神前決闘は、国都の城門前広場に設けられた舞台で行われる。
もともと国都を目指して進軍していたラジェンドラやパルス軍がこのようなかたちで都に入るとは、ナルサスでさえ当初は考え付かなかった。

円形の舞台の周囲には溝が掘られ、逃げ出したり仲間が乱入したりするのを防止している。その中心にダリューンが進み出て、決闘の相手を待っていた。
それをぐるりと取り囲む見物席の正面にカリカーラ王が座り、向かって左側にガーデーヴィとその一党、右側にラジェンドラとその一党、そしてパルス人たちが座していた。
異国人を国都に入れることに対して、はじめガーデーヴィが反対したのだが、カリカーラ王が特別に認めた。とはいえパルス人たちの周りはシンドゥラ兵によってほとんど包囲されており、何かあればすぐに捕えるという圧力をかけられている。

やがて、ガーデーヴィの代理人の戦士が現れた。名をバハードゥルというらしい。
身長は二メートルを超え、体格のよいダリューンと比べても巨人のようであった。小さな目が獲物を探すようにぎらつき、上半身が筋肉でふくれあがる様は、とても人間とは言い難い。
相手を見て初めて、パルス人たちに本物の不安が押し寄せたようだった。ダリューンの強さは、むろん、承知し信頼している。しかしあまりに危険な役目だったのではないか、と思わずにはいられなかった。
アルスラーンが身を乗り出して、心配そうに黒衣の騎士の名を呼んだ。その声を聞き、ダリューンはパルス人たちを振り返って「心配するな」と言いたげに少し笑って見せた。

落ちていく日の円の端が地平線に触れた時、決闘のはじまりを告げる太鼓の音が鳴り響いた。それに呼応するように、ミトの心臓の音も、低く、不穏な音をたてる。
ダリューンたちを取り囲む濠に火が放たれ、地獄のようにぐるりと円を走った。これでいよいよ逃走もできなくなってしまう。

「これよりシンドゥラ次期国王位をかけて、神前決闘を行う。この結果は神聖にして不可侵なるものなれば、両者とも異をとなえることあるべからず」

宰相であるマヘーンドラが宣言し、決闘が始まった。

はじめに前進したのはバハードゥルだった。国の命運を背負っていることを自覚していないかのような、緊張に欠ける動きだったが、戦いを求める本能は本物であるらしい。振り下ろされた大斧を受け止めたダリューンがよろめいたのだ。
間髪いれず襲いかかった第二撃をダリューンが長剣で受け止めたとき、異様な金属音が耳を貫いた。ミトは唖然として目を見開いた。
剣がほとんど根元から折れてしまったのである。

「ダ、ダリューン」

ここから弓で援護することは可能だが、手を出すことは許されない。あの円の中のふたり以外の者は、この戦いのまえでは等しく無力だった。
ミトは拳を握りしめることもできず、力の入らない足でなんとか立ち、戦況を見守っているだけだった。
そうこうしているうちに、今度はダリューンの冑がはね飛ばされ、無防備な頭部が剥き出しになった。
応援しようとしても恐怖と不安で喉がつぶされ、声が出ない。パルス人とラジェンドラ軍の者もみな同様であるように、しんと死んだように静まり返っていた。
ダリューンの体をかすめる斧を見ていられなくて、思わず視線をはずすと、いつの間にか隣にいるギーヴに肩を叩かれる。

「大丈夫か、ミト」
「わ、わたしは、いいけど……」
「ダリューン卿ほどの勇者が人間に遅れをとるはずはないが、あれは人間ではないな。二本足で立っているが、人間とは思えん。人の皮をかぶった獣だ」

ギーヴが隣でそう言うのをミトは黙って聞いていた。実際、ギーヴですら緊張した表情と声をしていたから、それが連鎖反応的にミトの恐怖をあおり、ますます観戦どころでなくなってしまった。
これが、生命をかけたやりとりだ、とミトは思った。
判断を誤れば即座に息をしなくなる世界。自分自身もそういうところに身を投じていたのだということが、このとき初めて客観的に感じられた。
斧が空気を切る音を聞きながら横を見ると、青ざめたナルサスがいた。軍を動かしての戦闘なら彼の頭の中でいくらでも策が生まれるのだが、一対一で手だしのできない状況とあっては、軍師などというものはまるで役に立たなくなってしまう。
その横にアルフリードが立ち、ナルサスの手を握りしめているのだが、彼はそれにも気付いていない様子。ミトと同じようなありさまで、彼もただ孤独な戦いを見守っているだけであった。
アルスラーンの顔はとてもじゃないが、ミトは見ることができなかった。きっと、この世の終わりよりもひどい顔をしてダリューンをみつめているに違いない。
なにせ、この危険な戦いにダリューンを送り出したのは他でもないアルスラーンなのだから。

観衆がわっとどよめいたので、ミトは急いで視線を戻した。
ダリューンがバハードゥルの懐に飛び込み、横面に折れた剣を突き刺しているところが目に入り、ミトは思わず小さく拳を握った。
しかし、血が噴きあがり骨があらぬ方向に曲がっているのだが、バハードゥルは小さく身体をゆすっただけで、悲鳴も出ない。

「馬鹿な、なぜ倒れない!?」

驚きが円形の舞台から広がっていく。あれだけの傷を負えば、常人ならば、倒れるか激痛で悶え苦しむはずである。
アルスラーンがさっと振り返り、疑うような目でラジェンドラを睨んだ。ぎくりとした王子は、アルスラーンのそばまで行くと、声を落として次のように述べる。

「あの男は、痛みを感じるということがないのだ。だからどれほどの傷をうけようと、死ぬまで、相手を殺そうとする。常人ではないのだ」

ラジェンドラをみつめるアルスラーンの目の色がかわった。

「あなたは、それを知っていてダリューンを神前決闘の代理人に選んだのか!?あんな怪物の相手と知って」
「お、落ち着け、アルスラーンどの」
「落ち着いてなどいられない!」

アルスラーンはついにラジェンドラの襟首に掴みかかった。

「もしダリューンがあの怪物に殺されでもしたら、パルスの神々に誓って、あの怪物とあなたの首を、この城門にならべてやる」

いつも優しい王子が他人を脅迫している。ミトは激怒した彼を見るのはこれが初めてだったが、恐らく、他の者たちも同じであった。それほど王子がダリューンを大切に思っているということがひしひしと伝わってくるが、この緊迫した状況下で、心温まる思いになるわけにもいかなかった。ラジェンドラは反論することも出来ず、その剣幕におされている。

「おちつきなされ、パルスのお客人」

口を挟んだのはカリカーラ王であった。病人のはずだが、王としての威厳は失われておらず、厳しく、寛大な声色が響く。

「ガーデーヴィが代理人を選んだのは、ラジェンドラよりあとのことじゃ。お客人の部下は無双の勇者と聞いておる。勝てる者はおらぬか、考えあぐねての人選であろう。それほど敵から恐れられる部下を、ご主君は信じておやりなされ」

その言葉で落ち着いたアルスラーンはわずかに顔を赤くすると、一礼して席についた。
一方でガーデーヴィは薄笑いでその光景を眺め、「パルスの王太子などといいながら、見苦しいほど取り乱しておりましたな」などと王に向かって言う。

「ガーデーヴィよ。もしそなたがあの王子のせめて半分でも、部下を大事に思う人間であったなら、わしはそなたをとっくに王太子に定めていたであろう。王はひとりでは王でありえぬ。部下あっての王じゃ」

カリカーラ王は沈んだ面持ちで、溜息とともにそう吐きだした。




ナルサスも大きく息を吐き出した。
今のやりとりでいつもの冷静さを取り戻したらしく、座りなおすと一度辺りを見回した。パルス人たちを包囲するシンドゥラ兵たちも、固唾をのんで決闘を見守っているのが見えた。
ふと、ミトの方を見ると、顔色は蒼白で口もあいたまま目は不安げにきょろきょろと動いている。その惧れ様が一周回って可笑しかった。しかし彼女の肩に手をおく楽士を見咎め、ナルサスは「ギーヴ」と低くたしなめるようにその名を呼んだ。
「おっとこれは失礼」とおどけた調子で言って手を離すが、ミトの方はギーヴの手が置かれていたこと、離れたこと、そのどちらにも気付いていないようだった。
ナルサスもさりげなく両手をひいて、胸の前で腕を組んだ。剣も盾も冑も失ったダリューンはいまや敵の大ぶりな攻撃をひたすらかわすのみだったが、ナルサスの目には彼の勝利が見えていた。

「そろそろ終わりだな」

呟くと、隣にいたアルスラーンがまるで「ダリューンが負ける」とでも聞いたかのように、肩を強張らせてしまった。
実際、ダリューンは円の淵に追い詰められていた。
しかし、次の瞬間、黒衣の騎士の瞳は強い光を放っていた。
彼は黒いマントをはずすと後方にはためかせ、炎が燃え移ると同時にバハードゥルの上半身に叩きつけた。炎をまとったマントはバハードゥルの身体に巻き付き、激しく燃え盛った。
うめきながらようやくマントを取り去ったが、すでにダリューンがその懐に飛び込んでいた。彼の手には、折れた剣ではなく、隠し持っていた短剣が握られていた――。

バハードゥルの首に短剣が突き刺さると、頸動脈を切ったようで血が噴き出した。
意志を失った巨体は、豪快に地に倒れ沈む。

沈黙が周囲を包む。
歓声をあげるのをためらうほどの勝利の余韻で満たされていた。
生き残ったダリューンは、アルスラーンのいる見物席の方を向くと、恭しく一礼した。そこで沈黙がやぶられ、一斉に拍手と叫びがわきおこった。

「ダリューンの勝ち、すなわちラジェンドラの勝ちじゃ。あらゆる神々も照覧あれ。つぎのシンドゥラ国王は、ラジェンドラにさだまった」


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