「どうも、私が考えていた状況のなかで、一番ばかばかしい事態になったようです」

兵士の報告を聞き終えたナルサスが、肩を竦めた。
アルスラーンの臣下たちが丸くなって、床に広げられた地図上に目を落とす。そこには四つの駒が奇妙なほど整然と配置されていた。

ミトたちがいるのが、北方のグジャラート城塞。その南方に、国都から進軍してきたガーデーヴィの軍がいる。そのさらに南方にラジェンドラ軍が入り込み陣をかまえてしまい、その南方に国都ウライユールがある、という構図である。
つまり対立する二つの陣営がそれぞれ分裂してしまっているのである。
ガーデーヴィの軍は南北を敵に囲まれているように見えるが、敵の全兵力よりも大きい軍であるため、各個撃破することも可能な状況だ。ラジェンドラの軍は、国都の一番近くに位置しているからこれを攻撃することもできるが、そうすると背後ががらあきになり、ガーデーヴィ軍に攻め落とされてしまうかもしれない。

「これでは両軍とも均衡状態になってしまうと思うが、どう動くのだろう」
「ふたりの王子は、もともと戦うために兵を動かしているですから、必ず戦闘になります。ガーデーヴィが決戦を心さだめるまで、長くて三日だと考えております」

地図上の駒をみつめて眉を寄せるアルスラーンに、ナルサスは予言めいた口調でそう伝えた。



***



実際、ナルサスの予想はあたり、ガーデーヴィの軍は大挙して動き出し、ラジェンドラ軍と「チャンディガルの野」と呼ばれる場所でぶつかった。


最初のうちは互角の戦いを繰り広げていたものの、戦象部隊を投入したガーデーヴィ軍が押し始め、ラジェンドラ軍に惨敗の色が濃くなった。
そこへパルス軍が突然現れた。
巧妙な策でもってガーデーヴィ軍をあざむき、北方のグジャラート城塞を無傷で抜け出し、騎兵のみという編成を活かして戦場へまさに「飛んで」きたのである。

パルス軍は、戦象部隊と戦うことを想定した作戦と武器で絵に描いたような成功をおさめ、形成を逆転させ、結局ラジェンドラ軍に勝利をもたらしたのであった。

気がかりなのは、戦場に再び現れたジャスワントで、彼に助けられてガーデーヴィ王子が落ち延びたことである。
ファランギースが弓で彼を射る寸前、アルスラーンがそれを制止したのだが、これでジャスワントを助けるのは二度目であり、ガーデーヴィ王子も結果的に生かしたままにしてしまった。



***



決定的な勝利をおさめ、勢いづくラジェンドラ軍は、数日のうちに体制を整えて一気に国都へ攻め上ることに決まった。
パルス軍としても、いつまでも自国を留守にするわけにもいかないので、これ以上戦いを長期化させる気はない。最終決戦に向けた準備を各自淡々と進めていく。


チャンディガルの野の戦いから二日後の夜、ミトは湯浴みをすませると、ほてった肌を冷やそうと外へ出た。
冬の透き通った空には満点の星が輝き、その一粒一粒が意志をもったように淡い色を放っていた。
もとの世界では、このように見事な星空は見たことがなかった。街の光が星の光を打ち消し、見上げる視界には人工物が映り込む。
ミトは溜息をつく。あらためて、ずいぶんと遠いところへ来てしまったのだと。
そのとき、伏せた目の前を一筋の光が横切った。

はっとしてそれを追うと、蛍のような小さな光がふわりと闇の中で揺れ、動いていた。一つではない。幾つもの光が、吸い込まれるようにして集まっている場所があった。
その中心にひとりの女性がいた。
女神のように美しく、飛ぶ光と戯れるように、優しく瞼を閉じている。
ファランギースだった。彼女は笛のようなものを吹いているが、その音色はミトには聞こえなかった。
ミトはその幻想的な景色を、まるで絵画を見るように、息を潜めてしばらくぼうっと眺めていた。
やがて、不意にファランギースが笛から唇を離すと、光は小さくなり、闇に呑まれた。

「おぬしら、何をしておるのじゃ」

急にそう言われてミトは、うしろめたいところはないのに、びくりと肩を跳ねさせた。しかし同時に眉を寄せる。「おぬしら」とは、一体?

「ごめん、盗み見してるつもりじゃなかったんだけど」

そう言って物陰から姿を現したのは、アルフリードだった。どうやらファランギースに見惚れていたのはミトだけではなかったらしい。

「こ、こんばんは」

隠れているわけにも行かずミトも出ていくと、「なんだ、あんたもいたの」とアルフリードが振り返った。彼女はミトと目を合わせると、頭のうしろで手を組んで空を仰いだ。

「今の光がファランギースのよく言ってる精霊ってやつ?」
「そうじゃ。普段は目には見えぬが、静かな夜に光となって現れることがあるのじゃ」

美しい女神官は長い睫毛を揺らし、「もっとも、戦時下ではめったに見ることはできぬのだが、精霊どもがやけに落ち着いておるな。何かあったのかもしれぬ」と呟く。
二人の王子が国中を巻き込み最後の決戦に挑もうとしているという夜に、血や悲鳴ではなく平和で清浄な空気を好む精霊が現れるのは、確かに不思議なことだった。

「何かが起こる兆候とか……?」

ミトは首をかしげ、「ナルサスなら何かわかるのかなあ」とぼんやりした声を出した。
すると、じっとりとした視線を感じ、ミトは顔を右に向けた。そこにいたのはアルフリードで、気難しげな表情をしてミトのことを見ていた。

「あんたさ、ナルサスのこと好きなの?」

不意にそう言われ、ミトは硬直した。

こんなところで彼女からこんなことを訊かれるとは夢にも思わなかったのだ。ファランギースでさえ、珍しくぽかんとして口を開けている。
一方で夜の闇のなか、アルフリードの瞳はらんらんと輝きミトから離れない。

「え……えっと、アルフリード、急にどうしたの?」
「べつに……聞いてみただけよ」

あまりの驚きに、自分自身に「ナルサスのことが好きなのか?」と訊いている間もなかった。むしろなぜアルフリードがそんなことを思ったのか、ということの方が不思議だったのだ。少なくともミトには、まったく根拠のない問いに思えた。

「言っとくけどあたしは惚れてるからね!」
「え……そ、それはわかるけど、私はそんなんじゃ……」

宣言するように言われ、ミトは萎縮した。
自身の口からもそういう言葉しか出てこなかったのだが、心の中では何人もの人間が囁き合うようにざわついていた。
アルフリードの自信に溢れた言葉が、胸に落ちて波紋となりミトを揺らす。
何だろうこの気持ちは。目の前をぐるぐると星が巡り、吐き出すべき答えを見失わせているような心地がする。この少女は恥ずかしがる様子もなくナルサスが好きだと言っているが、自分はどうなのだろう。

「なんじゃおぬしら、恋敵だったのか?国を興すことに夢中になっていると見えたが、ナルサス卿も罪なお方……いや、抜け目のないお方と言った方がよいか」

ファランギースは口元を隠して優雅に笑っていた。精霊の声に耳を傾ければ、ミトの本心をささやいてくれたのかもしれないが、すでに彼らは夢の世界へ溶けてしまっていた。

「さあね、どうもミトはそうじゃないみたいだけど、ナルサスほどの人なら二つのことくらい同時に出来るわよ」

ふん、と鼻から息を吐き、少し背伸びをするアルフリードと、困惑しきっているミトを交互に見て、ファランギースは微笑んだ。

「ふふ、面白くなってきたのう」


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