BENNU | ナノ


▼ 010 熱

「――そう、そんなことが……」
 早朝訓練であったことをアークがあらかた話し終えた後、ウッツは一言呟き口を閉ざした。
 閉められた扉のわずかな隙間からは朝餉のいい匂いが流れ込み、窓の外では爽やかな朝を謳歌するように鳥たちが囀っている。それは二人の間に流れる重苦しい空気とは、別世界の出来事のようだ。壁一枚、窓一枚隔てているだけなのに、どこか遠くから感じられた。
 アークはリリたちの話を聞いてしまったあと、顔色が優れない事を理由に、訓練に戻らず家に帰るように言われた。確かに具合が悪かったが、アークは体調とは別の理由で、訓練に戻らなくてすむことがありがたかった。
 オレンと顔を合わせる事が気まずかった。今朝の様子では、オレンはまだ父親の死を知らないのだろう。もともと顔に出やすい性分、そのオレンに何事もなかったかのように接する事は出来そうにない。
 しかし、まっすぐ帰ることも出来なかった。家をこっそり抜け出して訓練に参加したのだ。どこか後ろめたい気持ちが、アークの足を家ではなくウッツの家へと向かわせた。
 鬱屈した気持ちが消せない。オレンと顔を合わせずにすむことに安堵し、父親からは逃げている。
 じゃあ、レニからは――?
「ウッツも団長の言うとおり、レニを放っておいた方がいいと思う?」
 長い沈黙を破り、アークは呟くようにウッツに問いかけた。
 ウッツは少しの間思案し、アークの目をまっすぐ見ながら問う。
「お前はどうしたいんだ?」
「僕が、どうしたいか……?」
 質問に質問で返され戸惑うも、ウッツの言葉を何度も頭の中で繰り返して考えた。しかし、いくら考えても答えはひとつにしかたどり着かない。執務室でレニが飛び出していったときから、変わらない気持ちだ。もやもやとした心の中でも、これだけは確かな事。
「放ってなんておけないよ。でも慰めるとか、そういうんじゃなくて……なんて言ったらいいのかな。落ち込んでるとき、ひとりは――駄目だから」
 アークは胸元をぎゅっと握りしめた。
「落ち込んでいる時、ひとりでいるとここが痛い。寂しさとか、やり場のない気持ちでいっぱいいになって苦しくなる……そんなの、駄目だ」
 しっかりとウッツの目を見、答えた。
 リリの言う事もわかる。今レニには時間が必要なのだろう。しかし、それは決して一人じゃなくてもいいはずだ。別にレニの気持ちを聞き出してどうにかしてやりたいとか、そんな難しいことをするわけじゃない。そばに誰かがいれば、気持ちを吐き出したくなった時の寄辺となれる。少なくとも、一人で思いつめたりはしないはず――
 言葉にすることで、心の霧が晴れたようだった。止められた事で足踏みしてしまった自分の気持ちが、次第にはっきりしてくる。そうなると、いてもたってもいられなくなった。
 レニを探しに行こう。
 勢いよく立ち上がると、それと同時に軽いめまいが襲う。そういえば、体調が悪かった――でも、じっとしていられない。
「ちょっと待てよ。落ち着けアーク」
 ウッツが勢いづいたアークをなだめるように、椅子に座れと促した。
「六十点だな」
「え?」
 立ち上がって今にも駆け出そうとしていたアークは、一瞬ぽかんとした。六十点って、何がだ?
 もう一度ウッツの座れと促され、とりあえず腰かける。
「自分が心配だからって、突っ走っちゃいけない」
「突っ走ってなんか……」
「本当にそうか? レニが探してくれって望んだ? お前の独り善がりな考えじゃないのか?」
 言葉に詰まった。レニがそう望んだかと問われれば、それは「いいえ」だ。
 でも、でも違うよウッツ。そうじゃない――
 決していいとは言えない頭で、何度も考えて出した結論だった。それでも、やはり答えはここにたどり着いた。
 ひとりはだめだ。泣きそうな顔をしていたやつを、放ってなんて置けない。
「望まれたから、何かするわけじゃないよ。僕はただ、少しでもレニの気持ちが軽くなればって……ただ、それだけで……」
 打算だとか、自己満足だとか、そんな難しいことなど考えていなかった。自分の心が「こうするべきだ」と叫んだのだ。それに従っただけのこと。
 そう言いたいことははっきりしているのに、次第に声が尻すぼみになる。改めて突っ込まれると、頭では分かっていても不器用な口は上手く説明をさせてくれない。
 頭の中を整理しようと固まるアークを見て、険しい表情だったウッツがふっと噴き出した。
「えらい重症だね、アーク。親父さんといい勝負だよ」
「……心配性ってこと?」
 ウッツは楽しそうにくっくと笑いながら頷いた。
「別に心配する事が悪いんじゃない。物事をよく考えてからから行動しろってことが言いたかったんだ。何も考えずに突っ走れば付いて来る結果なんてたかが知れているし、そんな行動はかえって迷惑なだけだ。でも、まぁ……俺は嫌いじゃないけどな、アークのおせっかい」
 まわりくどいけど、これは僕の考えを認めてくれたってことかな――?
 アークが首を傾げると、ウッツはアークの考えを後押しするかのようににかっと笑って見せた。
「でもなアーク、もしかしたら、レニはもうけろっとしてるかもしれないぜ」
「かもしれないな。あいつ、案外しっかりしてるしね」
「へぇ、分かってるじゃないか。なら七十点に上げといてやるよ」
 それはどうも、と肩をすくめる。レニは馬鹿な悪戯をすることはあるけど、決して頭が悪いわけじゃない。考え方も、自分より大人だとアークは認めている。
 もう一度椅子から立ち上がる。今度は、ウッツも止めないはず――
 しかし、またウッツに座れと促された。どうして、と視線で問いかける。
「お前、他人には馬鹿が付くほどおせっかいになるのに、自分の事にはてんで無頓着なんだよな。一番の減点要因だぞ。そんな顔してレニに会いに行ってみろ。逆に心配させる事になる」
 ウッツは部屋の壁に掛けてある鏡を指差した。アークはその鏡を覗き込んで、思わず苦笑した。顔は血の気がなく、唇は白い。一目見て体調が悪いのだと分かるくらい、青い顔をしていた。その顔が物語るように、時間がたつにつれ執務室を出たときよりも、少しずつ具合が悪くなってきていると感じる。しかしそれでも、アークは帰る気がしなかった。
「でも、ウッツ。僕はレニを……」
「駄目だ。お前は早く帰れ。そんなにレニが気になるなら、俺が探しといてやるから。いいか、先に言っとくけど、もう「でも」はなしだ」
 有無を言わさないウッツの口調に、出かかった「でも」を飲み込んだ。ウッツがアークの背を支え、扉へと導く。
 二、三歩歩いただけで、目の前が歪んで見えた。きっと頭蓋骨の中で脳みそがぐるぐる回っている。馬車に酷く酔ってしまったときのように、鈍い痛みとともに吐き気がこみ上げた。それが、おとなしく帰るべきなのだと、やっとアークに分からせる。
 こんな姿でレニを探しても、ウッツの言う通り、逆に気を使わせてしまうだろう。
「大丈夫か? 思ったより酷そうだな……」
 ウッツが心配そうに顔色を窺ってくる。ドアノブに手をかけたそのとき、反対側から開かれた。
「あら? アーク君、もう帰るの?」
 からっぽの胃を刺激するいい匂いを放つポトフと、こんがり焼かれたソーセージ、そしてパンを乗せた盆を手に持った、女の子が立っていた。ウッツと同じ鳶色の長い髪をおさげに結い、可愛らしいフリルの付いたエプロンを着ている。ウッツの妹の、コリーナだ。おそらく、彼女の厚意で兄とその友人分までの朝食を用意してくれたのだろう。
 コリーナはアークの顔色を見て、はっとしたようだった。可愛らしく小首をかしげて、気遣わしげにアークを見上げる。
「具合、悪いの?」
「いや、あの、たいしたことじゃないよ。大丈夫」
 アークは慌てて首を振り、どぎまぎしながら大丈夫だと何度も言った。頭がくらくらしようが吐き気がしようが、女の子を目の前にすると顔に熱が上がってしまう。女の子は、苦手なのだ。どう接していいか分からない。その様子を、ウッツは面白そうに見ているだけだった。
 コリーナが用意してくれた朝食を食べられなかった事を謝ってから、アークはウッツに支えられ帰路へとついた。
 すがすがしい朝だ。爽やかな風は頬に心地よく、その風に乗って朝市の賑わいが耳に届く。その賑わいは、まだブランカの惨劇を知らないからこそのものなのだろう。幽罪の庭炎上以来、どんな理由であれ、町は活気に満ちていたのに。明日にはまた暗いため息に変わってしまうかもしれない。
 そう思うと、胸が痛かった。

 家の扉を開いてからの第一声は、いつもよりも低い声の「おかえり」だった。
 まだ開店前のがらんとした暗い店内、カウンター席向こうの厨房で仕込みをしていたエイジェイが、ドアベルの音で振り返る。やはり黙って訓練に向かった事を怒っているのか、いつも穏やかに出迎えてくれる父親の眉間には、いつもはない皺がよっていた。
 しかしアークのぐったりとした様子を見た途端、エイジェイは怒りなどどこかに吹き飛んでしまったかのように、心配そうに駆け寄ってきた。
「どうしたんだ。具合が悪いのか?」
 返事を待たずに、エイジェイは息子の額に手を当てる。そうして手のひらに感じるアークの体温の高さに、ぎょっとした。
 アークの青白かった顔色は、今は徐々に熱が出始めたのか、赤くほてっていた。熱で朦朧とする中で、アークは「だいじょうぶ」と手を振って示した。しかし、その動きは力なく弱々しい。
「ウッツ君、いったい何が……」
「訓練から帰って来たときから具合が悪いみたいで……とりあえず、ベッドに運びます」
「あ……ああ。ありがとう、助かるよ」
 ウッツは一度アークを支えなおしてから、二階にある部屋へとアークを運んだ。しかし狭い階段では大柄な二人が並んで歩く事ができず、アークはよろめきながらも自分の足で登った。自分の家の階段がこんなにも急で長く感じたのは、初めてだ。その後ろをエイジェイが、息子が足を踏み外しやしないかとおろおろしながら追った。
 這うような思いで自室にたどり着き、重い腰をベッドに下ろした。その重みで、ベッドが非難がましく軋む。長身のアークには、もともと母親のものであったこのベッドは小さいのだ。横になると、満足に足が伸ばせない。そのせいで少し丸まって寝なければならないが、もう慣れたものだ。
「ごめん、運んでくれてありがとうなウッツ」
「いいって。ちゃんとあったかくして寝ろよ。それから、レニは俺に任せなさい」
 ウッツは頼もしく胸を張る。そうしてから、「お大事にな」と言って、ウッツは部屋から出て行った。
 部屋には、アークとエイジェイだけになる。エイジェイはウッツが出て行ってすぐ、アークのそばに駆け寄った。持っていたアークの寝巻きをベッドに置き、アークの団服のボタンに手をかける。
「ちょ、ちょっと父さん」
「着替えなさい。早く横になるんだ」
「いいよ、自分で出来る!」
 じきに十五歳になるというのに、着替えを父親に手伝ってもらうなんてごめんだ!
 過保護な手をどかし、自分でボタンをひとつ、ふたつと外していく。しかしその間もエイジェイは、熱い額に手を添えては心配そうに眉をゆがめて見てくる。確かにこんなに体調を悪くしたのは久方ぶりだが、心配のしすぎだ――そうじっと見られていると、いくら父親といえど着替えにくい。
「ねぇ、本当に大丈夫だから。ちゃんと大人しく寝るよ」
「何が大丈夫だ。こんな赤い顔して」
 ベッドに腰掛けたアークの隣に、エイジェイも座る。自分よりも少し高い位置にある息子の頭を見上げ、汗で湿った前髪をかきあげた。
「……なぁ、アーク。約束してくれ」
 熱でとろんとしたアークの目をじっと見つめながら、エイジェイは静かに続けた。
「賛成は、絶対にしないぞ。でも、それでもお前は騎士団の一員であろうとする。……お前も真剣に考えての事なんだろう。今朝黙って出て行かれて腹は立ったが、それを思い知らされたよ」
「……悪かったよ、黙って出て行ったりして」
 ぽつりとアークが謝ると、エイジェイは首を振った。
「徴兵なのだから、どの家も抱える問題なのだろうが……これから先、演習なんかじゃなく、実際に戦いに出ることもあるんだろう?」
 アークが頷くと、エイジェイは「そうか」と唸った。戦場にアークを送り出すことが、心苦しいのだ。一気に老け込んだように深いしわを刻んだ顔から、心配で心配で仕方がないという気持ちが、痛いほど伝わってくる。
「いいか。生き延びる事だけを考えろ。騎士の誇りだとか、勇ましく戦うとか、そんなことは考えるな。父さんはな、名誉の死なんてものは認めない。……そんなものに、何の意味があるというのだ」
 年をとったせいか、かさついた手がアークの頬を優しくなでる。
「約束してくれ、アーク。必ず家に帰ってくると」
「……分かった。約束するよ」
 父親の目をまっすぐ見ながら、アークは誓った。これは心配性の父親の、精一杯の譲歩だ。
 騎士団に属する事には目をつぶろう。しかし勇敢な戦をすることなど断じて認めない、必ず家に帰ってくること――
「誓う」
 決して破ってはいけない約束だと思った。アークは、エイジェイの目をまっすぐ見ながら、はっきりと言った。
 エイジェイは満足したように、しかしどこか辛そうに微笑むと、ベッドから立ち上がった。
「さあ、長くなってしまってすまないな。氷嚢を取ってくるから、その間に着替えておきなさい」
 頷くと、エイジェイはアークの癖毛をひとなでして部屋を出て行った。
 エイジェイが扉を閉めた後、一人きりとなった部屋はしんと静まり返った。浅く、少し早い自分の呼吸の音しか聞こえない。しかしそれは、とても心地よい静寂だった。アークは心が満たされるような静けさを感じながら、ボタンに手をかけた。

 ――誰か……
 震える、小さな悲鳴が聞こえた。その声は遠くから聞こえたような気がしたが、次の瞬間には耳元で、そしてまたすぐに遠ざかる。水に浮かんだり沈んだりしているかのようにたゆたう泣き声が、アークの肩を叩いた。振り返るが、誰もいない。
 ――誰か……お願い、返事をして……
 いったい、誰が泣いているんだろう。声の主を探し、アークは白い世界を走った。足跡は付いたそばから消えていき、白い地面に吸い込まれてゆく。右を見ても左を見ても、真綿を敷き詰めたような真っ白な虚無の世界が続いている。
 泣き声は、アークを導くかのように絶えず耳に届いた。早く声の元に駆けつけないと、と、アークは走る速度を上げた。そのうちに徐々に鮮明に耳に届くようになり、すすり泣く息遣いまで聞こえるようになる。しかし、泣き声の主の姿は一向に見えてこない。
 泣かないで。
 その泣き声を聞いていると身を切られるようで、アークは慰めるように優しく話しかけた。しかしその声は足跡と同じように白い世界に吸い込まれ、音にならない。いくら言葉を発しようと試みても、アークの口からは息を吐く音すら出てこなかった。
 今、そっちに行くから。
 声が出ないことを悔しく思いながらも、アークは心の中で泣き声にそう語りかけた。
 すると突然、世界が一変した。
 真綿のように柔らかかった地面は、溶けかけた雪の大地に変わった。そして何もなかった白い世界に、瓦礫の山と立ち上る黒煙、そして火柱が現れる。
 驚きで足を止めたアークの頬を、真っ赤な炎が舐めた。思わず声のない悲鳴を上げる。しかし、頬を焼かれる感覚はなかった。不思議に思い、恐る恐る燃え盛る炎に手を入れてみる。熱くない。いや、触れられない――?
 そばにある崩れ落ちた建物の残骸にも触れてみたが、炎と同じように触ることが出来なかった。手が、そのまま物をすり抜けてしまう。
 幻か。ここは、夢の中なのか――?
 戸惑うアークの視界の端を、誰かが走りぬけていった。
「ねえ、誰かいないの……お願い、返事を返して!」
 悲痛な叫びを上げながら、一人の少女が走っていた。
 この声、さっきの声の主だ。
 少女は襲い来る炎を避けながら、生存者を捜していた。建物の残骸の前で立ち止まり、焼けた瓦礫で火傷する手にも構わず懸命に掘り返す。中に誰もいないと分かると、また次の瓦礫の山に取り掛かった。
 手当たり次第瓦礫を掘り返す少女の顔は、涙と煤汚れでぐしゃぐしゃだ。髪はもともと白いのだろうが今は煤けてぼさぼさに乱れ、火傷を顧みない小さな手は爪が割れて血が滲んていた。
「いやよ。いや。どうして誰もいないの……!」
 泣きながら一心不乱に瓦礫を掘り返す少女の姿に、胸が締め付けられる。助けてやりたくて、アークは少女の肩に触れようとした。しかしやはり、少女に触れることは叶わない。少女もアークの存在には気付かず、泣きながら瓦礫を掘り続ける。
 少女の傷ついた手が、一つの大きな瓦礫をどかした。その瞬間、少女の泣き声が、喉の奥で引き攣った。
 瓦礫の隙間、人間の手。瓦礫を崩したことで出来た隙間から、赤い液体が滲み出てくる。それが、少女の所まで流れ出て服の裾を汚してゆく。
「……や……いやあぁぁ!」
 少女の叫びが、廃墟に木霊した。
 何も――僕には何も出来ないのか。
 泣きじゃくる少女を前に、アークは悔しさで歯噛みした。小さな背中が、こんなにも震えているというのに。しかしいくら悔しがろうと、自分にはどうすることも出来ない。この夢の中では、何も触れる事が出来ないのだ。
 この夢は、夢と割り切れない程の現実味を帯びている。この廃墟の光景も、少女も、全てが本物のように目の前にある。ならばむしろ、幻は僕の方なのではないか――
 何も出来ないと分かっているのに、再び自然と少女に手が伸びる。その手が少女に届く寸前、アークの背中に焼けるような痛みが走った。熱した鉄の棒を、押し付けられているかのようだ。
 悲鳴は、やはり声にならなかった。痛みの中で、なぜか少女から遠ざかっていく。体が、夢から覚めようとしているのか。
 でも、あの子を助けたい――!
 思いとは裏腹に、少女のいる場面からアークだけがどんどん引き離されてゆく。少女には、もう手は届かくなっていた。
 その間にも、背中の痛みは増していった。その痛みは全身へと広がり、立っていられなくなる。再び虚無の世界となった地面にもんどりうつ。痛い、熱い――!
 アークの視界が霞んでゆく。そして、何も分からなくなった。

 風が窓を揺らした音で、アークは目を覚ました。おかしな夢を見たせいか、全身から脂汗が噴き出し、寝巻きが体に張り付いて気持ちが悪い。頭を乗せていた枕も、じっとりと汗で湿っていた。
 カーテンの隙間から差し込む光には鬱金の色が混じり、薄暗い部屋に一筋の明線を引いている。体をベッドから起こしカーテンを開けてみれば、窓から見えるバルモア通りは夕焼け染まっていた。横になったときは太陽が昇りきっていなかったのに、起きてみればもう沈む時間だ。ずいぶん長い間、眠っていたようだ。
 しかしそのおかげか、アークの体調はぐんと良くなっていた。おぼつかなかった足取りはしっかりとし、額に手を当ててみたがもう熱っぽさはない。夢の中では焼けるようだった背中も、嘘のように何事もない。夢は、ただの夢だったようだ。
「あの子、大丈夫かな……」
 窓を開け、夕暮れのぬるい風を肌に感じながら、アークはひとりごちた。
 あの夢の中で泣いていた少女は、あの後どうなるのだろう。どうにも、あれがただの夢だとは思えない。どこかで起こった、現実の出来事のよう――。現実の夢を見るなんて、そんな奇妙なことはあるはずがないのだが、そう思わずにはいられないほど少女の泣き顔は痛々しく、身を切られるようだった。
 幼い頃思ったように、もう一度寝たら続きが見られるだろうかと、ふと考えた。しかししっかり寝たせいか目は冴えている上に、汗でべた付いた服では寝付くことは出来なかった。

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