BENNU | ナノ


▼ 009 少女

 なんてうざったいやつらだ。切っても切っても湧いて出やがる――
 襲い掛かるイラを剣で薙ぎながら、ブロウは思った。哀れにも体をふたつに分断された怪鳥が、断末魔を残し黒い灰となって宙に霧散する。
 小さな舌打ちをした。額の傷が痛むのだ。それは白の庭が炎上したときから、絶えずブロウの頭を痛みの鎖でぎしぎしと締め付けている。
 ロイに襲い掛かろうとした怪鳥を、すんでのところで切り落とす。ロイは軽く頭を下げ、再びイラの怪鳥が舞う寒空に投擲用のナイフを放った。ブロウはロイと背中あわせになり、剣を構えた。襲い来る怪鳥に、剣を薙ぐ。鋭い鍵爪でブロウのひとつしかない目を狙ってきた怪鳥を、真っ二つにした。


「どう考えてもおかしいです。イラの発生が第四地区に集中してる」
 ヘレ同盟国各地のイラの発生報告書をブロウの机に叩きつけながら、ロイは声を荒げた。一方ブロウはといえば、椅子に浅く腰掛け愛用の煙草をふかしている。真剣に話を聞いてくれないブロウに、ロイは目前まで詰め寄り獣独特の低いうなり声を発した。威嚇するように、ブロウを睨む。
「隊長、俺の話聞いてますか」
 詰め寄ったロイに向かって、ブロウはわざと煙を吹きかけた。それを吸い込んだロイが、途端に咳き込んでブロウから離れる。涙目のロイに、ブロウは楽しそうにくつくつと笑った。
「聞いてるよ。イラが第四地区に集中してるんだろう」
「そうですよ……まったく、煙かけるのやめてくださいって、いつも言ってるでしょう」
「ああ、悪い悪い。こりゃ癖でな」
 なんて癖だ、とロイはうんざりと頭を振った。それにもめげず、ロイはイラの話に関心を示さないブロウに再度報告書を突きつける。
「ちゃんと見てくださいよ。第四地区のイラ発生件数が、第一、第二、第三地区のそれをはるかに上回ってる。一番偏狭な第四地区だけこんなに多いなんて、おかしいじゃないですか」
「まぁ、そうだな」
 ブロウのいい加減な返事に、ロイはついに牙をむいた。
「そうだな、じゃありませんよ! このままじゃ討伐がおっつかなくなる。みんな疲労困憊してるんです。特に白の庭の一件から一気に増えて……」
「なあ、ロイ。俺が孤児だったお前を拾ってから、何年たった?」
 短くなった煙草の火を灰皿でもみ消しながら、ブロウはロイに問いかけた。突然の問いかけに、ロイは苛ついたように鼻の頭にしわを寄せるも、ブロウの目を見て苛つきを押さえ込んだ。ブロウの目が、めずらしく真剣だったのだ。
「ロズベリー戦役のときだから……もう十一年前ですかね。それが何か?」
「そうか、十一年か……」
 ロイに言うわけでもなくひとりごちて、ブロウは懐からもう一本煙草を取り出し、火をつける。ロイは怪訝そうに首を傾げたが、ブロウはそれ以上何も言わなかった。
 十一年。ヘレ同盟国に腰を下ろしてから、もうそんなにたつのか――
 橙色の暖かなランプの光に照らされる糸のように細い煙草の煙が、宙でくねり空気に溶ける。それを眺めながら、静かに目を閉じた。額の傷が痛む。また無意識的に傷跡を指でなぞった。
 その頭痛に追い討ちをかけるように、扉がノックされた。頭に響くその音に眉間に皺を寄せながら、ロイにあごで「開けろ」と促した。
 ロイが扉を開けると、ローブのフードを目深に被った人物が姿を現した。案内人も連れていない見慣れない人物に、ロイが警戒するように唸り声を上げた。腰に佩いた剣に素早く手が伸びる。
「誰だ。どうやってここに入った」
 ロイに構わず部屋に足を踏み入れようとするローブの人物を止めようと、ロイが剣を抜こうとする。しかし、抜き切る前にローブの人物が目の前から消えた。
 後ろから衣擦れの音がする。振り返れば、ローブの人物はいつの間にかブロウのそばへと歩み寄っていた。心なしか、よたよたと頼りない足取りだ。
 ローブの人物を見るなり、ブロウは眉をしかめた。それはほんの少し眉間の皺を深くした程度だったが、明らかにブロウのまとう雰囲気が変化した。重く、喉がちりちりと焼けるように息苦しい空気。それを敏感に感じ取ったロイが、びくりとして尾を巻いた。
「いい、ロイ。こいつに構うな」
「でも隊長」
 それより先は、言えなかった。睨みつけてくるブロウの隻眼が、言葉を続けることを良しとしなかった。
「……俺は、席を外した方がよさそうですね」
「悪いな」
 扉を閉める直前、ロイが不安そうにブロウを振り返ったが、ブロウはそれを視界の端で捕らえただけで反応はしなかった。
 ロイが後ろ手に締めた扉が、パタンと閉まる。ローブの人物はそれを見届けてから、ブロウに向き直った。
「久しぶりだね。前に会ったのは何年前だったかな?」
 澄んだテノールが、ゆっくりと開かれた口から発せられた。男だ。唯一見える口元は優しげな微笑を湛えており、青白い頬には朱色の刺青がある。それ以外のことは裾の長いローブに隠れてうかがい知る事はできないが、ローブの前が不自然に盛り上がっている。下に何かを抱きしめているようだ。
「十七年だな。今更何の用だ。お前とは縁を切ると言ったはずだが、ダアト」
「ちょっと、頼みたいことがあってね」
「断る。傷が痛むんだよ、お前の頼みは毎度ろくなもんじゃない」
 ダアトはブロウの返事を聞いているのかいないのか、ローブの前をくつろげる。その下から出てきたものに、ブロウは目をむいた。
 ダアトは気を失っている一人の少女を、ローブの下に抱いていたのだ。
 真っ白だったであろう髪は煤で黒く汚れ、服も焼け焦げた跡がいくつもみられる。ダアトと同じく青白い肌をしており、浅い呼吸に上下する胸がなければ、一見死んでいるのかと思ってしまうくらい少女には生気がなかった。
「この子を私の代わりに守ってやってほしいんだ」
 それみたことか。こいつの頼みはろくな事がない。
 煙草をふかし、その煙をダアトに向かって吐きながらブロウは答えた。
「やなこった。守りたきゃ自分で守りな」
「……そう言うような気はしていたよ。君は昔から意地悪だ。分かっているくせに、私にはもうそんな力がないこと」
 困ったように首を振るダアトに、ブロウは答えない。黙って紫煙を吸い込んでは、ため息交じりに吐き出した。
「頼むよ、ブロウ。できることなら、君に預けたい」
 幾分語気を強めて説得にかかるも、ブロウはダアトを見てすらいなかった。報告書だらけの散らかった机に足を乗せ、天井を仰いでいる。
 ダアトが慈しむように、気を失った少女の頬にかかった髪をかきあげる。身じろぎひとつしない少女は、今にもダアトの腕の中から消えてしまいそうなほど儚い。
「……言っただろう、ダアト。お前とは縁を切った。その小娘がどうなろうが、俺には関係ないね」
「関係あるさ。この子は」
「二度も言わせるなよ。俺には、関係ない!」
 ブロウは椅子から立ち上がると、扉に近づき乱暴にこぶしを叩きつけた。腹の底まで響くような、苛立ちの混ざった大きな音が部屋の空気を震わせた。
「出て行け! お前とは関わりたくねぇ」
 噛み付きそうな鋭い視線で、ダアトを睨む。怯みこそしなかったものの、ダアトは諦めたようにうなだれながら、少女を抱き締めた。
「そう……わかった。君にこの子を託したかったけど、仕方がないね。でもひとつ、忠告しておくよ」
 目深に被ったフードの下のダアトの視線が、まっすぐにブロウを捉える。
「いいかい、ブロウ。そのうち君も関係ないなんて言っていられなくなる」
 ブロウの机の上に散らかったイラ発生の報告書を骨ばった指でなぞりながら、ダアトは続ける。
「ねぇ、この報告書の多さ、原因はどこにあると思う。どうして第四地区にだけイラが集中していると思う?」
「……くだらねぇ謎かけしてんじゃねぇぞ」
「君が矛盾しているからさ。……同盟国を去れ、ブロウ。今君は、この国にとって災いにしかならない」
 確信めいた口調ではっきりと言い放つダアトに、ブロウは歯軋りをした。ダアトの言葉のひとつひとつが、傷をえぐるように突き刺さる。
 ぬるま湯につかったような心地よい生活に、俺は慣れてしまっていたのだ。一所に、同盟国に留まりたいと思うほどに――
「……畜生」
 頭を振る。扉に寄りかかってうなだれながら、ブロウはくわえた煙草を床に落とし、足で火をもみ消した。
「……君が悪いわけじゃない。自分を責めるのは、もうやめないか」
 微笑みながらダアトはそう言うと、骨ばった長い指を宙にかざした。徐々に指先に薄紫の淡い光が集まる。ダアトが指を走らせるとその薄紫の光は尾を引いて、宙に文字を浮かび上がらせた。その文字で、ダアトは自分を囲ってゆく。
「……その小娘、どうすんだ」
 あと少しで文字がダアトの周りを一周するところで、ブロウはつぶやいた。
「この子を守れる、もう一人のところへ預けることにするよ。まだ力が眠ったままの『彼』には少々酷かもしれないが……君が引き受けてくれないのならば仕方がない。でも、この子にとってはいいのかもしれない。彼は君より優しいからね」
 にっこりしながら、ダアトは文字を書く指を休めずに言った。ブロウが再度問いかける前に、最後の一文字を書き込む。
 輪となった文字の列が一斉に光りだし、眩しさでその中にいるダアトが霞む。目を細めながら、ブロウはダアトの微笑を見た。
「また来るよ。悪いとは思うけど、どうしても君には手伝ってもらわなきゃいけないんだ」
 光が増し、部屋の空気が震える。
 次の瞬きをした瞬間、ダアトはブロウの目の前から忽然と姿を消していた。

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