空に月がのぼると、闇の中から馬蹄の響きが起こった。
三百近い騎馬が街道を進んでいた。ルシタニア人たちが再びダイラムを襲撃したのである。
しかし、かつて一万騎を率いていたクバードや、つい最近までもっと大規模な戦場にいたミトにとっては、そよ風程度にしか感じない。作戦も周到に張り巡らされていたし、恐れるに足りなかった。

クバードの読みどおり、ルシタニア兵たちは彼らの前方に火矢を放ち、木を炎で燃え上がらせながら進んでいた。彼ら自身の居場所を知らせるように、少しずつ火が近付いてくる。

「俺が火矢を放って火薬に引火したら、俺たちは左の方向へ駆けて、奴らを迎え撃つ」
「うん。わかってるよ」
「お前、夜目はきくか?」
「うーん、あんまり。でもちゃんと追いかけるから」
「……左だからな」
「そんなに心配なら後ろに乗るけど?」

ミトはメルレインとともに街道脇に潜んでいたが、何度も作戦を確認してくるメルレインに、やや辟易しながら答えた。すると彼はむっとした表情になって、何も言わずミトから目を逸らした。本当に可愛げがないのである。
だが、ルシタニア兵が想定どおりの場所へ差し掛かったとき、彼は真剣な目で弓をかまえた。
その横顔がまるで神話に登場する戦士のように凛としていたので、ミトは思わずぼんやりとそれを眺める。

「おい!行くぞ!」
「あ、うん!」

呼ばれてからミトはあわてて馬の腹を蹴った。
いつの間にかメルレインは火矢を放っていて、闇の中どう狙ったのかわからないが、事前に彼が仕掛けた火薬にしっかり引火していた。
凄まじい炎が、爆発するような音を立てて燃え上がる。突進しかかっていたルシタニア兵は、前方から隊列が乱れ、馬は驚き荒れ狂い、一気に混乱の渦へとのまれていった。

「散開せよ!」

予定通り左方向に駈け出したミトとメルレインの耳にも、隊長らしい騎士の声が届く。
街道が進めぬ状況になったので、ルシタニア兵は左右に分かれて林の中へ走りだしていった。だが、これもクバードの計算のうちである。
迂回して駆け抜けようとしていたルシタニア兵が、突然勢いよく倒れた。暗闇で見えなかっただろうが、そこには道を横切るように網が張られていたのである。
馬ごと転び、放り出された騎士たちは地に叩きつけられる。すかさずそこへ、漁につかわれる網が投げかけられ、もがけばもがくほど深く絡まり、身動きがとれない状態となってしまう。
その騎士の頭上から、待ち構えていたダイラムの農民たちが油を浴びせ、火をかける。
なかなか残酷な方法なのだが、昼間、家族を殺されている農民たちも必死で、容赦しないのだった。

別の道にはミトとメルレインが潜み、逃げ惑うルシタニア兵を、月明かりを頼りに射落としていく。

「……お前、意外といい腕をしてるな」
「……いやいや、そっちこそ」

涼しい顔をして褒めてくるメルレインを一瞥し、ミトもまた弓を引いた。
彼の技術は、なかなか、どころではなかった。ミトの知る弓の名手といえば、ファランギースやギーヴといった人間離れをした仲間がいたものだが、彼もほとんどそれに劣らない神技を連発していた。
こんな素晴らしい戦士が一体どうしてこんな場所に寄り道をしているのかミトは気になった。自分の素性を話せるようになったら、彼のことも聞いてみたい、と漠然と考えるのだった。



一方、また別の道では、クバードがルシタニア兵を迎え撃っていた。
前方の三人ほどがあっという間に斬り捨てられると、仲間を逃がすためだろうか、隊長格の騎士が進み出て、クバードに勝負を挑んだ。
すっかり震え上がっている他の騎士は、後退りしながら彼らの戦いを見守っていたが、その戦闘もあっという間に終わってしまった。
地上に倒れ伏した隊長を見るやいなや、残っていた六騎が一目散に逃げ去る。クバードは馬腹を蹴って、追いにかかった。
途中、ルシタニア兵たちが、手槍や棍棒をかかえて座り込んでいるダイラム人の一団のそばを通り抜けたが、戦いに慣れていない農民たちは気力を使い果たしていて、「逃がすな!追うんだ!」というクバードの怒鳴り声にも反応できないほど、へたり込んでしまったままだった。

一騎でも逃してはならない、というのが今回の作戦で全員が約束したもっとも大事なことだった。
一騎でも逃せば、その口からルシタニア軍中枢にここの内情が漏れる。だが一騎も帰らなければ、ルシタニア軍には事の真相がわからず、偵察にせよ、報復するにせよ、時間がかかる。その間にダイラムの人々は防御を固めることもできるだろう。
それを一番よく理解しているのが、今回の作戦の指揮官であるクバードだった。
農民たちがもう追えないのならば、自分がどこまでも追いかけて全滅させるしかない。クバードは暗闇のなかを猛然と駆けていった。



「……あれ見て!」
「……クバードか」

闇の中を駆け抜ける塊を視認して、ミトはメルレインを呼んだ。前方に数騎と、追いかける一騎が死闘を繰り広げていた。メルレインもすぐにそれをみつけ、馬を加速させる。言うまでもなく、クバードの援護をするためだ。
とはいえすぐにクバードが弓で何人か射落とし、残り一騎となった。だがそれが、矢の届くかどうかのぎりぎりのところまで離れてしまっていた。反撃の意欲もなくひたすら逃げていく敵というのは、にわかには追いつけないものである。
直線距離を駆け抜ければ、ミトたちの方がルシタニア兵に近付ける。そう判断し、二人は全力で馬を飛ばした。

「……だめ、もう追いつけない……!」

しかし死に物狂いのルシタニア兵は驚異的なスピードでミトたちを置き去りにしていった。今ここで倒せないとなれば、夜が明けるまで追跡しなくてはならないし、ついに逃げおおせてしまう確率もあがる。
ミトが弱音を吐いたとき、メルレインは、すっと弓を構えた。美しく洗練された動作に、ミトは思わずここが戦場であることも忘れて見惚れてしまう。
だが、突然、メルレインの背後に影が現れた。
隠れていたルシタニア兵だった。甲冑が月光をうけて禍々しく輝く。その手に握られた剣がメルレインに振り下ろされようとしているのを見たとき、ミトは反射的に馬ごとルシタニア騎士に体当たりを喰らわせていた。
驚いたルシタニア兵は、一旦闇の中に退いた。こちらにも逃げられるわけにはいかなかった。

「お、おい!?」
「こっちの相手は私がするから!メルレインはそのまま追って!」
「……」

脇道に逸れて闇に呑み込まれていくミトの声を背に、メルレインは唇を引き結んで馬腹を蹴った。



***



「いい腕前だな、おぬし」

クバードは、不機嫌そうな表情で弓をおろした青年を見て、素直な感想を漏らす。
万騎長ともなれば、剣、槍、弓、どれをとっても他を寄せ付けない圧倒的な力量をもつのだが、クバードは弓がやや苦手であった。むろん、他とくらべて、ということであるから、戦場でひけをとったことはない。
しかしそのクバードが、矢の射程を脱したと思って攻撃を諦めたルシタニア兵を、メルレインの放った矢が見事に撃墜したのだ。
弓の技だけなら万騎長にもなれるほどの実力を目の当たりにし、クバードは若者をみつめて片方の目を細めた。

「俺はパルスで二番目の弓の名人だと自負している」

褒められたメルレインは、相変わらず無愛想な様子で応える。

「すると一番目は誰だ?」
「まだ出会ってないが、いずれどこかで、俺以上の名人に会うと思う」

おもしろいやつだ、と思い、クバードは呑気な笑みを浮かべた。
しかしそこでメルレインは不意に背を向け、もと来た道を戻りはじめる。

「もう戻るのか?ルシタニア兵はおぬしが射落とした奴で最後だったはずだが」
「いや、少し探しに行くだけだ」

何を?とはクバードは訊かなかった。そういえばメルレインに預けたはずのお嬢さんがいないな、と思ったからだ。

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