時には、頭から引き裂いてやろうと振り下ろした爪を引くには遅すぎた。
 スクァールがそれを避けると、すぐそばには仰向けに倒れたウッツがいた。
 パチン、とスクァールが指を鳴らす。すると、ずっと意識を失っていたウッツとレニが、びくりと身じろぎした。
 ウッツの目が、うっすらと開く。
 必死に手の軌道を変えようと試みる。けれど。
 駄目だ。
 止まらない!

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