「ミトと申します。私は、この国、いえ、この世界とは別のところから来ました。……たぶんですけれど」

その言葉を正確に理解する者がいたとしたら、きっと神とでも呼ばれるのだろう。
戦士の中の戦士ですら、驚くことも忘れたようにぽかんと口を開け、異界の者と自称する少女を眺めていた。

「別の世界とは、一体……」
「突拍子もないことを言ってすみません。信じられないかと思いますが、私は昨日までこの世界とはまったく違う文化、時代に生きていました。それが、電車で眠りこけていたらいつの間にかここに放り出されていました」
「でんしゃ?」
「あ、すみません。私の世界でいう移動手段です。馬よりも速くて、何百人も運べるんです」

両手で大きな箱を空に描き説明するが、とても伝わりそうになかった。ここには電気もなければ大したからくりも存在しない。
やはり、別世界なのだろう、と彼らのことを知るたびに思う。

「確かにおぬしの装いは見たことのないものだな」

背中からナルサスの声が聞こえ、私は馬上で振り返り、「はい。恐らく、生地も仕立てもこの国には存在しないものだと思います」と答えた。

ナルサスとダリューンは顔を見合わせる。困惑しているのが言わずともわかった。
陥落した王都に現れた謎の少女。
ルシタニア旗を撃ち落とす神技を見せたが、すぐに捕まって処刑台へ。見たことのない衣服を身に付け、話し方もどこかこの国の文化に馴染まない。歴史からぷかんと浮いたような存在は、自らを異界から来たと話す。

確かに、彼女の纏う空気は他とどこか違った。出そうとして出せるような空気ではないことは、歴戦の勇者たちにはわかる。だが、そう簡単には信じられそうにない話だった。

「しかし、どうしてそんなことが……」
「……恐らく、何か、意味があるのだと思います」
「なぜそう思う?」
「私は、たぶん、この世界で何かを成すまで死ぬことはないようなのです」
「……」

二人は黙り込んだ。ミトの言う意味が理解できなかったのだろう。

「今日だけで、エクバターナのごたごたに巻き込まれて何度死にかけたかわかりません。でも、私を斬るはずの剣が、私の肌の上を滑るようにして逸れてしまうのです。初めは偶然と思いましたが、それは何度も起きました。さっきも、死ぬはずなのに、あなたたちに助けていただきました。でも、あなたたちが助けに来なくても、私は別の方法で助かってたと思います。はっきりとはわかりませんが、何か役目があるからここに来て、そしてまだ死なないのだと……思います。そんな大げさなことではないと思いますが」

落ち着いた空気を放ちながら、妙に確信をもってそう言われると、なんだか真実のような気がしてくる。「一度斬ってみようか」とダリューンが小さくナルサスに話しかけたが、もちろん「馬鹿者。試すようなことでない」と窘められた。

「……ダリューン、理屈や机の上だけでは説明の付かぬことは多い」

どうしても信じるわけにはいかない、といった様子の戦士に、ナルサスは息をひとつ吐き、言い聞かせるように目を細めた。

「ミトのことも、そのうちの一つだと俺は思う」

ナルサスははっきりとそう言うと、ミトの肩に手を置いた。「おぬし、他に行くあては?」と囁くように聞かれると、ミトからは、心細げに眉を下げて「ありません」との答えがあった。

「聞いたか、ダリューン。異界から来たばかりのミトには頼る者もないのだ。我が軍に迎え入れて、戦力になってもらうのが賢い方法だと俺は思うが」
「ナルサス!正気か?」
「俺が狂ったとでも?」

ミトの肩に手を置いたまま、ナルサスは真剣な声で返した。彼らの背後に、傾き始めた太陽が輝いていて奇妙なほど絵になっていたから、ダリューンは一瞬それをみつめてしまったが、すぐに頭を振った。

「いや、すまん……。ミトにも失礼なことを言った。おぬしを信用できないわけではないのだが、あまりにも突飛で頭がついていかんのだ」
「誰とてそうだ。しばらく行動をともにして、信じられぬと思ったら、おぬし自らが斬ればよい」

その言葉にミトは勢い良くナルサスを振り返り泣きつくような目をしてみせたが、彼は「ん、そうか、我らにおぬしは斬れぬのだったな」と軽やかに笑っていた。

「しかし面白い体質を授かっているようだ。ミトと行動をともにすれば、彼女が死に貧しても必ず運が味方するし、誰かが助けに現れると。先の我らがそうしたように。つまり、ミトと共にある方が、我らも勝利あるいは生き残る可能性が高いと思わないか?今の我らにはそれ以上に人手が足りなすぎるのもあるが」
「おぬしがそう決めたのなら構わない。まあ、殿下にもお伝えしてからだがな」
「……でんか?」

また出現した新たな単語に、ミトは首を傾げる。

「さて、今度は我らの話も聞いてもらわねば」

背後で、ナルサスが笑ったのがわかった。



***



ナルサスの話を聞けば、この国の歴史を知らない者でも、容易に全貌が理解できただろう。

大陸全土で無敵の強さを誇るパルス軍だったが、アトロパテネの会戦で、劣勢のはずのルシタニア軍の罠に陥り、信じがたい敗北を喫した。
まもなく王都エクバターナも陥落し、国王アンドラゴラス三世は行方不明。美しい王妃タハミーネはルシタニアによって囚われの身となったが、ルシタニア国王に見初められ、結婚するのではという話も持ち上がっているらしい。

絶望に追い落とされた彼らだったが、しかし唯一の希望は彼らの手のうちにある。それがアルスラーン王子であり、彼らの先頭に立つ大義名分だった。これから、その王子に会って、旅への同行許可をいただかねばならないのだ。

ミトは、現在のパルスについての話を聞いて、突然の敗戦、王都陥落といった事件が、ようやく身の上にふりかかったことのように感じられた。

「そうか、だから奴隷や街の人々――パルスの民は、あんなにルシタニア兵を憎んでいたんですね」
「おぬし、あの日起きた民の反乱には遭遇したか?」
「はい。奴隷たちは、『城門を開けたのに、なぜ約束通り奴隷から解放してくれないのだ』と憤っていました」
「やはりな。我らを人間と思わぬルシタニアが、奴隷たちを丁重に扱うはずもない」

ナルサスは静かにそう呟いたが、どこか怒っているような気迫がこもっていた。

「では、エクバターナは今ルシタニアの占領下にあって、宮殿にいるのもルシタニア王なんですね」
「左様。さすれば、国旗と神旗を撃ち落とすなどというおぬしの行為の異常さも理解できるだろう?」
「はっ、はい」

ミトは冷や汗を流して返事だけは元気よく返した。確かに、ただでさえ衝突を怖れピリピリしている中、あえてそこに爆弾を落とそうなど、情勢をわかっている者ではそんなことをしようとは思えないだろう。

「ふ、確かにおぬしはこの土地の者ではないな」

ダリューンはミトの方をみつめ、柔らかく微笑んだ。しかし、やはり心の底では、彼女を信じていいのか、自分の主に近づけさせていいのか、迷っているようだった。

「今我らはルシタニアによって荒廃させられた村に潜んでいる。そこまで戻ったら、我が主と同志におぬしのことを紹介しよう。その後は、まずは休むといい。疲れきっているだろうからな」

ナルサスは馬の歩みを早めながら、穏やかに言う。
「……どうしてそんなに親切なんでしょうか」と、前を向きナルサスに背を向けたまま、ミトの口から抑揚のない言葉がこぼれ落ちた。

「……親切すぎて何かあると?」
「いえ、でも、だって、私の言うこと、信じられます?」
「嘘だとは思わない」
「でもナルサスたちの役に立つ保証は……あなたたちを裏切らない保証は……」
「無条件で信じているわけではない。いつかわかると思うが」

ナルサスの声が耳元で聞こえたと思ったら、彼は馬の手綱を短く手繰り寄せ、ミトの背にそっと近付いた。彼のあたたかみが、触れるか触れないかの距離で伝わってきて、ミトは思わず赤面してしまった。傾く太陽が赤々と頬を照らしてくれていなければ、きっと他の二人にばれてしまっていただろう。
馬で疾走しているときはもっとぴったりとくっついていたし、その前は腕に抱かれてさえいたのに、今は彼がすぐ近くにいることが苦しいほどに意識させられて、この世界に来てから、やっと、一人じゃなくなったと思えた。

「あなたたちを、頼っていいのでしょうか」

言いながら、ミトの手元に涙の粒がいくつも零れ落ちてきた。ずいぶんと長い間一人きりで、本当に久しぶりに安堵したような気がした。
同時に、「自分のいた世界とは違う世界」という、魂を底から揺るがすような恐怖に気付かぬよう、押し込めていた気持ちが、涙となってどっと溢れ出し、誰もいない街道にわんわんと泣き声が響いた。

質問に対するナルサスの返事はなかったが、その代わり、先ほどよりも一層優しく馬の手綱を引くのだった。

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