過去の世界へ意識と身体が飛んでから、彼と二人で部屋に閉じ籠もって、数時間が経とうとしていた。
これまで二度同じような体験をしたから、今回も同様にナルサスに振りかかる災いを除くことでミトはもとの時間に戻れるはず……と考えるほかないが、なにも起こる気配がない。
いつの間にか日も落ちて、すっかり暗くなっていた。ナルサスの部屋に開かれた大きな窓に、無数の星が天体図のように灯り始める。
どこからやってくるのか、そもそも来るのかどうかさえわからない脅威に何時間も気を張っていると、さすがに疲れて意識がぼうっとしてきた。
やはり屋敷の中にいては襲われにくいだろうか。外に出る必要があるかもしれない。そう考えるが、わざわざナルサスが殺されかけるのを待つのもおかしい、と一人で溜息をついた。
彼に相談すれば何かいい考えをくれるかもしれないが、そういうわけにもいかない。
いずれにせよ、彼を守らねばならない機会は必ず訪れるはずだ。
そうでなければ、自分はいつどうやってもとの時間に戻るのだろう。

夜の闇が這いよってきて、知らぬ間に飲み込まれている心地がする。これまでとは違う感覚に、やたらと不安になってしまっていた。
そういえば、自分はこのナルサスの部屋に居続けていていいのだろうか、と疑問が沸いた。
ナルサスは突然現れたミトを追い出しもせず、蝋燭の灯りのもとで黙々と書物を読み続けている。「おぬしのことについて俺なりに考えたいから話しかけるな」と言われてはいたが。

「……ナルサス、今夜、私はどこにいればいい?ここにいてもいいの?」

おずおずと問いかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。あらわになった片方の首筋が、月光で白くつるりと輝く。それが綺麗だなと思って眺めていると、視線がかち合って、ミトはぎくりとしてしまう。

「……この部屋で寝てもらうつもりだった。言っておくが、当分、おぬしを外に出すつもりはないからな」
「え……なんで?」
「家の者にも、おぬしのことをどう説明しようか思案している。いきなり現れたなどと言って信用されるはずもないだろう」

彼の本音はどうあれ、どうせすぐにこの時間から消えるのだから、わざわざ他人に報せる必要はないだろう、とミトも心の内で納得した。ナルサスは察しが良いからミトのことをとりあえず受け容れているようだが、彼以外に打ち明けるとなれば話は別だ。
実際、ミトがダイラムを訪れたときには誰もミトのことを知らなかった。おそらく彼は家族にも漏らさなかったのだろう。

「面倒だからここにいてくれ」

彼の言葉は素っ気ないけれど、怪しすぎるミトを放り出さずにいてくれる。その優しさは昔から変わらない。観察や計算の結果、そうしているだけだとしても。

「……じゃあナルサスもどこにも行かないで。私から離れないで」

彼だけは守らないといけないと思っていたからか、不安がそのまま声に乗ってしまった。
ナルサスは無言で聞き届けると、蝋燭を吹き消して書物から顔を上げた。しかしミトへの返事はなく、彼はさっさと通り過ぎて寝台へ向かい、横になってしまった。

「ちょ、ちょっと、ナルサス……」

あわてて追い掛けていくと、彼はひとりには広すぎる寝台の奥に横臥していて、半分以上がわざと空けられているみたいだった。背中を向けるナルサスの表情は見えない。

「……」

もしかして自分のために空けてくれているのだろうか、と考えてしまったら、急に彼のことが可愛らしく思えて口元が緩んだ。
心細さや愛情のようなもの、いろいろな感情が綯い交ぜになって、おさまりそうにない。結局、ミトはそろりとそこへ潜り込む。

「……失礼します」
「なぜ入ってくる」
「ナルサスがいなくなったら嫌だから……」

自分でも驚くくらい不安そうに言うと、大きな溜息が聞こえただけで咎められなかった。
いつもだったら絶対に自分からこんなことはできないのに。これからどうなるんだろうという未来への恐れと、一方で、次に目覚めたときにはもうここにはいられないような予感があって、最後には自分の欲に忠実になってしまった。
それに相手が16歳のナルサスだと思うと、まだぎりぎりやり合える自信があった。もとの時間のナルサスには敵いっこないから、今だけだ。

眠り、目が覚めたら、何もかもが夢だったかのようにもとに戻るだろうか。
背中あわせになると、不思議と心臓の鼓動も静かになり、落ち着いてしまった。
大きく開いた窓には遮るものがなく、月光が部屋に満ちていく。



***



目覚めたときは、絶望したような、安心したような、なんともいえない心地がした。
身体を起こすと、太陽の光が目に染みた。ごちゃごちゃと物に溢れた部屋が鮮やかな色彩を放つ。
どうやら、まだこの時間は続き、眠りについたときと同じ場所で朝を迎えたらしい。
寝台からおりると、昨夜とほとんど同じ恰好で書物を読んでいるナルサスの姿が見えた。彼が無事であることにほっと胸を撫で下ろし、その隣まで行って、寄り添うように腰を下ろした。

「昨日と何か変わったことはあるか?」

書物に視線を落としたままのナルサスに訊かれ、ミトは「残念ながらとくになにも……」と答えた。
窓の外に、庭を整備している家人たちが見え、ミトは隠れるようにナルサスの背に身を寄せた。
何かが起こるなら早く起こって欲しいものだ。集中力にも限界があるし、いつまでもここにいるわけにもいかない。一体何時もとの時間の戻れるのだろうか。
不透明な未来については考えても仕方がない、と割り切ってしまえれば楽なのに。いつどこから災いがふりかかるやら、と一日中気にかけ、精神だけを消耗してまた一日が過ぎていった。

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