村のなかとはいえ街灯なんてないパルスの夜道は暗く、家々の灯りがぼんやりと漏れ出ているだけ。足元に何があるのかわからず、早足で歩くと躓いてしまいそうだった。
しかし空を見上げると、対照的に、無数の星が飾られて河のような流れを形成している。ミトは零れ落ちそうな宝石を湛えた空を見上げながら、手を引かれるまま足を前に進めていた。頬にあたる風が熱を奪っていく。

「ありがとう、メルレイン」

先ほど助けてくれた青年に礼を言うと、彼は「別に」とこぼす。

「困っている人間は助けるようにしているだけだ」
「えーと、そう言うわりには、最初に助けを求めたときには放置してくれたけどね」
「自力で逃げられると思ったから無視した」

まったく、感心するほど可愛げのない青年だった。握っている手にも、少しもあたたかさがない。
けれど、あまり夜目のきかないミトが転ばないように、と手を引いてくれるのだから、きっと彼は弱いものには優しいのだろう。それも、ほとんど無償に近い優しさで、甘えるというよりも身を任せたくなるような心地がした。

「敵の攻撃はかわせるんじゃなかったのか」
「クバードさんは敵じゃないし、あれは攻撃というか……」
「あんたが嫌だと思ったら攻撃と一緒だ」
「う、うーん」

ミトは言葉を濁しながら頭を掻いた。今頃クバードさんは村の美人な娘とよろしくやっていて、朝までよろしくやってしまうのかな、とか、もしもメルレインが助けてくれなかったら、その相手が自分になっていたのかな、などとぼんやり考えた。
とはいえ万騎長も務めたほどの男性が、自分に夢中になるとは到底思えなかったので、その考えはすぐに捨ててしまう。
それよりも、今はこの青年のことが気になった。

「メルレインは、どうしてダイラムへ?」
「……人を探している」

とくに隠すわけでもなく、メルレインはそう呟いた。その言葉を聞いてから、ミトは、そういえば自分にはこの先の目的地がないことに気が付いてしまった。
もともと夢で見たダイラムの景色を探しにこの地まで来たが、ミトが出会ったのはナルサスの屋敷と自分に似た奇妙な影と、そしてクバードとこのメルレインだけだった。
次にどこへ行けばいいか、完全に見失っていた。

「そう。じゃあその人がみつかるまで、旅をするのね」
「ああ。あんたはどうしてここへ?」
「……メルレインと同じで探しものを」

広大な大地のどこにいるのかわからない人を探す。あるのかわからない答えを探す。ふたりの旅の理由は似ていると思ったのだ。



***



翌日、マルヤムの遣いに呼ばれて軍船へ赴くと、ルシタニア兵を退けたミトたちは約束通り、マルヤム人から金貨や宝石を受け取った。
これでしばらくは楽に旅ができる、とミトは思ったが、一方のメルレインは「助けた相手から礼は受け取らぬ。俺たちは奪うのが掟だ」とか言って何も受け取らなかった。一体彼はどんな略奪集団に属しているのやら。
謝礼ももらったし、もう用はない、と船を降りようとしていたミトたちだったが、急いで駆けてきたマルヤム騎士に呼び止められた。

「パルス騎士のみなさま。イリーナ内親王がみなさまに伺いたいことがあるとのことで、船室でお待ちになっております」

ミトたちは顔を見合わせる。呼ばれた理由に、誰も思い当たるところがなかったのである。



***



「みなさまに伺いたいことがあります。こころよく答えてくれれば嬉しく思います」

マルヤムの王女イリーナは、はじめてミトたちが対面したのと同じように、淡い香が立ち込める船室の中、濃い色のヴェールで顔を隠して豪華な椅子に座っていた。
布一枚で隠された真実が、ミトの前で揺れる。
まだ、彼女の顔を見る勇気がミトにはなかった。
ミトはクバードのうしろに隠れるように立ち、不機嫌そうなメルレインは姫の正面ではなく壁際に立っていた。

「あなたがたの中にはパルス王国の将軍もいると聞きましたが、それでは王宮の事情にもくわしいのでしょうね」
「……多少は」

そう答えたのはクバードだった。三人ともお互いの素性をよく知らなかったが、将軍と言われたら、どう考えてもクバードしかいなかった。

「では王子のヒルメスさまをご存知ですね」
「え……ヒルメスって」

だが続くイリーナの言葉に、思わずミトは聞き返してしまう。
一瞬クバードがこちらを見た。なぜおぬしがその名を知っている、と言いたげな目だった。

「……ヒルメス王子とは、先王オスロエス陛下の遺児のことでしょうかな」
「やはりご存知ですのね。ええ、悪虐無道なアンドラゴラスという男にお父上を殺された方です。パルスのまことの国王となられる方です」

イリーナの声にあまりにも曇りがないので、ミトはなんだか不安になった。彼女はヒルメスを絶対的な正義だと心から信じているようなのだ。とはいえ、どうしてオスロエスが殺されることになり、ヒルメスも巻き込まれることになったのかミトは知らなかったから、彼女になんと言っていいかもわからない。

「なぜヒルメス王子のことなどお問いになるのですか」
「わたしにとって、とても大事な方ですから」

イリーナはしっかりと答えると、顔を覆っていたヴェールに手をかけた。
ミトの心臓がぎくりと跳ねる。だが、彼女を止めるような時間はなかった。
濃い色のヴェールがゆっくりと持ち上げられ、マルヤム王女の顔があらわになった。
軽い素材でできたそれを、音もなくはずし、イリーナは改めてミトたちと対面した。

その繊細な顔立ちから、ミトは魅せられたように目が離せなかった。
白い肌、黄銅色のやわらかい髪。伏せた睫毛の一本一本まで美しく、壊れそうなほど繊細な印象。
容姿も、声も、自分とあまりにかけ離れていた。
やはり、マルヤムの王女と言われたことなどただの勘違いだったのだろう、とミトは緊張をといた。実際、顔を合わせたところで、何も起きない。彼女と出会うこの瞬間まで、彼女のことをひどく意識していたのが可笑しかった。
しかし、いつまで経ってもイリーナの瞳は閉じられたまま、開く気配がない。
訝しんでいると、「わたしの目が見えぬこと、女官長が申しませんでしたか」とイリーナが静かに訊く。

「いや、初耳ですな。すると、ヒルメス殿下のお顔はご存知ないわけか」
「ヒルメスさまがお顔にひどい火傷を負っていらっしゃることは、わたしも存じていました。ですけど、わたしは盲目の身、どのようなお顔であろうと、かかわりありませぬ」

ミトがぴくりと表情を動かす。なるほど、ヒルメスの銀仮面は火傷を隠すものだったのかと理解した。恐らく、その顔の火傷を見れば、ヒルメス王子ではないか?と悟られるほど酷いものなのだろう。

「みなさま、わたしは十年前、ヒルメスさまとお会いして以来、あの方のみを心にきざんでまいりました。あの方にお会いしたいのです。どうぞ力を貸してくださいませんか」
「ヒルメス王子のひととなりはご承知か」
「烈しい方です。でも、わたしにだけは優しくしてくださいました。それで充分です」

イリーナの声に迷いはない。まっすぐすぎるほど一途な想いに、クバードですら圧倒されていた。

「しかし……立ち入るようで恐縮ですが、ヒルメス殿下とお会いになって、どうなさるのです。こう申しては何だが、かのお人がパルスの王位につかれるのはご無理かと……」
「ヒルメスさまはパルスの正統な王位継承者だというではありませんか。その方が王位につけないとするなら、パルスはルシタニアやマルヤムと同じく、正義も人道もない国ということになります」

ヒルメスのこととなると、彼女はあくまでも頑なだった。
結局クバードは「少し考えさせてもらおう」と返答して退出した。彼の声には疲れのような諦めのようなものが滲んでいた。
王女はヒルメス王子を心から正統な王だと思い込んでいる。それはヒルメス自身が彼女に言い聞かせたのかもしれないが、あまりにも妄信的な様子に、どこか自分たち以外の考えを認めず地上から排除せんとするルシタニア人の姿が重なってしまった。

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