ミトが城壁の上に駆けつけたとき、すでにダリューン、ギーヴ、ファランギース、キシュワードが剣を抜いて敵を包囲しており、ナルサスはアルスラーンをかばうようにして彼らの後ろに立っていた。
そしてその敵こそが、昼間再会したばかりの銀仮面の男だった。

またしても、たったひとりでペシャワール城塞に乗り込んできたらしい。それで偶然ひとりきりでいたアルスラーンを襲ったようだが、一体なんのためにこの城に固執しているのだろうか。

「四人まとめてかかってくるがいい!」

銀仮面の声は、絶体絶命の状況であるのに、少しも臆するところがなく、堂々たる響きですらあった。
しかしそれに気圧されるようなやわな戦士たちでない。キシュワードを先頭に、連携して斬りかかり、敵の退路を塞ぎ追い詰めた。いくら銀仮面が強く、自信にあふれているとしても、パルスが誇る戦士たちを四人も相手に出来るはずがなく、反撃もむなしく捕らえられようとしていた。
しかしそのとき、石畳を蹴りつけ大急ぎでこちらへ向かってくる足音があった。その足音の主は、この状況を見るやいなや「いかん、その方を殺してはならぬ!」と叫んだ。
万騎長のバフマンであった。

「その方を殺せば、パルス王家の正統の血は、絶えてしまうぞ!」
「!!」

バフマンの声で、それまで勇猛に戦っていた戦士たちの意識は凍りついてしまった。参戦する必要はないと思っていたミトは剣も抜かずに突っ立っていたが、すぐにそれを後悔した。
逃走を図る銀仮面に戦士四人は剣を振りかざすが、迷いを持った斬撃は続け様に弾き返され、ついに銀仮面は城壁の外側へその身を踊らせた。
壁から落下する姿が闇の中であやしく光ったと思ったら、一瞬の後、水音が響いた。
銀仮面は、城を囲む濠に落ちたのだ。

「逃したか……」

下を覗いて見るものの、ペシャワール城に忍び込み、アルスラーン王子を襲った敵の姿は闇にまぎれ、もう見えなくなってしまっていた。

そんなことよりも、と一行は考えていた。バフマンの放った言葉の意味を。

パルス王家の正統の血が絶えてしまう。
この言葉は、二つの条件が揃わねば、口にできないものだった。
まず、銀仮面の男がパルス王家の血をひいていること。
そして、アルスラーンがパルス王家の血をひいていないこと。

そのことに気付いたミトがナルサスの表情を盗み見ると、彼はバフマンの叫びと同時に恐ろしい答えに行き着いたようで、顔を強張らせていた。いや、彼の中では、すでに考えられていた可能性の一つが叫ばれただけだったのかもしれないが。
やがて、他の戦士たちもバフマンの言葉の異常さに気が付いたようだった。

「バフマンどの、今のおっしゃりよう、どういう意味があるのでござる?」

ダリューンの目は、銀仮面を追い詰めたときの目とほとんど変わりがなかった。今度はバフマンが、戦士たちに囲まれる形になっていた。

「私も知りたい。どういう意味なのだ、バフマン」

アルスラーンの声は震えているようだった。無理もない。自分が何者なのか、わからなくなりかけているのだから。
答えを知りたいが、知るのが怖い。ミトも、先ほど自分自身について似たような気持ちになっていたが、彼の正体の方がこの世界にとってはもっと深刻だった。

「お赦しくだされ、殿下……。わしは血迷ったことを申しました。自分でもどうしてよいかわからぬのでござる……」

バフマンは倒れるようにして両手を地面に付けた。周囲は王子と老武人を見守るしかなく、当人たちも何も言えないのだった。全員が沈黙していた。
そこへ、静寂を破る荒々しい足音が飛び込んできた。
ひとりの騎士が現れ、キシュワードに向かって大声で報告する。

「一大事でございます!たったいま、シンドゥラの軍勢数万、夜の闇に乗じて、国境を突破しつつあるとのこと!」



***



そこからの彼らの行動は早かった。
キシュワードは剣をおさめ、軍の指揮をとるため、報告にきた騎士とともにその場を去った。
アルスラーンも「いずれちゃんと話をしてくれ」とだけバフマンに言い、戦に備えようと城壁を降りていった。他の戦士たちも同じである。

たまたま舞い込んだ一大事に、正直なところ彼らは感謝していた。
真実は明らかにせねばならないが、知るのも恐ろしかったのだ。ただ、それを知るのが少し延びただけのことだが、心の準備をすることができる――。



***



シンドゥラ国では今、国王が病に倒れ、その息子である王子ふたりが王位をめぐって争っていた。
ガーデーヴィ王子とラジェンドラ王子は、腹違いの兄弟であったが、ガーデーヴィの母親の方が身分が高く、王宮や豪族たちの間では彼の方が王位に近く有利と見ていた。一方、ラジェンドラは気前がよく、庶民たちの前にもよく姿を現していたので、下級兵士や民衆たちに絶大な人気があった。
シンドゥラは王位継承あらそいの真っ最中だったが、隣国パルスもルシタニアに侵略され、混乱の中にあった。そこでふたりの王子は、その混乱に乗じてパルスの領土の一部を奪い、自分の立場を有利にしようと考えていた。
先にパルスへ侵入してきたのはガーデーヴィ側の軍だったが、すでに数日前にキシュワードに退けられている。
そして今度はラジェンドラの軍が「先を越されてたまるか」とカーヴェリー河を越えてきた、というところであった。

東方国境が騒がしいうちは、王子一行も王都へ進軍することはできない。
そこでナルサスが提案したのが、「王位継承にやや劣勢であるラジェンドラを助けて恩を売り、彼が国内統一に目を向け、東方国境が安泰であるうちに王都エクバターナを奪還する」といったことだった。



闇夜のなか、奇襲を仕掛けてきたラジェンドラ軍を迎え撃つため、ミトたちは馬に乗りペシャワール城を出た。

「エラムとアルフリードはもう先に?」

奇襲の報告から短時間のうちに、ナルサスから詳細な作戦がそれぞれに与えられ、行動を開始していたのだが、一体彼はいつそんなものを考える時間があったのやら。
もしかすると、こうなることも予想していたかのような用意周到さだったので、ミトたちは改めてその智略に驚かされた。

「ああ。どっちがナルサスの役に立っているのかといったことを張り合いながら出て行ったぞ」

完全武装したダリューンが苦笑しながら、暗夜のような馬を進めていた。

集団による大規模な作戦行動は、ミトにとって初めてのことだった。
今まではアルスラーンと数人だけの小さな一団だったが、ペシャワール入城以来、数万の兵士たちが配下に加わった。しかし戦の経験もなく軍の統制といった知識もないミトは、もっぱらエラムたちとともにナルサスからの指示を受けて細かな雑務をこなしていた。
だが今夜、ミトはとくに指示は受けておらず、どこにいればいいのかもわからなかったのでナルサスとダリューンの近くにいたが、彼らが出陣するというので自分も一緒に来たというところだった。

「エラムたち、ふたりだけで大丈夫でしょうか」

ミトは心配そうに言うが、その声にはどこか非難がましい響きがあり、どうせなら自分もそれに加えてくれればよかったのに、と言いたそうなのがすぐにわかる。

「おぬしの出番は別に用意するつもりだったのだ。ひょっとするとなくなるかもしれぬが」
「えっ、どうしてですか?」
「今夜、シンドゥラは戦における三つの理をすべて犯している」

ナルサスの言葉にミトが首を傾げると、ダリューンが横で「天の時、地の利、人の和というのがある」と言った。

「そう。ミトも覚えておくといい」

ナルサスは、戦の前だというのに落ち着いた調子で説明する。
まず「天の時」。季節はいま冬であり、暑さに慣れた南国シンドゥラの兵士にとってはつらい時期となる。また、シンドゥラ軍の最強の切り札は戦象部隊なのだが、象たちはとくに寒さに弱く、戦場にすら出てこられない可能性があった。
次に「地の利」。シンドゥラが軍を進めるのは、国境を越えた彼らの見知らぬ地帯である。加えて夜に攻めてくるというのは、ほとんど無謀とも言える。
最後に「人の和」。ガーデーヴィ、ラジェンドラともに、王位を争っているにも関わらず、一時の欲につられ好機とばかりにパルスへ攻めてきているが、競争相手が後方から襲ってくる可能性があるということがわかっていない。

「そういった危険を背負っている軍は、我らが叩き潰すまでもなく負けるでしょうな」

暗闇のなかでナルサスは余裕の笑みを浮かべていた。ラジェンドラ軍はすでに彼の手のひらの上にあった。
ミトは、彼が敵側ではなくこちらにいてくれたことに心から感謝する。この上なく敵にまわしたくないひとだ、と心のなかで賛辞を送った。

「ナルサスは、隣の国のことも本当によくわかるんですね」
「キシュワード殿をはじめペシャワールの兵たちが知っていることを聞いただけだ」

そこでミトは「では、西の国は……」と、ふと思い出したことを口にした。

「ルシタニアか?あの国にもいろいろと戦略的欠点はある。俺が思うに……」
「いえ、あの、パルスの西北に、マルヤムという国があると聞きました」

これ以上後回しにしたくなかったので、ミトは回り道をせず直接聞いた。ナルサスは一旦目を少し開いて、次にやや伏せがちに前を向く。

「あの国はルシタニアに征服され、滅亡した」
「め、滅亡」

驚いてミトはそれしか言うことができなかった。「マルヤムの王女ではないか?」と問われ初めてその存在を知った国がすでに滅んでいたとは、気味が悪かった。

「王族の方々は、捕虜に?」
「いや、噂によると、ルシタニア軍の指導者は降伏するかわりに彼らの生命は助けることを約束したが、大司教が勝手にそれを破り、殺害したそうだ」

ナルサスは淡々と彼の知ることを述べ、ミトの方は見ていなかった。見ていれば、彼女の顔が次第に蒼白になるのがわかっただろう。


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