空に輝き出した星を三つほど数えられるようになった頃。
占領したグジャラート城塞に一旦落ち着き、体勢を立て直すよう軍に指示し終わったあとで、ナルサスはミトにあてがわれた部屋を訪れていた。

扉から顔を出したミトは一日中敵軍の中にいて緊張していたせいか、ずいぶんと疲れ切った様子だった。

「疲れているところ悪いが、おぬしの部屋に入る許可をいただけないだろうか」
「部屋に?」

ミトは一瞬きょとんとするが、すぐに「どうぞ」と扉を開け放った。するとナルサスは苦笑し「おぬしの世界ではどうなのか知らぬが、もう少し警戒してくれてもいいのではないか」と言うのだった。

「ま、まあ私の世界でも、男性を簡単に部屋に入れたりはしませんけど、ナルサスは別にいいと思って……」
「そうか。では遠慮なく」

どぎまぎとしているミトを横目にナルサスは部屋に入ると、ソファに腰かけて頬杖をついた。戦場で見るよりゆったりとした服装で、いつもよりも穏やかな雰囲気だった。ミトも扉を閉め、彼の向かいにある椅子に座る。

「何か御用でしょうか」
「おぬしと約束していたことを思い出したのだ」
「約束?」
「無事にグジャラート城塞から帰還できたら、ミトのことをもっと褒めてやろうと話したが覚えているか?」

その言葉にミトは顔を赤らめて、椅子の上で縮こまった。
それはファランギースと比較して「美人ではない」などと彼に言われたときのこと。乙女心を全然理解していない、とミトもそのときは怒っていたものだ。

「……そんなこと言ってましたね。でも、ナルサスは戦闘中に私のことを真剣に心配してくれましたし、それでもう十分ですよ」
「それでは俺の方が足りぬのだ」

眉を下げて微笑まれ、ミトは胸がどきりとする。

「無事に帰ってきてくれて、本当にほっとした。ギーヴしか味方のいない状況だったが、よくやってくれた。おぬしを送り出さなければよかったと何度後悔したことか」
「ナルサスでもそんなふうに思うことがあるんですね」
「俺も未来が見えているわけではないからな。……それに、失う苦しみを知っていればこそ、もう二度と失いたくないという思いがあってな」

彼は溜息をついて額をおさえた。
その言い方に少しひっかかるところがあったのだが、深く聞くことではないのだろう、と思いミトは口をつぐんだ。
しかし、彼ほど近い未来が正確に読み取れる者をミトは知らない。ここまでのパルス軍の成功は、本当にこの軍師の導きによるところが大きかった。

「でもジャスワントが裏切るってよくわかりましたね。私を使者に推したことくらいしか、兆候がなかったと思いますけど」
「ラジェンドラが遣わした人物、という時点でまず皆も怪しんでいただろう。それに奴が裏切らなかった場合の策も用意していたし、数ある手のうちの一つが活かされただけだ」
「へえ、やっぱり本当にすごいですね、ナルサスは」
「俺を褒めても何も出ないぞ」

ミトは素直に尊敬のまなざしを向けた。
ふと、不安なこと、心配なこと、すべてこの人に話しておくべきだと感じた。
きっと何かいい対策を教えてくれるだろうし、この世界で身寄りもなく、誰との関係性も持たないミトが信頼できる数少ない人に、心を開かずにいてどうやって生きていくというのだろう。

「あの、ナルサスって、私のことどう思ってますか?」
「……は?」

急に身を乗り出したミトの言葉に、ナルサスはなぜか面食らっていた。見つめるミトの瞳がきらきらと輝いていて、ナルサスは反射的に少し身を引いた。

「ど、どうって、それは……もちろん、俺はおぬしのことを大切に思っているが……」

目を泳がせてしどろもどろに答える彼の様子に、ミトは首を傾げた。

「ええと、私が別の世界から来たこととか、敵に斬られない力とかについてなんですが」
「そ、そうか」

どこかほっとしたようにナルサスは息を吐いた。一方で、ミトの面持は深刻なものになっている。

「私、なんとなく、この力もいつか消えるのかな、と思っているんです」
「……ミト?」
「あとは、私って突然この世界に来たから、また突然消えたりするのかな、とか」

表情は笑っていたが、話の内容は穏やかではなかった。
突然会話の雰囲気が変わった。ナルサスは黙ってミトの声を聴いていた。

「私、いつかこの世界からいなくなっちゃうのでしょうか」

ミトは言い終えたあとで、大きく息を吐いた。存在と生存に関わる話であるのに、なんでもない様子で言うのが、逆につらかった。ミトとナルサスどちらにとっても、本当は大事な話であるのに。

「ひとりで考えても答えが出せないので、ナルサスの意見を聞かせてもらえませんか」

ミトは少し笑い、穏やかに言ったのだが、ナルサスの表情は固かった。

「そういう非論理的なことは考えても無意味だ」

突き放すようにそう言われ、ミトは一瞬ひるんだ。しかしいきなり無意味だと言われても、大事な話を切り出した手前すぐに終わりにするわけにもいかない。

「でも、その非論理的なことが起こって私はここにいるんです。入口があるなら出口もあると思いません?一方通行ってわけには……」
「そんなにもとの世界に帰りたいのか、ミトは」
「そういうわけじゃありませんけど……」

どういうわけか、ナルサスは少し怒っているようだった。ミトはこの話題を出したのは間違いだったかもしれないと思い、ついに目を伏せて黙り込んでしまう。

「ミト。いつかいなくなるかも、となぜ思う?根拠もなく、確実とも言い難い。おぬしが今生きているのはこの世界だということ、わかっているのか」
「……わかってるつもりです」
「いつかいなくなる可能性がある、斬られても不思議な力が自分を守ってくれる……と思っているうちは、この世界に本当の意味で生きたことにならないのではないか」
「……」
「それに、いつかいなくなるだとか、そんなことは初めから俺も考えているに決まっているだろう」

やや声を大きくしたあとで、ナルサスは「だが口に出さなかったのは、おぬしにこの世界で生きていて欲しいと思うからだ」と小さく呟いた。
下を向いていたミトは恐る恐る顔を上げ、彼の表情を見た。意外にも、寂しそうで、懇願するような瞳に見つめ返されたので、ミトはまばたきを繰り返したが、見える景色は変わらない。

「……おぬしがもとの世界に帰りたいのなら、俺は止めぬが、今ここで生きているうちは、そのようなことを言うのはやめてくれ」

あまりにも切なそうな目をして言われ、ミトはぎゅっと胸がしめつけられる。

「ごめんなさい、ナルサス。私が馬鹿でした。もうこんなこと、考えませんから……」

そのあと、少し話をしていつも通りの調子に戻ると、ナルサスは部屋を出ていった。無理にでも雰囲気を回復させようとしているのがお互いにわかった。
しかし、追いやろうとすればするほど、かえって二人の頭の中に色濃く残るのだった。「ミトはいつか消えるのではないか?」という予感が、月の下、太陽の下、どこにいても彼らの額の裏にこびりついて離れなくなってしまいそうなくらいに。



***



巨大な湖をわたる風がミトの頬を撫でた。
しかしその風でも夢のような靄は晴れず、朝とも夜ともいえない色の空を覆っているままだ。

街道を歩いていくと、いつの間にか湖に面した小さな漁村に辿り着いていた。
柱と屋根だけの集会所のようなものもあるが、人の姿は見当たらない。ここでも、呼吸をしているのはどうやら自分ひとりだけである。
ほかには岸に寄せては返す波の音だけ。地形を見るに、湖にも潮の満ち干きがあるようだった。
湖は透明なエメラルド色で満たされていた。漁師の乗る小さな船が、宙にあるかのようにぷかぷかと浮いている。ミトは水底を覗いたが、やはり、魚や動くものはどこにも見当たらなかった。

しかし不思議と心細いとは思わなかった。まるで息をしない絵のなかに入り込んでしまったように、ここには自分しかいないのに、どこか懐かしく、美しくて優しい景色ばかりなのだ。

村の奥から、さらにどこかへと伸びる道をみつけた。
ミトは迷わずそこへ踏み出した。その先へ行かなくてはならないという気がしたのだ。




「……またこの夢か」

目が覚めたミトはぽつりと呟く。
この夢が少し前に見た別の夢の続きであると、どういうわけかはっきりわかっていた。
そして、この夢にさらに続きがあるということも。

息をしない不思議な夢なのに、ただ美しいだけではないような気がして、急いで窓を開けて自分は今どこにいるのか、と確認してしまう。
自分の頭のなかだけの風景であるはずなのに、この世界のどこかにこの夢とまったく同じ景色があるのではないかという思いがふっと過り、しかし風に飛ばされるようにすぐに霧散してしまった。



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