カリカーラ王が宣言すると、その言葉は歓喜の渦とともに伝染し、観衆は「ラジェンドラ!あたらしき国王!」と口ぐちに讃えていた。
アルスラーンも力強く拍手し、泣きそうな顔で部下の勝利と無事を喜んでいるようだった。ミトもほっとしてへなへなと座り込んだとき、「認めんぞ。認めるものか!」と叫び声が聞こえ、一同ははっとしてその声の方を見た。

「こんな不当な裁きに、誰が従うものか。俺は認めぬ。神々がまちがっている!」

理性を失ったガーデーヴィがわめき散らし、この結末にひとりで異を唱えていた。
ラジェンドラ、カリカーラ王、宰相マヘーンドラが次々と出てきて彼を止めようとしたが、もはや聞く耳をもたなかった。

「ものども、ラジェンドラを殺せ!王位は俺のものだ!」
「くっ、こうなっては仕方ない。父上をお守りしろ。ガーデーヴィを討て!」

ついに二人の王子はそれぞれの兵士に命じ、秩序もない殺し合いが始まってしまった。
これではなんのための神前決闘だったのかわからなくなってしまうが、ガーデーヴィがここまで神や勅命その他の信頼に背く行いをしたことに対し、ラジェンドラは逆に喜んでいた。ガーデーヴィが進んで罪人になり下がったのだから。

「殿下、巻き込まれてはなりませぬ。こちらへおいでください」

もはやこれは二人の王子の個人的な意地の張り合いに過ぎず、パルス軍が協力するようなことではない。とにかく巻き込まれて怪我を負うのはごめんだった。ナルサスが先頭に立ち、一行を混乱から遠ざけるため通路へと導く。
しかしそこにもガーデーヴィの兵たちが殺到していた。彼らにとって望まぬ結末を招いたパルス人たちを血祭りにあげようと、気が狂ったように武器を振り回す。
王太子を守りながら、全員が敵と対峙した。雑兵ならば恐れるまでもないが、数が多く、前にも後ろにも進むことができない。

「殿下、お逃げ下され!」

ペシャワールから同行していた万騎長のバフマンが、ダリューンにも劣らぬ勢いで敵を切り捨てていく。
ミトもそれに続いた。敵の数が多かろうと、怖くはない、と思っていた。罵声や悲鳴を聞きながら、剣をふるうと、噴き出した血が一瞬視界を遮った。
その時、パルス人の勢いを削ごうとガーデーヴィが兵から奪い取った槍を投げつけた。
槍はうなりを生じるほど力強く飛び、ミトの左腕をかすめ、その速度のままバフマンの肩と胸の間に突き刺さった。

「バフマン!!」

アルスラーンが血相を変えて叫び、崩れ落ちる彼に駆け寄った。その背中めがけ、ガーデーヴィが二本目の槍を投げつけた。アルスラーンが振り返ったとき、槍が彼を串刺しにする寸前だったが、その間に人影が入り、槍を弾き飛ばした。

「……ジャスワント!」

瑪瑙色の瞳が悲しげに光っていた。二度、アルスラーンに命を救われた彼が、その恩を返すべく助けに走ったのだ。

一方、錯乱するガーデーヴィの前には宰相マヘーンドラが両手を広げて立ちはだかっていた。これ以上、主君に罪を重ねさせないためである。
しかしその想いは届かなかった。
ガーデーヴィの混乱は絶頂にあり、もはや斬るべきものとそうでないものとの区別もできなくなっていた。
彼は義理の父親を槍で貫き通した。
数瞬のあと、血だまりに転がる人物を見てさすがにガーデーヴィも自身の罪を自覚したのか、武器を取り落として崩れ落ちた。
すかさずラジェンドラの兵が彼を取り押さえる。混乱の首謀者が捕らえられると、ラジェンドラは舞台上へ進み出た。

「皆の者、静まれ!ガーデーヴィは神意と勅命とに、共にそむいた!奴に従う者は大逆罪の共犯となるぞ。武器を捨て、法と正義に従え!」

ラジェンドラが剣をかざして、争う者たちに向けて大声で宣言した。
兵たちは興奮からさめ、同じ国のもの同士で斬り合った後味の悪さもあり、混乱は急速に収束していった。




倒れたマヘーンドラを発見したとき、ジャスワントはよろめきながら歩みよると弱々しく手を握った。
槍で突き通された傷は深く、血も流れ過ぎていた。死に瀕していることがわかり、ジャスワントの瞳から涙がこぼれおちた。

「悲しむな、ジャスワント……。わしは死ぬが、惜しむ必要はない。わしは仕える主君を誤った……。お前には……何も報いてはやれなかったが……ジャスワント、お前は道を違えるな……」

そこで言葉は途切れた。
ジャスワントは永遠に開かない瞼から流れ出た涙を拭いた。自身の涙はこぼし続けたままだった。




万騎長バフマンも死の淵に立っていた。
ガーデーヴィの槍が内臓部を傷つけ、ほどこす術がなかった。彼を囲むパルスの者たちは深刻な表情で顔を見合わせ、嘆くように首を振っていた。

「アルスラーン殿下。よき国王におなりくだされ……」

自身を抱きかかえる王子を焦点の合わない目で見つめ、それだけ言うと、バフマンは意識を失った。
アルスラーンは取り乱したように、バフマンの肩を掴んでゆさぶった。息を吹き返し、彼の問いに対する答えを言ってくれるのを急かすように。

「バフマン、教えてくれ。死ぬ前に教えてくれ。私は何者だ?私はいったい誰なのだ?」

ペシャワール城で発したバフマンの言葉がずっとアルスラーンを苦しめていた。
自分が何者なのかわからないという根源的な恐怖を、いつかは答えが聞けると信じ押し込めてきたのだが、バフマンは死に、真実はまた彼の手から遠のいてしまった。



***



「行きましょう、ミトさま」

混乱が落ち着き、二人の王子の兵たちが退いたにも関わらず、ミトは座りこんだままだった。
エラムが促すが、反応はない。パルスの他の者たちは、バフマンを運び出したり、ラジェンドラと話をしたり、もう次の段階へと進んでいるのに。

「ミトさま……?」

不審に思ったエラムがもう一度声をかけ、その顔を覗きこんだとき、彼は驚愕で言葉を失った。
ミトの左腕から血が流れていた。

「ど、どうされたのですか!?これは……」

エラムが思わずミトの肩を掴むと、ようやく彼女も我にかえったようだった。
左腕の傷自体は、槍がかすめただけで深くはないのだが、傷口をおさえた右手の指の間から血がにじみ滴っていた。
ミトは自分でもわけがわからないといった表情をしていた。これまで敵の斬撃は、その肌の上をすべるように、絶対に、ミトに当たることはなかった。
エラムもミトも、その不思議な力がずっと続くはずはないと考えてはいたが、頭のどこかで「そんなのはずっと先のことだ」とたかをくくっていた。

「エ、エラム……わ、わたし……こんな……」
「大丈夫です、ミトさま。今応急処置をしますから」

本人が混乱しきっているので、エラムの方は少し冷静になれた。まずは彼女を落ち着かせなければ、と優しい表情をしてみせる。

「ミトさま。戻ったら、ナルサスさまに相談しましょう」
「だ、だめ!黙ってて!!」

突然の大声に、エラムは驚いて目を見開いた。
ナルサスの名前を出したのも、彼女がナルサスを信頼しているからで、彼女を落ち着かせるには一番いい方法だと思っていたのだが。

「ごめん。ナルサスには……黙ってて」

ミトは俯いて弱々しく呟いた。エラムに差し出した左腕が小さく震えている。
少年とほとんど変わらない体格は、いつもよりも一層儚げに見えた。そこに宿る命など、加護の力がなくなってしまえば簡単に刈り取られてしまいそうだった。エラムはミトの左手を、両手で包みこむように強く握った。

「……かしこまりました。ミトさまは……俺が守ります」


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