夜になってマルヤムの人々が寝静まると、結局ミトはメルレインに相談を持ちかけていた。
彼が何か知っているとは思えなかったが、自分一人で抱え込むのも身体によくないと思って、それで彼からの助け舟にのったというわけだった。

「話は聞いて欲しいけどどこから話せばいいか……」
「いくら長くなっても構わぬ」

ならば最初から話さなくては、いろいろ不整合が生じるだろう。
ミトは、ここまで来たのだからと意を決し、この青年に打ち明けることにした。

「じ、実は私はこの国の人ではなくて、それ以前にこの世界の人かどうかもあやしくて……」
「は?」

出だしがそれだったので、メルレインはぽかんとして口を開けたままわけもわからず相槌を打った。



そうして、なんとか一旦ミトの事情を理解させて、順を追って語っていく。
自分がどうしてこの世界にやってきてしまったのかわからないこと。
誰も頼る人がいないときに、ナルサスが助けてくれたこと。
自身が何者なのかがわからず、苦悩したこと。
夢で何度もダイラムの景色を見て、それを確かめるためにひとり出立したこと。
そして、ナルサスは過去にミトに会ったことがあるのではという疑問――

「……あんた、もしかして騙されてるんじゃないか」
「は!?」

概ね話し終えたとき、黙っていたメルレインから出た一言がそれだったので、ミトは思わず大声で聞き返してしまった。
暗い林に響いて、驚いた鳥がはばたく。幸い、マルヤムの人々は眠ったまま起こさずにすんだようだった。

「もしも、もとからあんたのことを知っていたなら何か言うはずだ。知り合いに似ているだけだったとしても、一言くらいあるだろう。軍師どのは、あんたとの関係について言いたくないことがあるから何も伝えず黙ってるとしか思えん」
「ナ、ナルサスは……嘘なんかつかないもん……!」

ぷるぷると肩を震わせて泣きそうになっているミトを見て、メルレインはぎょっとして「わ、悪い」と頭を掻いた。
自分のことを彼に話そうとしたのに、自分でも驚くほどナルサスのことばかり話していたと思う。それだけ、依存してしまっているのだ。

「そのナルサスとかいうやつのこと、信用しているのだな」
「してるよ。最初に声をかけてくれて、居場所をくれた人だもの」
「でも知らない人間にそんなことできるか?まして国中が混乱して自分のことで誰もが精一杯なときに」
「……」

またミトの肩が震え始めたので、メルレインは言葉を切った。

「……すまぬ。詫びとして、もしその御仁に会えたら、俺が見定めてやるから安心しろ」
「はー……それでだめだったら私どうしたらいいのよ」
「責任とってくれる男の一人くらいどこかにいるだろ」

無責任なフォローに「どこに」と睨みつけると、メルレインはそっぽを向いていた。

「……まあいいや。話聞いてくれてありがとう」

ミトはぽそっと呟く。誰かに悩みを話したのは久しぶりだったので、少しだけ心の詰まりが取り除かれたような気がする。

「では俺は先に眠る」

今夜の見張りはミトの番だった。ミトも肩に毛布をかけながら「遅くまでごめんね、おやすみなさい」と声をかけた。しかし、その肩にぽすんとメルレインの頭が落ちてくる。

「は、え?」
「この方がよく眠れる」

まさか、メルレインが自分から寄りかかってくるとは、とミトはしばらく驚いていたが、はっとして口元を毛布で隠した。気恥ずかしいような、むずむずとした感じがする。鼓動がやや早くなった。こんなことでどうして動揺してしまうのだろうか。

「……重たい」
「眠気覚ましだ」



***



翌日、六月二十三日のことだった。

朝日を浴びながら出立の準備をしていると、大陸公路に人影が増え始めたのをメルレインがみつけた。これまでは行き交う隊商もなく、まばらに旅人の往来があり、たまに兵団が通過するくらいしか使い途のなかった公路が、今日は様子が違っていた。
なんとなく嫌な予感がするものの、ミトたちはすでに公路をはずれた進路をとっていたから問題はないと思い、目を離す。それよりも一刻も早く王都から離れた方がいいと考えていたのだ。
しかし、支度を整え出発しようというところで、「おい、ルシタニア兵だ」とメルレインが唸るように言うのが聞こえた。
どうも、大陸公路からそれたところにいるミトたちを発見して、追ってきたらしいのだ。
ルシタニアの兵装をした五十人ほどの徒歩の集団だったが、足の遅い宮廷人を含めたこちらが逃げ切る方が難しい。

ダイラムを出てから、はじめての危険らしい危険だった。
ミトはごくりと唾をのみこんで、メルレインと目配せをした。
マルヤムの人々の身なりは農民より上質だったし、イリーナを運ぶ大きな輿もあやしさ満点だ。言い逃れができるとは思えない。

「……やるしかない」

この場でまともに戦えるのはミトとメルレインだけだった。ミトはマルヤムの人々にここで待っているように、と伝え、馬に乗った。

「ミトどの……」
「大丈夫ですイリーナさま。隊列も乱れているし、騎馬もいない。私とメルレインの敵じゃありません」

心配そうな声で呼びかけるイリーナを一度振り返ってから、二人は馬腹を蹴った。



ルシタニアの一団は、突如襲いかかってきた騎馬二騎に大袈裟なほど驚いたが、ミトたちの馬装がパルス風のものだったので、「邪悪な異教徒め!」と叫んで怖れもせず迎え撃つ恰好をとった。
彼らは狂信的なほどに、「ルシタニア人以外は排除せねばならぬ」と信じていて、そのためには自らの生命すら顧みないのだ。これでは残り一人になるまで戦う可能性があり、こちらも疲弊してしまう。
とはいえ四の五の言っていられなかった。もしも援軍を呼ばれたら、これ以上の人数がいたら、さすがにマルヤム人たちを守り切れない。

ミトがまず弓を射かけると、防御する術もしらない兵士が何人か人形のように倒れた。だが、やはりひるむ様子はない。
彼らに近付くのは矢で人数を減らしてからにしよう、と短い相談を済ませると、ミトとメルレインは二手に分かれて別方向からルシタニア人たちに向かって弓を引いた。

そのとき、背後で悲鳴があがった。
身体中が警告するようにびくびくと強張る。体を無理やりひねって振り返ると、マルヤム人の一団がルシタニア人たちに囲まれていた。

「そんな、どこから現れたの!?」
「まずい……」

気が付くと、ミトたちが戦っていた一団のさらに向こうに、また多数の人影が見えた。
一体どういうことかわからないが、大規模なルシタニア人の一団が、王都の周辺を監視していたようなのだ。

「イリーナさまを守らなくちゃ……!」
「お、おい!」

アルスラーン軍にいたときも、こんな緊迫した事態には遭遇しなかった。それも、今頼りになるのは自分ともう一人しかいない状況で、冷静な判断ができるはずもなかった。
ミトは急いで馬をまわし、マルヤム人たちのいる場所へ駆け戻っていく。

「マルヤム語が聞こえたぞ!異端の者どもめ、大人しく滅ぼされておくがいい!」

ルシタニア人が剣をひらめかせると、マルヤム人の女官のからだから血しぶきがあがった。
再びあがる悲鳴に、ミトはぞっとし、心臓がぎゅっと潰れそうになった。馬を飛ばし荒い呼吸を繰り返しながら、剣の柄を握りしめる。

「そ、その人たちから離れなさい!」

ミトは馬を踊らせて彼らのなかに割り込むと、大声で怒鳴った。倒れ伏した犠牲者を見て、ほかのマルヤム人たちは体を寄せあって震えていた。そしてマルヤム語で祈りの言葉を口にしている。

「この女も一緒にやってしまえ!」

狂乱状態にあったルシタニア人は止まらなかった。
ミトの馬にむらがり、剣で払われるのも気にもとめず、ついに馬を引き倒してしまった。

「やめ……やめて……!」

ミトの叫びは虚しく混乱に掻き消されていった。剣を振り回せば自分のまわりにいるルシタニア兵は倒せる。それでも、数の差が圧倒的だった。マルヤム人たちは一方的に逃げ惑い、悲鳴をあげて倒れる。虐殺だった。
ミトも斬撃こそ受けないが、ひどく疲弊していた。このままでは全員がやられてしまう。なんとかメルレインをみつけて、イリーナ姫だけでも逃さなければ。
周囲の兵を斬り払って道を拓くと、ミトは放置されたままの輿へ向かい、覆いを除けた。

「イリーナさま!ご無事で……」

彼女は隅で小さくなって震えていたが、ミトの声とわかると涙を零した。ミトは一旦安堵したものの、改めて、ミトたちが彼女を連れださねば彼女は死ぬ、と感じた。
盲目で、か弱い王女がどうやってこの混乱から脱出できる?
ミトは腕を伸ばして彼女の細い手を握ったが、イリーナは握り返してくれなかった。

「イリーナさま……?」
「逃げてください、ミト」

イリーナの声は、今まで聞いたどれよりも強かった。しかし彼女自身は儚げでいまにも消えてしまいそうだった。

「な、どうしてそんなことを!イリーナさまを放っておけません!」
「もともと、巻き込んだのはこちらです。あなたたちまで危険な目に遭わせたくありません。行くのです!」

この状況下で、ミトは命の重さを天秤にかけて冷静に判断することなどできるわけもなく、ただただ思考を停止させた。彼女のいうとおりにはできないが、かと言ってこの事態をどうにかできそうもなかった。
黙りこんでいるうちに、ミトの瞳から涙がはらはらと落ちてきた。
無力な自分が情けなくて、ヒルメスとの約束も守れず、ナルサスにもう一度会うこともできなくなりそうで。

「あの方は、ヒルメスさまだったのでしょう?」

不意に優しい声で問いかけられ、ミトははじかれたように顔をあげた。

「はい……本物のヒルメス王子でした」
「ならば、それでもう私の願いは叶いました。ですがミトの願いはまだ叶っていませんね?」
「……」
「行ってください、ミト。私はすでに一度死んだ身です。二度目はないとわかっていますから」

イリーナが言っているのは、ダイラムに流れ着く前に、彼女たちが籠城していた城から逃げ出したときのことを言っているのだろうか、とミトは思った。ほとんど死にかけたが、死なずに脱出できた、と。
突然、身体が投げ飛ばされた。地面に叩きつけられ、ミトは一瞬呼吸が止まる。
気付けばあたりには立っているマルヤム人はおらず、全員が倒れて血を流していた。まだ息がある者もいるかもしれないが、ルシタニア人が容赦するとは思えない。

「おい、ひょっとするとこいつはマルヤム王家の者じゃねえのか」

ミトを投げ飛ばしたルシタニア兵が輿の中を覗き込んで言うのを、ミトは聞いた。
痛む首を持ち上げてあたりを見回したが、メルレインの姿はなかった。彼も殺されてしまったのだろうか。

「どうする、王宮へ連行するか?」
「異端の王家など、どうせ処刑されるのだ、ここで殺しても構わんだろう」

ルシタニア兵は輿からイリーナを引きずり出すと、地面へ放った。それだけで、ひ弱な彼女はどこかの骨が折れてしまいそうだった。
ミトはじゃり、と砂を掴みながらやっと身体を起こした。
ルシタニア人を一掃する力は、もう残っていなかった。

「では殺してしまえ」

ルシタニア兵の声が冷たく響く。自分たちと違うものをなんとも思っていないのだ。
剣が陽光を受けてきらりと煌めいた。イリーナの身体が小刻みにふるえている。その剣がまっすぐ彼女に振り下ろされる――

「だめえええええ!!」

そのときミトは飛び出して、イリーナの身体の前に立ちはだかった。一体どこにそんな力があったのか、自分でも驚くほどの速さで彼らの間に割ってはいったのだ。



剣がミトの肌にふれる瞬間ぎゅっと目を閉じると、痛みはなかった。
よかった。また、あの力が私とイリーナを守ってくれた、とミトは安堵した。
それに、いつもと違って奇妙な感覚があった。
突然空気の温度が変わった心地がしたし、ルシタニア人はもう何も言ってこない。

……おかしい。そう思って片目だけゆっくり開けたとき、ミトは絶句した。

自分は大陸公路をそれた道にいたはずで、周囲はルシタニア兵に囲まれて、マルヤム人たちが血を流して倒れているはずだった。

だがそういったものはミトの目には何一つ映らなかった。

代わりにあるのは、陽の見えない暗い曇天。肌をひんやりと湿らせる霧がかった空気。
ミトは砦の中にいた。見たこともない場所で、パルス風でもないような感じがする。

「な、なにこれ、どうしちゃったの……」

声に出すと一層動揺した。自分の知る存在は自分だけだった。
自分だけが、この場所へ移動してきたような奇妙な感覚。はじめてこの世界にやってきたときとどこか似ていた。だがここは――

「いたぞ!捕らえろ!」

突然あがった怒鳴り声に、ミトは肩を跳ねさせた。


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