神前決闘のあと、カリカーラ王はまもなく没し、ガーデーヴィも処刑された。
シンドゥラ国内の混乱は完全に終息したわけではないが、国王が正式に決まり、しばらくの間は統一に向けて力を注ぐことになりそうだった。

「ラジェンドラを王位につけてやる」という役割を終えたパルス軍は、本来の目的である打倒ルシタニアに向けて、早々にシンドゥラ国を発った。

しかし帰国途上のパルス軍が何者かによって奇襲されたのだが、それはラジェンドラの手によるものであった。
パルスの王太子を人質にとって領土をもぎとってやろうと画策したようだったが、かの王子の魂胆は、パルスの軍師でなくても透けて見えていた。
結局ラジェンドラ軍は返り討ちにあい、奇襲は失敗し、ラジェンドラは再びパルス軍の捕虜となった。

そこでナルサスは謝礼金の支払いと、むこう三年間の国境の不可侵を誓約させた。
これで当初の予定どおり、「東方国境を安定させる」という目的は完遂されるのだった。




一方、父にも等しい宰相マヘーンドラを失ったジャスワントは、何度も命を救ってくれたアルスラーンと共に行きたいと言ってパルス軍に同行することになった。
ダリューンはこう言って笑ったものである。

「アルスラーン殿下は、チュルクと戦えばチュルク人の部下を手にいれ、トゥラーンと戦えば、トゥラーン人の部下を手に得られるかもしれんな」



***



そういったわけで、シンドゥラ遠征はほとんど大成功に終わった。
しかしこの戦で万騎長バフマンを失い、確実に生存する万騎長はいまやダリューンとキシュワードのふたりだけになってしまった。そしてアルスラーンの秘密もバフマンの口から語られることなく、霧のように消えてしまった。


ペシャワールへ帰還し、城塞を守っていたキシュワードとその兵たちとともに無事を喜び合ったのも束の間だった。
アルスラーンたちには王都エクバターナを奪還するという目的があるが、それを実行に移すにはまだ兵力が足りなかった。シンドゥラへ遠征する前から考えていたとおり、王太子アルスラーンの名において各地の諸侯に起兵を呼び掛けなくてはならない。さらに、彼の行う政治についてあきらかにしておく必要がある。すなわち、奴隷制度の廃止を宣言するのだ。


三月半ば、ナルサスは多忙を極めていた。パルス全土にアルスラーンの名で宣言書を発する準備や、奴隷廃止宣言に先だっての、ペシャワール城付近の奴隷の解放と入植の実施。
出兵の実務はキシュワードやダリューンに任せられるが、政事の方は彼が取り仕切らねばならなかった。


エラムとアルフリードが毎日競い合ってナルサスの世話をしているので、ミトは彼らを押しのけてまで執務室にこもりきりのナルサスと会う気にはなれず、しばらく顔を合わせていなかった。
しかし、ペシャワールに入城してから一週間ほど経ったある夜。ミトがいつもよりも遅めの時間に湯浴みをし、湯気を肌から立ち上らせながら自室へ戻ろうというところで、ばったりとナルサスに出会った。

「ミトか。なにやら久しぶりな気がするな」
「はい……すごく忙しそうで、声をかける隙もなかったですから」

良き政治改革やルシタニア討伐に向けての準備を思惑どおりに進められているのだから、忙しくはあってもそれなりに楽しんでいるのがこのナルサスなのだが、さすがに彼の声に疲れがみえた。
ミトは彼を休ませてあげたいと思う一方で、ここで彼を帰してしまえばまた顔を合わせることもなくなってしまうのでは、と思った。それで、ほとんど迷いもなく「ナルサスさえよければ少しお茶でもしませんか」と彼を自室へと招いたのだった。



***



「ミト。また夜になってから俺を部屋にいれるとは。あまり舐められると俺も本性を出しかねんぞ」

「忙しいしお疲れでしょうから、一杯飲んだらすぐ帰ってくださいね」とだけ言って、ミトはナルサスに緑茶を出した。妙なことを言いつつも彼は、窓の外の城壁上を見回る兵などを眺めていたから、ミトも軽くあしらったのだ。
彼の座る位置の正面に腰をおろし、少し息を吐く。

「軍隊の再編成や武器の準備は、キシュワードやダリューンがやってくれます。政治的な実務は、ナルサスがやってくれます」
「急にどうした?」
「私も、何かお手伝いしたいんですが」

ペシャワールへ戻ってきてから、簡単な雑用などはしていたが、他の者たちのようにきちんとした役割を果たしていないことをミトは引け目に感じていた。
大きな組織になればなるほど、自分は小さくなり、居場所がなくなっていくような気がしていたのだ。
ナルサスはミトがそう言いだすのをわかっていたかのように、目を伏せた。

「心意気は立派だが、残念ながらおぬしは身元もはっきりしていないし、この世界の知識もないだろう。俺としては、エラムとアルフリードの仲を取り持つという大事な役をお願いしたいところだが」

何万という人が関わってくる以上、上に立つ人間にはそれなりの実力がなければならない。そうでなければ組織は崩壊する。なお、実力に身分が伴うとさらに効果を発揮する――。
ナルサスはそういうことを懸念して、ミトに仕事をまわさなかったのである。しかしミトは俯いたまま、ぎゅっと拳を握った。

「知識ならありますよ」
「……それは?」
「奴隷制度を廃止したあとの社会について」

ナルサスは頬杖をついたまま、目を少し見開いた。

「私のいた世界、国では、奴隷制はなくなっていました。実情はどうあれ、人の権利や自由を認めず誰かの所有物とするような仕組みは禁止されていました」
「……歴史や風土が違えばまた事情が変わってくるが、参考までに聞かせてくれるか。ミトの世界のことを」

ナルサスはふわりと笑った。
その頬笑みが妙に彼を若々しく見せ、ミトは思わず目を何度も瞬かせた。

その日ナルサスは一杯の緑茶をなかなか飲み干そうとしなかった。
実際ミトも詳細に答えられるような知識は持っていなかったが、ナルサスは嬉しそうにあれこれと質問を続けた。
結局、最後にはミトの方が疲れてしまって、彼を追い返すことになったという。



***



眠り、朝になって目が覚めたとき、ミトは「また、あの場所だ……」と呟いた。
例によってまたあの不思議な夢を見たのだ。
自分は巨大な湖を臨む街の大きな屋敷の前にいる。その門を開けようとするが、びくともしない。それにも関わらず、そこで立ち尽くし続ける。というものだった。

「私、あそこへ入らなきゃいけない、のかな」

これは勘だが、恐らくこの夢はこれ以上先へ進まないのだろう。
どうやらあの屋敷が終着点で、その門の内側へは、夢の中ではどうやっても入ることが出来なそうなのである。
自分は何者なのか、なぜこの世界に来てしまったのか、そういった問いへの答えがあそこにあるのだろうか。それならば、そこへ行く価値があるのかもしれないが、確証はどこにもなかった。


13/13



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -