「実をいうと、私は宰相マヘーンドラさまの一族の端に連なる者です。マヘーンドラさまのご命令により、ラジェンドラに近付き、その信任を得ました。私の役目はラジェンドラ軍とパルス軍の侵攻を止めること。両将軍にもどうか協力していただきたい」

彼はシンドゥラ語で語ると、マヘーンドラの署名がある身分証を取り出し、将軍たちに見せた。それで将軍たちは彼を信じることにしたらしく、今度は居心地悪そうにミトをちらと見た。
パルスを撃退する作戦をこれから話すのに、ミトが邪魔だと思ったのだろう。「この者はいかがする?」と、ミトが理解していないと思い込みシンドゥラ語でジャスワントに問いかけた。

「ギーヴもそうですが、パルス軍を油断させるため、使者は生きて返すのがよろしいかと」

ミトは何を聞いても顔色を変えぬよう心がけた。気を逸そうと、将軍たちの空いた杯に酒を注ぐ。

「それでは、私の策についてご説明させていただきます」

ジャスワントはまず、先にギーヴが二人に持ちかけたおいしい話はすべて嘘だと告げた。欲につられて降伏したりすれば、結局首をはねられるに違いない、と。
パルス軍がそのようなことを申し出て、この城に使者を送ったのは、将軍たちを油断させるためである。彼らはグジャラート城の前を、夜中にこっそりと通過して国都を目指すつもりなのだ。主力の騎兵部隊が先、そのあとに糧食隊が続く。このとき、シンドゥラ軍は騎兵部隊をやり過ごし、糧食隊を襲撃するべきである。いかにパルス軍が精強でも、糧食がなければ戦うことができず、のたれ死にするしかない。

「シンドゥラ軍への合図は私が出しますので、それまで林の中に潜んでお待ちください」

将軍たちはすっかり酒もさめたようで、ジャスワントの指示を真剣に聞いていた。



少し沈黙が続き、ひととおり話が終わった、と思ったミトは「ジャスワント、今のお話は?」となるべくなんの感情も込めずにきいた。

「申し訳ありません。シンドゥラの内政に関することでしたので、パルス軍の方にお伝えするのはやはり差し控えさせていただいてもよろしいでしょうか」

ミトが将軍の好みというのは本当だったらしいが、ファランギースよりも弱くて賢くなさそうという理由でミトを選んだのも本当だったらしい。
眉を下げて控えめに頷きながら、どこまでも舐めてくれるな、とミトは密かに闘争心を燃やした。



***



その夜半、パルス軍はひそかに陣を引き払って、街道を進んでいた。
馬の口を布でしばり、兵士は口のなかに綿をふくんで、物音を立てぬよう徹底している。

その隊列の中をそっと抜け出し、街道脇の大木の影に隠れた者がいた。ジャスワントである。

彼は騎兵部隊が過ぎていくのを眺めたあとで、発火筒をとりだし、火を付けようとした。しかしその時、背後から「こんな夜中でも働いているとは感心だな、ジャスワント」と声がかかり、彼はぴたりと動きを止めた。
あわてて振り返ると、先ほどまで使者として自分とともにあったギーヴとミトがいた。

「おぬし、こんなところで何をしている?」
「何といって……」
「油断ならない黒猫め。きさま自身のしっぽに火をつけてやろうか」

緊迫した状況であるのに、ギーヴは頭の後ろで手を組み、冗談でもいうような口調である。ジャスワントはやりにくそうに奥歯を噛み、辺りを警戒していた。

「ジャスワント。シンドゥラ軍に奇襲の合図をするつもりだったのはわかっています」
「ミトさま……いや、な、なぜあなたが!?」

ミトの声にジャスワントが驚いたのも無理はなかった。ミトの言葉は、流暢なシンドゥラ語であったのだから。
このときジャスワントは、目に見えるほどに顔色を変えた。ミトがシンドゥラ語を話せるということは、聞くこともできるということ。彼女はシンドゥラ語を理解していないと思い、彼女のいる前で将軍たちに作戦を語ったが、それはとんだ大失敗だったのだ。

「パルス軍を罠に嵌めようとしたこと、そして私をみくびったこと、両方後悔してください!」
「お、おいミト」

ミトは右手で剣を抜くと、まだ話を続けるつもりだったらしいギーヴの制止を振りきってジャスワントに斬りかかった。
肩越しに見やりながら「ギーヴは黙って見てて!」と声をあげると、彼は呆れたように笑い、おとなしく木の根に腰掛けた。

「……なぜ二人でかかってこない?」

ミトの斬撃を受け止めたジャスワントは、お前では相手にならないのでは?と言いたげな表情だった。とはいえ、まだ驚きを隠しきれていないようだ。ミトのシンドゥラ語や、ギーヴがあわてもせずに離れたところで戦闘を眺めていることに。

「あなたを倒すのには私ひとりで十分だからです」

ミトは低く呟くと、ジャスワントの剣と自身の剣をぶつけ、激しく火花を散らした。



***



ちょうどその頃、グジャラートのシンドゥラ兵たちは、森に潜んでパルス軍の主力が通過するのを、息を殺して見守っていた。
月の薄明かりの下、騎兵部隊と思われる一団はほとんど彼らの目の前を過ぎていったように思われるのだが、ジャスワントの合図はない。
しかし、これ以上待っていては作戦が失敗すると思った将軍はしびれを切らし、全軍に突撃の命令を下した。

シンドゥラ軍は、騎兵部隊の後ろをついてきた糧食隊を狙って槍先を揃えて猛前と突進する。勝利は目前に見えていた。
しかし、輸送用の牛車のおおいがはねのけられると、そこには糧食ではなく武装したパルス兵が潜んでいて、一斉に矢をあびせかけた。
シンドゥラ軍は奇襲を仕掛けたつもりが、パルスの策にまんまと嵌ってしまったのである。
暗闇のなか、指示もうまく伝わらず、あっという間にシンドゥラ軍は大混乱となった。




その混乱が風にのって、剣を交えるミトとジャスワントにも届いた。
ジャスワントは目に見えてうろたえ、改めて自分がパルス軍の手のうえで踊らされていたことを悟ったのだ。
この戦闘から脱出しなければ、もうここにはいられない。ジャスワントは覚悟を決め、剣をひらめかせた。無数の剣撃がミトに打ち込まれる。剣のぶつかり合う音が激しく響き、柄を持つ手を痺れさせる。

「……!?」

しかし、ジャスワントは不可解さに眉をひそめた。
ミトも案外よくかわすのだが、いくつかは確実に彼女の手首や腕を斬り落とすはずの軌道だった。それが不思議と、すべて外れてしまうのである。

「あなたは、何者だ……!?」

暗闇の中で、刃から飛び散った火花がミトの顔を照らした。まだ若く、苦労など何も知らないような顔をしているのに、どうして自分を凌駕するのだろう、とジャスワントが思っていると、いつの間にか背後を取られ、首に鋭い衝撃を感じた。
ジャスワントはそこで意識を手放した。



***



「お見事。ミトどの」

地面に伏せる敵を見て汗をぬぐうミトに、ギーヴが近付いてきた。

「しかし俺に手を出すな、とは。この黒猫がよほど気に食わなかったのかな」
「それも多少ある……でも本音は、ジャスワントには失礼だけど練習がしたかったんです」
「れ、練習?」

ギーヴならばもっと早くジャスワントを無力化できていただろう、とミトは思う。自分はまだまだだ。実際に剣を交え、もっと強くならなければ。たとえこの不思議な力が失われたとしても、負けない強さを手に入れなければ。
――この世界で生きていくと決めたのだから。

ミトはぽかんとしているギーヴに背を向け、「ジャスワントを拘束しておいてもらえますか?私もあっちで戦闘に参加してきます」とひとりで駆け出した。

「……何か焦ってるのか?あいつ」

暗がりへ駆けていく背を眺め、ぼんやりと呟いたあと、ギーヴは足元に転がる黒豹のような青年のことを思い出した。
そしてしぶしぶといった様子で、ジャスワントを縛り上げようと革紐を取り出すのだった。



***



ジャスワントとギーヴを後に残して走り出したミトが数十メートルも進まぬうちに、
目の前に、交戦中の集団が森から飛び出してきた。
後退するシンドゥラ騎兵と、それを追撃するパルス騎兵のようだった。「戦闘に参加してくる」と言ったものの、馬にも乗らず徒歩のミトは、さすがに彼らの戦いの中に入るのをためらった。
いくら剣などで斬られないとはいえ、馬に踏まれたり、倒れた馬や人の下敷きになった場合もあの不思議な力が発動するのか、という疑念があるのだ。

「私の力はまだわからないことがありすぎる、どこまで自分を守ってくれるのか、いつまで守ってくれるのか……。でもその力がなくなったとしても、私はこの世界で生きていきたい。だからもっと強くならないと」

ミトは剣を鞘におさめ、倒れた兵から弓を奪い取った。一歩引いたところからパルス軍を援護しようと思ったのだ。
シンドゥラ兵に狙いを定め撃つと、狂いなくその胸に突き刺さった。暗闇からその兵と戦っていたらしい騎兵が躍り出てくると、見知った顔がそこにあったのでミトははっとして思わず名前を呼んでしまった。

「ナ、ナルサス!」
「ミト?無事だったか!」

こちらを見ながらも、ナルサスは軽く剣を振ってもうひとり斬り伏せる。
ミトははやくこの戦闘を落ち着かせ、彼にジャスワントを捕らえたことを伝えたいと思った。はやる気持ちをおさえ、急ぎ、矢をつがえると次の敵に狙いを定めた。
しかしそのとき、死角にいたシンドゥラ兵が放った矢がひゅっと風を切って飛来した。

「ミト!!」

自分の前と後ろから、同時に名前を呼ばれたような気がした。
たぶん、ナルサスと、あとを追ってきたギーヴだろう。
しかし彼らの声に応えることはできなかった。
矢をうけた衝撃で、ミトは地面に投げ出された。



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