二月一日、パルス軍の使者がグジャラートの城門の前に馬を立てて、開門を呼びかけた。
赤紫色の髪の優美な青年の声は、夜の闇に歌のように響いている。その横に控えるのは、小柄でシンドゥラ人ともパルス人とも言えない雰囲気を漂わせた少女と、案内人の黒豹のようなシンドゥラ人のみで、いずれも細い剣を携えているだけである。
やがて城門が開き、城内の大広間に迎え入れられると、片手に竪琴を抱えた美しい青年を見るために大勢の女性たちが集まっていた。シンドゥラ風にいえば「銀色の月のような」美青年であるギーヴは、愛想よく女性たちに手を振った。彼女らもまた、城内の男たちの機嫌を損ねるのも忘れて彼にみとれていた。

「なるほど、ギーヴみたいなのが使者にたてられる理由がわかりました」

ミトはややうんざりした口調で、隣にいるジャスワントに話しかける。ナルサスから「彼には注意しろ」とは言われているものの、できれば事を荒らげたくないし、優秀な通訳兼案内人を反故にしたくもない。

「私がどうしてあなたを推薦したのかも、いずれわかると思います」
「え?」

一瞬、心を読まれたかと思ってミトはさっと顔色を変えたが、ジャスワントの目は穏やかで、ミトを陥れようとする雰囲気はなかった。
しかしながら、ジャスワントと、ミトたちを取り囲むグジャラートの兵たちに、いっぺんに注意を向けるのはかなり集中力のいることだった。
敵地の中にいることが、これほど緊張するとは。ミトの首筋を汗が伝った。交渉術もなく、経験もないミトは、こういった慣れない場では簡単に足元をすくわれてしまいそうだった。

そのようなこともすべて計算し尽くしているギーヴは、こわばっているミトの肩に軽く触れて自分についてくるよう促した。彼が進んだ先には、城司であるゴーヴィン将軍と副城司ターラ将軍がいた。

歌を口にするように、パルスの美青年が彼らに勧めたのは、「無血開城」である。

「むろんただでとは言わぬ。ラジェンドラ王子は、ひとたびシンドゥラ国の王冠をえた上は、両将軍を厚く遇するであろう、とおおせになっている。地位も、領地も、望むものすべて与えようと。この際、なんでも望まれるのがよろしかろう」

ギーヴは気前よくぺらぺらと好条件を述べるが、もちろんラジェンドラはそんな約束をしていないし、ナルサスもここまで言えとは言っていない。ミトはギーヴのしたたかさに少し恐怖し、おおいに感心した。

パルス側の申し出に対し、グジャラートの将軍たちもすぐには答えを出せなかった。
彼らはガーデーヴィ王子の党派に属するが、ラジェンドラ王子に味方するパルス軍の強さは十分思い知っていたし、個人的な欲にも駆られていた。
ひとまず、彼らだけで相談する必要がある。そのため、宴席をもうけ、ギーヴらをもてなしてやろうということになったのだが、そのとき将軍がはじめてミトの存在に気が付いた。ギーヴが彼らから隠すようにして自分の後ろに跪かせていたのだが、ミトが顔を上げたときにちょうど将軍たちの目に入ったのだ。

「そちらの女性は?」
「パルスのアルスラーン殿下に仕えている者ですが」
「おお。……ではパルスの方々へ献上する品について相談したいのだが、少々お貸しいただけるかな」

将軍たちの目の色が変わったような気がして、ミトは表情を引きつらせた。
まさか、本当に彼らの趣味がミトのような女性ということだったのだろうか。

「そ、それはそれで危険を感じるんですけど」
「……ミト。おぬし、変態の魔手もあの不思議な力でかわせるか?」
「いえ、やったことがないのでわかりません……ギーヴで試しておけばよかった……」

ミトは半泣きの状態だったが、ギーヴがすれ違いざまに軽く頭を撫でた。「何かあったら助けにいくから、すぐに俺を呼べ」とだけ低く呟いて片目を閉じると、彼は宴席へと招かれていった。



***



「おぬし、生まれはどちらの国ですかな?」
「え、ええ。絹の国の方、と聞いております。すぐにパルスへ移り住んでしまったのですが」
「ほう、それでこの辺りでは見ない顔付きなのだな」
「はい、あ、どうぞお飲みくださいませ」

献上品の相談をしたい、とはよく言ったものである。
将軍たちはミトを部屋へ連れ込むと、ギーヴの申し出に対する相談もそっちのけで、彼らだけの宴を始めてしまった。
こうなると、ジャスワントは本当に彼らの好みを理解していた可能性があり、「出しぬきやすそうだから」という理由でミトを指名したのではないのかもしれない、と思えてくる。
とはいえ別な意味で危険な状況になってしまった。将軍が肩を抱き、顔を近付けてきたのであわてて酒を注いで突き返すが、酔いがまわればまわるほど何をされるかわからなかった。



「そういえば、先ほどの青年のおっしゃることは真実なのでしょうな、ミトどの」

ようやく、思い出したように将軍が本題を口にした。
散々肩や腕をぺたぺたと触られていたミトは、チャンスとばかりにその話に飛び乗る。

「ええ。もちろんです。ラジェンドラ王子がそうおっしゃるのを私も聞いておりました」
「しかしのう、我らも迷っておるのだ。どちらの王子に味方すればよいものか……」

今、この国は本当の意味で揺れていた。ラジェンドラかガーデーヴィか、どちらに付けばよいのか、誰もが流れを読めずにいたのである。
当初は王位に近いガーデーヴィの方が有力だったが、民衆や兵たちに人気のあるラジェンドラにパルス軍がついたことで、形成が逆転する可能性がある。
力が拮抗しているからこそ、そこに付け入る隙がある、とナルサスなら言うだろうが、平凡な王や将たちはそういうわけにはいかない。
将軍たちが悩み出すと、酒を飲む手も止まり、一瞬しんとした。

そのとき、扉が控えめな音でノックされた。人に聞かれてまずい話をしていたわけでもないのに、ミトたちはびくりと肩を跳ねさせた。
「失礼いたします」と言って部屋へ入ってきたのは、ジャスワントだった。

「パルスの案内人か……?」

突然の来訪者に、将軍もミトもおどろきあやしむように身構えていた。彼の瑪瑙色の瞳が、暗闇のなかで野生動物のように光ってみえた。

「にわかには信じていただけないかもしれませんが、わたくしは、あなたがたの味方でございます」
「……!?」

ジャスワントはミトではなく将軍たちにのみ、そう言った。それはシンドゥラ語だったのである。

――おぬしにはどちらも自分の理解できる言語として聞こえるかもしれぬが、シンドゥラ語とパルス語は聞き分けること。そしてシンドゥラ語で何が語られても、絶対に顔色を変えてはいけない。

ナルサスの言葉がミトの脳裏をかすめた。彼の予想通り、その指示が活かされる展開となったのである。
不安と恐れで心臓がうるさい。それをなんとか押さえつけながら、将軍たちが顔を見合わせている横で、ミトはジャスワントのシンドゥラ語に首を傾げて見せた。

「ミトさま。今からシンドゥラ語で会話をいたしますが、のちほど内容を要約してお伝えしますので」
「は、はい」

これが演技だと悟られると、なにもかも台無しになってしまう。敵地にたったひとりでいる緊張と、自分がジャスワントの裏を掻くことができるか、という緊張が重なり、心臓が人に聞こえそうなほど大きな音を立てていた。


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