「わ、私は反対です!敵軍の城塞に、たった三人の味方だけで入り込むなど……。ミトさまにそんな危険なことを押し付けられません!行くのなら私も伴ってください!」

夕刻までにミトに着せる使者らしい装いを仕立てるように、と命を受けたエラムは、ミトが敵地へ赴くことに怒った様子だった。
ミトはなだめるように彼の肩を叩くが、意外と強情なところもあって唇をきゅっと結んだままだった。それでもせっせと針を動かしていたのだが。

「まあまあ、俺が一緒なら心配ないだろうよ。おぬしのミトさまはこの美丈夫がきちんと守ってさしあげる」
「あなたの存在が一番心配なのですが」

ミトに付いてきていたギーヴが、大役を控えているというのに軽い調子で「そう警戒するな。俺に任せると言ったのは、他でもないおぬしのご主人なんだからな」と言ってにやりと笑う。これにはエラムもさすがに反論できなかった。

「ですが……どうしてミトさまも一緒になんて」
「それはあのジャスワントという方の提案でしたけど、ナルサスも承諾していたし、話をしにいくだけだから大して危険でもないでしょう、きっと。私に任せてくれるくらいだから」

ミトはそれだけ言うと、思考の海に沈んでいった。



***



あの軍議の後、ナルサスから細かな指示があると言うので、ミトとギーヴだけが残されていた。

そこで彼から話を聞いたミトたちは仰天したのだった。
軍議の場で話したのは、いわば表の作戦で、彼の真の目論見はまた別のところにあった。とはいえ、状況はどちらに転ぶかわからないので、各自で適宜判断し、行動してほしいとのこと。
ナルサスからは「二十通りほどの状況設定をしてあるから一応頭にいれておくように」とあれこれ聞かされたが、ミトもギーヴもすべては覚えきれなかった。
しかしグジャラート城塞を早期に陥落させるため、また、ある危険人物を炙り出すため、この夜が軍事的な分岐点になることは確実だった。



数刻前のことを思い出しながら、そんな重大な役目がなぜ自分にまわってきたのか、とミトは心から溜息をついた。
作戦を実行に移すため、兵士たちはせっせと天幕を片付け始めている。太陽が地にふれる頃に、ミト、ギーヴ、ジャスワントは敵の城塞へ赴く予定だった。



エラムが大急ぎで仕立てた衣装に着替えると、金色の刺繍と首元や手首で揺れる宝石が夕日をきらきらと映した。パルス風の装いで、シンドゥラ国のなかにあっては異国情緒にあふれて素晴らしい出来栄えだった。
「なかなか美しいぞ」とギーヴに褒められてなんだか気恥ずかしい気分になるが、ファランギースの方がどう考えても美女なのに、どうして自分などが推薦されたのだろう、とまた溜息が出た。
すると「溜息などついてどうした?ギーヴとともに行くのがそんなに不安なのか?」と声をかけられ、ミトは勢い良く振り返った。

宝石が宙にきらりと舞って、光を気まぐれに反射する。
ナルサスは目が合うと、少し驚いたような顔をしていた。

「これは……さすがエラムだな。どこへ出しても恥ずかしくない仕上がりだ」
「はい、ありがとうございます」

ナルサスが褒めたのが衣装のことだけだったので、ミトは服をぎゅっと握って頬を少し膨らませた。
誰のせいでこんな恰好をさせられているんだ、と罵ってやりたくなる。

「ミト……そうむくれるな。おぬしも十分綺麗だからな」
「……う」

怒った様子のミトを見たナルサスに余裕の微笑みでそう言われると、自分が一層恥ずかしくなり、ミトは何も言えずに涙目で彼を見返していた。

「ミトどのを嫁に出す気分で寂しいでしょう、ナルサス卿」
「そうだな。とくにおぬしと組ませたのは失敗だったと今思った」
「それはどーも。ところで何か用事でもありましたか?」

作戦決行の直前に訪ねてくるくらいだから、何かあったのかもしれない、と思ったのだろう。ギーヴがやや声を落として問うたが、ナルサスはゆるゆると首を振り、「ミトに少し用事があっただけだ」と漏らした。
ペシャワールでの一件以来、しばらく彼とまともに会話をしていなかったミトは、ぎくりとしてむき出しの肩を跳ねさせた。
久しぶりに話をするだけでもなんとなく緊張するものだが、避けていた理由が理由だけに、どんな顔で彼と向きあえばいいのかわからなかった。落ち着かず、背中をひっそりと汗がつたった。

「さて。ギーヴにも聞いてほしいのだが、グジャラートで酒宴が開かれたとしても、ミトは酒が一滴も飲めないということにして酒は飲ませぬように」
「は?」

ナルサスの言葉に、三人はぽかんと口を開けた。

「そんなことをわざわざパルス軍の軍師が言いに来たのかよ」
「どこに毒蛇が潜んでいるかわからぬからな」

にっこりと爽やかな笑みを向けた軍師に対し、若い楽士は薄く笑って押し黙った。

「あとは二人で話がしたいので、失礼する」
「え?」

ぼうっとしているミトの手を握ったのはナルサスだった。そして引かれるまま、ミトの足も動き出す。目を丸くしているエラムやギーヴの前を通り過ぎ、離れていく。
数歩進んでようやく、手を繋いでいる、ということを理解して、ミトは急に呼吸が早くなったような気がした。



「久しぶりに二人で話すな。ミト」
「……は、はい」

ナルサスは振り返りもせず、前を向いて歩き続け、なんでもないような調子でミトに話しかけた。また、どういうわけかどきりと胸が苦しくなる。
彼がどこへ行こうとしているのかわからなかったが、ミトはただ、彼に手を引かれるままでいた。風をきり、歩く速さが心地良かった。

「このあたりでいいな」

彼が足を止めて振り返った。ひとりごとのようだったのでミトは答えなかったが、言葉が出かけたとしても飲み込んでしまったかもしれない。
手はまだ繋がれていた。というより、ミトの差し出した手をナルサスが掬い取っているような恰好で、指先同士が微かに触れているのがかえってくすぐったい。
いつもの余裕のある表情と声に、不思議なほど落ち着く自分がいた。彼の明るい髪が夕日を受けて輝く。一体なんの話があるのだろう、とミトは不覚にも胸をときめかせていた。

「ミト。これからグジャラート城塞へおぬしを行かせる。敵地に飛び込む危険な任務ではあるが、それはおぬしを信じてのことだ。必ず成功させてくれると思っているよ」
「あ、ありがとうございます」
「まあ、ギーヴの腕前も信頼がおけるし、状況判断力は俺などより上かもしれん。彼の言う通りにしていれば問題ないだろう」

ナルサスがやや不本意そうに言うので、ミトは少し笑う。

「それで、一つ俺からおぬしに伝えそびれたことがあってだな」
「? なんでしょう……」
「それは、その……」

ふっと視線をはずされ、ミトは無意識に彼の視界に入ろうと首を傾けた。ナルサスは髪を耳にかけ、咳払いをひとつする。なにか、言いにくいことでもあるのだろうか。
また目が合うと、ナルサスはやや屈んでミトの視線の高さに合わせた。

「……ミト。怒らないで聞いてほしい」
「はい?」

彼の瞳のなかに自分がいっぱいに映っているような気がした。こんなときに何を言われれば怒れるのだろう、とミトは蕩けそうになる頭でぼんやりと考えた。
だから次のナルサスの言葉は、予想もしていなくて、頭から水をかぶったような気分だった。

「おぬしは、ファランギースほど美人ではない」
「……はい?」

ミトは笑って聞き返したつもりだったが、意味がわからないのと、侮辱されたようなのと、ほんの少しの期待を裏切られたような気分が綯い交ぜになり、やっぱり怒ってしまっていたかもしれない。

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