さて、彼女はどうしただろう。
夜が朝に変わりつつある仄暗い林の中を進む。倒れ伏している兵や、騎馬の通った足跡、武器が振り回され傷ついた木々、といった戦いの残滓があちこちに見え、メルレインはその中に彼女の姿を探していた。
あの時彼女をひとりにして先へ行ってしまったことが、無意識に、罪か何かのように自分を責めてくる。
もしも死体の山に折り重なっているところを見つけでもしたら、自分は一生許されないような気がしていた。


空の低いところから徐々に白み始め、視界が明るくなってくる。
やや坂になったところを登り、顔をあげたとき、メルレインの目にある光景が飛び込んできた。
小高い丘から湖を見下ろす少女。
少女は馬に乗り、その横顔は湖面からの薄い光で白く照らされている。巨大な湖はエメラルドを敷き詰めたようにゆらゆらと輝き、無数の光を反射していた。
少女は星の海に浮かんでいるようだった。白く、無垢な横顔。瞳の中に湖が映り込み、小さな宇宙を描いている。
その姿が、奇妙なほど目に焼きつき、彼はしばらくその場に立ち尽くしていた。どういうわけか、彼女が生きてくれていてよかった、という気持ちが自然に胸に沸き起こる。
不意に少女の耳飾りが揺れた。こちらを振り返ったのだ。

「あ、メルレイン。どうだった?」
「……お前こそどうだったんだ」

ミトの姿をみつけたとき、不思議なほど安堵してしまったのだが表情にそれは現れなかった。いつものむすっとした顔で、「無事でよかった」とも言えず、戦果を問うだけで。

「私は……ちゃんとメルレインの邪魔した兵士を懲らしめたけど」

そう言って指さされた方を見ると、ルシタニア兵がひとりうつ伏せで気絶していた。
澄んだ目をして、剣など握ったこともないようなこの少女が、どうして暗闇の中でこんな芸当ができるのだろう。
それ以前に、彼女は妙に戦場に対して慣れていたが、一体どんな生を送ってきたというのだろう。

メルレインはミトに素直な興味を抱いた。相反する特質、矛盾する存在。彼が出会うはじめての奇妙で神秘的なひとだった。



***



かくして、ダイラムからルシタニア勢力は一掃された。
夜明けとともに人々にその情報が伝わると、感謝の気持ちを示したい、と宴がひらかれることになった。もともとクバードが農民たちに、この戦いに勝ったらいい酒やいい女が欲しいと漏らしていたのだとか。
夜通し戦ったミトたちは昼の間は提供された宿で休み、日が沈むとまた起きだして、宴会場へ向かった。
クバードは意気揚々と、メルレインはなかばそれに引きずられるようにして、苦しみから解放された漁村を歩いた。

宴は、湖に程近い集会所で催された。昼間から準備された料理が、ミトたちの前に次々と並べられていく。アルスラーンたちと共にいたときとはまた違う色、香り、趣きがあり、新しい土地を訪れているという感慨にひたる。

人々は、悲しみを忘れるようにおおいに騒いだ。失われた家族が戻ることはないが、今は、脅威を退けたことに安堵し、自分たちの勇気を讃えるのだ。

気が付けば、クバードのまわりには酒瓶がいくつも倒れていた。
相当飲んだらしく、笑い声はいつもより豪快になり、両腕に村の若い女性を抱いたりと、非常に楽しそうである。
ミトとメルレインは、農民たちと会話をしながら料理をつついていた。
それが突然、ミトの視界がぐわんと大きく揺らされる。

「おう、楽しんでいるか?」
「……クバードさん」

たくましい腕が自分の首にまわっていた。彼の吐息は酒気を帯びていて、吸うだけでこちらも酔ってしまいそうになる。

「ほら、もっと飲め。おぬしらのおかげでこの戦いに勝利したのだからな」
「わ、わたし、お酒だめなんですよ」

クバードは手にした杯をミトたちに勧めたが、ミトはゆるゆると首を振った。自分が酒に弱いのはもう重々承知していたし、ナルサスもエラムもいないこの場で酔ったらどうなってしまうか。
しかしクバードは上機嫌に、今度はミトの腰を抱いて、こちらがドキリとしてしまいそうな大人の笑みを向けた。

「しかし、なかなか気に入ってしまった」
「えっ何をです」
「ミトのことだ」
「……え」

「だいぶ酔ってます?」と問いかけたミトだったが、傾げた首をすっと撫で上げられ、反射的に小さな悲鳴をあげて腰を仰け反らせた。クバードの瞳がらんらんと輝き、獲物でもみつけたように愉しげな様子でこちらを見ている。
ミトはあわてて辺りを見回すが、農民たちは微笑ましく見守っているだけである。

「メ、メルレイン……!」

期待をこめて振り返るが、メルレインはちら、と一度ミトたちを見ただけで、すぐに料理へと視線を戻した。

「ちょ、ちょっと……」

薄情なのは顔だけで、中身はまともなんだろう、と思っていたが、それは幻想に過ぎなかったのかもしれない。
ここにもしアルスラーン軍の者たちがいたら……と、ミトは近付いてくるクバードの胸板を押しながら考えた。
まず、エラムに助けを求めたら、彼は精一杯ミトの願いを聞いてくれるだろうし、ギーヴならクバードとミトの間に割り込んでくるかもしれないし、そして結局最後には疲れて眠り込んでしまったミトをナルサスが部屋まで連れていってくれるのだろう。

「そ、そうだ、クバードさんっ」

はっとしてミトはクバードを見上げた。機嫌よさそうに笑みを浮かべる彼は、人目もはばからずミトの肩をぎゅうと抱く。

「どうした?」
「えと、クバードさんと話したいことがあったのを今思い出して」
「なんだ?いくらでも付き合ってやるぞ、それこそ朝まででもな」
「ふ、二日連続徹夜はちょっと……」

言い淀むミトはクバードの身体を押し返して、「そうじゃなくて、私が聞きたいのは、クバードさんが万騎長だったってことなんですが」と声を落とした。すると、さすがに彼も一瞬で酔いのまわった表情をあらため、戦場にいるかのような瞳になった。
しかし、それはほんの一瞬で、また上機嫌な笑顔に戻る。

「まあ、それはあとにでも話してやろう。今はこの宴を楽しもうではないか、ミト?このところいい酒にもいい女にも巡り会えていなくてな、久しぶりに楽しい夜になりそうなんだ」
「えっ、いや、クバードさん、わ、私には心に決めた人が……」

ミトには敵の刃を避ける力はあるが、言い寄ってくる男性を退ける力はない。とくにクバードのような力のある男性の前では為すすべを持たなかった。
腰にまわされた腕でぎゅっと抱かれると、否応なく身体が密着した。あわてるミトを、片目を細めて愉しそうに眺める。

「ふん、それならそれで尚更燃えるものだ」
「ちょ、ちょっと待って……」
「おい」

突然の声に、クバードの剛力が緩められた。
不機嫌そうな青年が、ミトの横からクバードの胸を押し返すと、隻眼の戦士は名残惜しそうに少しだけ身体を離す。

「ん?おぬしも混ざるか?」
「馬鹿を言え」

メルレインは呆れたように溜息をついて、ミトの肩をべりっとクバードから引き離す。

「こっちと交換だ」

そして代わりに、露出の多い服を着た村の娘をクバードの胸に押し付けた。
若い娘は「クバードさま、私のお酒も飲んでくださいね」とハートを飛ばしながらにっこりと微笑む。たわわな胸元が目に入ると、クバードも顔を綻ばせ、「ん?まあいいか」と杯の酒を飲み干した。

一瞬のできごとにミトはしばしぽかんとしていたが、急に腕を引かれて転がるように立ち上がった。顔を上げると、むすっとした表情のメルレインがいて、「とりあえず逃げるぞ」とこちらを見もせずに囁くのだった。

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