「まだわかっていない……。死なないと思ってる……私はこの世界で生きてるのに……」

天上に輝く光がやけにぎらぎらとして見え、なぜか自分が責められているような気になった。
優しい空、気難しい空、さまざまに表情を変えるこの空の下に自分はまぎれもなく存在しているのに、まだ心を決められていない。星のもとで、ミトはひとり途切れがちに呟いた。
しかし、夜闇に吸い込まれていくはずの言葉に返事があった。

「その通りだ、ミト。おぬしは今ここにいる」

はっとして振り返ると、風を受けて髪を靡かせるナルサスが微笑んでいた。月の光で肌が人間のものではないように青白く輝いている。
恥ずかしいひとりごとを聞かれてしまい、ミトはわたわたと顔の前で手を振った。

「……え、えーと……」
「こんな夜中に散歩か?」
「いえ、散歩というわけじゃないですけど……」

答えられずにいると、ナルサスは先ほどのミトのひとりごとへ返答するように「先日も言ったが、俺はいつまでもミトが死なないままでいるとは思っていないからな」と呟いた。

「は、はい。そうでしょうね。期限付きなんだと思います。私も」
「強すぎる力には制約がつき物だからな。おぬしの場合はある時期までなのだろうと、根拠はないが思っている」

なぜかナルサスは、ミトが異界から来たことや彼女の得意な体質について妙に理論的に捉えているところがある。一見現実主義な彼が、非科学的な存在であるミトをここまで気にかけているというのも不思議だった。
しかしそんなことなんてどうでもいい、とミトは思う。たまたま訪れたこの世界で、ナルサスのような人に出会えて今言葉を交わしている奇跡に感謝しなくては、という気持ちが月の下で不思議と大きくなる。

「明日ダリューンが勝ってこの国が落ち着けば、我らはパルスに戻り、エクバターナ奪還に向けた準備をせねばならない。おぬしも眠れるうちに眠っておくのだぞ」
「それはナルサスこそ」

夜も更け、パルス軍は静まり、眠り始めていた。あたりには見回りの兵士が数人いるくらいである。

「そうだな。お互い戻って大人しく眠ろうか」

ナルサスの後を追う形で、ミトも自分の天幕へと戻っていく。



「俺も明日は神々に今後のことを賭けてみるかな」
「今後って、何ですか?ナルサス」

別れ際、彼がそんなことをいうのでミトは少し笑った。
知識があり、自分で道を拓き決断する力のあるナルサスが、神を仰ぐ必要なんてほとんどないから、それが可笑しかった。
夜空の星はいつの間にか優しい光に変わっていた。一粒が宝石を凌ぐほど美しく輝き、空を包み、ミトたちを見下ろしている。

「おぬしがこの世界に留まってくれるよう神に祈るよ」

絵画のように美しい場面だった。ミトは少し目をしてから、その場面の貴重さに気付き、脳裏に焼き付けようとしばらく声を出さずにいた。

「……それは、神前決闘でどちらが勝った場合に叶うんですか?」
「無論、ダリューンが勝利した場合だ」
「それは、ずるいですね。ナルサス」

この世界で息をしている実感をミトに授けてくれたくせに、結局彼だってミトがいつかいなくなると思っているんじゃないか、とミトはやや呆れて笑った。やりきれない切なさからくる、諦めのような笑いだった。
彼の現実感覚の鋭さは誤魔化せない。しかしそうだとしても、ミトがずっとここにいるように、と思ってくれること。それはどんな願いや祈りよりもミトを護り支えてくれるような気がした。



***



「いやあ、ずいぶんと入れ込んでるようじゃありませんか。軍師どの」

夜闇からまず声だけが現れた。音のした方を振り返るといつの間にか流浪の詩人が立っていて、こちらを見てさわやかとは言い難い表情で微笑んでいる。いつも周りの女性たちに見せるものとはまるで違った。

「ギーヴ。おぬしもこんな時間に散歩とは奇遇ではないか」
「うるわしのミトどのがふらふらしているのが見えたのでね。声をかけようとしたんだが」

「また先を越されてしまった」と呟いて彼は肩をすくめた。先ほどまでいたミトはすでにナルサスが天幕に送り届けたところだった。

「ふ、まさかおぬしが嫉妬してくれるとは」

ナルサスは額に手を押し当て、小さく笑う。ギーヴの場合そんな単純な感情ではないということは承知しているのだが。

「いえ、俺の愛はファランギースどので手一杯ですからね。それでミトどのへまわす忠誠心がナルサス卿ほどではないので、女神のお恵みにあずかれないということですよ」

飄々と答えるギーヴは、草の上を少し歩き、星を見上げるそぶりをしてわざとナルサスから視線を外した。

「しかし妙だなと思ってね」

薄暗いせいでお互いの表情の細かな部分までは読みとれなかった。心を隠すのが得意な者どうしであるから、声からも真意を察することはできない。
ギーヴはナルサスに視線を戻した。何を言われるか、もうわかっているような顔をした軍師がそこにいた。

「これは俺の勘だが、おぬし、ミトのことを初めから知っていたのではないか?」

さあっと強く風が吹いた。もともと吹いていたのかもしれないが、この時だけやけに強く感じた。
答えを急かすように星が瞬く。ナルサスは驚きもせず、自身の策が成功したときのように、不敵に微笑んでいた。

「いや、知らぬよ。それに俺がミトのことを知っていようといまいと、おぬしにもアルスラーン殿下にもパルス国にも関係のないことだ」

ギーヴは「ええ。おっしゃる通りです」とだけ呟き、夜の闇に音もなく消えていった。



***



漁村からのびる街道を進むと、やがて大きな街に辿り着いた。
エクバターナほど栄えているわけではないが、建物の数や大きさ、材質などから、地方の重要な都であることはなんとなく想像できる。
家々の壁は白く、日中ならば日の光をうけて輝くのだろうが、あいにく空は靄に覆われ、朝なのか夜なのかも定かではない。

街の中心を走る太い道の両脇には露店が並んでいたが、人影はなかった。色とりどりの野菜や果物、美しい絨毯が、寂しそうに店先に積み上げられている。
巨大な湖から吹きつける風は穏やかに街を呼吸させていた。その透明な空気をたった一人で吸い、吐き出しながら、街の奥へと進んでいく。

いつの間にか、目の前にひときわ大きな屋敷が現れた。華美な装飾はないが、細部まで丁寧に造りこまれた美しい屋敷だった。湖からひいている水が庭や建物の中を流れ、涼しげな水音を響かせている。
パルス風の模様をあしらった飾りのついた低い壁が屋敷を取り囲んでいたので、門の方へ回り込んだ。当然、門を守る兵はいなかった。

ミトは、そこから屋敷内に入ることを、なぜか考えていた。他の家は外から眺めるばかりでまったく関心を示さなかったのに。
しかし、門に手をあて押してみたが、錠がかけられているようで、開けられなかった。
ミトは立ち尽くした。どういうわけか、他へ行く気にもならず、その屋敷の門に手をあてたまま、ただじっと見つめるのみだった。




「なんだろう、あの屋敷は……」

目を覚ましたミトは、小さくうめいた。
今まで何度か見てきた不思議な夢の続きを、また見た。これまでは、あてもなく彷徨うだけの夢だったが、はじめてその行く手が遮られた。

「あの大きな屋敷に忍び込んで財宝をあさったとしても、夢なんだから現実に持ち帰れるはずはないし、どうしてあそこに入らなきゃなんて思ったんだろう」

これまでは、不思議に思いつつも意味のない夢だと無視してきたが、少し真剣に考えなくてはならないのかもしれない。
あの夢は、ただの夢じゃない。夢の中の行動に意味や目的があるように思われたのだ。

「あの街は、一体どこなんだろう」

ぼんやりと手を伸ばすが、それは空を掴んだ。真実は何もわからない。
自分がなぜこんなところにいるのか、どうしてこんな夢を見るのか。考え始めるとどこにも拠り所がなく、自分の存在自体が夢みたいに嘘だったと言われてもかえって納得できるような気になってきたので、飛び起き、考えを振り払って支度をすることにした。


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