「さてミト。なぜヒルメス殿下のことを知っている?」
「……昨夜の続きで私も聞きたいことがあります。クバードさんはどうして万騎長であるのにアルスラーン殿下の軍へ参加されないのですか」

ひとまず三人は甲板に出た。
一旦話を整理したいところだったが、まずクバードが切り出したのは、姫の依頼とはまた別の件だった。ミトもそれに、別の質問で返す。

「いいや、もともとは王太子殿下に会ってみようと思って東に向かっていたのだが、道に迷ってダイラムに入り込んでしまっただけだ」
「え……そ、そうですか。実は私は、つい先日までそのアルスラーン殿下の軍にいました。えーと、成り行きで。それで、ヒルメス王子と何度か戦闘になったので、彼のことは知っています」

ミトが事情を明かすと、クバードは興味深げに目を細めた。

「クバードさん、もしイリーナ殿下のご依頼を受けないのでしたら、アルスラーン殿下の軍へ加勢していただけないでしょうか」
「そうだな。王太子殿下と馬があえばいいが」
「大丈夫ですよ、いま殿下のもとに集まっている人々をご存知ですか?万騎長のキシュワード、ダリューン。ルーシャンや万騎長の弟さんとかもいます。それと……ナルサスとか」

どういうわけか最後の人の名を口に出すのが気恥ずかしくなって、ミトは視線を泳がせた。クバードは懐かしい面々の名を聞いて物思いにふけっているようで、ミトの動揺には気付かない。

「俺もそれを聞いて、王太子殿下の軍に興味を持ったのだ。とくにあの宮廷嫌いのナルサスがまた表舞台に出てくるとはな。一体どのような御仁なのだ、アルスラーン殿下は」
「ぜひお会いしてください。きっと気に入られると思います。あ、でも……」

クバードのような武勇にすぐれた人は、こんなところでふらふらしていていい人じゃない。
だからミトは彼をアルスラーン軍へ向かうよう促しているのだが、それでは、イリーナの願いは誰が叶えるのだろうとふと気付く。
頭を悩ませていると、傍で黙っていたメルレインが意外なことを口にした。

「あんたたちは王太子殿の方へ行くのか。ならば、あの姫君をヒルメスとやらに会わせる役、俺が引き受けてもいい」
「え?」
「ほう……」

あれだけ彼女の前で不機嫌そうな態度でいたのに、自分が連れて行くと言うなんて、とミトは素直に驚いた。
一方のクバードは、青年のわずかに上気した頬や、こちらを直視しようとしない様子から、彼がイリーナ個人に情がわいたようなのを見抜いていた。

「ではおぬしが行くといい。人それぞれに帰るべき家と行くべき道があるというからな」

難題を引き受けてくれる青年に、快く餞の言葉を送ると、クバードは次いでミトを見た。
ミトは濁りのない目で彼の片目をみつめ返す。なにかの契約を行うかのような、厳かな気分だった。

「おぬしはどうする?俺とともにアルスラーン殿下の軍に戻るのか?」
「私は……」

決めたこととはいえ、ミトは口ごもった。本当にこれでいいのかわからなかったからだ。
だが、やはりまだ自分の目的は果たせていなかった。
こんな状態で、彼のもとへ帰れない。それに、彼女に同行すれば、何かわかるのではないかという気がしていた。

「私も、イリーナ殿下とご一緒することにします」

声に出すと、決意もより固まった。次の進路が定まったことで、頭のなかも冴え渡る。

「ということで、メルレインにもまたしばらくお世話になります」

横を向いて声をかけると、メルレインは一瞬面食らったような表情をしていて、クバードがわずかに笑う。

「心強い仲間が増えたではないか」
「……」

一緒に行くつもりがなかったのか、メルレインはむすっとした表情のまま沈黙していた。

「あ……邪魔だったら退きますけど……」
「別に構わない。少し荷物が増えると思っただけだ」
「荷物って……いい加減私のこと戦闘員だと思ってくれないかな」

青年に向かって肩を竦めてみせると、彼は視線だけを動かしてミトを見据えた。

「無理だ。俺は、あんたから目が離せない」
「へっ?」

突然の言葉に、ミトは目を丸くする。メルレインは眉間にしわを寄せて、さっきよりもずっと不機嫌そうだった。

「お前、自分は一人で大丈夫と言うが、放っておいたらすぐ殺されそうだろ」
「そ、そうでもないと思うんだけど……」
「どっちにしろ、俺はあんたを守るだけだ」

ミトは、この世界にやってきたときから、並の兵士など寄せ付けない強さがなぜか付与されていた。だから一人でダイラムの地まで辿り着くことができたし、ルシタニア兵にも遅れをとらなかった。
しかし容姿の軟弱さもあって、メルレインにとっては、どうしても守る対象としか見ることができないらしい。
それはそれで、心配してくれるのは嬉しいことなのだけど。

「若い者どうし好きにやってくれ」

クバードは頭を掻いて欠伸をするように言うと、メルレインに向かって革の袋を放った。受け取ると、ずしりと重たそうな音がする。

「……金貨?」

中身は五百枚ほどの金貨だった。マルヤム人から謝礼にもらったばかりのものだ。
驚いた様子のメルレインが何か言いかけるのを、クバードが笑って制した。

「持っていけ。財布が重くて困っているやつを助けるのが、盗賊の仕事だろうが」

そういえば、メルレインは「困っているやつからは助けた礼はもらわない」とか言って謝礼を断っていたな、とミトは思い出す。
それが彼の矜持なのだとしたら、クバードの行為はなんと粋なことか。

「え、メルレイン、盗賊だったの?」
「悪かったな、パルスの騎士じゃなくて」

メルレインの素性を少しも知らなかったミトは目を瞬かせた。
どこの誰かもわからない人と、亡命してきた王女を連れて旅に出るなんて、自分でも思い切ったことをするなあと感心するのだった。



***



「クバードさん少し待ってください」

馬の首を東に向け、歩き出そうとしたクバードを、ミトが小声で呼び止める。
呼ばれたのが嬉しかったのか、彼は機嫌よく笑いながら「ミト。おぬしと一夜を明かせなかったのは心残りだが、次に会ったときには優しくしてやるからな」などと言っていた。

「そうじゃなくて……アルスラーン殿下の軍と合流するのなら、伝えてほしいことがあります」
「ほう。殿下にか?」
「いえ、その……ナルサスに」
「ナルサス?」

唐突に挙げられた名前に、クバードは眉をあげた。
しかしミトの俯き気味な表情や、声の変化にすぐに気付き、じわじわと笑みに変える。

「いや……クバードさんが考えているようなことではないです、全然」
「ふ、まあよい。何を伝えればいい?」
「ええと、まだ気になることがあるので、西へ往きます、と……」
「それだけか?他には?」

しゃべればしゃべるほど、頬が紅潮するのが自分でもわかった。
どうしてこの場にいない人のことを考えるだけで、こんなにも心臓がどきどきと音を立てるのだろう。寂しくて、胸が締め付けられる。それに圧迫されるかのように、涙がせりあがってきて、瞳を濡らしていた。
ミトは息を吐き出し、「では、また必ずナルサスのところに戻ります、と……」とやっとの思いで絞り出すのだった。

「承った。おぬしのことも伝えておこう。旅の連れが若い男だというのは伏せておいてやるぞ」
「べ、べつにそこは気を遣わなくても」

クバードは心の広さを表すようなやわらかな笑みで応えた。豪快で、荒削りで、しかし優しくて、大地のような人だとミトは思った。



「ナルサスというのは?」

クバードが歩き出したあとで、メルレインが馬を寄せてきてそう訊いた。興味があるようなないような微妙な表情である。
なんでもないことなのに、ミトの方が視線を泳がせていた。

「えっと、アルスラーン殿下の軍の軍師をされている方だけど」
「そうか」

彼はやはり興味がなかった様子で、名前を覚えただけでそれ以上なにも聞かなかった。


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