Peintureの恋人【後編】




ありえないありえないありえない。

体だけを置いて
心がどこかに走り出したかのようだ。

世の中は狭いな。
暖炉の前で身体を丸める少女を眺めながらヴィンセントはそう思った。

一瞬見えたあの顔
それを俺が見違える筈がない

もしここで俺がその名前を口にしたら彼女はどうするのだろう。


Peintureの恋人【後編】



『ユフィ・キサラギ』

情報端末に写し出された写真は古いものなのか顔付きが今よりもやや幼く見えた。

年齢が19という事を除いて、どこにでもいる女子高生に見えたし、実際に情報を提供させた彼らの認識も同じだろう。以前から仕事を斡旋する彼らには情報収集など朝飯前だ。


「両親が事故死したらしい。
それで現在は養子家庭だ」

「あの有名なメテオ墜落事故だぞ、っと」

「あの…飛行機事故の?」

近年稀に見る大惨事となった旅客機の墜落。当時ずいぶんとニュースで取り沙汰されていた事をヴィンセントは記憶している。

「しかし、アンタが俺達を使うなんてな」

「まぁ俺等も暇してたし、この程度はお安い御用だぞ、っと」

今度奢れよ、と軽口を叩く赤髪に薄く笑いヴィンセントはもうひとりのスキンヘッドに突きつける。

「……ディスクか?」

「破格の報酬だ」

そう言ってヴィンセントは踵を返した。

「俺達だけでなくイリーナや…ツォンさんの事まで調べ上げてるな」

「なんだこの情報――……!!」

大通りに姿を消したヴィンセントを追うかのように路地裏に悲鳴が響いた。

それを僅かに拾い上げてヴィンセントは苦笑した。ご丁寧にヴィンセントの情報『だけ』がないディスク。それは別の疑惑を生む。あの少女は自分の正体を既に知っているのではないのかと。

しかしこれで次の仕事は決定した。狙う絵画も決まっている。いつもは渋る自分にしては早く、予告状も既に出した。あとは動くだけだ。

今は、夜が待ち遠しかった。




『メテオ墜落事故…?』

『ああ、君が関係者だと噂で聞いたんだが、本当か?』


夕暮れ時の音楽室前廊下。

てっきり彼女は驚くかと思っていたのに、突然の誰何にも少女の顔には何も表情は写らなかった。それが逆光の中でもはっきりと見えて、何故かヴィンセントはがっかりした。自分がこれを切り出すまでにどれだけ緊張したのか、考えるだけ馬鹿らしくなってくる。

「ああ…誰か言ってた?」

「もしかしてそれで1年休学を?」

ワザと質問には答えずにいたが少女はすんなりと頷いた。

「家のジジョーってやつだよ、アタシんとこは王様の猫でゴタゴタだったからね」

「王様の猫?」

「おとぎ話だよ、知らない?」

「それが休学の理由だと?」

「判んない?分かんない方がずっといいよ」

ヴィンセント考えてみた。
なにが言いたいのだろう?

第一、そんなおとぎ話などヴィンセントは知らない。

やはり判らず頷くと少女は笑った。アタシの扱いが少し面倒なんだよ、そう言って背を向ける。

「絵を失したと言ってたが、どんな絵を、盗られたんだ?」

「ミッシェル『果てしない旅』」


ヴィンセントの目が大きく開かれた。
─…その、絵画は。


「その……絵画、は…」

「アタシにあのひとが贈ってくれたの。シリアルナンバー…0、青い海と白い砂浜の…キレイな、夢みたいな、絵」

旅は終わらないの

そう呟いた生徒をヴィンセントは黙って見送るしか無かった。

『果てしない旅』

そう呼ばれる絵画がある。

全てが『実在する』風景絵画というミッシェルが唯一『架空の』風景を描いたそれ。


「確かに…夢、みたいだな」

広いエントランスを横切り、エレベーターで高層まで。その後専用のエレベーターに乗り換えた先、その最も奥まった部屋の先にそれはある。

光の加減で紫にも濃い青色にも見える空。

最上級のシルクを使用したシルク版画。

その何十にも重ねた色合いは版画とは思えぬほどに美しい。

そうして…

『0/00』

世界のあらゆる版画において一桁が意味する価値は高い。しかし0とは。原画、その後の重版とも違う。あくまでもミッシェルが個人的に、ユフィのためにのみ制作したのだと想像できるそれ。

おそらく時価総額数千万円は下らないだろう。ましてやあの商売を嫌う気のある画家、バテュ本人が制作し、贈ったというそれは。たとえ非合法とはいえ手に入れたがる輩も多いことだろう。そして…


「これは驚いたな。紅の
──……キミは本当に神出鬼没だな」


ゆっくりと
振り向いたヴィンセントは薄く笑う。

そういう『輩』がこの男なのだろう。


耳を突き刺す様な警報が
空虚な空間に木霊するまであと何秒?





そのとき、
ユフィは驚いていた。
なんだこの展開は。

ユフィは一人暮らしだ。

だから深夜と言っていい時間に呼び鈴が鳴っても別段気にすることなくドアを開けた。それは別にいつもの行動。

もしかしたらシェルクが姉とまた喧嘩でもしたかも知れない。ティファが彼氏と揉めたのかもしれない。

何故か自分はクラスメートの駆け込み寺だった。可能性を上げればキリがないが、事前に連絡をいれる彼女達にしては珍しいと、考える時間はあったのだ。

ただそうして、お前は不用心過ぎるとまたみんなから注意されるのかも、と楽観的に自己完結させたのがマズかったのだろうか。

とにかく笑って扉を開けたのだ。そこまではよかった。だから何だ、この物体は。


「ユフィ──……キサラギ?」

「…あんた、誰?」


違う。どっちだ、か。
ユフィはどちらにせよ知っていた。だからと言って聞けない。聞ける筈がない。


「ユフィ──……」

玄関のそばで座り込んだままの『彼』が口を開いたとき、夜気を裂いてのサイレンの音が響き渡った。

何事かと構える暇もなく、ユフィの白い頬を赤い赤色灯が照らし出す。


「…!?」

「チッ──…来たか」


その言葉は
とてもとても小さいものだったが、ユフィの身体を固くするには十分すぎた。

ここはマンションだ。
オートロックを解除し、
ここまで到達するまでにまだ時間はある。

「とりあえず、中へ」
「いや──…私は…」

「いいからっ!!」


ガチャガチャと音を立てて掛けられる鍵。チェーンロック。

「…リビングへ!!」

立ち尽くしたままのヴィンセントにユフィは奥を指差した。

「すぐに警察が来るぞ」
「…………………平気」

そのとき、あまりのタイミングで電話が鳴った。身構えるヴィンセントをよそに、ユフィは誰からの電話か分かっているらしい。取りあえず座れとフローリングに敷かれたラグを指差し、自分は窓際に立つ。


「ライト…?うん…そうだよ。
────…そう?ならお願い」

僅か数秒の会話だったが、そうしている間に玄関の近くが俄かに騒がしくなってきた。

「──…おい」

「えーっと…L?…そう、そうかも」

通話しながらの少女に腕を引かれる。そうして連れ込まれた脱衣所、浴室、浴槽。

浴槽にはまだ湯が張られていて、それでも進めと入れと指差す少女。

その眼差しがあまりに真剣だったものだから私は根負けしてしまった。

その結果、
当然私はズボンを濡らすことになった。

「ここに隠れろ、と?」
「ごめん」
「───……?」

不可解な言葉と共に掲げられた

「お兄さん」

シャワーノズルから
勢い良く温水が吹き出した。

「──…っ!?」

最後の言葉はどうやら私に言ったらしい。

呆然としているうちに頭から湯をかぶった私は濡れ鼠同然となっていた。

熱湯ではなくて助かった。

しかし突然の行動に無言で理由を問おうとした私に、当の彼女は背中を向け浴室を出ようとしている。

「服は洗濯機の中に入れておいて」

「…おい?」

「ゆっくり温まってきてね」

「…おい!?」

身体、すごく冷えてるよ?
そういうと勢い良くガラス扉が
閉められてしまった。

「セツメーはあーとっ!!」

くぐもった扉越しの声に私は追撃を諦めざる得なかった。そうして気づく。確かに私は冷え切っていた。


(警察に追われてる最中に呑気に風呂か…)


とりあえず服だけを脱いだ私は浴室を出た。濡れた服が脱ぎにくく手間取ったため、すぐにとは言えなかったがそれでも5分と掛からなかった筈だ。

それならこれは何だろう。

真新しい男服。
すぐそばのゴミ箱にその包装紙らしい店の紙袋と値札のタグが捨てられている。まさかと思ったがインナーも置いてあった。


「サイズは合ったか?」

どうにか着替えた私をリビングで待っていたのは、ユフィ以外の女性だった。

男勝りの言葉遣いと身のこなしに私は素人ではないと気付く。


「ライトはアタシの身内、
姉みたいなもんだよ」

「誰が姉さんだ。私は護衛だ」

そう言った言葉は
キツいが眼差しは優しい。

「お、いい感じ?、あの服、発信機付きだったんだって。だからバレたの」

「私はあいにくと男物の服は許容範囲外だ…結果、あの男に貸しひとつ作るハメになった」

「あは…スノウには後で謝っておくよ」

「さて──……君の処遇だが」

「ああ、だが…その前に彼女に渡したいものがある」

リビングから暖かい空気が消え、ライトと呼ばれた女性が鋭くこちらを見据える。しかし私は首を振ってテーブルの上へ、棒状に丸めた厚紙を置いた。


「これは君のだろう」


丸めていた紐を切り、広げたユフィの目が大きく開かれる。


「どういうこと?」

「額に隠されていて判りにくい位置にだが、メッセージが刻まれていた」


【我が親愛なる2月の娘へ】


「この2月の娘とは君の…」

「…………………そうだよ」

「おい、ユフィ!!」

「如月、その意味は
東の国の言葉で2月なんだって」


制止しようとする女性に力無く笑ってみせたユフィは長いため息をついた。長い長いまるで老婆のようなそれを。


「そうして…あのひとは、私の…本当の親を知っている」

「本当の…親?」

「私の親は事故死した彼らじゃない。彼らも、そうして彼女も…叔母様は協力者のひとりなんだよ」


そうして
ユフィはライトと小さく呼びかけた。


「…君の処遇だが我々が手を回した。よって不問だ」

「………不問、とは?」

「警察は今回の事件から永久に手を引く。盗難先の絵画は元々盗品だったこと、そうして『偶然にも』盗難先が大規模な保険金詐欺事件に関与していたことが明るみになったからな」

「偶然にも?」

「偶然にもだ」

「んで、もうバラしちゃうけどアンタもアタシも廃業」

「そういうことだ、Mr.紅」

あっけらかんと暴露されて私は固まってしまった。

「ま、アタシは詐欺されないように盗んで、こっそり戻したりしてたんだよ。発信機付きで」

「お前の依頼主とは逆の立場の依頼主からな」

「──……逆?」

「保険会社、銀行、その他モロモロの法的機関、かなーっと」

にんまりと笑うその顔はまるでイタズラが成功した時の子供のそれだった。

「アタシの親はちょっと面倒な立場の人なんだ」

会ったことはないんだけどね

「よって彼女の身辺は調査される。キミの正体を知ったのはその為だ」

「……私生児と言うことか?」

「ノーコメント」

「…で?何故キミがいまさらこの絵を盗ってきたんだ?これはもう仕事を終えた筈の絵だろう」

「…わからない」

「わからない?」

「ただ、返したくなった。
気になって仕方なくなった…」

恐る恐るユフィを見やるとこちらの視線に気付いた彼女は笑った。満面の笑みで。

「ありがとう、ヴィンセント」

「……!!」











(…まずい、盗られた!!)

(ん?どーしたんだろ…?)

(やれやれとんだ怪盗だな)

†その感情に名前が付くのはいつ?†

まさかの製作機関約1年。
しかもなんだこの終わり方は─!!

すいませんルルイ様。
かなりお待たせ致しました。
こんなのでも受け取って頂けると

嬉しいです。




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