Peintureの恋人【前編】





誰もいない、静まり返った廊下をヴィンセントは歩いていた。

2限目のことである。

グランドからは絶えず掛け声が響いている

おそらく体育の授業なのだろう。

生徒達が利用する教室から少し離れたその音楽室。それに続く廊下はどんな物音でさえ容易く反響する。


だからだろう、

廊下の曲がり角を横切った少女が目に留まったのは。


「―…ん?」


ふと立ち止まりヴィンセントは首を傾げた


…違和感が、あった。

今は授業中のはずだ。

いや、それよりも…。


(足音が…聴こえない?)


どんな小さな物音でさえ
容易く反響するこの廊下

では、足音などはどう聴こえる?


聴力には自信がある。

そうでなければ非常勤とはいえ音楽教師など勤めようとは思わない。

ましてや自分の裏稼業で―…


「おい、キミ」


気がつけば追いかけていた。


「…へ?」

まさか自分に声がかかるとは思っていなかったのだろう。

ピクリと
肩を震わせて少女はこちらを振り返った。


この国では珍しい、東洋系の少女だ。


金髪碧眼や赤毛などが一般的なこの国で、夜を溶かしたような黒髪に同色の瞳など滅多にお目にかからないだろう。

自分も同じ黒髪だが、根本的な色彩が違っているのだと判る。


「あー…、えーっと?」

「…見かけない顔だな」


つい、
素の自分が出てきてしまい、目線が険しくなってしまった。


若干、引きつった表情で笑う少女にすまないと詫びる。


「何をしているんだ、こんな所で。今は授業中だろう」

「……道に迷いました」


その言葉に、今度は少女が謝った。


「転校してきましたから」

「…転校生?」

「…ユフィ・キサラギです。」

「…職員会議では聞いていないな」

「急に決まったので」


淡々とした口調は、どこの訛りもない英国英語(クイーンズイングリッシュ)だ。

語尾が僅かに震える発音に、小鳥の囀りを連想させた。


「随分と英語がお上手だ」

「ありがとうございます」

「…理事長室はどちらでしょう?」

「理事長室?」

「リーブ理事とお会いする約束なので」


…まだ転校は済んでないんです

そういって少女はようやく微笑んだ。

後で知ったことだが、とても19には見えない、あどけなさの残る笑顔だった。









「バデュおば様っ!!」

その夜、高級ホテルのエントランスから聞こえてきた声に、耳を疑った。

それは昼間、僅かな時間ではあったが印象的な少女の声だったから。


「…ユフィ…キサラギ?」


驚きはしたが、すぐさま気取らないように、静かに距離を詰めた。


別にあの少女に興味を覚えた訳ではない。

自分の目的は、
少女の向こう側にあったからだ。


(―…バデュ、か)


横目で確認すると、初老にさしかかるであろう妙齢の婦人と、少女が楽しそうに談笑していた。


確か…世界的な画家だった筈だ。


今宵、自分の獲物と肩を並べる程の。

「そういえば、"彼"の噂を聞きました?」

―…俺だ。


「世界的な名画や美術品を専門にねらう怪盗なのですって」


少女はまるで幼子のようにはしゃいでいる

「なんでも予告状が送りつけられたとか」

果たして。

「Mr.ヒロやラッシェン様もご災難です」

自分が昼間、言葉を交わした男がその『怪盗』であるなどと…誰が考えるだろうか。

「おやおや、画家達は心配してもその絵を所有する私は心配してくれないのかね?」

「あら…オーナー、ごめんなさい?」

くすくす笑うと少女は、その老婦人の相手をそのオーナーとやらに譲ったようだ。

「飲み物を持って来ますね?」

そのままエントランスを横切ると少女は人ごみに紛れて消えてしまった。



―…カチン

胸に閉まっておいた懐中時計が時を告げる


さあ今宵も 幕上けだ










「相変わらず見事な腕前だぞ、と」

暗闇の中から声を掛けられた

「―…報酬は」

「何時もの口座に振り込んである」

姿を現した2人組に言葉少なく問いかけると俺は背を向けた。

あっさりと『仕事』は終了した


…終わらない筈がないのだ。

裏を返せば、
この仕事はただの狂言なのだから。


俺はその舞台に立つ道化に過ぎない。


美しい絵画は、
金持ちの道楽だけではなく、不正の温床。


『保険金詐欺』


どいつもこいつも腐ってやがる

だが、
一番腐ってるのは他ならぬ俺自身だろう。

そう、この現代に純粋な『怪盗』など存在する筈がないのだ。


月光だけが光を落とす路地裏を、
静かに歩いていく。


ふっと月が陰ったように感じて
そこでようやく顔を上げた


…そして、見た。



満月を背にしている為に表情は見えない。

だが俺を見て
嘲笑っていることだけは理解できた。


形の良い赤い唇が 弧を描く


『Bonsoir… Monsieur Lupin ?』


俺が何も反応を示さないのを見て、女はすこし嘆息したようだ。

「こんばんは、怪盗さん」

屋根の上から路地の壁へ。

身軽だと考えた瞬間には、女は目の前に降り立っていた。


思わず身構えると気にするなと片手を挙げて合図をしてくる


青とも黒とも判別のつかない薄いベールで顔を覆う細身の女をヴィンセントは注意深く観察した。

身体を隙もなく覆う黒のライダースーツ。

その顔はまるで砂漠の盗賊のような、もしくは花嫁のベールのような出で立ちで表情は読めない。

ただ口元を覆う薄布が時折揺れて、赤い唇が笑みを浮かべているのを教えるだけだ。

しかしそれは

不思議と月明かりの眩しいこの夜でさえ、存在が不透明に見える。


まるで夜そのものが形を取ったかのような


「…何が目的だ?」


―…と、
そこで女の持っているものに気がついた


「『女神の贈り物』…!?」

「へぇ、目はいいんだ?」


今夜、自分が盗み出した絵画より一回りは小さいそれ。

しかし、美術品としての価値は遥かに上だと知っている。


あのオーナーのコレクションの中で、1、2位を争うであろうその名画が、まさか街中に現れる筈がない。


「…何者だ?」

「同業者かな」


間髪入れずに即答されて、言葉に詰まる。


「ねぇ…勝負しない?」

「―…勝負?」

今度
あなたの犯行が行われる、絵画を賭けて

「―…断る」


キツい口調で断言するが、女には関係がなかったようだ。


「どちらが早く奪取できるか」

「だから断ると…」

「アナタは断れない。」


静かな断定。

自分よりも遥かに小柄な筈の女に不覚にも動きが止まってしまった。


「何故ならアタシはアナタの背後を含め、アナタの『ビジネス』に関連した証拠を所持しているから」

「警察にでも突き出すつもりか」

「―…返答を」


こちらの言葉など聞いていないのだろう、一方的に会話が打ち切られる。


「…望みはなんだ?」


俺の言葉に、初めて女の気配が揺れ動いた


「ただの愉快犯ではないのだろう?次に狙う絵画が俺の目的とバッティングするなど有り得ない。何故なら、俺の次の『仕事』はまだ決まっていないからな」

「…『彼等』が次の標的を決定しているとは考えないの?」

「ならば俺は降りるだけだ」


そう言い切ると、女はやれやれとため息をついたようだ。


「アナタの所有している絵画」

「―…俺の?」

「アナタは『彼等』に渡す必要のなかった絵画を数点、所持している筈。
―…アタシは、それが欲しい」

「つまり、俺が勝てば証拠を、アンタが勝てばその絵画を、報酬に設定しろと?」


…どちらでも、かまわない。


そう女は呟いた。


「貴方が勝てば証拠のディスクをあげる」

「アタシが勝てば、報酬としてその絵画を貰うのもいいし、ディスクを使ってアナタとその背後を始末してもいい。」



―絵はその後でも構わないでしょ?



「…はっ」

俺は短く吐き捨てた。

「何故オレにその話をした?何故その情報をすぐに使わない?オレがお前を殺してそのディスクを奪うとは考えないのか?」

「随分と饒舌じゃない?」

紅の怪盗は寡黙だと聞いていたけど。

「手持ちのカードを切り続けているからって、そんなに焦る事ないよ」

「―…ほぅ」

女の安い挑発に、逆に冷静になっていく自分がいた。

「そのディスクはどこにある?」

「アナタが予告状を出した時点でこちらも動く。予告時間もそっちで設定していいよ。その時間を期限にしてあげる」

「信用できると思うか?」

やはり、こちらの言葉は届かなかったが。


「そのディスクが本物だという証拠は?」


そこで初めて女の口元から笑みが消えた。


「…無様な男」

「―…上等だ」


その瞬間、
甲高い音を立てて靴が悲鳴を上げた

が、それをヴィンセントは無視をする。

それと同時に女の身体が宙を舞った。

何の予備動作もない見事な跳躍に、伸ばした腕が空を掴む。

女はそのまま壁に飛び、隣接する民家の屋根へと飛び乗った。


「ひどいな…いきなり?」

ヴィンセントは無言で消音機能がついた銃を引き抜いた。

勝負は一瞬で―…










「―…ムリだよ」


風を感じた瞬間、
自分のすぐ耳元で声がした。

首筋に冷たい何かが突きつけられている。

―…ナイフだ


「Bonne soire'e…じゃあ、よい夜を」

あっさり女は身体を引くと、無防備にこちらに背を向け、歩き出した。


「―…待て!!」

女は止まらない。

「お前の名は!?」



「―…fe'vrier。fe'vrier de fe'e」

「…フェ?」

「―…フェヴ、リィ、エ、だ。何だか最近は『フェヴリィエ ドゥ フェ』って呼ばれる事も多いけど」



それだけを言うと
女は闇へと完全に消えてしまった。


今更になって、ナイフを突きつけられていた首筋から血が滲んだが、とても手当てをする気にはならなかった。





†それは有り得ない筈の邂逅†



ヴィンセント×ユフィで怪盗もの。
長くなったので分割してみました。
ちなみに彼女の言語はフランス語。

怪盗→ルパン→フランスの連想ゲーム
…安直(笑)





※Peinture…(パンテュール)『絵画』
 Monsieur…「ムッシュ」=Mr.(ミスター)

※『Monsieur Lupin』
ヴィンセントをルパンと揶揄したつもり


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