「ペシャワールはパルスの東に位置し、軍事上、シンドゥラとの国境を守る重要な拠点。だから王都エクバターナがルシタニアに陥落させられたとわかっても、この砦を留守にすることが出来ず、すぐに援軍として駆け付けることができなかった」
「なるほど。ということは、シンドゥラは領土を広げようとパルスに侵略する機会をいつでもうかがっているんですね」
「そのとおり。パルスが混乱しているこの好機を逃すつもりはないようだから、我らとてこの地を疎かにすることは出来ないのだ」

ナルサスとミトは、パルスとシンドゥラの境を流れるカーヴェリー河を見下ろせる場所まで歩いていった。

砦の外になるのだが、そう遠くない場所だから、見回りの兵もすぐ近くを巡回している。
ナルサスは河や地形を、絵に描くかのように入念に観察していた。実際、彼はここに戦場という絵を描くことになるのだから、あながち間違いでもない。
先日この大河を越えてシンドゥラ軍が侵入してきた、とキシュワードから聞いてから、彼は西の王都ではなく東に目を向けていた。
シンドゥラがパルスへの侵攻を企んでいる間は、ペシャワールの軍勢を容易には動かせない。王都へ出兵したとして、西からルシタニア、東からシンドゥラ、と挟み撃ちにでも遭えば、もはや立て直しようもなくなる。
熱心に浅瀬の場所を確認する彼の頭のなかは、これからどんな絵を描くか、といった考えでいっぱいなのだろうと思った。
せっかく一緒にいるのだが、夢中になっているこのひとを邪魔できないと思い、ミトは黙っていた。

しかしナルサスは不意に、地形にそって首を回すのやめて、こちらを振り返った。そして「ああ、すまぬ」と謝るのだが、心当たりのないミトは首を傾げた。

「何がですか?」
「エラムに、ミトに大陸のことを教えるよう頼まれたから、こうしておぬしを国境が見えるところまで連れ出したのだった。つい自分のことで手一杯になってしまったが」
「全然気にしてないですよ。わたしなんかに時間を割くより、パルスのためにナルサスの時間を使ってくれた方がいいし」

軽い調子で言ったのだが、ナルサスは少しむっとして眉を寄せていた。

「この間言っていたことと話が違うぞ」
「この間……ってなんでしたっけ」

誤魔化すように頬をかくと、彼は息を吐いて肩を竦めた。

「隣に寝転びながら、俺の時間を自分にくれと言っていたのだがな」

言われて、ミトは身体中の血が顔に集まるのを感じた。
カシャーン城砦から逃げ出した夜に、ナルサスの隣に布団を敷いて、そういえばそんな大それたことを言っていた。まさか彼が覚えているとは思わなかったけれど。

「おぬしの時間を俺にくれるとも言ったな?」
「は、はい……言いました」
「ではぜひそうしてくれぬか」

ナルサスの表情は優しかった。傾きはじめた日の光が、穏やかにふたりを包んでいた。
今が夜だったらいいのにな、とミトは思う。できれば、星空の下がよかった。岩山は殺風景だから、明るい昼間でも真夜中でもどちらでも構わない。お互いの輪郭と表情だけがうっすらと見えるくらいでいい。そうでなければ、気恥ずかしくて視線をどこへ向ければよいかわからないのだから。

「ナルサス、聞きたいことがあるんですけど」
「なんでも答えよう」
「ナルサス、身元のはっきりしない女の子を拾ってくるのが趣味なんですか」
「……」

ミトはやや顔をうつむかせ、彼とは視線を合わせずに訊いた。
しかし、なんでも答えようと言ったわりには一問目から詰まっているのがおかしくて、ミトはそんなナルサスの表情が見たくなって顔を上げた。すると、いい感じでひるんだ軍師殿と目が合う。

「どうしてそんなことをきく」
「単純に気になっただけです」
「あの娘のことなら、あれはなりゆきだ。銀仮面に襲われているところを救い出しただけと言っただろう」
「わたしもなりゆきだったと思いますけど」
「ミトはちがう」

その言葉だけ、はっきりとした根拠があるみたいで、妙に自信をもった声で言われて、今度はミトがひるんだ。
どちらかといえば、あのアルフリードに比べ――いや比べるのも失礼なくらいに、これ以上ないくらい身元がはっきりしないのがミトだったから、ナルサスはうろたえすぎて声の調子を間違えたのかと思った。
それでミトも大きな声で「なにが違うっていうんですか」と問いかけようとしたとき、岩の近くで影が揺れたのが見えて、ナルサスもミトも反射的に身体を強張らせた。

なにかがそこにいるのだ。
敵意が見え隠れしているように感じたから、見回りの兵などではない。
ナルサスは左手でさっとミトを制すると、剣の柄に手をかけて注意深くその岩の方を睨みつけた。
すると、ふふふ、という低い笑い声が聞こえて、ミトはその不気味さにまだ日も暮れないというのに身震いした。
パルス東方国境の砦ペシャワールに、白昼堂々、その城壁のすぐそばに潜んでいた敵。姿は見えないが、過剰な自信と強い自己顕示欲が感じられた。それとも別の目的があるのだろうか。なんにせよ、存在自体がグロテスクだとミトは感じた。
やがて、岩陰から現れたのは、すらりとした長身。均整のとれた体つき。豹のようなしなやかな身のこなし。
意外なことに、ミトは記憶の中からすぐにある人物を引き上げることができた。

「先日は世話になったな、へぼ画家」

禍々しく陽光を反射するその銀の仮面を見ずとも。


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